忍者の朝は早い。
冷水で顔を洗い心を引き締めると、庭園に出て太陽の光の下、眠っている身体を起こす体操をしつつも花々の香りに遊ぶ。
うむ、虫さんの好きそうな匂いだ。
こうした心の保養も険しい任務の続く忍びには必要なのだ。
「おや、忍び様」
声をかけてきたのはマツル殿であった。朝早いというのに白と黒の着物をキメて庭園のお世話をしているらしい。
どこかの勇者とは違ってすこぶる健康的である。拙者たちはしばし朝の世間話を行った。
昨夜届いた街の騒ぎについての情報、そして勇者の活躍について。
気のいいカメレオンの店主が魔女の街に二号店の出店を催促されながら断ってきて外交的に困ってる話など……ああ、なんて健全なのだろう、美しい、丁寧な暮らしがここにあるではないか……!
「では、もう少ししたら朝食が出来上がりますので、勇者様をお呼び願えますか?」
「よかろう」
拙者は城に戻り、勇者の部屋の前に立つ。ふぅむ。
拙者はドアを撫でる。質のいい木材であるな。表面が緋色に塗られてつるつると滑らかな触り心地ではないか。ではいざ……!
「ノック百裂拳! あたたたたたたっ、あたぁ! あたたたたた!」
拙者の絶妙な力加減で繰り出される拳が連続でドアに衝突する。ドアを傷つけず、一番強く、そして一番音の鳴る方法での衝突だ。
ときたまパァン! と手のひらでも響かせる。どうだ、まだ起きぬか? いや待てよ、オハヨウゴザイマス……(小声)方式でもよかったかもしれん。
普通にガチバズーカで爆撃してやるのだ。愉快な朝になったであろう。
しかしもう遅い、拙者はこれで行くと決めてしまったのだ!
「ほぁた! とぅあっ! ふぅあぁぁぁぁ!」
どどどどどどっ! とマシンガンのような音が城中に鳴り響く。どうだどうだ? まだ起きぬか⁉ まだ……トゥワッ⁉
拙者はイナバウアーを繰り出した。見ると拙者の頭上に部屋のドアを貫いて勇者の大剣が伸びてきていた。剣はスっと戻っていく。
拙者はブリッジ状態から宙返りを決めて跳ね起きる。同時にドアが開き、目を擦って大剣を握る勇者が現れたのだ。
☆
朝食は昨日とは違い、客間と思われる落ち着いた部屋に通された。広間よりも質素ではあるが、装飾燈に赤い絨毯など、最低限整っている印象だ。
壁一面の大きな窓からはユブラ=デシラの街の目覚めが一望できる。
「ヒョールドさん、いないんだぁ」
ほとんどパジャマの軽装に法国の国旗だけ肩に羽織った勇者がため息をついた。マツル殿は笑って言う。
「申し訳ございません。ヒョールド様は予定があって外出中です。お昼ごろ戻られるので、会食はその際に」
「こんな時間から……忙しいんだ。まあそうだよね」
勇者は窓の外の街を見下ろした。
「さぁ、忍び様もよければお召し上がりください。食にこだわりがあると聞いています。自慢のシェフたちが作った料理、ぜひご堪能ください」
そう言われてはまあ、拙者としても席に着くしかあるまいか。拙者は瞬間移動の速さで上座に座った。
「あっ、私が座ろうと思ってたとこ! 忍者どいてよ!」
「断る。ではありがたく、いただきまんもす」
「くっそー。もう、食べるね」
勇者はマツル殿に一言言ってスプーンとフォークに手を伸ばす。マツルは笑みを浮かべて我らを見つめていた……。
☆
「ねえ忍者」
「なんだ?」
「いいとこだよね、ここ」
「そうだな」
とまあ、我らが会話している場所は城の頂上、尖塔の上でござる。
拙者はその頂点のなんか細い棒の上に立ち、勇者はその棒に手を掛けて斜めった屋根にバランスを取ってしゃがみ込んでいる。
朝食も終わり、街は活気の渦中にあった。市場は往来する住民らの変な帽子で溢れ、街の守りを担う兵士たちが夜の番との交代か、目的地をもってあちこちを歩いているのを見かける。
そして、大きなクラゲたちも太陽の光を浴びて活き活きと泳いでおる。
「もう一回軽く見てこようかな」
「好きにするがいい」
「マツルさんに言ってくるね」
そう言って勇者は塔から飛び降りていった。
☆
ランチの会食の席に勇者は大剣を持ち込んだ。マツル殿はそれを見て一瞬悲しそうな表情を浮かべるが、顔を伏せて席へと案内する。
一方ヒョールドは穏やかな表情を崩さなかった。
おいしそうに食べはするものの、がっつかず、和やかな雰囲気で勇者はヒョールドと話をする。
今朝見た市場のこと、目を引いた帽子に変わった姿をした魔物、兵士たちのようすのこと……。
ヒョールドは一つ一つの話に相槌をうち、勇者が話したいことについて優しく話題を引き出し続けていた。
しかし、勇者の表情はだんだんと曇っていき、ついにフォークは皿の上に置かれ、止まってしまった。
ヒョールドが見守る中、やがて勇者は顔を上げて言う。
「昨日、ヒョールドさんは軍事作戦って言ってました。魔王軍幹部なのだと」
ヒョールドもまた手に持っていた銀器を置き、答える。
「はい」
「じゃあ、魔王の命令だったり……あとは、魔女の命令とか」
「いいえ。あれは私の意思です」
ヒョールドは勇者の顔を覗き込むと、表情を緩めて言う。
「優しいんですね。でも、私も悩んだ末に決めたのです。譲れません」
勇者は無表情でヒョールドを見据える。が、視線の先にいるのは優しい表情をしたヒョールドだ。
「もう、たまんないな。まったく」
困ったように視線を逸らした勇者だったが、勇者を追うようにヒョールドが言葉を紡ぐ。
「勇者様」
再び顔を上げる勇者。しっかりと目が合う。尾を食んだ蛇が、その目の中で廻転する。
「私を見ようとしてくれて、ありがとう」
え……という声が勇者の口から漏れる。ヒョールドが手で合図すると、帽子を大事そうに抱えたマツルがやって来た。
ヒョールドはその黒い神官帽子を被ると、少し照れも交えてほほ笑む。
「似合ってます」
勇者の言葉にヒョールドは帽子を押さえて軽く礼をして見せた。
「ありがとう。ねえ、勇者様。ブルードゥクやその背後にある小国を回って来たと聞きました。違和感は、ありませんでしたか?
何かがおかしいと思いませんでしたか?
現実感がない
作り物っぽい
あるいは、
茶番めいている」
ヒョールドは揺らぎをもって空間に、勇者の意識に浸み込ませるように言葉を重ねていく。
勇者はいつにもなく難しい顔で聞いていたが、ヒョールドの言っていることに思い当たる点はあるらしい、少し気まずそうに、不快そうに唇を引き結ぶ。
「そうですよ。全部茶番です」
呆気なくもヒョールドは言った。
「あの小娘どもの仕組んだ茶番なんですよ、魔王軍と人類の終わらない戦争は」
ヒョールドはあくまでも穏やかな表情のまま、強く、強く胸の内から言い放つ。
「私にはそれが耐えがたかった」
ヒョールドの背からどろりとした翼が生え出ていた。空間いっぱいに広がる翼だった。ヒョールドの髪色と同じ、夜空のような暗さと星の輝きの散りばめられた……。
「かの四天王は毒の海」
唐突な勇者の言葉にヒョールドは意図を問うような目を向ける。勇者は構わず続けた。
「天上にて神を幾柱も殺した毒蛇が転寝をしたおり、地上世界に毒をぽたぽたと垂らした。毒は毒蛇の見た夢に従って起き上がり、意思を持つ人となった……だっけ? ヒョールドさん、私思うんだ。きっと毒蛇も、そんな気持ちで神様を殺したのかなって」
ヒョールドの目が見開かれた。その唇がゆっくりと喜色に引き伸びていく。
勇者は座ったままではあるが、大剣を立ててその柄を握った。それを見てヒョールドはくすりと笑う。
「初めに言っておきますが、たった今勇者様が食した料理には私の毒が仕込んでありました。ですがそれも全く効いていないようで。少し悲しくなりますね」
勇者は空いた皿の並ぶテーブルを見下ろして言う。
「だったら、ねえヒョールドさん。私の言うこと聞いてよ。どこか南の島にでも引きこもっててくれない……かな」
「無理ですよ」
ヒョールドは即答する。
「今朝、軍の編成を終えました。これから奪還されたプチブルを奪い返し、そのままダルメィシアとの交戦に入ります」
勇者は何も言わない。ただ、その目が重さに耐えられないというように閉じられる。ヒョールドは勇者に言い聞かせ、しかし最後には叩き付けるよう叫んだ。
「勇者様、私には力があります。見るに堪えない世界を壊すための力が。借りものの力ではありますが、この力が私の下にあるとき、私は常に抗い続けると決めたのです!」
ヒョールドの翼が大きく開かれ、勇者に向けて振るわれる。
☆
退避退避退避! 退避にござる! 勇者はともかく、神を殺す毒など赤ちゃん肌の拙者が浴びたら死ぬでござるよ! って面制圧⁉ ええぃままよっ!
ドロンッ!
と参りましたよ塔の頂上。下の階層では窓という窓から毒液が噴出しておるな。っておや?
「あ、忍び様」
先ほど勇者がしゃがんでいた位置にマツル殿がいらっしゃったでござる。窮屈そうな着物ながら塔の先端に手を引っ掛け、斜めってる屋根にちょこんとしゃがんでおる。
「忍び様、今、どうなっているんでしょう」
「確認する。待たれよ」
忍者’sアイ! そして忍者’sイア―!
ふっ、この二つを併用することによって近い距離で起こってることなら何でも! 遮蔽物があっても大体なんとな〜く何が起こっているのかがわかるのだ!
さて、勇者は~っと。
ヒョールドの翼から吹き乱れる毒液で部屋は満たされ、その濁流の中を一歩、また一歩と勇者は大剣を引きずりながら進んでいく。
それを見てヒョールドは毒液の空間を掻くように腕を振るった。
轟音が巻き起こる。鞭のようにしなる水流によってヒョールドと勇者のいた階層が吹き飛び、建物が半ばから崩れ始める。
「手は必要か?」
拙者は落ち始めた塔の上からマツル殿に手を伸ばす。
「はい、お願いします」
マツル殿は拙者の手を取った。拙者はマツル殿の体を引き上げてやると、膝下と首に両手を差し入れて抱え、敷地から脱出、隣の敷地の尖塔へ飛び移る。
「ヒョールド様は勝つでしょうか?」
粉塵が上がって視界が晴れない中、マツル殿が尋ねる。
「勝てぬ」
拙者は繰り返す。
「勇者には誰も勝てぬ」
周囲に粉塵は広がれど、ヒョールドの舞台は常に夜空の静寂で満たされている。
ヒョールドは無数の羽根を飛ばすがごとく、硬化した毒針を勇者に向けて飛ばしていたが、勇者はそれを避けながら接近し、剣を振るう。
ヒョールドが身を引く。そのさ中に密度を高くした毒の防御壁も張って。勇者は構わず一閃。ヒョールドは首を真っ二つにされるのは避けたものの、防壁を張るため伸ばしていた片腕が飛んだ。
ヒョールドは距離を取りつつ落ちてくる片腕をキャッチ、自分の腕を毒液滴る剣に変え、踏み込んでくる勇者に向けて振るう。
その様を見て拙者は確信する。
「ヒョールド殿は手を抜いている」
「なんですって……!」
マツル殿は呑み込めないというように表情を厳しくして拙者を見る。
「勇者も手を抜いているが、ヒョールド殿も手を抜いている。これがヒョールド殿の嫌った茶番でないとすれば、儀式のつもりなのであろう」
「儀式ですか、なんの?」
拙者は改めて戦闘を見下ろすが、確信を強めただけであった。拙者は答える。
「むろん、己が死ぬための」
ヒョールドの剣術は洗練された手本のようだった。姿勢を高く保ったまま相手と着かず離れずの距離で剣を振るい続ける。
片腕がないのもあるのだろう、身体の回転や翼の前進の力で剣を振るうヒョールドはコートの端をはためかせ、しかしどこまでも優雅さを手放そうとしない。
と、勇者が強引に踏み込んだ。ヒョールドは後退しながら勇者の喉元に向かって剣を振るうが、あろうことか勇者はその剣を鷲掴み、へし折る。
そのまま大剣でヒョールドの残った腕を斬り飛ばす。さらに、すれ違いざまに右の腿を切り裂くと、勇者が振り返った時にいるのは膝をついたヒョールドだった。
「離してください」
マツル殿が言うので拙者は一応提案してみる。
「運んでもいいが」
「いいえ、お気持ちだけ頂戴します」
マツル殿は飛び降りた。両手を広げると、白黒の着物の袖が広がって翼のようになる。
マツル殿は半壊して中身を曝した王城の方へと滑空していった。
☆
「最後に言いたいことはある?」
法国旗を背負う勇者がヒョールドに剣を突きつける。部屋を満たしていた毒液も外へと漏れ出し、消えていた。ヒョールドは床を眺めながら息を整えるように吸って……吐き……再び吸うと、意を決して口を開こうとする。
が、それを遮るように金属の衝突音が鳴り響いた。勇者は背後から迫る斬撃を剣で受け止めていた。
ゆっくりと、あまりに呑気に勇者は振り返る。勇者に向けて薙刀を振るったのはマツルだった。
「ヒョールド様、お逃げください!」
マツルは呼び掛け、縦横無尽に薙刀を繰って斬撃を繰り出す。勇者はそのどれもを余裕を持って受け止めていた。
「マツル、よすんだ」
ヒョールドの掠れた声に一瞬マツルは嬉しそうにして、次には一層表情を引き締め薙刀の一太刀に力を籠める。
マツルは気づいていなかった。攻めているはずの自分が壁際まで追い詰められていたことに。
がっ、と薙刀を壁にぶつけ、さらに壁は背中に触れ、マツルは一瞬止まった。その一瞬で、勇者は壁に刃が深く切り込むのも気にせず、薙刀ごとマツルの首を切り落とした。
ヒョールドは歯を食いしばって目を瞑る。
しかし何かを手放したようにその体からは力が抜け、がくんと首を項垂れさせたあと、ゆっくりと顔を上げて頭上を仰いだ。
勇者はじっとそれを見つめ、遅れて頭上を仰ぐ。天井が抜けて部屋に光を差し入れる昼の空を。
「勇者よ」
「なに? いたの忍者」
「ヒョールドが本気になるぞ」
「……へぇ」
勇者は目をぎらつかせて剣を肩に担ぐ。こっちも物騒でござるなぁ。
「主よ」
ヒョールドの平坦な声が青空に放られる。
「あなたの毒を私の意思より解放します。あなたの眠りを私の目より解放します。 どうか、この長き一夜を良き夢として記憶の彼方に葬り去らんことを。今こそあなたに、目覚めをお返しします」
そう言った後、ヒョールドは自分で発声した重々しい呼びかけを茶化すように、笑い声をあげた。露悪的に笑いあげていた。ヒョールドは視線を勇者の顔まで引き下げ、言った。
「なんて、そんな風に言って死ぬつもりだったんだ」
「格好いいけど」
勇者は笑いかけるようにぽつりとつぶやく。ヒョールドは苦笑する。
「ありがとう。でも間違っている、間違ってるんだよ……マツルの死はこんな薄っぺらな言葉で飾るものじゃない」
勇者は黙り込んだ。その顔はヒョールドに笑いかけるときのままだ。
「茶番だった。馬鹿げていた。ここまで来てまだ恐れていたなんて」
ヒョールドもまた笑った。勇者の笑みに応えたようにも見えるが、勇者の笑みはだんだんとズレてぎこちのないものになっていく。
勇者は見ていたのだ。ヒョールドの瞳の円環が解かれ、光の蛇がゆっくりと鎌首をもたげるのを。
「そうだよ、マツル。結末は変えられない。変えられるとしたら、それは意味だけだ」
どくどくと湧き出す夜空の色をした毒液がヒョールドの全身を包み込む。毒液はその質量を増やし続けながらも、まるで一つの生物のようにその形を象っていった。
「まじかぁ……」
うんざりしたように勇者は見上げる。頭上高くでは巨大な毒蛇がこちらを見下ろしていた。
「忍者、ヒョールドさんの正体って蛇だったの?」
「いんや、ヒョールドの最強の力の表現がアレなのだろう」
勇者は苦笑しつつ、今度は下方、城外へ注意を向ける。
毒液が飛んでくるので距離は離れていたが、街の魔物たちが固唾をのんで城主の戦いを見守っているようだった。
「これ、やばいよ……?」
勇者が困惑する間にも蛇は鎌首をもたげ、その体は空へと伸びていく。
そうして、頭上に夜空が広がった。それが当たり前のこととは思えない。夜空が大きな口を開き、急激な速さで落ちてくる。
拙者はドロンッ! で、勇者は蛇に丸のみにされた。
蛇の体は建物を呑み込み地上で大きく砕けると、毒の波と化して街へと広がっていく。押し寄せた大波が街を呑み込み始めた。
ここに来て住民たちはパニックを起こした。悲鳴を上げて逃げようとする者もいたが、次々と波の下敷きになっていく。
毒の海から蛇の尾が現れ、城の瓦礫の上を何度も鞭のように叩きつける。さらに下から喰らい上げようとして海中から出現するが、これは勇者に叩き斬られる。が、すぐさまヒョールドの本体から湧き出した毒によって蛇の体は再生し、その禍々しい口から圧縮された毒液を放つ。
勇者はこれを剣で受け止めるが、勢いを受け止めきれずに吹っ飛ばされる。その吹っ飛んだ先へ、毒液を放ち続ける蛇の頭がぐるんと振るわれた。
それだけで、街が真っ二つになる。
圧縮された毒の水流は屋根を駆ける勇者を追いかけてそのまま、建物や塀を砕きながら湾曲し、最後に勇者に追いついた。
勇者はこの水流を剣で打ち砕く。そして再び蛇に接近し、剣を振ろうとする。蛇は海に潜り、その勢いで勇者の頭上から尾を打ちつける。
「おわぁっ!」
勇者が情けない声を上げて海に叩き落とされた。波紋が立ち、再び巨大な波が起こる。
むっ! 拙者の塔、崩れるか⁉ と言いつつも予想していたでござる。だってこの街にあれだけあった尖塔がもうほとんど残ってないんだもーん。
ちょうど今朝ノック百裂拳をお見舞いした王城の扉がぷかぷかと漂っていたので拙者はそこに飛び乗る。そして、待つこと数秒。
ちょうど拙者が振り返ったタイミングで勝負は決しようとしていた。
水底から、勇者が剣を振るう。毒蛇は空中で体を何重にも巻いて球体を作り、中心部のヒョールドを守ろうとしていたようだった。
が、あまりにあっけなく、暗い水面を斬り裂いた斬撃は軌道上にあった蛇の体をも斬り裂き、そのままヒョールドの体を真っ二つにしていった。
巨大な毒が海に落ちてくる。波が来る……!
こうして拙者のボードは巨大な波を掴んだのだ!
崩れる塔や巻き込まれていく屋根を下目に、拙者は巧みに波に乗る。
障害物が多く大変なコースではあるが、拙者のボード捌きの前では児戯にも等しい!
乗りこなすのだよ、細かな体重の移動、角度の調整、そして見る者を魅せるカメラワークによって!
「ちょっ、忍者っ、ごぼごぼっ、助けてぇ~!」
「お?」
頭上から聞こえた声に見上げると、勇者が法国の国旗にぐるぐる巻きで波の白い頭でぐるぐる回っていた。
「今日も勇者は楽しそうでござるな」
「はぁ? このっ、うりゃ!」
勇者は目標を見定め、波を一蹴りする。それで勇者は体勢を立て直して拙者のボードに……飛び乗ってきただとぉ⁉
「おい降りろ! 拙者は落ちたら死ぬのだぞ⁉」
「大丈夫大丈夫。忍者なら余裕だって」
そう言いながらもなんやかんやで勇者は身を低くしてボードの安定のアシストをしてくれる。優しい。いや優しくないわ降りろや!
「え」
とこれは勇者の声。何があったかと拙者もまた顔を上げ、勇者の困惑の理由を知る。
星空の波は数多の帽子を巻き上げ、我々のボードは帽子を搔き分けるようにして進んでいた。
勇者は辺りを見回す。
どこもかしこも帽子が浮いている。どれも特徴的な帽子で、誰かがいいと思った帽子なのだろう。この海の上に浮かぶ無数の帽子、その光景は水平線の果てまで続いていた。
勇者はバッと海の下に目を凝らす。
そこでは崩壊した建物の瓦礫が踊るばかりだった。
その時唯一動くものがボードの下を通った。巨大なクラゲが無数の触手を光らせて、瓦礫の上を漂っていたのだった。
「あれは生きてるんだ」
と勇者。拙者は首を横に振る。
「あれは魔女特製の対空迎撃兵器だ。建物に巻き付く花があったであろう。あれでエネルギーを得ているのでな、じき機能停止だ」
「……そっか」
勇者は黙り、拙者も特にいうこともなく、そのままゆったりとボードで街の上を進み続けた。
やがて水位はゆっくりと下がっていき、ボードは海の端へとたどり着く。
☆
「忘れ物は見つかったか?」
かつてこの街で一番高い塔のあった王城は跡形もなく、周囲とさして変わらぬ瓦礫が散らばっているだけだった。
勇者はぬかるんだ地面の上を駆け回り、根気よく瓦礫をどかしては落胆するというのを繰り返していたが、傍らに立つ拙者を見て作業の手を止めた。
「この場所、どうなるの?」
勇者は辺りを見回す。地平線の彼方まで勇者の身長を越すものなど何もありはしない。無数の塔はもちろん、塀ですら跡形もない。クラゲが数体、瓦礫の上でだらんと溶けているだけだった。
「ヒョールドの毒は生あるものを殺す毒だ。そして神をも殺す毒でもある……過去の事例から見ても、確実にこの地はもう死んだ。二度と生き返らんよ」
「そうなの?」
「ああ、植物は根を張るそばから窒息死、虫は落ちて腐るだけ、人も家畜もこの毒の前では大差なし。拙者とて長居すれば死ぬ。あらゆる生物はこの地では死ぬのだ、永劫にな」
「……そっか」
勇者は立ち上がる。どこかで拾えたらしい、剣だけ持って歩き出した。
「忘れ物はそれか? 見つかったのか?」
勇者はため息をつくと、毒液にまみれて湿った髪を軽く整えて言う。
「もう、わかってるくせに。意地悪いんだから」
勇者は頭上を見上げ、その青空の中に薄く白い月を見つけると、ぴっと指さし、また歩き出した。