コンコン、とドアをノックする音が聞こえる。バベルのオペレーター達は単独任務にあたることも多いが、その多くがチームを組んで活動している。そしてここはバベル行動隊A4の作戦稟議室……兼オペレーター・ドゥリンのお昼寝部屋の前、その扉にシルエットは立っている。
ノックしたシルエットの張本人……ベアトリーチェは緊張していた。演習は基礎に忠実なあのAceにさえ呆れられるほど行ったが、行動隊に配属されるということは、実戦任務にあたる可能性が大いにあるということを示しているからだ。
ではなぜ彼女が行動隊に配属されたのか。それはlogosの推薦によるものである。というものの、
「ケルシーよ。なぜゆえ我のベアトリーチェに対するエリートオペレーター昇進の提言を無視し続ける。今やかの少女は我々に比肩するほどの能力を有しておる。それを理解しておらぬお主ではあるまい」
「……君の言うことは最もだ。彼女の持つ『歌声』はその他のオペレーターには無い唯一性と、戦場を一変させかねない可能性を秘めている。だが、言わせてもらえば
紛争地域の問題解決は何も敵陣にいる脅威を排除するのみに留まらない。辺境に暮らし飢えに苦しむ民衆へのインフラ整備、任務に同行する仲間の能力の把握、そしてなにより……
「…………実戦経験の乏しさがあの娘にはあると、うぬは言いたいのか?」
「その通りだ。logos、君の見る未来が私にも見えていないわけではない。彼女は遅かれ早かれエリートオペレーターとして我々バベルの力になってくれるだろう。……そのエリートオペレーターの呼称案をしまい給え。彼女がよいと頷けば『
「…………! ならば─────」
「その前に、彼女を行動隊A4に配属する」
「…………世迷言を垂れて話の本質が見えぬ。ケルシー。常々から思うていたが、お主の言葉は無駄に煩雑で
「ではシンプルに3点提示しよう。
まず1点。彼女に実績を与えるためだ。
次に2点。彼女には死地を経験してもらう。
最後に3点。我々の庇護外で一度
互いが互いを牽制し合い、一歩も譲らぬ舌戦が、今その質を変えた。宙に向け、さる河谷にて採取した珍しい羽獣から加工した骨筆を走らせる。logosは納得の出来ない気持ちを『アーツ』を展開することで表していた。
もちろん、ケルシーも黙ってはいない。首を少し左に曲げ、脊髄骨から黒い液体を噴出している。たちまちそれは巨大な悍ましい怪物へと変貌し、低い唸りをあげてlogosを睨みつけている。
「死んでもらう────だと? テレジアの理想は、理念は、疾うに貴様の中から消え失せたわけではあるまいな」
「Mon3tr。logosの『アーツ』の領域を消し飛ばせ。
────シンプルに話せと不平を宣ってきたのはお前だろう。長ければ難しくて分からない、短ければ話の内容が気に入らない。実に結構だ。私としては各々の考えがあるだろうと頷き、お前のように不平を零すことはしない。だが、赤子のように
一触即発────logosはあと一節を書き連ねれば言葉の呪術が完成し、その内容に即した事象を展開できる状況にある。ケルシーもまた、脊髄と感覚を共有しているMon3trに対し、ノータイムの脳伝達でもう一度logosの『アーツ』を無効化させる手筈は整えている。
実力で言えば、ケルシーが勝つ。才能で言えば、logosが勝つ。二人の実力は誰もが結末を想起できないほどの……未知数の危険を孕んでいた。
logosの『アーツ』は通常のアーツユニットとは性質の異なる彼専用のアーツユニット、骨筆によって行使される。いつかアッシュたちが戦ったテオドーロのように、logosの纏うアーツには属性が伴っている。これはlogosだけではなく、バンシーという種族全体における特徴。
その属性は『元素』。あらゆる物理現象の素となるものの最小の値を、生まれながらにそのアーツに込められていた。故に、logosの種族である河谷に隠れ棲むバンシーの挽歌には死者を弔い鎮魂する効果があり、またそれ故に特殊な生体器官の『喉』を生まれつき有している。
logosはこの力を『
如何にして『元素』の属性を相手一人一人に正確に思った量を与えつつ、どうやって広範囲に効果を及ぼせるか。答えは『言葉』にあった。
骨筆を通じて『元素』のアーツをキャンパスなしに絵を描くように宙に文字として展開する。その後、『言葉』によって事象は確定され、相手に様々な効果を与え続ける。余りあるほどに強力な属性を、言葉の規則はいとも容易く整えせしめたのだ。
もちろんとてつもない成果による代価はあった。『言葉』による事象の指定が長すぎると、それに込められる『元素』のアーツエネルギーがキャパオーバーを起こし発動失敗扱いとなる。
ケルシーの言葉がここで降り掛かってくるようだが、
相手に『言葉』を向け、遅くする、徐々にダメージを与える、それは蓄積し続ける、とまるで文節を分けるかの如き所業で分割すれば、それでも望んだ効果は現れるのだ。
ダメ押しをすれば、そう言った文節分けが億劫なのであれば『言葉』による先んじた注釈を一定の距離、空間に付与してしまえば良い。
先ほどケルシーとlogos自らの立つ空間……部屋一室に加えた注釈は、退室不可とケルシーに自動追尾する必中効果の付与である。この領域によって、logosは『言葉』による指定を短くすることができる。
ケルシーは即座にそれを看破した。Mon3trはその性質や効果などが全て謎に包まれているが、このMon3trに触れた『アーツ』はどろりと融解するようにその効果を無くしながら溶けていく。『抑制』や『歌声』による無効化とは違った、また別種の『アーツ』破壊性質を有していた。
Mon3trが雄叫びをあげ、その鎌のような腕を振り回しただけで、logosの『言葉』の領域は破壊されてしまったのだ。
logosは睥睨するケルシーに顔色一つ変えず、その骨筆をクルクルと手回ししている。彼は考えている。別段領域の破壊は痛手とは言えない。再展開するのに然程の苦労は要さない。だがケルシーの言う通り、勝手次第な横暴に『言葉』の規則を濫用してはならないと理性的な部分が語りかけているのも事実だった。
ある程度の逡巡を経て、logosは骨筆をその胸ポケットにあるペンケースにしまい、仕方あるまいとため息をついて『アーツ』の展開を消した。それを見たケルシーもまた、Mon3trに「戻れ」といってその悍ましい姿形した怪物をまた黒い液体へと戻し、体内へと収納した。
「……我はベアトリーチェに危険が迫った折には迷わず手塩にかけるぞ」
「止めはしない。そもそも
「……腹の見えぬ謀策ぶりよ。そこまで我らが信用ならぬのか?」
「…………いいや。信用も信頼もしている。しているから、声を荒らげると考えることができた。生憎と、私はこういった回りくどい手法しか取れないんだ。だからこそかもしれないが……君たちのような善意を小さな悪意如きに踏み潰されてはいけないと強く感じている。その最果てで、たとえ君たちに嫌われたとしても、私は進み続けるだろう」
「些か不器用が……すぎるのではないか……?」
「…………話は以上だ。先ほどはしまえと言ったが、そのエリートオペレーター呼称案を渡せ。ネームプレートの作成やプロファイルの記入に必要だろう。……そもそも、エリートオペレーターになれなくとも……これは良い名前だ。歌姫の意を持つ、『Diva』は」
深呼吸をして、返事のない扉に入る決意をするベアトリーチェ。この通達をケルシーにされてからというものの、ベアトリーチェは上手く寝付けていなかった。変な時間に目が冴え、仕方が無いので行動隊A4のメンバープロファイルを僭越ながら拝見させてもらい、どんな人となりなのかを予め頭に入れておく。
そういえば隈が出来ながら朝を迎えたとき、少し可笑しくて笑ってしまった。わたしはいつも寝付きが悪くて、エリザに子守唄を歌ってもらっていたんだった。緊張もあるだろうけれど、そりゃあ昔からそうなのだから寝付けなくて当然よね……と。暫く経ったのち彼女は一呼吸して、勢いよく部屋の中へと足を踏み入れた。
「────し、失礼しますっ……! 本日付けで配属されることになりましたっ、新人オペレーターのDivaですっ!」
「だぁぁぁぁぁぁ!!!!! またレンジャーの爺さんに負けたッッ!!!! これで何度目だよチクショウがァ!!!!」
「フォッフォッフォッ!ノイルホーンの若造は分かりやすくて助かるのう〜!」
「……卓を壊すなよ……修理費が嵩む」
「うむゅ……うるさいんだけどぉ……私の安眠を……邪魔する……なぁー、すぅ……」
三者三様……いや、この場合は四者四様だろうか。ボードゲームらしきもので遊んでいるザウラのお年寄り、鬼の女性、鬼の男性の三人。そして、ソファを占領し抱き枕を抱いてむにゃむにゃと眠る……ドゥリンの幼女……だろうか。
戸惑って呆然と立ち尽くしているベアトリーチェにいち早く気付いたのは年の功か、ザウラのお年寄りが最初であった。皺だらけの目元を細め、ボードゲームの卓からのっそりと立ち上がり、ベアトリーチェを歓待するかのような身振り手振りをしている。
「……うむ? 客人かの。 これはこれは、見苦しいところをお見せしてすまなんだ。ワシのコードネームはレンジャー。狙撃を得意としておる……いわば死に損ないじゃの!」
レンジャーの紹介を皮切りに、残りの三人がこちらを見つめた。ベアトリーチェは息を飲んだ。彼らは、強い。才能による強さということではない。長い間死と隣合わせの戦場を経験して、『どうやって生き残るか』を熟知している者の目だ。積み重ねた経験が違う。ベアトリーチェは彼らの背中に纏う濃密な『死』の気配に、目眩がするほどだった。
「……へぇ、面白いヤツじゃねぇか。 酒は呑めンのか?」
「……彼女はまだ未成年だろう。……未成年飲酒の勧誘は懲戒免職ものだぞ」
「あの、えっと……わたしはぁー……」
前述した通り、ベアトリーチェはある程度の名前と顔の擦り合わせは出来ていた。それでも初めての人と関わる際に緊張するものはするものなので、口許があまりおぼつかなく、第一声を出そうと思いながらも出鼻を挫かれていただけだった。
仲睦まじい様子の鬼の男女は、レンジャーが「ノイルホーンの若造」と言っていたように男性の方がノイルホーン。口数が少なく、影の薄い印象を覚える女性の方がヤトウ。
プロファイルによれば、この2人のコンビはまさに阿吽の呼吸だとのことで、幾つもの任務を少人数でこなしてきたのだという。初対面の印象で言えば、この短気そうな彼がどうやって任務を遂行するのかが気になってしまうが……
「……ねぇねぇ、Divaちゃんは……ねるのだいすき?」
「ドゥ、ドゥリンさん……?そうねぇ……寝付きは悪いけれど、一度寝てしまえばずっと寝ていられるくらいには、好きよ」
「……うん。ごうかーく。睡眠好きに、わるい子はいないからね、むん」
眠たそうに重たい瞼を擦っている小さな体躯の……これでも成人女性であるドゥリンは、行動隊A4の強襲術師だ。その体躯に加え、認知阻害による強襲位置へのポジショニング。そこから繰り出されるチョークポイントへの的確な打撃によって、大きく戦況を変える凄腕である。
そんな彼女は仕事の立ち上がりが遅いようで、単独任務による勤怠がすこぶる悪かったために、基本的には最低でも2人配属の任務をこなすことが多いようだ。但し、ひとたび意識が切り替われば最も冷静かつ冷徹に物事をこなすのも彼女であるということは、作戦記録からも明らかである。
「ワシらの緊張感の無さに面食らっておるのだろう? こればかりはの〜、ワシらがもぎ取った長期休暇申請じゃからぁ〜? いくらお嬢さんとはいえ邪魔される謂れはないの〜?」
「意地悪言ってやんなって、レンジャーの爺さん。 Diva……ってコードネームだったか?」
「あ、はいっ……!」
「はっ! いい返事だなァ……お嬢ちゃんはさぁ、誰かに言われてここに来たクチかい?」
「えっと……logosの推薦と、それを鑑みたケルシー先生の判断で……行動隊A4に配属することになった……いや、なりました」
椅子に背をもたれて、行儀の悪い方法で顔の向きを後ろにいるベアトリーチェに視線を向けるノイルホーン。軽薄そうな態度とは裏腹に、彼の会話のようである種一方的な指摘には棘が含まれているように感じる。
「あぁ……logosのボンボンか。アイツちょっと甘ったれてるところあるしな、分からいでもねぇ!おおかた、あのボンボンに好かれるほどのお人好しか……アイツが目を惹くほどの才能を持ってるかのどちらかだべ?」
「……ノイルホーン、お互いの事情は詮索すべきではない」
「……ワシはケルシー殿の意図するところに同意するがの。才覚ばかりある若者は危うい。物事は必ず成功するものではないということを知らぬ……失敗を学ばねばのう」
「…………わたしは…………」
ベアトリーチェはその一身にもう十分過ぎると言っていいほどの不幸を体験している。父から見放され、母親代わりとも言える最愛の使用人を二度も死なせ、あまつさえ自分だけがのうのうと生き残っている。何かのためにこの命を使わなければ、生き残ってしまった意味はどこにあるのだろう。
だが、そうして「わたしは不幸だったんです、だからこれからは優しくしてください」などと言えるはずもない。逃げて逃げて自分から向き合うことを辞めた結果が、あの『鎧』なのだから。アッシュは言っていた。
生きたいと無理に思わなくていいから、なんかのために死にたくねぇなと思うようにしろと。彼らはわたし自身がここに立つ理由を求めている。
「わたしは、歌姫なんです」
ぽつり。どういった言葉が彼らには響くだろうと考えて出た言葉はそれだった。どんなことも、小さな一歩から。
初めての公演は人が少なかった。それでも小さな拍手が嬉しくて、その人のために歌うことを続けた。
次第に、感動は伝播して数多くの人がオペラ座へと通いだした。離れていく人も多かったが、引き留めはしなかった。
「わたしは、希望を届けたい」
酷いレターを貰ったこともある。歌が下手だ、感情表現が伝わりにくい、題目がつまらない、様々な心無い言葉。紛れもなく、生と死は関わっていないが失敗を喫している。
オペラは悲劇が多い。全体を通して登場人物に救いがある描写は僅かにしか描かれない。人生もその様なものだろう。だからこそとても小さな小石のような希望を、望んだ観衆に届けるためにこの歌に乗せるのだ。
「……ンだよ。 いい顔すんじゃねぇか、Divaの嬢ちゃん。
てっきり……現実の見えてねぇケツの青いガキだと思ってたが、改めるぜ。人はどっかで必ず死ぬ。それを分かってても、おめーは希望を歌うんだな?」
「…………目を背けたりしないわ。 わたしの力じゃ間に合わない悲劇もあるでしょう。手から溢れ落ちる命も
「……あ゛ぁーーー! 合格だよご・う・か・く! logosのボンボンが気に入らねぇでムカつくが、おめーの心意気は気に入った!」
ガシガシと後頭部を荒く掻いて、苛立ちを隠すことをしないノイルホーン。彼を眺めて苦笑いしつつ、顎をさすりながら娘を見るかのように優しげに見つめるレンジャー。
「ワシはケルシー殿に元々同意しておるのでな、ハナから合格じゃよ」
今まで合格と言ったのは三人。最初はドゥリン。それからノイルホーン、レンジャーと続いた。では、あと一人。
ノイルホーンが投げやりにヤトウへと目配せする。彼女は全く動じることなく何やら思案している。やがて、その重々しい口を開いた。
「…………私は実力主義だ」
「オイオイ、そりゃあ無ぇんじゃ……」
「……これからその腕を見せてもらえば……不満はない……」
「っ、それじゃあ」
「……ようこそ、行動隊A4へ……歓迎する、Diva」
今この時から、ベアトリーチェは行動隊A4の歌姫として、もう一度小さな一歩を踏み出し始めた。元々行動隊A4はポジション確保のプロフェッショナルである。
ドゥリンが強襲を仕掛け、ヤトウが綻びの生まれた場所で撹乱し続ける。陣形の乱れた戦場にノイルホーンを投入し、暴れ破壊する。そして、はぐれた残党をレンジャーが逃さず仕留める。これらは短期決戦の連携である。
つまり、継戦能力が著しく低いのだ。それは以前から行動隊A4の問題点として挙げられていた。ここに、ベアトリーチェというアーツエネルギーの補給地点ともいえる存在が介入することにより、ほぼ無限の連続投入が可能となった。
ベアトリーチェ自身に戦闘能力は無いが、ベアトリーチェを叩くにはヤトウ、ノイルホーン、レンジャーの護衛を掻い潜らなければならない。そして、その三者にガス欠の3文字は存在しない。
後に任務難度が大きく易化したノイルホーンがこの事態のヤバさに冷や汗を垂らして「こりゃ推薦するわ……」とボヤくまでに2ヶ月もかからない。
1090年の初秋、行動隊A4入隊から僅か4年足らずでベアトリーチェはエリートオペレーターとして台頭する。彼女の活躍はチェルノボーグ事変にてまたその力を垣間見せるのだが、それはまた未来の出来事である。