BanG_Dream! 前へ‼︎My Way!!!! 作:&Makoto
昔、絵本で読んだことがある。
ニワトリがいて、ネコがいて、イヌがいて、ロバがいる。
居場所を失った、ばらばらの動物たちが寄り集まり、新たな安住の地を求めて旅立つ物語。
── 一緒にブレーメンへ行って、音楽隊になろうよ。
その一言に背を押され、彼らは先へ、また先へと歩みを進めていく。
結末がどうであったのか、遠い記憶の彼方に霞んでいて、はっきりとは思い出せない。
けれど確か、悪者を退治し、皆で肩を寄せ合って暮らすことになった。
そんな、温かな終わり方だったはずだ。
これで、めでたし、めでたし。
本を閉じれば、物語はそこで幕を下ろす。
だが、本の物語は閉じることで終わるけれど、現実は違う。
たとえ目を逸らし、蓋をしたとしても、物語は止まることなく続いていく。
『CRYCHICを、やめさせていただきますわ』
あの瞬間、ここで物語が終わってくれたなら
「私たちの冒険はこれからも続く!」と、ありきたりな一文を最後に、すべてが途切れてくれたなら。
それ以上は何も続かない、悲しみも、虚しさも、痛みさえも存在しない場所へ行けたのなら、どれほど救われただろう。
現実は、あまりにも無情だ。
まるで、すべてお前のせいだと告げられているかのように。
その責任を背負い続けたまま、生きていけと命じられているかのように。
人間になりきれない自分への──これは、罰なのだ。
いつも通りの朝。
身支度を整え、朝食を食べて、学校へと向かう準備をしていく。
何も変わらない、当たり前の日常。
人間が人間である為に必要な朝の行程。
当たり前だから必要。
常識だから必要。
こうやって、沢山の常識と当たり前がある中で、私達は生きている。
「行ってきます」
「いってらっしゃいー」
夜勤明けの母親に一言伝え、玄関の扉を開ける。
こうして、高松燈の1日が始まる。
ローファーがアスファルトを軽やかに蹴る音が、まだ眠りの名残を抱いた朝の街に小さく響く。乾いた足音は規則正しく、けれどどこか心細くて、胸の奥に残る静寂をかすかに揺らしていた。通学路の脇に並ぶ街路樹は、春の風にそよぎ、葉擦れの音をやさしく奏でている。
その音はまるで、誰にも気づかれない小さな演奏会のようで、耳を澄ませば、世界が繊細に息づいていることを教えてくれた。
遠くから、電車が線路を滑る音が聞こえてくる。ガタンー、ゴトンー。と一定のリズムを刻むその音は、どこか安心感を伴っていて、同時に抗えない眠気を誘ってくるみたいなそんな朝の時間。
朝という時間は、いつだって少しだけ現実感があまりない、夢と現実の境界が曖昧なまま、ただ流されるように一日が始まっていた。
世界には無数の音が存在している。
風の音、人の声、機械の駆動音、遠くで鳴る踏切の警報。
こんな沢山の音があるのに、自分の耳に日常として刻まれているのは、いつも決まって同じ音だった。この足音、この風、この電車のリズム。それらは変わらず、繰り返され、まるで自分という存在そのものを形作っているかのようだった。
これが、いつも通り。何も間違っていない。
その事実が、どこか息苦しく感じられることもある。
でも、高松燈は覚えている。ほんの一時だけ、このいつも通りをかき消すほどに鮮烈な日々があった。音が、色が、感情が、すべてがカラフルに混ざり合って、心の奥深くに焼き付いて離れない時間。あの日々を、忘れることなんてできなかった。壊してしまうのが怖くて、誰にも触れさせたくなくて、そっと蓋をしてしまった。
ガラス細工のように、脆くて、美しくて、触れれば簡単に砕けてしまいそうな思い出。
あの音を知ってしまったから。胸を震わせるような、あの日々を知ってしまったから。
こうして繰り返される当たり前の日常が、どうしようもなく虚しく感じられていた。
けれど。
それでも時間は止まらない。朝は訪れ、足は自然と学校へと向かう。
駅の改札を抜けると、現実が一段と濃くなる。人の流れに押されるようにしてホームへと進み、やがて電車が滑り込んでくる。扉が開くと同時に、朝特有の温度の違う空気と人の気配が一気に押し寄せてきた。
車内は、静かだ。
会話はあるけれど、どこか抑えられていて、皆がそれぞれの朝を抱えたまま、同じ空間に押し込められている。座席に座り、窓の外に流れる景色をぼんやりと眺める。建物が後ろへと流れていくたびに、心の奥に沈めていた何かが、少しずつ揺らぐ気がした。
これは、救済なのかも。
それとも、天罰なのか。
答えは出ないまま、それでも確かなことが一つだけある。
高松燈は、再びバンドを始めた。
あの音楽に、もう一度触れてしまった。
差し伸べられたその手は、あまりにも自然で、あまりにもまっすぐだったから、迷う理由なんて、いくらでもあったはずなのに、その手に触れてしまった。
誰かが言っていた。
音楽は、決して鳴りやまないのだと。
電車の揺れに身を任せながら、その言葉がふと胸に浮かぶ。止めようとしても、消そうとしても、どこかで必ず響き続ける。それがどれほど優しくても、どれほど残酷でも。
やがて電車は目的の駅へと到着し、高松燈は人の流れに乗ってホームへと降り立った。改札を抜け、学校へと続く道を歩く。見慣れた校門、見慣れた校舎。それらすべてが、変わらないはずなのに、どこか違って見えるのは、自分がこれから変わっていく前ぶれなのかもしれない。
教室の扉の前で、ほんの一瞬だけ立ち止まる。
小さく息を吸い込み、扉を開けた。
中には、すでに何人かのクラスメイトがいて、それぞれが思い思いの朝を過ごしている。笑い声、ページをめくる音、椅子を引く音。それらが重なり合い、教室という一つの空間を形作っていた。
自分の席へと歩き、静かに椅子を引いて腰を下ろす。
朝の日課、集めた石を磨こうとした、その瞬間。
「おはよう、燈ちゃん!」
不意に、背後から明るく弾むような声が飛んできた。
振り返ると、そこには千早愛音の姿があった。柔らかな笑顔と、どこかいたずらっぽい瞳が、まっすぐこちらを見つめている。
「ちょっと聞いてほしいことあるんだけど、いい?」
その声は、朝の騒がしさをやさしく切り裂きながら、新しい一日の始まりを告げた。
「ねぇー、見て見てこれ。この間さ、新宿のライブハウスでやってたライブに行ってきたんだ」
弾む声とともに、愛音ちゃんがこちらへスマホを差し出してくる。その仕草はいつも通り軽やかで、けれどどこか誇らしげ。
見せてくれたスマホの画面には立希ちゃんがバイトをしているライブハウスとは違う、ロックンロールというイメージ通りのライブハウスが写っている。
「もうね、めっちゃ近くてさ、音も体にドーンってくる感じで!」
身振り手振りを交えながら話す彼女の声に引き寄せられるように、いつの間にか周りにクラスメイトが集まり始めていた。机と机の間に人の気配が増え、さっきまで静かだった空間が、少しずつ賑やかさを帯びていく。
「なにそれ、見せて見せてー」
「え、ライブ? いいなぁ」
誰かが覗き込み、誰かが身を乗り出す。小さな円ができて、その中心に愛音ちゃんのスマホがある。光に照らされた画面に集まる光景は何処か密に寄ってくる蝶々みたいだ。
「あー、これ知ってる。私の友達も行ってたみたいだよ」
ひとりのクラスメイトが、画面を指差しながら言う。
「ほんと?。やっぱ有名なんだ」
「うん、なんかちょっと話題になってたっぽい」
そのやり取りに、愛音ちゃんは嬉しそうに頷いている。
「いやもうね、超良かったよ。なんか普段見ない世界があって、新鮮だった!。…それにねー」
愛音ちゃんが誇らしげにスマホを掲げ、くるりとその場の全員に見えるように画面を向けると、わぁっと小さな歓声がおこった。
「あー、この人知ってるー」
「ん、私らの世代でバンドやってる人なら知ってる人割と多いよね」
画面の中にいる2人の男の子。
…少し怖い見た目。
「葉加瀬達郎君と乙成操一君って名前らしいんだけど。やっぱり有名らしいねー」
(愛音ちゃん、ちょっと嬉しそう)
そう思いながらその横顔を見て、高松燈はふっと小さく微笑む。
そしてもう一度画面へと視線を戻した。
二人組の男の子がいて、バンドをやっている。名前は葉加瀬達郎と乙成操一。
その情報を、頭の中でゆっくりと復唱する。
けれど。
胸の奥で、何かが引っかかった。
言葉にするには曖昧で、けれど無視できない違和感。
視線が、自然とその二人に吸い寄せられる。
姿。表情。名前。
どこかで、見たことがある。
いや、“知っている”に近い感覚。
記憶の奥を、かすかに掠める影。
「……あ」
小さく、声にならない息が漏れる。
「ん?。どうしたの燈ちゃん」
「あ、いや…なにも」
咄嗟に出た言葉は言葉って
「燈ちゃん、どうしたの?」
不思議そうに首を傾げる愛音ちゃんの声が、やけに遠く聞こえる。
「あ……いや、なんでも…」
そう答えた瞬間、自分でも嘘をついたのが分かった。喉の奥に、言葉にできない何かが引っかかっている。
この二人を、知っている。
確かなはずの感覚なのに、その先の言葉がどうしても続かない。名前も、関係も、思い出も。指先から砂がこぼれるみたいに、掴もうとすると形を失っていく。
これは、CRYCHICの思い出だからだろうか。
あの頃の記憶に触れようとすると、胸の奥がじんわりと痛む。だから、無意識に蓋をしてしまっているのかもしれない。
「葉加瀬君は知ってるけど、もう一人は知らないな」
隣で、軽い調子の声がする。
「見た感じ、友達とかじゃない? 楽器も持ってなさそうだし」
―楽器。
その一言が、心のどこかを強く弾いた。
そうだ。彼は、どうして楽器を持っていないんだろう。
記憶の中の彼は、いつもギターを背負っていた。誇らしげに構え、そして楽しそうにしている姿が、妙に似合っていて。音を鳴らすたびに、感情が音符を揺らし、だからこそ、その姿が当たり前だと思っていた。
なのに、今、彼の背中には何もない。
空っぽのその背中が、やけに遠く感じる。
……バンド、辞めちゃったのかな。
そんな考えがよぎった瞬間、胸の奥にしまい込んでいた思い出が、ひとつ静かに欠け落ちた気がした。大切に閉じていたはずの箱に、小さなひびが入るみたいに。
じわり、と滲むような寂しさが広がる。
彼らも、私たちみたいに、バラバラになってしまったんだ。
その事実を胸の内だが言葉にした途端、世界の音が少しだけ遠のいた気がした。
もう戻らない時間。もう重ならない音。
ただそこにあるのは、どうしようもなく静かな現実だけで。
それが、胸の奥で空洞のように広がっていくのが、ただ虚しかったんだ。
「それで、愛音ちゃん。この二人がどうしたの?」
画面を覗き込んでいた一人が、ふと顔を上げて問いかける。
そうだ、まだ理由を聞いていない。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥が少しだけ強張る。他の子たちと同じように、自然と姿勢を正してしまう自分がいた。その後を聞くのが、少しだけ怖い。
「ふっふーんっ」
愛音ちゃんは、わざとらしく胸を張ってみせる。
「私ね、条件付きだけど…葉加瀬君からギター教えてもらうことになったんだぁ」
その言葉を聞いた瞬間、空気がほんの少し暖かくなったような気がした。
ギター。
さっきまで胸の中でくすぶっていた違和感が、じわりと。
「へぇ凄い!。どんな感じ?」
誰かが興味深々といった感じで問い返す。けれど、その声の奥には、ほんの少しの緊張が混ざっているようにも感じる。
「えっとね、まずはいくつか向こうから宿題みたいなのをもらって、それをクリアしていく感じなんだけど…」
愛音ちゃんは指を折りながら説明する。その言葉は弾んでいて、楽しさを隠しきれていない。
「動画で解説も送ってくれるし、コツとかポイントもちゃんと教えてくれてさ。……なんか、思ったよりちゃんとしてて」
少しだけ意外そうに笑う。
「おかげで、いい感じで上達できてる!」
その笑顔はまっすぐで、眩しいくらいだった。
(そうか。ベースだった人は変わらず音楽を続けているんだ)
画像でもケースを背負っていたが、それが事実として霧を払っていった。
でも同時にもう一人の方はギターを辞めてしまったという事実も静かに浮き出てきて
消えていくわけじゃない。ただ、手の届かない場所へ行ってしまうだけで。
だからこそ、余計に実感してしまう。
やっぱり、少しだけ寂しい。
言葉にすればそれだけなのに、その「少し」が、胸の奥でやけに重く広がっていく。
やがて、一日が始まるチャイムが鳴る。
ざわめきが一斉に引いていき、教室はいつもの空気に戻っていく。椅子を引く音、先生の足音。
全部、変わらないはずなのに。
私の中だけが、ほんの少しだけ、違う場所に取り残されているみたいだった。
窓の外に視線を向ける。
春の風が、校庭の端に植えられた木々を揺らしている。葉と葉が擦れる音は、遠い記憶のどこかとよく似ていた。
───懐かしい。
そう思った瞬間、胸の奥にしまい込んでいたものが、微かに軋む。
閉じたままだった箱。
触れないようにしていたはずのそれに、そっと指をかける。
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけ。
蓋を開けてみるみたいに。
『一緒にやってみる?』
ほら、少しだけ思い出が、顔を出した。
ブレーメンの音楽隊の話を聞いたことがあるだろうか。
居場所を失いかけた動物たちが、それでも音楽隊になることを夢見て、ブレーメンを目指して旅をする物語。
道の途中で悪者を追い払い、肩を寄せ合って生きていくことを選ぶ。そんな、少しだけあたたかい結末の話。
けれど。
もし、あの物語に続きがあったとしたら。
あるいは、ほんの少しだけ違う選択をしていたとしたら。
音楽隊になることを諦め。
ブレーメンを目指す理由を見失い。
誰かが立ち止まり、誰かが違う道を選び、誰かが振り返らなくなったとしたら。
気づいたときには、もう隣にいたはずの温もりは消えていて。
肩を寄せ合っていたはずの距離は、簡単にほどけてしまう。
ブレーメンに辿り着くことさえ、できない。
夢だったはずの場所は、ただの“行けなかった場所”に変わってしまう。
そんな、結末。
それはきっと、誰も語らないだけで。
どこにでも転がっている、ありふれた物語で。
だからこそ、胸の奥に静かに沈んでいく。
逃げ場もなく、ただそこに在り続ける。
そんな、少しだけ、いや、どうしようもなく悲しい結末。