この屋敷の敷地から外には一歩も出ないように。そう私に告げてどれくらいが経っただろうか。怒号と悲鳴がない混ぜに聴こえてくる外を見やって、お爺様は凄惨な姿へと変えたクルビアに心を痛めた様子で誰に聞かせるでもなく呟いた。
「……もうじきここが奴らにバレるのも時間の問題だろう。 それに、俺は予感している。 あいつのことだ……シラクーザの手下どもに任せておけばいいものを、俺を殺るためだけにわざわざお忍びで来てるだろうってな」
「
「他に誰がいるっていうんだ。俺を殺そうとするやつは五万といるが、その中でも本当に殺せるやつなんざ指折り数えてもあいつしかいねぇさ」
お爺様はやはり歳をとった。恐らく初めはただの浮浪者とも差し支えない身なりだったであろう青年が、その顔に皺を刻み白髪も混じってくるほどの年月を重ね思慮深さを備えてしまった。
クルビアを憂うその眼差しが最たるものだろう。彼は護るものが多くなりすぎてしまった。純粋な強さだけでは君臨できない頂きにまで上り詰めてしまったのだ。
だが、ミズ・シチリアのことを話す時だけ……青年時代のお爺様が蘇る。まるで宝物を紹介するような、そんな輝きに満ちた眼でもって、お爺様は彼女のことを嬉々として語ってくれる。
暫くお爺様とミズ・シチリアとの腐れ縁をただただ静かに聴いていると、気付けばお爺様に賛同する、いわば旧テキサスファミリーの面々が集っていた。
「おう、お前ら無事だったみたいだな。俺のやりたいことは言わなくても……理解ってんのか。ははっ、すげぇなぁ!伊達に長く背中を預けてねぇ!」
豪快に笑うお爺様を、彼らはかつてのサルヴァトーレが帰ってきたと喜びを表しつつ、この先お爺様がどうなるのか悟っている様子で、ただ静かに見守っていた。その中でもお爺様とは長きを共にしてきたのだろう、古株のマフィアの一人が口を開いた。
「……久しいな、お主がそこまで楽しそうに笑うのは」
「ああ。こんだけワクワクするのはいつぶりだろうな? もう30年……いや、40年くらいは争いから手を引いてたか?」
「長く……生きすぎたのう……。儂らはそこそこ腕が立つとはいえ……お主には全く歯が立たんかった。いつまでも護られて……ばかりだったの。いつも、いつもそうじゃ。
儂らなんぞ気にせず……暴れておくれと、何度お主さんの背中に声をかけようと躊躇ったか」
「おいおい、隠し事は無しって約束だろ? 気負わず言ってくれたら良かったんだ、兄弟」
護る者の責任、護られる者の責任。お互いに互いを想いあっているから、言い出せないこともある。……皮肉だな。こうして、お爺様と彼らのわだかまりは自分たちに死が歩み寄ってから氷解するとは。
ふっ。形は違えど……私も似たようなものだな。あれだけ喧嘩して、あれだけ殺りあっても、私はアッシュに助けての一言も言えやしなかった。この人を困らせたくないと……そう思えるくらいに、大切な人間になってしまったから。
「かかっ! そうだの、隠し事は儂らの間には無しじゃ。 ……言えずじまいだった言葉を、いまようやっと言えるわい。
────存分に暴れてこいよ、サルヴァトーレ。儂らの生ける伝説よ」
「はっ……これが今生の別れみてぇに言いやがって。俺ァまだ生きるぜ。なんせまだ孫娘の花嫁姿も拝めてねぇからな!!!」
ご老輩の彼が言う通り、この一夜に生ける伝説、サルヴァトーレの最期の生命の爆発がクルビアで行われる。お爺様は私の頭を大雑把に撫で回して、その大きな体躯をゆっくりと立ち上げて扉へ手をかけた。
「────ああ、それと……お前らもこの後派手に暴れるつもりらしいが……くれぐれも、生きて帰ってこいよ。お前らが居ないと、俺だけ生きてちゃ寂しくてつまんねーからな」
お爺様はこの場にいる全員一人一人に目を配って、そう言う。これだけの数だ、名前や顔を覚えるのは困難を極めるだろうに、お爺様……いや、サルヴァトーレはまるで『お前と俺は対等だ』というような柔らかな表情で、個人をしっかりと認識して向き合っていた。
たったそれだけで、私たちマフィアは舞い上がってしまうのだ。純粋な子供のようにはしゃぎたくなって、感極まってしまうのだ。サルヴァトーレには、やはり人々を惹き付けてやまないオーラを宿していた。敵も味方も絆す魔性の男……それは今もなお健在のようで。
お爺様がそこまでして動くのに、私が動かないわけにもいかんだろう。必ずあのバカはこのクルビアに来ている。まずは謝ろう。今までの非礼を。そして頼るのだ。
テキサスとか、シラクーザとか、クルビアとか……私の厭うものは全て取り払って、たった一人のチェリーニアとして。数少ない信頼に足るアッシュに、助けてくれと。
「はっ! 浮かない顔も少しは晴れたみたいだな、チェリーニア!」
「ご心配をおかけしました、お爺様。 私も……私のやるべき事を為すために、ここにいる皆が護ってくれるだろう安全という権利を、自ら手放そうと思います」
「俺としちゃ孫娘に死んで欲しくはないんだけどなぁ……ま、血筋は争えねぇか! お前もやりたいようにやってこい! ヤバかったら俺がケツ拭いてやるからよ!」
「────それは困るのだ、サルヴァトーレよ。我が唯一畏れるクルビアの特異点。お前は死ぬ運命……輝ける命ではない。さぁ、ここで退場してもらおうか。生ける伝説……!」
唐突に屋敷の影が部屋全体を覆い……暗闇に包まれた。その暗がりは一瞬で、扉に近い私たちの背、お爺様の旧知の仲であろうクルビアマフィアたちの人混みの中心に立つお父様……ジュセッペが理性を失った唸り声を上げて、その両手に近くにいた人間の頭部を捥ぎ取っていた。
反応に遅れた他のマフィアたちも、反撃をしよう試みるが、埒外の性能を持つ『殺意』によって一瞬のうちに死体の山の一部と化してしまう。テキサスの凋落は彼らの知るところのない運命の正史に無理やり引き戻されるかのように、ジュセッペの手によって幕引かれるものとなる。
「────チェリーニアッ! 伏せろォッ!!!!」
強い衝撃に意識を刈り取られる寸前、覚えているのはお爺様の大きくて逞しい、安心感を与えてくださる背中が目の前にあるということだけだった。
「おうおう……派手にかましてくれやがったなぁ、『狼主』ザーロさんよォ……!! 俺の息子を傀儡にしてお人形ごっこは楽しいかよ、えぇ?」
ザーロと呼ばれた霧のように姿を掴み取ることができない大狼の影によって、自我を失っているジュセッペ。彼の望む『まだこの甘美な殺し合いに身を投じていたい』という願いを、ザーロは曲解して叶えることにした。
狼主たちはその無尽蔵に沸き立つ暴力の衝動から、永きに渡り殺し合いという名のゲームに興じていた。ただし、彼らは不死であり不滅の概念であるために、一向に終わりは訪れない。
つまらない狩りに飽いた彼らは、人々を使った代理戦争を思いついた。各狼主が選んだ人間の代表者……通称『牙』を争わせ、殺し合わせる。そして、最後に生き残った『牙』を見初めた狼主が、他の同胞を束ねることができる権利を得られるのだ。
この『牙』は狼主につき一人のみとされている。勿論ザーロも既に『牙』を見初めており、ジュセッペはそれではない。ザーロはこのゲームを初めたその瞬間から、飽きていたのだ。故に、ルールを逸脱しないギリギリを見極めて……愚かで弱々しい人間を弄ぶことにした。
実を言うとジュセッペの望む殺し合いによる混沌はザーロにとっても願ってもみない余興であったのだ。しかし、誰かに従うことを良しとしないこの男の無軌道に跳ね回る自我は、そのままにしておくには手に余る。
人間の世界には直接干渉してはいけない……お互いに決めたルールだが、なるほど確かに人間の世界には我々の力は過ぎたるものだろう。では、これから死にゆくものは人間か?否、それはもう物言わぬ骸であり世に蔓延る蛆虫のごとき人間ではない。ただの肉塊である。
放っておけば勝手に絶命しただろうジュセッペを待たずしてさっさと『殺』し、我の一部としてしまえばそれは人間ではなかろう。ルールの穴を突く、どこまで行っても人間を蟻か何かだと思っている傲慢さ。漆黒の精神を持つジュセッペよりも、さらにドス黒い、生きとし生ける者を愚弄する悪禍の精神をザーロは有していた。
ジュセッペを取り込んだ際に、要らぬ自我を排除して彼に最初に命じたのは、ザーロがこのクルビアにて最も警戒していた人物……サルヴァトーレの殺害であった。ザーロおよび傀儡と化したジュセッペに相対しているサルヴァトーレはその肩幅でも収まらないほどの特大剣を肩に携え、獰猛な笑みを崩さない。
サルヴァトーレの『アーツ』はチェリーニアと同じ物質精製。しかし、積み重なった経験によって精錬されたたった5つの特大剣による剣捌きは並大抵の術師のそれではない。人の身でありながら、我ら人外の領域に半身踏み入れているその剣技……生ける伝説は、名ばかりではない。
「お前は属性の一つも有しておらぬのではなかったか? 何処からそれほどの『炎』や『雷』を引き出している────?」
「……ん、ああ。 お前らには馴染みないものかもしれねぇが……敢えて言葉にするなら、『絆』ってトコか?
この『炎』はロッサティ、この『水』はアズール、この『雷』はフルミナ、この『癒』はヴェルティのものだ。若い頃にバカやって……そんで義兄弟の契りを交わした、旧き親友たちのな」
人間の持ちうる『アーツ』とは、昇華するためにあらゆる制約から外れなければならない。常軌を逸した精神だとか、常人が思いつかない『アーツ』の新解釈を手ずから導きだすだとか、人間としては越えてはならないはずの制約から。
この男が伝説と言われる所以は、そのどれもに当て嵌ることなく、『アーツ』の極地に辿り着いているところにある。サルヴァトーレの言う『絆』とやらが、巫山戯た友情遊びが、馬鹿げたことに此奴の力の源泉として正に機能している。
燃え盛る特大剣を振るえば忽ちに烈火を迸らせ、清水のように澄み渡る剣身を持つ特大剣を振るえば濁流の如き波を押し寄せ、
それらはサルヴァトーレに呼応するように、使われれば使われるほどに喜びを表現するかのように出力を増し、精度が向上していく。意志や魂はそこに籠っているはずなどないが、彼の振るう特大剣はまるで生きている魔剣のような働きをしている。
そして先程から全てを貫くジュセッペの『殺意』で時折深手を負わせているはずだというのに、深緑の意匠がなされた美しい特大剣を地面に突き立てたかと思えば、見る見る内に傷を塞いでいくではないか。自らの勝手知ったる『アーツ』ではないというのに、なんという練度の治癒……!
戦えば戦うほどに若々しさを取り戻していっているような、そんな錯覚さえこちらに与えるサルヴァトーレは、もう見切ったと文字通り彼を貫かんとする『殺意』をなんのアーツも込めずに斬り伏せていく。かつては美しかっただろう紺の頭髪に、入り混じった白髪が目立ち、二色模様の珍しい毛並みの老狼として際立っていた。
「人形の操り方、下手くそなんじゃねぇか? もう少し生きてた頃の馬鹿息子の方が『殺意』と『混沌』の扱い方ァ上手かったぞ、ザーロォ!!!!」
「ふん……言わせておけば。そういうお前も、『混沌』の不可侵を突破する術を持ち合わせておらんだろう」
「チッ、うっせー犬っころだなぁ……全部正面から叩っ斬りゃ何であれぶっ壊れんだろ!!!!」
事実この戦いはウォーミングアップだと言いたいのか、時間が経てば経つほどにサルヴァトーレの動きはキレを増して良くなっている。頭の悪い宣言のように聞こえるが、おそらくもう少ししてサルヴァトーレは『混沌』を本当に突破してしまうだろう。
そう思わせる凄みを持っているのは流石英雄と言わざるを得ないが……しかし此奴が年老いているのも現実であった。ザーロは下卑た嗤いを隠すことなく、ジュセッペに命じた。そも、サルヴァトーレと真正面から戦うほうが馬鹿だ。丁度サルヴァトーレは背で隠すようにして護っているお荷物がいるではないか。
「────やはり耄碌したなぁ、サルヴァトーレ。護るものが多くなってしまったお前は、そうやって弱い者を切り捨てることができん」
ジュセッペが放つ『混沌なる殺意』がサルヴァトーレを無視してその背の奥、気を失って倒れているチェリーニアへと向かう。狙いを外し斬り墜とすまでもないと判断したサルヴァトーレは、最高速度で放たれたそれに対応するのに後手に回ってしまった。
斬るにはもう遅い。チェリーニアに直撃するのを防ぐには、彼女を抱きしめてその身体に甘んじて『混沌なる殺意』を受け切るほか手段は無かった。巨大な体躯から流れ出る血が滴り、血溜まりが床にでき始めた。
「……ごぽっ。 あ゛ーー……兄弟に言われたように暴れるつもりだったけどさぁ、やっぱ駄目だわ……孫娘捨てて殺り合えるわけねぇって……」
サルヴァトーレを貫いた『殺意』を治癒しようにも背後を取られていて展開する隙もない。なまじ治癒まで成功したとしても、またザーロたちはチェリーニアを狙ってまともに取り合うことをしないだろう。
万事休す。サルヴァトーレはあの女傑との大喧嘩をすることも叶わず、ここで死んでしまう。まあ……でもこういうのも俺らしいか?とそこまで名残惜しそうでもないのは、やはり彼が年老いたからなのか。
「何か言い残すことはあるか?」
「そうだなぁ……知ってるか?人間って意地汚ねぇんだ。俺はここで死ぬかもしれない。ミズ・シチリアの『粛清』によって俺たちテキサスの血統は滅びるかもしれない。だけどよ、意志ってのは引き継がれるものなんだぜ?」
ザーロはこの状況がこちらにとって圧倒的優位であるのにも関わらず、どうしてか安心できない胸中にあった。愚かで弱々しい人間、だというのにいつの時代も我らの喉元を噛みちぎろうと喰らいついて離そうとしないしぶとい人間!
サルヴァトーレは全身全霊、自らの魂を燃やし尽くしてでも精製した彼の生涯を込めた特大剣を外庭へと投擲した。ザーロはこの特大剣を野晒しにしてはいけないと本能が告げているのを自覚し、状況的優位を捨ててまでもジュセッペに破壊を命じた。
形ある『殺意』が剣を貫こうとして……一拍の差。その前に、なんの因果かジョヴァンナたちクルビアマフィアを連れたアッシュの手に握られることになった。この特大剣には、サルヴァトーレが築いてきた人々の『絆』が込められている。引き継がれる意志は、サルヴァトーレの再来と呼ばれ始めた彼の手に渡った。
「俺の兄弟が俺に託したように、俺も『絆』をお前に託すぜ! あ、でももし俺が死んでなかったらちゃんと返せよ? んじゃ、後は頼んだぜ……若造ォ……!」
そしてどさっと大きな音を立てて倒れ込むサルヴァトーレの後ろにいたアッシュは、重体の彼と意識を失っているチェリーニアを間に挟んでザーロたちと向き合う構図になった。
アッシュは特大剣を片手に、愛用するククリナイフを片手に。ザーロを睨みつけて、特大剣の切っ先を向け静かに呟いた。一方、望まない展開にザーロは歯噛みし咆哮した。忌々しい人間どもめ!邪魔をしおって!と。
「────ザーロ、って言ったか?
俺は今機嫌が悪いみたいなんだよ。うるせぇ声が響いて頭も痛ぇし……この剣を託してきたの、知らねぇおっさんなのになんか胸騒ぎもするし……俺じゃない俺が叫んでいるような気がする。分かんないけど許せないんだ、お前を。
だから、殺す」
「思い上がるなよ、人間ッッッ!!!! 我ら狼主に楯突いたことを後悔させてやるッッッ!!!!」
極彩色の『アーツ』を放つ特大剣と、赤黒い火花を散らして脈動する『殺意』が景色を二分する。
鬼気迫るアッシュの後ろで、気の抜けた会話を繰り広げているテオドラとアダム。
サルヴァトーレの率いるテキサスファミリーは威厳と格式立ったマフィア然としていたが、アッシュの率いる無名ファミリーは本来アッシュの性格もあってか緩い空気感が漂っていた。
「ひゃ〜〜!アッシュこわっ……ほらアダム! ぼけっとしてないでまだ生きてる人たち助けにいくよっ!?」
「分かってるって! でもあの二人の間にいるサルヴァトーレさんとチェリーニアさん、どうするのさぁ!?」
「あんたたち……ほんっとに締まらないわね。はぁ、私も手伝うから、チェリーニアのお爺様とチェリーニアを助けるわよ! わかった!?」
漫画家さんとか小説家さんについている編集者って大事なんだなとおもいました、まる