第一五話 ペキニィズ
港の広場で金管が猛々しく高鳴っていく。そうした音の波に隠れながら、タイミングを見計らって細く切り開いていくのは横笛だった。
金属の薄い皿をばしぃん! ばしぃん! とぶつけ、その衝突からスタートしたかのように木製の弦楽器がメロディアスに歌う。
ああ、この曲でござる。狭い部屋に閉じ込められた一匹の蠅の恐慌状態の羽音がごとく、この胸を騒めかせて奏でられるこのメロディは、そう、法国国歌なのであった……(‘Д’)
勇者がメロデイの高鳴るポイントに合わせて埠頭の船をロープでつなぐ杭の間を軽やかに飛ぶ。軽く水たまりをジャンプするかのようだ。
時には宙返り、さらに抜いた剣で地面を打ち、弾みをつけてもう一周。背の低い子どもたちには空を背景に勇者が飛んでいるように見えているであろう。観客たちの拍手は留まるところを知らない。
そしてクライマックス! 勇者は杭に片足で立つと、高さを強調したいのか不安定に体を捩じりながら剣を高く掲げる、そこで勇者は叫ぶ!
「来い忍者!」
ばしぃん! と最後の皿が打ち鳴らされた瞬間、拙者は勇者の剣の上に片足ちょこんと着地し、決めポーズに両手で忍者っぽいカンチョーみたいな印を作って見せた。
果たして、大歓声の中で拙者たちの出し物は閉幕あいなったのであった。
「ありがとう! ありがとう~!」
勇者は広場を去っていく住民たちに愛想よく手を振っていた。勇者の足元で逆さまになっている法国帽子は投げ入れられたコインでいっぱいだ。
勇者は帽子を拾い、抱えると、楽器の整理をしているミュージシャンたちに気づいて駆け寄る。
「今日はありがとね! これ、分け前! えと、どうしよっかな」
パンクなモヒカン頭の弦楽器奏者が冗談めいたわざとらしさで楽器ケースを開き、こちらへどうぞと目を瞑って手で指し示す。
勇者はそれを見てぽかんとし、くすりと笑うと、帽子をひっくり返してコインを全部楽器ケースに落としてしまう。今度はモヒカンがポカンとする番だった。
「ごめん、ウソウソ」
そう言って勇者はコインを一掴みだけして帽子に戻し、モヒカン頭を真似してわざとらしくお辞儀して見せる。
広場はミュージシャンたちの口笛と拍手に包まれた。
⭐︎
「うーん、港町っていいね~。潮の香りがする」
広場の欄干にもたれて勇者は言う。肩にかかっていた国旗がだらんと欄干にかかっていた。勇者は肩越しに海を眺め、海から吹く風に目を細めていた。
「勇者よ、何でござるか今のは」
「何でござるって、忍者もノリノリだったじゃ~ん? 楽しかったでしょ?」
「楽しむだとぉ? ふっ馬鹿なことを。拙者の感情は地獄のような訓練によって摩耗し、いつしか消え去った。今ではもう、かつてあった心の痕跡をなぞり拙者は遠いなまこを海へ……まなこを海へと投げ、帰ってこない言葉を抱いて郷愁の内へと沈んでいくのだ……勇者よ」
「なに?」
「拙者は一体何を言っておるのだ?」
「知るかっ!」
勇者は呆れたように拙者に体を背け、とうとう海と正対する。
港を入り乱れる大小さまざまな船、漁の獲物を船から引き下ろす漁師たち、はたまた海産物をさっそく売りに出す市場の商人たちも、この広場からは全部が見える。
そして反対側には、青を基調とした屋根の民家が整然と並ぶ居住区があり、その奥にはそうした港に圧をかけるように、銀色の大宮殿が控えている。
ここはペキニィズ。自称大陸一の港町だった。
「いや、忍者あれ忘れてるよ」
と海を指を差す勇者。あれとはどれでござるか?
「いやだからさ、目の前の一番でっかいあれ」
勇者に言われて拙者はしぶしぶそのでっかいのを見上げた。
幾つもの建造物を背に乗っけたような巨大な船は街に巨大な影を落とす。その大きさは宮殿を優に超えており、港に他の船と一緒に泊まるとその異質さはより際立つ。というか側壁にさざ波がぶつかってばしゃんばしゃんうるさいでござるな。音の正体は貴様であったか。
「勇者よ、あれは豪華客船という。貧乏勇者には縁なきものだ」
「うぇー、そんなー」
ガックシと肩を落とす勇者だったが、すぐにぶんぶんと頭を振って顔を上げる。
「まあ、船はともかくだよ、忍者」
「何じゃ?」
「食べるよ、魚!」
勇者は欄干から背を離し、歩き出そうとする。が、すぐに勇者の足は止まる。勇者を囲うように、広場一帯を銀の紋章を着けた兵士たちが取り囲んでいた。
「魚……」
と勇者は切なく呟く。兵士の一団から一際高いもふもふ帽子を被った男が前に進み出た。
「失礼、勇者殿で間違いないですかな?」
勇者は嫌そうにしながら男と目を合わせると、やっぱり嫌だったのか目を離し、返す。
「違います。勇者なんて子、私は知りません」
「おお! それは法国の国旗ですね! 報告書通りだ。国に誇りをお持ちなのですね、いや素晴らしい!」
「お餅? お餅なら忍者が持ってるよ?」
「ほれ」
と拙者は熱々のお餅を兵隊殿の手に乗っけてやる。
「あつっ、なぜ餅を……あちちち、はふっ、ん! よく伸びる! うん、こいつはなかなか……じゃなかった、勇者殿、ぜひ我々とご同行願いたい」
「あぁん?」
勇者は相手を怯えさせるような変顔をキメてさっそく大剣を抜こうとしたので、拙者はその手を抑えて行ってやる。
「まあまあ勇者殿。街の雰囲気を味わえないのは無念でござるが、海鮮の美味い詰め合わせは間違いなく出してもらえるぞ……それもタダで」
はぁ、と勇者はため息をついて拙者を素通りする。しかし何かが引っ掛かったのか勇者は足を止めると、目を見開いて振り返り、もう一度言う。
「は、はぁ!?」
勇者の口の端からは涎がこぼれそうになっていた。
☆
「つ、連れてまいりました!」
兵士から引き継いだ案内役の男が例をする。遅れて広間に入ってきたのは悪夢の法国国旗を両手に掲げて歩く妙ちくりんおバカ勇者と、音もなく勇者の背後を歩くすさまじい殺気を秘めた長身美形のハイパー忍者だった。
テーブルに居並ぶ大仰に着飾った貴族たちはみな動揺し、押し黙る。そんな中で立ち上がったのは、領主の一人息子にして港の商人との交渉を任されている貴公子、ツウだった。
「勇者様、お会いできて光栄です。ようこそ、テリアー宮殿へ。本日はご足労いただきありがとうございます。私の名前は……」
ツウは名乗ろうとしたが、勇者の顔を見てハッとする。
「どうでもいいですよね。ささ、そちらに座ってどうぞお召し上がりください。宮殿のシェフたちが腕によりをかけて作った品々です」
「よしきた!」
勇者は拙者にも迫る速さで席に着くと、国旗をナプキン代わりに首に巻く形で胸の前に広げ、ナイフとフォークでさっそく甲殻類の殻をこじ開けにかかった。
広間に動揺が走ったようで、ざわざわと貴族たちは隣近所で相談し合う。っていうかざわざわ超えてるでござるな。普通にうるさいでござる。発狂寸前の混沌状態かもしれん。ツウ殿も気まずそうに笑っておられる。
「あー、食べながらでいいので聞いていただきたいのですが……」
そんな前置きに勇者は口をもごもごさせてこくりと頷いた……ように見えた。おい勇者、口の端から海藻が垂れてるぞ?
「え、ウソ!」
ホントホント。
ツウ殿は困った表情で笑いながらも一応は返事をもらえたということで話を進めにかかる。
「えー、私はツウ=チャン・ペキニィズと申します。以後お見知りおきを」
「そして私がワン=チャン・ペキニィズである」
ついでのようにツウの隣にふんぞり返っていた領主も名乗る。そして口を閉じたので、再びツウが話した。
「まずは勇者殿の四天王討伐をお祝い申し上げたい。ヒョールドは我々の手に負えない怪物でした。我々のような理性では征服できない野蛮な毒、それを制した上、領地の魔物全てを一網打尽になされた。これは偉業です。我らが領地に立ち寄ったのも何かの縁、大いに祝いましょう!」
その言葉を勇者はどう受け取ったか、柔らかな白身の魚肉に甲殻のカリカリ触感をブレンドして楽しんでいた勇者が、ツウの言葉とともに咀嚼をやめ、停止した。
異変に気付かなかったわけではないだろう、しかし褒められれば人は困惑するもの、そう受け取ったツウがさらに拍手をし始め、ツウの拍手に席についている貴族たちもとりあえずはと安心し、明るい顔で拍手を送る。
勇者は喉を鳴らすと、口許の甲殻の欠片を国旗で拭い、ごくごくと水を飲んだ。すぐに給仕が水を注ぎに来る。
「ありがとう」
小さく言うと、再び勇者は水を飲んだ。そこに再び注がれた水を見つめ、勇者は切り替えたように蒸した大魚の肉にフォークを突き刺した。
少し反応に困りながらも、ツウは負けじと語り掛ける。
「勇者様、そちらの生魚もどうぞお召し上がりください。内陸の国では鮮度が落ちてしまいますが、ペキニィズでは取れたての魚がそのままいただけます。また水が綺麗なため寄生虫も少なく、種類によっては火を通さずに食べられるものもあるのです。ペキニィズならではですよ」
いや、寄生虫はあんまり関係ないでござるよ? 水が汚いと菌が湧くので危険は危険でござるが……うむ、お刺身おいひい。
「え、どれ? 生どれ?」
イスから腰を浮かせた勇者がテーブルを見下ろしお刺身を探す。その様は街を見下ろす大怪獣さながら。そして勇者は生魚を拙者の手元に見つけると舌打ちし、拙者の手元から皿をひったくった。
「そ、そんなに慌てなくても。ほら見てください、こちらも別種の魚ですが、同じようにこの国でしか味わえない生魚ですよ」
とツウが近くにあったお刺身の並ぶ皿を取って隣の貴族に回す。貴族は隣の貴族に回し、さらに隣りの貴族へ。食事中も帽子を取らない貴族伝いにお刺身は時間をかけて勇者の元へと届いた。
「ありがとう!」
勇者は皿を受け取ると、すぐに刺身を口へと運ぶ。その様におお……とどよめきが起こった。ツウが咳払いをして続けた。
「勇者様はこの街をどう思いますか?」
「え、好きだよ?」
勇者はツウの顔を見ずに応える。ツウは少し残念そうにするが、これは仕方ない。勇者は落ちそうなほっぺを抑え、感覚を舌の幸福に一点集中、その目は完全に閉ざされていたのだ!
そろそろ勇者のペースにも慣れてきたか、ツウは気にせずに言う。
「勇者様、しばらくはこの街に滞在してみませんか?」
「んー?」
「しばらくとは言わず、ずっとこの街にいてもいいのです」
「うーん」
「この街にいる限り、勇者様には宮殿のシェフたちが豪勢な料理を振舞うことでしょう」
「え、なにそれ、最高じゃん」
「でしょう、それにこの街にいるなら拘束もしません。街を散歩したり、訓練したり、市場の魚に噛みついたり、何をやってもいいのです」
最後おもっくそ馬鹿にしたでござるな。しかし勇者は気づいていない様子。ツウは場が整ったと息を吸い、本題を打ち明けた。
「実は、この街の騎士統括として十年間街を守ってきた偉大なる騎士、ピン・シャール様が四天王シンの領地、ハクルナムに武者修行に出てしまうのです。そこで、勇者様にはこの領地を、港町の人々の生活を守る騎士統括の任に就いていただけたら、と思い、今回宮殿にお呼びした次第なのです」
ツウ殿は必死に必死な顔を作って見せるのだが、残念ながら勇者は見ておらず。勇者の目はお魚さんを見つめるのに忙しいのでな。残念だな、ツウ殿よ。
それでもってこの辺で拙者が出張ってやろう! 拙者はごほんと咳払いをして言う。
「発言よろしいでござるか? ツウ殿」
「あ、はい。もちろんです」
完全にマークを外れていた沈黙の忍者が何を言うのかと皆の視線が注がれる。ふっ、人の視線、心地よし……。
「勇者殿は四天王と魔王を倒す役目を法国に仰せつかっている身。腐っても世のため人のための大儀ではあると思うのだが、そのあたりはどう考える?」
場が、沈黙する。ツウ殿は返答に困っているが、彼なりに答えを探しているのだろう、しかし有効な答えが見つからず、沈黙は悪戯に伸びていく。その沈黙を、領主のワン=チャンが破った。
「些事である」
「領主様?」
ツウは耳を疑うように父であるワンチャンを見た。ワンチャンは言う。
「騎士統括はこの領地を守る偉大な役目。他の役目のことは気にせずともよい。この話はこれで終わりだ」
あっ、へえ。
「領主様、何をっ……」
ツウ殿は険しい眼で父を見るが、しかし、その意図を察して今度は勇者に目を向ける。勇者は食べている。食べ続けている。今のとんでもない発言にも何も言わず、ただ全力でテーブル上の海鮮たちに舌鼓を打ち続けている。
ごくり、とツウ殿が唾をのむ。その額から汗が流れていく。ツウ殿は唇を震わせながら言った。
「勇者様、お受けして頂けますか?」
勇者は顔を上げた。膨らませたほっぺをもごもごと動かしながら言う。
「へぁっ? よふわはんないへど、いいんひゃない?」
「ありがとうございます!」
深くお辞儀をし、ツウ殿は即座に人を呼びつけて言う。
「勇者様の騎士統括就任を公布しろ」
ツウ殿は力なく席に着く。そして、食事を続ける幸せそうな勇者を見て気まずそうにするのだった。
☆
夕方、豪華客船の窓に反射する夕陽を見上げながら、勇者がぽつりとつぶやいた。
「忍者~、ほんとにアレ乗れないの~?」
拙者は口元が綻びそうになるのを抑えて言う。
「普通はそうでござる……ですが、なんとぉ?」
「ん?」
「今回に限り……⁉」
「おおっ!」
「チケットが二枚ここにあるでござるよ~!」
「Foo〜! 忍者Foo〜! やったー!」
拙者の指に挟まれた二枚のチケットが風にはためいている。それを見て目を輝かせた勇者が家主帰宅後の犬のように駆け寄ってきてぴょんぴょん飛び跳ね始めた。
「はっはっは、くるしゅうない、くるしゅうないでござるよ」
勇者に崇められるのもいい気分でござるなぁ。ぶっちゃけハクルナムに向かう者は割安で乗れる船でござるが、当然黙っておくでござるよ~!
ふっはっはっはっは……! ふーはっはっはっはっは……! ……ふぁーっ(以下略)
☆
法国の国歌が吹き鳴らされる。先ほど広場で演奏されたものとは違い、全ての楽器がメロディを揃えて鳴らされる、その音は豪勢に響く。
「騎士統括様、元気でなー!」
「またいらっしゃいよ、騎士統括様!」
港町の人々が冗談交じりに言って手を振る。船上のデッキから勇者も身を乗り出して手を振った。
「みんなありがとー! また来るねー!」
遠ざかっていく町民どもを眠気を堪えて見ていた拙者だったが、少し離れたところに兵士二人を発見しておっ、と口から声が漏れる。
兵士の一人がこちらを指差してわめきたてたのだが、もう一人の兵士、あの高いもふもふ帽を被った兵士がそいつの頭を叩き、巡回を続けるよう促した。そして、もふもふ帽はこちらを見る。あ、目が合ったでござるな。
うげっ、と苦いものを口に含んだ顔をした兵士だったが、すっと帽子を下げて目元を隠すと、何事もなかったように港を離れていった。