ダンジョンに獣狩りを求めるのは間違っているだろうか、あるいは血の夢に耽るべきか   作:もいもい130

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## 第二話:【白日の牧場と偽りの神】

 

 

#### 第一部

 

意識の表層を撫でるのは、ヤーナムの凍てつく夜風ではない。

肌を刺すような、それでいてどこか間の抜けた、暴力的なまでの陽光だった。

 

狩人はバベルの巨大な石柱の影に立ち、深々と帽子の鍔を引き下げた。

眼前に広がるのは、円形都市オラリオの壮大なパノラマだ。

幾重にも連なる白亜の建物。迷路のように入り組んだ石畳の路地。

そして、それらを均等に、かつ無慈悲に照らし出す巨大な太陽。

 

「…………」

 

狩人は無言で、肺の奥までその空気を吸い込んだ。

血の臭いはしない。

獣の腐臭も、内臓を焼く火炎の熱も、あるいは上位者の到来を告げる寒気すらもない。

そこにあるのは、パンを焼く香ばしい匂いや、行き交う人々の汗、そして平和という名の倦怠が混ざり合った、酷く「生温い」空気だった。

 

彼はゆっくりと、街路へと足を踏み出す。

一歩、歩を進めるたびに、泥のようにこびり付いた返り血が乾燥し、剥がれ落ちていく。

だが、どれほど陽光に晒されようとも、彼の纏う空気だけは夜の底から切り取られたように暗い。

 

周囲を行き交う人々は、一様に明るい色彩を身に纏っていた。

子供たちは笑いながら路地を駆け抜け、商人たちは威勢のいい声を張り上げ、若い冒険者たちは未来の栄光を語り合いながら酒場へと消えていく。

 

狩人の脳裏に、かつて歩いたヤーナムの街路が重なる。

窓を閉ざし、家の奥で震えながら「狩りの夜」が明けるのを待っていた、あの絶望に満ちた人々。

あるいは、狂気に飲み込まれ、手にした松明を振り回しながら「この獣め!」と叫び、同胞をなぶり殺していた群衆。

 

(……獣狩りの夜ではない)

 

狩人は、その事実を淡々と、しかし決定的な断絶として認識した。

ここには、彼が知る「悪夢」の継続はない。

少なくとも、表面的には。

 

人々が自分に向ける視線も、ヤーナムのそれとは異なっていた。

向けられるのは、純粋な恐怖ではなく、不審と好奇が混ざり合った「異物」への戸惑いだ。

「なんだ、あの血塗れの男は」「どこのファミリアだ?」という、瑣末な詮索。

 

彼らは、死が隣り合わせにあることを忘れている。

あるいは、自分たちが安全な檻の中にいると信じ切っている。

 

狩人は、路地の影に潜むようにして、不可視の「小さな友人」たちに意識を向けた。

使者たちは、主の困惑を共有するように、石畳の隙間から代わる代わる顔を出しては、通行人の足元を無邪気にすり抜けていく。

 

彼らにとっても、この陽光は未知の経験なのだろう。

一人の使者が、道端に咲く一輪の花を珍しそうに撫でようとし、その指先が触れる直前に花が萎れるのを見て、悲しそうに首を傾げる。

上位者の領域に属する彼らが存在するだけで、この世界の生命力は僅かに吸い取られ、変質していく。

 

(この場所は、夢の終わりか。それとも、別の誰かが紡ぐ新しい悪夢の始まりか)

 

狩人は、広場の中央にある巨大な噴水へと辿り着いた。

そこでは、美しい乙女の彫像が水を湛え、人々が憩いのひと時を過ごしている。

彼はその光景を、解剖医が検体を眺めるような冷徹な眼差しで観察し続けた。

 

何周、血の海を渡ったか分からない。

月の魔物を屠り、幼子として転生し、再び狩りへと身を投じた。

その果てに辿り着いたのが、この救いようのないほど「明るい」世界だというのか。

 

狩人はふと、自らの手のひらを見つめた。

手袋越しに伝わるのは、自分の体温ではない。

魂に焼き付いたカレル文字が、静かな怒りのように脳を焦がしている。

 

『狩り』。

その文字が囁いている。

ここにあるのは平和ではない。ただの「猶予」に過ぎないのだと。

 

街並みは美しい。人々は幸福そうだ。

だが、その全ての足元には、あの巨大な迷宮という「胃袋」が口を開けて待っている。

そして、この地上の喧騒を、天から見下ろしている「ナニカ」の気配が、狩人の神経を逆撫でする。

 

「…………」

 

狩人は再び、歩き出した。

地上には、彼が求める「真実」はない。

血に濡れた獣も、彼に安らぎを与える暗闇も。

 

あるのはただ、眩しすぎる光と、平和を装った歪な均衡だけだ。

彼は、その均衡の裂け目を探すように、深く、重く、石畳を叩いて進む。

 

使者たちが影の中から、主を導くように先行する。

彼らが指し示すのは、華やかな大通りではなく、再びあのバベルの地下へと続く、死の匂いが混じった風の通り道。

 

狩人は、一度も空を仰ぐことなく、陽光に背を向けて歩き続けた。

彼の目的地は、常に決まっている。

血が流れ、命が砕かれ、悪夢が具現化する場所。

 

そここそが、彼という存在が唯一、自分自身でいられる「狩り場」なのだから。

 

#### 第二部

 

狩人は街の中央へと至る大通りを、一筋の影となって歩み続けていた。

道行く人々が放つ喧騒は、彼の耳にはどこか遠い世界の音のように響く。

だが、その無機質な観察眼は、ある一点において決定的な「歪み」を捉えていた。

 

それは、広場の石段に腰を下ろし、下界の住人と談笑する一人の男だった。

 

身に纏う布地は上質だが、その佇まいはあまりに無防備だ。

戦う者の筋肉も、魔導を極めた者の鋭敏さもない。

にも関わらず、その男の周囲だけは、大気が物理的な密度を持って凪いでいた。

この世界の住人たちは、その男に対して無意識のうちに傅き、道を譲り、敬意という名の視線を向けている。

 

(……「神」、か)

 

使者たちが、主の脳内に概念を直接流し込んでくる。

この世界の秩序の頂点。天界から降り立ち、退屈を紛らわすために「子」を飼い慣らす超越者。

 

狩人は足を止め、帽子の鍔の隙間からその存在を凝視した。

 

ヤーナムの神々――上位者は、ただそこに存在するだけで人間の理性を破壊した。

彼らの流す血は世界を歪め、彼らの産み落とす赤子は空間を捻じ曲げた。

交信を試みた学徒たちは皆、狂気に呑まれて瞳を潰すか、水に溺れて軟体動物へと成り果てた。

それが「上位の存在」というものだ。圧倒的で、無慈悲で、美しくも悍ましい宇宙の真理。

決して人間という種と交わることのない、絶望的な断絶があった。

 

だが、目の前にいる「神」とやらはどうだ。

 

二本の足で歩き、人間の言葉を話し、ワインの味に酔い、貨幣の価値に縛られている。

彼らは自らの血を分け与え、下界の者に「恩恵」という名の首輪を嵌めているが、その振る舞いはあまりに人間臭く、脆弱で、そして傲慢だ。

その光景は、狩人の目には「神聖な儀式」などではなく、家畜の背に所有者の印を焼き付ける、効率的な「管理」にしか見えなかった。

狩人の瞳には、彼らが纏う神威など、児戯に等しい薄弱なものにしか映らない。

 

(牧場だ。ここは、神という名の飼い主が、英雄という名の良質な家畜を育てるための、広大な檻に過ぎない)

 

狩人の知覚が、周囲の冒険者たちの背後に繋がる「霊的な糸」を捉える。

それは神の血を媒介とした、絶対的な主従の回路。

彼らはその糸を通じて力を得、レベルという名の「評価」に一喜一憂している。

 

吐き気がした。

 

上位者となった狩人が知る「力」とは、そんな安っぽい貸し借りではない。

それは自らの血を啜り、狂気を飲み込み、宇宙の深淵を無理やりに脳へねじ込んで勝ち取る、孤独な略奪の果てにあるものだ。

誰かに与えられた力で強くなったと錯覚している者たちの姿は、獣化の病に冒されながらも「自分はまともだ」と信じ込んでいたヤーナムの群衆よりも、ある意味で滑稽に映った。

 

狩人は再び歩き出す。

彼にとって、この世界の神々は「崇拝」の対象ですらなく、ただの「不気味な観察者」に過ぎない。

もし彼らが狩人の前に立ち塞がるのであれば、それは「狩るべき対象」として認識されるだけのことだ。

 

「――おい、そこのあんた。見ない顔だな」

 

不意に、横合いから声をかけられた。

派手な装飾の鎧を纏った、中堅派閥の冒険者らしき男だ。

その背後には、同じような軽薄な笑みを浮かべた数人の仲間がいる。

 

「どこのファミリアだ? その格好……ずいぶんと景気良く返り血を浴びてるじゃねえか。新人か、それともヤバい下層からの一人旅か?」

 

男たちの視線は、狩人の腰回りを、そして外套の膨らみを無遠慮になぞる。

彼らは、この男が「武器」を持っていないことに奇妙な優越感を抱いているようだった。

自分たちの腰にある、上等な鉱石で打たれた剣。

ヘファイストス・ファミリアなどの名門鍛冶師から大枚を叩いて買い付けた、傷一つない堅牢な防具。

 

それらの「高級な装備」と「神の恩恵」が、自分たちをこの得体の知れない放浪者よりも「上位」に置いていると信じて疑わない。

彼らの目には、狩人はただ運良く生き延びただけの、みすぼらしい敗残兵にしか見えていないのだ。

 

「…………」

 

狩人は答えない。視線すら合わせない。

ただ、彼の脳内で、カレル文字『狩り』が鋭く鳴った。

 

「……無視かよ。愛想のねえ野郎だ」

 

冒険者の男が、狩人の肩に手を置こうとした。自分たちの縄張りを歩く不審者に対する、安い威嚇。

 

その瞬間。

 

「ジャラリ」

 

外套の影で、冷たい鉄が触れ合う音が響いた。

 

男の指先が狩人の装束に触れる、そのわずか数ミリ手前。

世界が、一瞬だけ色を失った。

 

男の喉元に、不可視の刃が突き立てられたような、強烈な幻痛が走る。

「死」という概念が物理的な圧力となって、男の肺から空気を強制的に絞り出した。

 

「――ッ!?」

 

男は、悲鳴すら上げられずに飛び退いた。

石畳に無様に乗っかえり、自分の手が、まるで毒蛇にでも触れようとしたかのように、激しく震えている。

呼吸の仕方を忘れたかのように、金魚のように口をパクパクとさせている。

 

「ど、どうした? おい!」

仲間たちが不審げに声をかけるが、男は答えられない。

今、自分が見たものはなんだ。

 

目の前の男は、動いていない。

手を挙げることも、魔法の詠唱を紡ぐことも、殺気を放つことすらしなかった。

ただ、そこに「立っていた」だけだ。

 

なのに、なぜ自分の生存本能は、これほどまでに絶叫しているのか。

大枚を叩いた鎧など和紙のように切り裂かれ、骨の髄まで解体されるという絶対的な未来のビジョンが、男の脳を恐怖でショートさせていた。

 

狩人は、へたり込んだ男を足元の石ころのように一瞥し、静かに通り過ぎた。

彼らにとって、この出来事は生涯消えない「悪夢」の種になるだろう。

だが、狩人にとっては、路傍の小石を避ける程度の、瑣末な出来事に過ぎなかった。

 

「行こう。ここには、何も無い」

 

狩人は使者たちにそう告げるように、歩みを早める。

 

陽光の下、人々が神の恩恵を謳歌する「牧場」。

そこには、彼が求めるべき「獣」も、安らぎを与える「夜」も存在しない。

生温い偽りの平和に浸る者たちの姿は、狩人の内にある虚無をより一層深めるだけだった。

 

彼が唯一、自分という存在を確認できる場所。

それは、あのバベルの地下に広がる、血と死の匂いが充満した「石の胃袋」だけだった。

 

神々が英雄を育てるために用意したその場所は、狩人にとっては、ただの「狩り場」だ。

 

陽光に背を向け、影の中へと戻っていく。

狩人は再び、摩天楼バベルの巨大な影へと吸い込まれていった。

彼の外套には、乾いた血の跡が、この世界の光を拒絶するように黒々と刻まれていた。

 

#### 第三部

 

陽光に満ちた地上を捨て、狩人は再び摩天楼バベルの巨大な円穴へと足を踏み入れた。

大理石の床を叩く靴音は、喧騒に満ちたホールにおいてさえ、異質な静寂を伴って響く。

 

目指すのは、あの「石の胃袋」の深淵。

神々が管理し、英雄が夢を見るあの場所こそが、唯一彼に「生」を実感させる場所だった。

だが、迷宮の入り口へと続く巨大な下り階段に差し掛かった時、その歩みは無機質な制止の声によって遮られた。

 

「――お待ちなさい。そこの、あなたです」

 

声の主は、一人のハーフエルフの女性だった。

整えられたギルドの制服。理知的な眼鏡の奥に宿る、強い義務感を帯びた瞳。

迷宮の入り口で彼を目撃し、そのあまりの異様さに戦慄しながらも、職務を全うするために男を追いかけてきたエイナ・チュールである。

 

彼女は震える指先で、手元の資料を握りしめていた。

狩人が放つ「死の気配」に本能が絶叫しているが、ギルド職員としての誇りが彼女の足を地面に縫い止めている。

 

「先程、未登録のまま迷宮を逆走した方ですね。あなたの特徴は、既に上層の職員から報告を受けています」

 

狩人は足を止め、無言でエイナを見下ろした。

帽子の鍔が落とす深い影の中から、感情を削ぎ落とした瞳が彼女を射抜く。

 

「……どけ」

 

低く、地這うような声。

それだけでエイナの心臓は跳ね上がり、呼吸が浅くなる。

だが、彼女は一歩も引かなかった。

 

「いいえ、通せません。ここは、誰もが自由に立ち入っていい場所ではないのです。ダンジョンは管理されています。……あなたは、どの『ファミリア』の所属ですか?」

 

ファミリア。

その単語は、先程地上で知覚した「家畜の群れ」を指す言葉として、狩人の脳内に定着した。

狩人は答えず、ただ無関心に彼女の横を通り抜けようとする。

 

「待ってください! 分からないのですか? 神の恩恵(ファルナ)を受けず、ギルドの登録も持たない者が迷宮に入ることは、法律で禁じられています。それは……死にに行くのと同じ行為です!」

 

エイナの声が、ホールの高い天井に反響した。周囲の冒険者たちが、興味深げに足を止める。

 

「あなたは装備すら持っていない。魔法の触媒も、防具も。……神の加護もなく、たった一人で迷宮を彷徨うなど、このオラリオの理(ことわり)では許されない暴挙なのです。まずは主神を見つけ、登録を済ませなさい。そうしなければ、あなたは『冒険者』として認められない」

 

理。

加護。

冒険者。

 

狩人は、その言葉の羅列を空虚に咀嚼した。

この世界の住人にとって、神に飼われ、その名を背負うことは「絶対の法則」なのだろう。

だが、上位者たる彼にとって、それはあまりに滑稽な「ままごと」に過ぎない。

 

狩人は、ようやくエイナへと正面から向き直った。

 

「……理、だと」

 

言葉と共に、微かな鉄の匂いが立ち込める。

 

「神に守られ、箱庭で踊るのがお前たちの理か。……ならば、それは私には必要ない」

 

「な……っ」

 

エイナが何かを言い返そうとした、その刹那だった。

彼女は、目の前の男の姿が「揺らいだ」ように感じた。

 

瞬きをする間。

光が屈折し、空間が僅かに軋んだような違和感。

 

「あ……?」

 

エイナが再び目を開けた時、眼前にいたはずの黒い外套の男は、霧が晴れるように消え失せていた。

 

「どこ……どこに行ったの!? 警備員! 今の男を――!」

 

エイナが周囲を見渡し、叫び声を上げる。だが、周囲の冒険者たちも同様に困惑していた。

「おい、消えたぞ!?」「魔法か? 詠唱もなかったぞ!」

 

バベルのホールは大混乱に陥った。だが、誰一人として気づいていなかった。

狩人が、エイナが瞬きをしたコンマ数秒の隙に、クイックステップによって彼女の真横をすり抜け、既に迷宮の深淵へと続く闇のスロープへ飛び込んでいたことに。

 

使者たちが、影の中から主を追いかけ、無邪気な足取りで階段を駆け下りていく。

彼らにとって、他者の定めた境界線など、跨ぎ越えることすら意識しない無意味な線に過ぎない。

 

「……管理、か。不愉快な言葉だ」

 

迷宮の冷たい空気が、再び狩人を包み込む。

 

地上にいた僅かな時間で、彼は理解した。

この世界の神々は、下界の者を愛しているのではない。ただ、退屈を凌ぐための「駒」として愛でているのだ。

そして自分という存在は、その盤上に置かれることを決して許さない「異物」であることも。

 

(ならば、好きにさせるがいい。私は、私の狩りをするだけだ)

 

狩人は歩みを止めない。

一階層を通り抜け、さらに深く。

使者たちが影の中から「もっと血の匂う場所へ」と、主を誘うように跳ね回る。

 

やがて、迷宮の岩壁がより赤黒く変色し、空気の重みが増していく。

現れるモンスターたちの咆哮に、一階層にはなかった「殺意の密度」が宿り始める。

 

狩人は、外套の影に沈んでいた『獣骨断ち』の柄に手をかけた。

指先に伝わる血晶石の拍動が、彼の魂と共鳴するように激しさを増す。

 

オラリオの理は、彼を拒絶し、彼はオラリオの理を無視した。

 

「ジャラリ」

 

鎖が鳴る。

光を拒む闇の奥で、異形の武器が牙を剥く。

 

神々の牧場を抜け、飼い主の制止を振り切り。

上位者たる狩人は、今度こそ己の意志で、迷宮という名の深淵へと沈んでいった。

 

それは、管理された「冒険」の終わり。

そして、誰にも語られることのない、孤独な「虐殺」の幕開けだった。

 

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