ユブラ=デシラは日が傾いてきた夕方ごろ。比するものなき高さで空を突く城の尖塔が夕陽の中にその身を曝す。
毒々しいその色も赤く淡い光の中に呑まれていく。そしてその裏には、幾多の建物とも変わることなき一面的な暗い影が広がる。
この街の誰もがそれを見て一日の終わりを実感する。
無論、拙者の前を行く人の心なき勇者もまた……。
塔を見上げながら歩いていたが、城門の前に立つ少女に気づいてゴリラは立ち止まった。
少女はそこに一人で立っておった。白と黒の着物を纏い、赤い髪留めで前髪を側頭部に纏めた白髪の少女。少女は近づいてくるゴリラを指差し、言った。
「……ゴリラ」
ゴリラはびくりと硬直し、声を裏返して答えた。
「ウ、ウホ~?」
「人間だ」
少女はほほ笑むと、差していた指を下ろす。
「勇者様ですね。お待ちしておりました」
「あっ、そうなの!」
ゴリラは辺りを確認すると、ゴリラの毛皮を脱ぎ、いつものDQN法国ギャルファッションに戻ってしまう。勇者は帽子だけをゴリラの頭から外して自分の頭をクラゲの口に押し込むと、少し気まずそうに聞いた。
「けっこう待ってた?」
「はい、四時間ほどここに立っていました」
「うわぁ~、ごめぇ~ん!」
勇者は膝をついて顔の前で両手を合わせるが、少女は表情一つ変えず、勇者の被る帽子を見て言った。
「ユブラ=デシラを楽しんでいただけたようで何よりです。ヒョールド様もお喜びになるでしょう」
少女は城の方を一度見やると、
「早速ご案内します」
そういって軽く片手を振って合図を送る。すると重たい金属の音を立てて門がゆっくりと奥へ開いていく。
少女は門が開き切る前に歩き出した。
☆
夕陽に照らされる庭園を通り過ぎ、城の中に入る。エントランスに向けて伸びる中央階段を上がって長い廊下を進む。少女は一言も喋らず先導していた。
「ねえ、やっぱ怒ってるかな」
勇者はひそひそ声で一人ごちた。
「ごちた? ごちんって感じ?」
うるさいでござる。今拙者は四天王登場を盛り上げようと一生懸命それっぽい雰囲気をだな……。
「あっそ。それよりどう思う? もう一回謝った方がいいかな?」
「その必要はございません」
「ひゃっ」
少女は立ち止まって勇者に体を向けた。
「丁重に連れてくるようにと言われております。癪に障るようなことをすれば真っ二つにされるから気をつけなさい、とも」
「そ、そんなことしないよ……あはは……」
勇者は視線を逸らして苦しく笑うことしかできなかった。
「それよりも、そこに忍び様がおられるのですか?」
「え?」
勇者は地面に落ちる影を見下ろした。廊下を飾るプチシャンデリアの蝋燭の灯りに揺らめく自身の影を。
「普通にいるけど」
「普通にいないわ、ボケナスが!」
「あ、声が聞こえました。いるのですね、そこに」
目を丸くする少女を胡散臭そうに見て、再び勇者は自身の影を見下ろした。
「普通にいるけど……?」
「はぁ~⁉ いないと言っておろうが!」
「はぁ? そんなこと言うなら!」
と、勇者はなぜか反復横跳びし始める。や、やめろ!
勇者の影は地面の上を這いつくばったままぬるぬると移動し勇者にぴたりとついていく……いや影なので当たり前だが!
「くっ、しぶといなぁ」
勇者はフェイントを仕掛けてくるが、拙者にとっては素人のフェイントを見破るなど朝飯前でござる。あれ、拙者朝飯食べたっけ? あかん、思い出せんでござる。脳年齢が心配になってくるでござるな。脳トレが必要か? いや、拙者の脳は常時常人の10倍は働いているはず。つまり拙者に真に必要なのはトレーニングより休息ってわけ。
「あの」
と少女に声をかけられ勇者がぴたりと止まった。のわぁっ、急に止まるな!
「のおぉぉぉ⁉」
勇者の体から影が剥がれ、ごろごろと床を転がった。拙者は起き上がると、片膝をついて頭を垂れた。
「拙者、参上にござる」
「惨状だろ」
勇者うるさい。しかし少女はこちらに歩み寄ってきて丁重に述べる。
「お顔をお上げください。色々とお噂は伺っております。ヒョールド様も忍び様とお話できてうれしく思うことと存じます。私も初めてお姿を目にすることができて嬉しいです」
ええ子っ!! 拙者はにんまりしそうになる顔を抑え、一層深く頭を下げた。さぁ、ヒョールドの元へ行くぞでござる!
☆
「ヒョールド様。勇者様、及び忍び様をお連れしました」
入りなさい、と少し掠れながらも力強く押し出すような女性の声が中から聞こえてくる。少女が扉を開くと、中は広間になっており、その中央には料理の皿が所狭しと並べられた長いテーブルが構えられている。
テーブルの奥に人物が一人座していた。襟を立てたロングコートに身を包む背の低い人物で、長い後ろ髪を一本に結んで右肩に掛けている。その髪色は夜空のように暗く、ちかちかと星のような瞬きが散りばめられていた。
一見すると少年にも見えるが、目許のしわから年も感じさせる。瞬きもなくこちらに向けられたその目には、蛇が自身の尾を食む光輪が浮かんでいた。
毒神、ヒョールドは微笑みを浮かべて立ち上がると、勇者と拙者を招いて呼び掛けた。
「よくぞここまで参られました。どうぞ、お好きな場所におかけください」
そう言われたからか、勇者はテーブルの反対側、ヒョールドから一番離れた席に座った。ヒョールドはそれをポカンとした表情で見つめ、言い直した。
「あの、もう少しこちらに」
勇者は気まずそうにしながらも言う。
「怒ってませんか?」
ヒョールドはにっこりと笑って答えた。
「怒ってません」
「でも、約束の時間より四時間ほど遅れちゃいました……え、怒ってないんですか?」
「怒ってません」
勇者はじっとヒョールドの顔を見つめる。にっこりと笑うヒョールドの顔はぴくりともしない。勇者はもう一度尋ねる。
「あの、怒ってませ」
「怒ってません」
勇者は少し嫌そうにしながらもテーブルのまん中よりややヒョールド寄りの場所に座り直す。ヒョールドは迷ったようだったが、会話に支障はないだろうと判断したか、頷いて言う。
「勇者様、忍び様。ようこそユブラ=デシラへ。ようこそわたくしのお家へ。魔王軍幹部を務めております、ヒョールドといいます。どうぞよろしく」
軽く頭を下げるヒョールド、肩の髪が揺れて星が流れるように光が落ちる。勇者は目を奪われたようにヒョールドの髪を見つめていたが、唐突に切り出した。
「どうしてプチブルのみんなをあんなにしたの?」
ヒョールドは目を丸くするが、諭すように答える。
「どうしてと言われましても、軍事作戦ですし、私はこれでも人類の敵、魔王軍の幹部ですから」
「そっか」
そう呟いて勇者はフォークとナイフを握る。憂鬱な表情でステーキ肉にナイフを入れるが、溢れ出す肉汁を見てすぐにその目を輝かせた。
「ユブラ=デシラはどうでしたか?」
ステーキにむしゃぶりつく哀れな勇者にヒョールドが声をかける。勇者は頬いっぱいに詰め込んだ肉をゆっくり咀嚼し、飲み込んでから答えた。
「楽しかった」
「そうですか。それはよかった」
ヒョールドの視線に気づいたのだろう。勇者は慌てて帽子を取った。
「すいませんっ! 気づかなかったです!」
「いえいえ、気のいいカメレオンでしたか。彼女の帽子はわかりやすい。私もこの服に合うものを作ってもらったんですよ」
「え、すぐ見たいです!」
と身を乗り出す勇者。
「ふふっ、明日まで我慢してください」
ヒョールドは笑って流す。ううむ、女子会でござるなぁ。っていうか勇者ちょろすぎでござる。プチブルの話はどこへやら。
立ち寄った店の話やおごってもらった料理の話、帽子の流行の話を楽しそうに……。そしてヒョールドもまたにこにこと相槌をうつのだ。これは演技ではない……いや、話の流れはコントロールしながら実際我が街の話を若いものから聞くのは楽
しいのだろう。
ううむ、じゃあ拙者も料理を楽しむとするか。
あむあむ、魔物肉も中々。しっとりした旨みではないか。
☆
夜になり、窓の外では尖塔に点々と明かりが灯り出すと、ヒョールドは会話を切り上げて言う。
「もう夜になってしまいましたね。今日は寝る準備をして、明日またお話しましょう。それで、あなたがここに来た目的についてもその時に」
それを聞いて勇者はショックを受けたように立ちあがる。
「えー! もっと話そうよ!」
おい勇者……。
「明日また、たくさんお話しましょうね。今日はお疲れでしょうし、私も久しぶりに人のお話を聞けて嬉しかったです」
マツル、とヒョールドが呼ぶと、あの着物を着た少女がヒョールドの傍らにささっと駆け付けた。
「勇者様を部屋に案内してあげて」
「はい、わかりました」
こちらです、とマツルは勇者を先導する。部屋から出るとき、勇者は振り返って手を振った。
「また明日ね!」
ヒョールドはほほ笑んで手を振り返した。
☆
「いやー、ヒョールドさん、いい人だったー!」
スプリングの効いたベッドの上で飛び跳ねながら、楽しい会話だったと勇者は顔をほころばせる。
「いい人が虐殺するでござるか」
「あー、まあ、明日はその辺の事情をもう少し細かく聞いて、それで……」
「許せるでござるか?」
「いや、倒すんじゃない?」
「で、ござるか」
「うん。って……⁉」
飛び跳ねた勇者は宙返りを決めて床に着地すると、部屋の片隅でヨガをする拙者を睨んで言う。
「なんでおんねん⁉ 女子の部屋やぞ!」
「いやいや女子て、今さら何を言うてるでござる」
「今さらだよ! ほんと、我ながら……」
勇者は毎度ながら国旗を取り出すと、自身の体をくるみ、しかし拙者がその場に居続けることは耐えがたかったらしい、法国簀巻き状態で拙者に体当たりをかまそうとしてくる。
「出てけ! 出てけ! 出てけー!」
「わかったでござる。ええぃ、法国っていつもそう! あっ、出てく、出てくでござるよ!」
拙者はあぐらを組んだ状態で両手で体を浮かせ、ひょこひょこ手で歩いて部屋を出た。
そのままひょこひょこ歩いて元来た道をたどり、先ほどの広間へと向かう。ノックする。拙者でござる~開けてでござる~。
返事があったのでジャンプしてドアを開ける。っと、クールビューティー忍者モードをオン! ヨゥガモードはオフ! にござる!
拙者は堂々としているのに足音一つ、衣擦れ音一つ立てずに広間に入ると、ヒョールドの方へと進んでいく。
「来たね、忍び。座るかい?」
ヒョールドの目は先ほどよりも険しい視線を拙者に浴びせかける。圧し潰さんとする重圧が視線ひとつに込められておるが、そんなもの、このクールビューティー忍者こと拙者には涼しいばかり。拙者は飄々と答えるのみ。
「拙者に構わんでよい。聞きたいことがある。が、まずは聞きたいことを申されよ」
「そうか」
と少し視線の圧が緩み、ヒョールドは拙者に尋ねた。
「まずこちらが聞こう。あの勇者は魔王の差し金か? 私への罰のつもりか?」
緩んだと思った圧力が再び押し寄せる。流れるプールに逆らっているようだ!
「違うな。法国をコントロールするなど魔王にも不可能だ」
「そうか。少し恐れ過ぎていたか」
不機嫌そうに言って何かを考え始めたヒョールドに、拙者は問いかける。
「何を恐れる?」
ヒョールドは拙者の問いに思わず笑ってしまった、そう見えた。
「それを聞きたくなったのはわかるよ。結果は変わらないからね」
妙だった。ヒョールドの声は年のいった女性のもののはずなのに、たまに少年の声に聞こえることがあるのだ。ヒョールドは続ける。
「私はね、間違うことを恐れている。裏切り者として処罰されることは、ある意味で間違いを押し付けられることだ。私は孤高でいられるほど強くないからね。それなりに、傷つくんだよ」
そう言ってヒョールドは傍らのマツルに目をやる。
「ヒョールド様には私がいます」
マツルの言葉にヒョールドは目を細め、その肩に手を置く。マツルはその手を自らの手に包んで頭を寄せた。
「なるほど。理解した。そして今の答え、拙者が聞きたいことへの答えにもなっていると見た」
「ほう、聞きたいね」
とヒョールドは述べるよう手で示す。
「なぜ魔王の意向に逆らって無茶な侵攻をしたのか。その意図を確かめよと、そこまでが拙者に与えられた任務だ。その答えを拙者は得た。今の世界が間違いであると、ヒョールド殿は考えておるのだな」
ヒョールドは黙った。黙って笑うと、マツルに抱かれていた手を抜き、しっしっと拙者を追い払う仕草をする。拙者は一礼し、華麗に部屋を立ち去ったのだった……。
これにて! 任務は完了でござ~。
さぁーて、もう一度勇者をからかって、地下のジムで音楽でも聴きながら運動して、シャワーを浴びて、軽食のち寝る! でござるよ……スキップでもしようかと思うが、窓の外を見て拙者は立ち止った。
クラゲたちは毒色の光の残滓を空に残して回遊する。尖塔に蔦を張って咲く花々は今が盛りと淡い光を放っていた。
これは散歩もいいかもしれぬな!