覚悟をしたのだろう? いまさら後悔したところで、帰ってはこない。
場面はアッシュ覚醒の二時間ほど前に遡る。テオドラにトラディトーレと呼ばれた肌の黒いリーベリ少年とラップランドが対峙している。テオドラに『アッシュは貰う』と煽られ頭に血が上っていたラップランドは早期決着をつけるために無詠唱の『抑制』を戦闘当初から発動し続けていた。
……が、トラディトーレの素早い連撃に陰りが見えることはない。このような感覚を得たのは二度目だった。ベアトリーチェの能力により屍になりながらも動き続けた、打刀の達人……エリザ。恐らくは彼女と同様……『アーツ』を使えない人種なのだろう。
「……にしても『アーツ』なしでキミら、どうしてそこまで身軽に動けるのかなぁ?」
「……はぁ。
トラディトーレはジュセッペが滅ぼしたトラディトーレファミリーの最後の生き残りである。なぜ彼がこの名前を使い、周りに呼称させているのかといえば、トラディトーレという一族を世界から消し去ることをよしとしないため。
彼の本名はアダム・トラディトーレ。アダムには生まれつき誰しもが持っているアーツエネルギーを練ることのできない、ある種疾患ともいえる体質にあった。
確かにラップランドの過去の経験から推測したように、エリザも『アーツ』を使えない人種ではある。だが、彼女のそれは劣悪な環境下から『アーツ』を芽吹かせる土壌が育たなかったために起きた後天的な非術師だった。
対してアダムは先天的非術師……生まれ持った体質のデメリットと引き換えに、素の人間としての強度が誰よりも高い。加えて、中途半端にアーツエネルギーが身体中を巡るエリザと違って、全くアーツエネルギーが
「俺はアンタみたいに『アーツ』を使えないけど……何をしたのかは視ることができるんだ」
「……へぇ? ボクの『抑制』が見えるの?」
「うん。どうやって俺にそれが届いて……そしてどうやって無駄に霧散していくのかがね」
アダムの蹴りが激しい烈風を巻き起こす。その風圧のみで的確にアダムの急所を狙ったラップランドの振るう剣筋をずらすという荒業をやってのけるアダム。一撃一撃が……重い。先程からラップランドは腕に伝わる衝撃で、剣を手放さないようにするのが精一杯だった。
「アンタってドンが楽しみにしてたサルッツォファミリーの跡継ぎでしょ? こんな体たらくで大丈夫? ……ドンと戦ったら2秒で死ぬよ」
「アハッ……ご心配痛み入るよ。 でもボクがキミたちのドンと会うことは無いかもね? 十中八九……アッシュを彼の前に連れていったんでしょ。 キミたちのドンとやら、死んじゃってるんじゃないの?」
よく回る舌とは反対に、ラップランドは内心で悪態をついた。アッシュはラップランドの『抑制』を最強だのチートだと持て囃しているが、彼女から言わせればこの能力は格下殺しの使い勝手の悪い能力だった。
相手の『アーツ』が強力であればあるほど『抑制』は効きにくくなるし、こうやって今対峙している非術師に関してはそもそも『抑制』が効く効かないの話に無い。
だからここで諦めるのか。────否!ラップランド・サルッツォとはそんな女ではない!アッシュと長らく共に居てしばらく鳴りを潜めていた一側面だが、彼女はもともと戦闘狂いのきらいがあった。
強者を前にしてどれだけ逆境で打ちのめすことができるのか、弱者を前にしてどれだけ手を抜いてあげれば自分の命は危ぶまれるのか。そうしたリスクを愉しみたくて毎日がしょうがなかったのだ。だからこそ普段は『抑制』に指を鳴らすという予備動作のハンデを与えていたのだから。
「…………いい『眼』を持ってるんだねぇ? ボクの愛する人もさぁ、『眼』がいいんだよ。 視えすぎるって大変じゃない? 視たくなくても……否が応にでも視界に映るんだからさぁ!!!」
「…………は? 何を言ってっ……!?」
ラップランドはその逆境に反して攻撃の速度が上がっていった。痛みとは自分が現在進行形で生きていると感じる最高のスパイスだ。死に近づけは近づくほど、今自分は生きているという実感が大いに得られる。
アッシュから与えられる甘い甘い愛に溺れていて久しく忘れていた!ああ、殺し合いは唯一自分を晒け出せる自己表現の手段だったじゃないか!
剣を振るう手の反対、手持ち無沙汰な片手で指を鳴らし『抑制』を発動した。これがアダムに全くの無意味であることをラップランドは知っている。だからこそだ!わざと『抑制』を打つ!
ラップランドの予想通り、アダムはそれを視ざるを得ない!アーツ解析のような任意で発動解除できる技術ではなく、これは生まれつきデフォルトで備わったもの。発動解除の概念はそこにはない。意識する必要が無いと分かっていても、その『眼』は一瞬の隙を作ってしまう!
「あーあ。ダメだよ、余所見しちゃあ……それともなぁに? そっちにキミの大好きなお母様でも居たの?可愛いところもあるんだね、
「おまっ……!! 俺の家族がとっくに死んでるのを分かってぇっ……!!」
シラクーザ式の皮肉を受け激昂したアダムが振り返ると、その口を不気味に三日月の形に変えたラップランドの顔が彼の眼前に迫った。焦燥に顔を歪ませて、身体能力の格差による侮りを消せなかった自分を恨むアダム。そうして勝敗は決し、彼女の凶刃がアダムの首を刎ねようとしたその
ラップランドとアダムの少し右側、何も無い空間が突如爆ぜた。爆風に吹き飛ばされたラップランドは何が起きたのかを冷静に見極めようとし、あの一瞬の出来事での違和感を突き止めていた。
「────小さい『水』の雫が、ボクの目の前を通り過ぎていた?」
「マジあっぶね〜〜……!! トラディトーレ、ウチに感謝してよね!? 間に合わなきゃアンタ死んでたんだから!」
「テオ……! ありがとう、やっぱりテオは俺の救世主だ……!」
「…………ああ、キミの方から来てくれるなんて! 良かったぁ……手間が省けて! ちょっとキミとは『おはなし』したいなって思ってたんだよ……!」
親しそうな言葉とは裏腹、その顔には喜怒哀楽の『喜』や『楽』といった感情群は抜け落ちている。あるのは、純度100%の嫉妬。アッシュにラップランドの許可なしに触れたことへの許し難い気持ちで満たされていた。
「ウチは『おはなし』するつもり、全く無いんですけど。 勝手にしててくれない? トラディトーレを回収したらウチらはさよならするんで!」
テオドラは冷や汗を垂らしてラップランドを見据えている。先程話したようにラップランドの『抑制』は格上にはほぼ望み薄の効果である。
しかし、テオドラの『水』からなる『アーツ』はそこまで希少性のあるものではない。特殊な体質であることは否めないが、それから生まれた『アーツ』は常識を逸脱するほどの能力を有していないのだ。
つまり……ラップランドの格下。頭の良いテオドラは理解していた。自分はラップランドと相性の悪い、分の悪い戦いを強いられると。
テオドラは苦し紛れに機関銃のように水弾を掃射して、視界を遮ることにした。ラップランドはつまらないものを見るかのように、『抑制』の発動段階に入っている。
両者の間、人間一人分はあるかといったその空間にノイズが走ったような気がした。瞬きを経て、その空間にいつの間にか
認識阻害。その精度の高さに初めに気付いたのはこの場で最も賢いテオドラだった。術師の人口としては多い方である認識阻害の『アーツ』だが、これほどの練度まで鍛え上げた人間は見たことがなかった。
次に恐ろしい事実に気付いたのはラップランドだった。テオドラに気を取られ、『抑制』を発動した彼女だったがこの認識阻害の『アーツ』を使う女によってわざと誘発されたことを知る。あえて自ら『抑制』をくらい、この瞬間に姿を現すことで、場の空気を掌握するためにこの状況を作り出したのだと。
「────君たち、交渉をしようじゃないか。私はどちらの敵でもないし、どちらの味方でもないからね。気楽にしていいよ」
圧倒的実力者。この場にいるラップランド、アダム、テオドラ三人を同時に相手しても完膚なきまでに叩きのめすことのできる、ヴェネツィアの殺人鬼。
テオドラとアダムは見えない圧に身動きできないでいた。───動いたら殺す。そう言われているような、凄みによって。その端麗な頬に、とめどない汗が流れている。
唯一、ラップランドのみがこの異質な空気でも口を開けた。そもそもラップランドは自分が殺されないことを知っている。ある種親バカとも言えるこのイングリッドは、アッシュの恋人である自分を殺せるわけがないと高を括っていた。
「────なんで貴女がここにいるのかなぁ、イングリッド」
「────なんでって? ……アッシュよりも早く、ジュセッペを殺すため」
ジュセッペは嫌味ったらしく抉られた腹を抑え、苛立ちを紛らわすように変容した『殺意』を周囲に振り撒いた。稚拙な操作性による攻撃を冷えきった態度で難なく躱すイングリッド。
彼女に意識を取られていることを見逃さないアッシュは、『分解』の性質を施した物質精製の刃を数個射出する。邪悪の権化はこの窮地をどこか他人事のように俯瞰している自分が存在することに気付いた。
(オレは……未だかつて無いほどに追い詰められている。 そうか、このままではオレは死ぬのか。生者の蔓延るこの世は混沌としているが、死者が闊歩するあの世はどのようなものなのだろうか)
生まれてこのかた、ジュセッペは自らを追い詰める強者と邂逅したことがなかった。強いていえば若かりし頃のサルヴァトーレはそれに該当しないとは言いきれないが、ジュセッペが力をつける頃にはもう耄碌してしまっていた。
高潔な精神がその在り方を今一度見つめ直さねばならなくなるとき、より一層の輝きをもって進化するのと同様、ジュセッペに宿る悪辣な精神もまた……より一層ドス黒い輝きを放って進化しようとしていた。
彼の持つ『殺意』が…………その在り方を変貌させる。シラクーザの原点回帰、ジュセッペの『殺意』はアッシュの刃を貪って『分解』による耐性を得ることに成功する。少しずつ……ジュセッペの
「認めよう……オレはこの力に向き合うことをせずにいた。だが……今は違う。この『殺意』をただ適当に扱うのではなく、しっかりとした意志を持って振るうことを、ここに示してやろう」
「…………だからなんだ? 今から努力して追いつきますってか? それができたらこんな世の中になってねぇよ。 その歳になってまだガキみてぇなこと言ってんじゃねぇ。大人しく死ね」
「全くもって同意だ。 君はその気付きを冥土の土産に、地獄にいる罪人たちと嬉々として感想戦でもしているといい。もう金輪際この世に産まれ直さなくていいから、さっさと死んで」
アッシュとイングリッドは息の合った連携でその嗤う顔を変えないジュセッペを追い詰める。『分解』を身に纏ったアッシュの蹴りを手負いの腹に鋭く入れ、その傷をより深いものにするわけにはいかないジュセッペの防御が一点に集中する。
それに呼応して、別の箇所を認識阻害によって身を隠したイングリッドがより深く痛手を負うように不意打ちをする。そうしてジュセッペは見る見るうちに傷を増やしていき、追い詰められていく。
ジュセッペの『混沌』は
その考察・情報を共有せず二人は連携を取っている。それは家族としての絆か、はたまた師弟としての信頼かは分からないが、あまりにも神がかったものだった。自らの血飛沫を見つめ、陶酔した表情で見蕩れながら、ジュセッペは小さく呟く。
「今までオレは……『混沌』に『殺意』を乗せていた。だがこれは初めて行う実験だ。まだ試したことのない……新しい可能性……!『殺意』に『混沌』を乗せると……どうなるのか。アッシュ、気になるよなァ……!」
初めからジュセッペがアッシュに惹かれていたように、二人は似て非なる存在である。アッシュが善性に傾いた混沌の側だとすれば、いわばジュセッペは悪性に傾いた混沌の側。アッシュが覚醒するのならば、ジュセッペも覚醒するのが運命の道理。ジュセッペもまた……この歳になって覚醒を済ませていなかったのだ。
全てを貫通する『殺意』が歪な姿を伴って……『混沌』を運んだ。アッシュは自らを貫かんとする『殺意』を『逆転』で殺そうとして……失敗に終わる。
「つっ!? …………おい、てめぇ。俺の『逆転』を奪って……効果を打ち消しやがったな?」
混沌。何もかもが入り交じって、整理されていないこと。ぐちゃぐちゃであること。自然な状態が損なわれること。
性質通りであれば『逆転』によりその『殺意』は反転し、殺傷性を失うべきところを……『混沌』が全てを壊した。
『混沌』が付与された『殺意』に触れたものはその性質を奪取され……無防備なまま『殺意』に貫かれる。ただでさえ悪辣な『アーツ』がより凶暴な力を携えて、進化してしまった。
「やはり……お前は混沌の側に立つ人間だ。非凡な才覚で、こうして上手いことヴェネツィアの殺人鬼を思いのままに操っている! オレと手を組めよ、アッシュ! こんなところで燻っていい存在では決してない!」
「────アッシュを君に渡すわけがないだろう」
「お前に話してなどいない。部外者は口を挟むな」
ジュセッペはイングリッドを路傍の石だと評価している。単純な身体強化、単純な認識阻害。練度は一級品。結構なことだ。面白みの欠けらも無い、つまらない無才のそれ。
そしてなおかつ、そこまで手を汚しておいてまだ自分は正義を掲げられると思っている。なんとも馬鹿げた女だ。
アッシュを見ろ!彼は自分が正義にも悪にも立つことのできない存在であることを自覚している!その上で!護りたいものを護るために常に両極の狭間で揺れているのだ!これが悩み足掻く人間の美しさよ!混沌の美がここにある!
ジュセッペは認識阻害下のイングリッドを山勘で『殺意』によって貫いた。『混沌』が乗ったそれはイングリッドの認識阻害を奪い、軌道を景色に溶け込ませてアッシュへと向かっていく。『逆転』による防御が無駄だと既に学習したアッシュは、わざとジュセッペの懐へと潜り込む。
「適当に名付けて『混沌なる殺意』ってところか? 放出したら最後、お前にも手に負えねぇんだろこのじゃじゃ馬は」
「ああ……最高だ、最高だよアッシュ・チェーネレ! そうだ! この『混沌なる殺意』はオレさえ貫く! そうやって近付かれて、捨て身覚悟の突貫に巻き込まれれば……オレはひとたまりもないだろう!」
「あっそう。ご丁寧に答え合わせどうも。……まあ、じゃあ一緒に喰らえよ、クソ痛えんだぜ?これ」
冷たくあしらったアッシュの一言と同時、見えない『殺意』がアッシュの背中を貫いてジュセッペの鳩尾まで到達した。貫かれると同時に空いた穴を『逆転』で無かったことにするアッシュとは裏腹、回復手段を持たないジュセッペは流石に堪えたようで、血を吐きながら膝をついている。
反撃ができそうにないジュセッペを少しの間だけ見下ろして、ジュセッペ同様に貫かれて血反吐を吐いているイングリッドへ歩いて近づくアッシュ。息を荒くしながら、近づいてくるアッシュを眺めるイングリッドは、少し復讐の終わりが見えて晴れやかなように見える。
「────大丈夫か? あんた」
優しく貫かれた胸部に触れ、『逆転』を他者に行使するアッシュ。覚醒したアッシュの桁外れな『アーツ』操作に息巻くと同時に何か良くない予感を得るイングリッド。恐る恐る、彼女はその予感を拭うためにアッシュへと話しかける。
「…………君と出会ってから、私の事を『あんた』なんて呼ぶことは今の今まで無かった。アッシュ……どういう心境の変化なのかな?」
「…………いや、あんたとはここで出会うのが初めてだろ? つーか、ずっと思ってたけどなんで俺の名前を知ってんだ?」
アッシュが決意した昏い覚悟は、両親の存在とベラ・ヴェネツィアの存在を消し去るのみに留まらなかった。幼い頃を知る小さなアッシュを殺すということは、彼がこの16歳になるまでを形作ってきた大切な土台を消し去るということでもある。
当たり前に特定の記憶を消すなんて都合のいい方法なぞ、ある訳がないのだ。『逆転』と『分解』の発現に対する代償、それは過去アッシュが出会ってきた人々との思い出の喪失。
今この時、アッシュは護ろうとしていたラップランドやチェリーニアの存在さえ頭の中から消え去っていたのだ。
戦闘中彼の頭にあったのは、ジュセッペ・テキサスは生かしてはおけない存在だということと、誰かを護りたいと思っていたが誰を護りたかったのか忘れてしまったという自覚のみであった。まるで遺された使命感だけで動く、壊れた人形のように。
イングリッドは大きく目を見開いて、哀しげに眉を歪めて俯いた。しかし、すぐに顔を見上げていつものような冷徹で涼しげな笑みを湛え、すっかり大きく育ったアッシュの頭を撫でるのであった。
困惑しつつ、されるがままのアッシュは何がなんやらと言った顔で、どうしたものかと苦笑いしている。
「…………そうだね、どうやら私は他人の空似を起こしていたみたいだ。私たちはこれが初めてで合っている。傷を治してくれてありがとう……悪いが、もう少しだけ君と同行することを許して欲しい。まだ私にもやらなきゃいけないことがあってね」
これでもう、イングリッドは罪を償う機会を永遠に失ってしまった。かつてのアッシュに与えられた罰も、それを知るはずだった彼が死んでしまったことによって、叶えられようもない。
罰を与えると言いながらも、どこか優しくて……「もう気にしないでよ」というような不器用な愛を感じたあのアッシュにはもう逢えないのだろうか。
親子とはよく似るものなのか、イングリッドもまたその心に降る涙の豪雨を、上手く表せずに苦しんでいた。
もうまじで定期的に加筆修正させてください
俺は変えたいんです、より良い作品に!
ああ……加筆修正の波が押し寄せてきたッ……!
!:まだジュセッペは死んでないです。もっと苦しんでもらいます、悪役には。
アッシュふつうにイングリッドのこと『あんた』呼びしてそうだからめちゃくちゃ過去話修正してきますね^^