「…………ふむ。そなたの歌声はその内容に応じた事象を現実世界に齎す効果がある、と。我らがバンシーの挽歌に似たものと捉えてよかろう」
「……あの、でも私の『歌声』は不安定で……」
「其方についても大方検討はついておる。恐らくは我らがバンシーにあるような『喉』……特殊なアーツを制御する生体器官が備わっておらぬゆえに起こる、いわばMechanistに言わせるところの『エラー』であろうな」
怜悧な眼差しがベアトリーチェへと注がれ、ベアトリーチェは小さく縮こまる。正直、何を考えているのかわかりにくいこの人のことが彼女は苦手だった。
古めかしい口調で、つらつらと難しいことを述べているサルカズの青年は、logosと呼ばれるバベルエリートオペレーターの一人である。
バベルには能力測定の中に【アーツ適正】というものが項目として追加されており、この測定基準を制定したのはlogosであった。
logosは基本的に暇な時に全オペレーターのアーツをその目で確認するという、今や戦闘記録も作成できる技術力があるのにも関わらず、変わった方法を取り続けていた。
ロドス・アイランドに入艦してきたベアトリーチェにもそれは変わらないようで、「ベアトリーチェ、空いている時間を教えてはくれぬか」と訊き、
戸惑いを隠せないベアトリーチェがおずおずと答えれば「承知した。感謝する」といって、本題を話す訳でもなく直ぐにその場を去っていったのをベアトリーチェは覚えている。
小さいカルテに時折メモを取りながら、顎に手を当てぶつぶつと考え込んでいる。ベアトリーチェは少し泣きそうだった。アッシュ……ここに貴方のようなお調子者がいてくれたら、気まずく過ごすことなんてないのに……と。
煩雑な考えが纏まったのだろうか、ガラッというスツール特有の音を鳴らしてこちらに向き直るlogos。また何もかもを見透かすようで、こちらに一切を悟らせる気のない瞳がベアトリーチェの瞳と合った。
「そなたはこのアーツの不具合を治したいと思っておるか?」
「……治せる……んですか?」
「『治す』というのは些か誤謬であったな。より正確に言うのであれば、そのアーツの制御を十全なものとしたいか?と問うておる」
「わたしにはその意味の違いが分からないけれど……これで不幸になることはあっても、幸福になるなんてことはなかった。……制御、できるようになりたい」
「その想い、承った。あと、其の様に畏まらなくてもよい。テレジアの言によると、此処に居る者々は一人残らず家族だそうだ。であるならば、そなたと我の間にある隔たりは取り払ってしまうべきであろう?」
ベアトリーチェは思い返してみれば、ここに来てから感染者に対してのあの冷ややかな態度は一切見当たらないような気がした。むしろ、誰もが手を取りあって、お互いの足りないところを補助しあっていた。
ベアトリーチェは自分を恥じた。差別されているものだと思っていたからだ。鉱石病に罹り、誰にも期待されることはない。下手に大声を上げて主義主張をしようものならば、より強い力で抑え込まれてしまうのだと、そう勝手に思っていた。
それは、鉱石病を差別する人たちとなんら変わりない『差別』だった。差別されにいっていたのは、ベアトリーチェの方だった。今一度、苦手と思っていたlogosの顔を見つめるベアトリーチェ。確かに表情は読み取りにくく、何を考えているのかわからない。
ただその事実と同じように、logosは意を決して顔を見上げたベアトリーチェを嘲笑うことなく、親睦の証に手を差し出していたのだ。それに、心做しか口許は綻んでいて、柔らかく微笑みかけているようにもとれる。
「そなたの抱える病をバベルは誠意を以て治療しよう。しかし、此方からも願うことがある。もしも我らが苦難に窮し、死地に立たされることがあったならば……どうか、その力を貸して貰いたい」
「……わかりま、ええっと。わかったわ。わたしも、貴方たちバベルの力になる……いいえ、なりたい!」
「ぜぇ……ぜぇっ……あの、ちょ、ちょっとまってぇ……!?こ、これはなに……?」
「何とは面妖な事を言う。見ての通りダンスレッスンなるものだが」
バベルにある訓練室の一室、なぜか壁の片方がガラス張りにされている謎の仕様の部屋で、動きやすいスポーツウェアを着てベアトリーチェとlogosは激しいダンスを踊っていた。
ベアトリーチェはあの事件が起こる前から結構な引きこもりであり、運動をしてこなかった。なので少し動くだけでも息切れを起こし、「……きゅう」と言って倒れるほどか弱い。
しかしlogosはどうだろうか。程よく引き締まった身体に、はだけた上着から覗く腹筋。滴る汗もなんだか不快なものではなく、煌めいて見える。顔つきは女性的といって差し支えないほど美しいというのに、やはり男の子であるということが分かる、なんというか目に優しくない状態だった。
ベアトリーチェは気付いていないが、logosはかなりの天然バカである。この一見意味のないようなダンスレッスンも一応は意味……というか意図するものがあってlogosは敢行しているのだが、それにノリノリでlogosが参加する必要は全くない。
ただ後ろで指示を出して、レッスン教室の先生よろしく時折お手本を見せてやればいいだけなのに、全く息切れもせず踊り続けるその様はまさに大バカ野郎の加工勲章ものである。この異様な風景を通りすがりのAceが見かけ、笑いを堪えながら入室するまでに、そう時間はかからなかった。
「おまっ……、おまえたちっ……!な、なにをっ……していたんだ……? だめだっ、腹がいてぇっ! あはははは!!!」
「ぜー……ぜー……も、わたし……むり……」
「────? Aceもなぜ笑う。これには歷とした意図があり、其れに基づいて施行しているだけに過ぎぬ。面白可笑しく笑われる道理なぞ無いが」
logosが言うにはこういうことらしい。ベアトリーチェがバンシーのような特殊な『喉』を手に入れることはできない。だが言葉の力の原由は規則にあり、制約にあると考えているlogosは、その『歌声』もまた言葉の力と
歌う時、確かにその音が通る道は喉であるが、規則に拠ればそれは肺が空気を押し上げ、筋肉の縮小による声帯の幅の変化に他ならない。ならば、ベアトリーチェの『歌声』が不安定である一因には、少なからずともその体力の少なさが起因していることだろうと踏んだのだ。
Aceは馬鹿にしくさっていた態度を改め、その生体的プロセスからアプローチにかかるlogosの考えに脱帽した。logosは誰よりもアーツに対しての造詣が深い。
下手なアーツ専門家ならば、我々に備わっているアーツ器官の不全が起こすものだとか、不安定なアーツ現象は補助的役割を持つアーツユニットでどうにかしようだとか、飽きるほど聞いた方法論でしか解決に導かなかっただろう。
ともすれば、それは解決のように見せかけた問題の先延ばしでしかない。それを良しとしない彼の執念、あるいは術師としての矜持は尊敬に値するものだった。とはいえ、天然バカなのは変わりないのだが。
「言いたいことは分かったが、logosが一緒に踊るこたァねぇだろうよ」
「…………なんと!? 言われてみれば我が踊る必要は微塵も無いではないか」
「それによぉ、嬢ちゃんとおめぇは性別も年齢もちげぇんだ。ちゃんと見てやったのか? ほれ、そこで液体みたいに溶けかけちまってんぞ」
「……!?す、すまぬことをした、ベアトリーチェ。少しばかり休息を取るぞ。食堂でなにか甘いものでも
慌ててベアトリーチェをおぶり、食堂へと向かうlogosの背を見届けながら、Aceはlogosの精神的な成長にも目を見張っていた。今までの彼はエリートオペレーター以外にはどこか一歩引いた態度や目線でいることの多かったlogosだったが、どんなきっかけかは知らないがあの小さなエラフィアの少女をいたく気にかけて、普段しないような距離でもって接しているではないか。
ケルシーと殿下が開けた『石棺』から起きてきたあの謎の『ドクター』なる人物も、レム・ビリトンにてコータスの少女……アーミヤを拾ってきたが、そもそもアーミヤを含めてもバベルは幼い子供が少ない。
それに、ベアトリーチェはその『歌声』こそ特異だが、それ以外は普通の感性の女の子である。アーミヤほど賢く、要領が良いわけではない。
言い方が悪いが、これくらいの出来の悪い子供の方が、かえって可愛がりようがあるというものだ。logosにとっては歳の離れた妹ができたような気分なのだろう。その言葉に関連するアーツも相まって。
「……良いにぃちゃんしてんじゃねぇの。おじさんにっこりしちまうぜ」
余談だが、Aceは酒が絡むと口が軽くなるという報告がエリートオペレーター内で共有されている。微笑ましい光景を見たAceはもう既に一杯やりたい気分に襲われており、今夜中にScoutあたりにこの出来事をゲロった挙句、それを聞いたScoutがlogosを揶揄うだろうという未来が大いに予測できた。
後日、どこからか聞きつけたScoutに散々イジられて辟易気味のlogosは『アーツ研究部門』というエリアにあるlogosのためだけに備え付けられた部屋にて、ベアトリーチェの能力測定の判定を考えていた。
基本的な評価としては欠落、普通、標準、優秀、卓越……この五つで測れない場合、または未知数の場合にのみ■■と記すのだが、恐らく他のエリートオペレーターが実施した測定訓練からすると、【アーツ適正】以外は全て普通となるだろう。
logosは決めあぐねていた。バベルに来てからのベアトリーチェのアーツは暴走しておらず、現象理解をするにしても危険とは言い難い範疇に収まっていた。……が、バベルに来るまでの経緯を資料から垣間見るに、彼女の『歌声』の影響の最大値は途轍も無い効果であることは察せる。
それこそ、まだ数日の成果でしかないがベアトリーチェの体力はついてきており、logosの推測が正しければ完全制御とは言わないものの、ある程度の指向性を自らで定めることができるようになるはずなのだ。
「然は言え……『言霊』と『鎧』……この二つの現象をどこに位置付けようか。優秀……と呼称するには基本的なアーツの原理からかけ離れておる。ならば、ここは……」
実はバベルのオペレーターが入艦及び入職する際、早急なプロファイリングをケルシーが求めており、期限が設けられていた。logosはベアトリーチェの『歌声』の特異性から、期日はもう少し先延ばしにしてくれまいかとケルシーに直談判し許しを経ていたのだが、提出用の能力測定記入用紙に「今日中に提出すること。ケルシーより」という付箋が貼られていた。
logosはさらさらと綺麗な筆音を部屋に響かせ、付箋をぴっと剥がし取ると、そのまま席を立ってある所へと向かうのだった。logosがその手に持った揺れる紙から覗く文字には、【アーツ適正:卓越】の二文字が見え隠れしている。
もしかすれば、ベアトリーチェはこの先のバベルを担う次世代のエリートオペレーターになるやもしれぬな。そう小さな期待を抱きながらも、それは我らが知る由もない未来でしかなく、見つめるべきは今であると考えを一蹴するlogosであった。それに反してその無愛想を穏やかなものに変えながら。