夜、勇者はいつもの三人とはぐれ、川沿いを歩き始める。堀を流れる川は黒く、勇者が見てない屋台の光も爛爛と歪め映し出していた。
勇者は川から顔を上げた。黒いポンチョの青年が手すりに体を預けて川を見下ろしていた。青年は今回はフードを被っていない。落ち着いた黒髪にメッシュの緑が髪全体に映えているのも、細く伸びて少し影の差した首筋も、背後からの屋台の明かりに照らされ勇者の前に曝け出されていた。
勇者はゆっくりと近づいていく。
「楽しいな」
青年が言う。勇者は目元を緩ませると、青年の隣に、手すりに背中を預ける。
川沿いを吹く風に二人は髪を揺らし、勇者は気持ちよさそうに目を細めた後で、青年の方に軽く首を傾けて聞いた。
「さっきの応援、あなたでしょ。私のファンじゃなかったの?」
からかうような口調だったが、青年は川を見ながらも言葉ではまっすぐに答えた。
「どうだろうね。僕は勇者のファンだ、それは間違いない。でもあの瞬間は、ネギに何かを伝えたくなった」
「それで頑張れなんだ」
「そうなった」
青年はようやく川から視線を剥がし、勇者の方を向く。二人は気恥ずかしそうに微笑み合う。
「この街、楽しいよ」
勇者が言う。
「そうか」
「みんな楽しそうだし」
「そうかもな」
「ねえ、あなたは私とよくつるんでる三人を知ってる? ミカヅキとシャールとカウリス。まだ二段と三段なんだけどね」
青年はしごく自然に言う。
「把握はしてるよ」
「みんな私への暗殺依頼を受けちゃったんだって。でも勝てないらしくてさ、私を倒すためにこの街で修行するぞー! って意気込んで来たはいいけど中々上手くいかないみたい。それでみんな、四苦八苦しながら頑張って修行して、仕事もして、屋台で美味しいもの食べて、生活して……」
青年は少し勇者を見つめ、結局は「ああ」と短い相槌をはさむ。勇者は青年と目を合わせ尋ねた。
「あなたがシンだよね。シンはあの三人、これからどうなると思う?」
青年、シンは正体を当てられたことには無反応で、ただ少し考えたあと、一般論としての予測だけど……と前置きして質問に答えた。
「三人とも努力すればそこそこは強くなると思う。でも勇者には勝てないし、勇者がこれまで簡単に倒してきたネギやツクシはもちろん、ビサラやヨクルゥガなんかにもまともに戦えるまでにはならないんじゃないか?」
勇者はそれを聞いて少し嬉しそうに頷くと、再び川の方を向いて言う。
「普通だね」
「まあ、大抵は普通になる」
シンは勇者から目を逸らそうとせず、続けて聞く。
「君が気にする必要があるのか?」
「いやぁ、ないってわかってるんだけどねー。気になるって感じ」
シンは頷くと、屋台の方を指差した。
そこには子供相手に射的ゲームの案内をする牛さん顔の魔族がいた。
「似合ってるだろ?」
突然何を言い出すのかと警戒しながらも、勇者は魔族の方を見つめる。牛さんの見た目は一般的には怖いのだろう。体の大柄さもあり、ブスッとしていればいかつさが目立って魔王のようですらあった。
けれど牛さんは膝を折って笑みを浮かべ、子ども相手に努めて柔らかな声音でしゃべっているようだった。
「あれは四天王の僕を倒すと言ってこの街に入ってきた正義漢でさ。今は四段。仕事してる姿が似合ってるって僕が言うと怒るんだ」
勇者は言葉を失くし、牛さんとシンを交互に見つめた。
「勇者。勇者は強い。勇者が三人にとっての壁であることは間違いないよ。でも壁は人の歩みを阻み続けられない。壁はそこにある。でも人は生活するから……」
言葉に詰まり、シンは俯く。だが、勇者はわかったようだ。勇者は手すりにだらんとしなだれかかり、潰れたほっぺたをだるそうに動かし言う。
「なんかさぁ、私、三人の人生を滅茶苦茶にしちゃったのかなって悩んでたっぽいんだけど……傲慢だったっぽいかな」
「まあ、そうだ」
シンは慎ましやかに直球で言った。
「言うじゃん」
勇者が顔を起こす。シンは取り合わない。勇者ははぁとため息をついて手すりに顎を乗せた。
「この街がシンの居場所なんだ」
やや唐突な勇者の言葉だったが、それに対してシンの答えはこうだった。
「さあね」
「お?」
顎を手すりに着けたままでシンに目をやる勇者。シンは困ったように眼下の川へと目を向けた。
「みんなが楽しそうだからさ、それを見てるとこれでいいんじゃないかって思える時はある。でも、本当に自分が求めてるものはわかってないから、自分でももう、何が何だかだ」
勇者は軽く唇を尖らせ、目の前の川に放るかのように言葉を紡ぐ。
「わっかんないなー。こんなにすごいものを作った本人が、仲間はずれになっちゃうんだ」
「そうだね。自分でも不思議だ」
二人の間には軽い空気が流れ始める。シンが付け足すように言う。
「まあ、僕だけでつくったわけじゃない。街を舞台とすると、その大枠を用意してくれたのは魔女だ。ネギもそうだし、みんな自分ごととして街の住人を演じてくれている。ただ、僕は王さまの役を上手く演じれない」
そして、シンは続けて言った。
「この茶番に、乗り切れないんだよ」
勇者が目を見開いてシンを見つめる。やがてその顔は嬉しそうになる。
「シン、なんかヒョールドさんみたい」
今度はシンが驚いたように言った。
「僕があの人と? いやそれより、勇者は敵にさんをつけてるのか」
「いいでしょ別に」
「ああ、いいよ別に」
二人はしばらく川を見下ろし、やがてシンから別れを告げてその場はお開きとなった。
☆
快晴! 街には四天王戦の幟(のぼり)があちこちに上がっていた。黒と緑の幟には軽く肩を引いた半身で淀んだ目線を正面に据えたシンの姿が。そして青に淡く滲む白の幟には剣を肩に担ぐどや顔勇者の姿がプリントされている。
マントで顔を隠した勇者が中央広場のモニターを見上げたぞ! そこには勇者に代わってインタビューを受ける美しき勇者研究家の姿が!
「そうですねー、えー、技術ではー、明確にシンが上でしょうなでござる。勇者といえども翻弄されることは間違いない。しかし最後には勇者が勝つでしょうなー……動きで翻弄はされても勇者は自らを見失わんでござるからしてー、最後にはシンも捉えるでござるよー? ええ、ヒョールドもそうやって敗れたのですでござるからして。この街には悪いでござるが、四天王の陥落は決まったも同然。賭けるなら勇者安定でござるからしてぇ……!」
これにモニターを見上げていた市民たちが怒りの声を上げた。
ふざけんな!
何が勇者研究家だ!
こんな奴にシン様の何が理解できるってんだ!
これは間違いない、今が勝負の時! 拙者は空に向けて叫んだ。
「みんな! 俺はシン様に賭けるぞ、全ベットだ! 勇者も研究家も見返してやろうぜ!」でござる。
民衆の進むべき方向がこれできまった! ざわざわとどよめきが広がった後、拙者に続く声が次々と上がったのだ。
そうだ、みんなでシン様に賭けよう!
シン様を信じて応援するわ!
俺、今まで賭けなんてやったことないけど、これはむかつくよ……シン様に賭けてくる!
とかなにやら立ち上がった人までいる様子。広場はシンへのエールで埋まり、実際に投票所へ向かう人の動きもぞろぞろとみられた。
きひひ……人が金のようだ……!
「悪い顔してる」
勇者が拙者の顔を覗き込んで何か言ってきたでござるな。拙者はぷいと勇者から顔を背けた。
「でもまあ、俺もあんたに賭けたよ」
ちょうどやりとりを見ていたミカヅキが勇者に告げる。
「私もですぞ。勇者殿を倒すのはわたくし、シャールにございます」
自己紹介も兼ねてシャールが続き、カウリスが親指を立てサムズアップして見せる。はぁ~、こいつら敵のくせに調子いいでござるなぁ。そんなに金が大事か。まったく、武道家が聞いて呆れるでござるよ。
しかし勇者はこれが嬉しいらしい。ニマニマと表情を崩して三人に言う。
「えへへっ、ありがとうみんな。応援してくれて」
ミカヅキが得意げに笑って返す。
「おう、お前を倒すのはシャールじゃなくてこのミカヅキ様だ。それまでは四天王なんかに負けんじゃねえ」
次にはシャールが。
「勇者様の人格はともかく、強さには全幅の信頼を置いていますよ」
で、カウリスが頷くと。勇者は朗らかな笑みを浮かべて三人に手を振った。
「じゃあ、そろそろ時間だから……勝ってくるよ!」
三人も明るく手を振り返す。
では拙者もそろそろ……お暇しようとしたとき、ミカヅキがそれを目ざとく見つけ、広場全体に聞こえるよう叫んだ。
「みんなー! ここに勇者研究家がいるぞー!」
なにぃ! ミカヅキ貴様、裏切り者め……!
「いやあ、なんっか気に入らねえんだよなー、おめえのこと」
ミカヅキがニヤニヤと笑って拙者を指差す。
広場にいた群衆の視線は今や、ミカヅキの指差す拙者に集まっていた!
殺せえ! 捕まえろ! どこだぁ! と野蛮な声も聞こえてくる。
「カウリス殿、行きますぞ!」
群衆の動きに先んじて、シャールが拙者を捕まえようと走り出す。カウリスも後に続いた。
ふっ、雑魚どもが……調子に乗りおったな。
拙者は芝の上のアスリートの如き膝スライディングイナバウアーでシャールの脇をくぐり、ついでにズボンの裾を掴んでシャールをひっくり返す。続いてあまりに殺意の高いカウリスの顔面キックをさらなる深度のイナバウアーで躱し、カウリスの足の着地にピッと手を出してカウリスも転ばせる。
拙者はすっくと立ちあがり、寝そべるカウリスに美麗低音ボイスで言った。
「おねんねのじかんでござるよ、ベイビー……」
拙者はカウリスの腹をぐっと踏みつける。
ぐえっ! と醜い声があがり、カウリスは悶えて地面の上を転がった。群衆が叫びながら迫ってくる……ミカヅキ、カウリスを助けたれでござる~、ではさらば!
ドロン!
拙者は消え、後には白い煙だけが残った……。
☆
会場の客席は東西のゲートを境に緑と黒で綺麗に別れており、みな服の色を揃えてシンを応援しようという意気が見られる。それでも実況席下のモニターから続く二階席と三階席の間の側壁には、中央舞台を囲うように、勇者とシンの旗が交互に設置されてはためいていた。
実況席で、包帯を頭に巻いたネギが静かにマイクを取った。
「メインイベント……ついにこの日が来てしまいました。勇者上陸からあっという間でしたね。ヒョールド様に勝利したという前情報もあり、皆さん、一度は頭をよぎったのではないでしょうか。ええ、本当に、実現されそうになっています」
ネギは俯き、一度大きく息を吸う。モニターにでかでかと映されたネギが淑やかな表情で手を伸ばし、その示した先のゲートの入り口にスポットライトが当たった。
「人類の希望、最強の挑戦者……とは誰も思ってないですよね。東ゲートより、インヴェーダー、勇者」
焚かれたスモークの中から普通に歩いてくる勇者。大剣を肩に担いでいるもののガラの悪さはなく、ただまっすぐに歩き、まっすぐに舞台を見つめている。それを見下ろし、ネギはほほ笑む。
「でも、私の友だちです。勝っても負けても幸せでいてくださいね」
勇者は実況席を見上げ、笑って小さく手を振った。ネギも答えるように控えめに手を振る。
「対するは、私たちの王にして魔王軍四天王でもあります。あらゆる武術をマスターしたと言われる武術家たちの頂点、私たちの居場所……西ゲートよりその姿をお見せください。シン様」
スポットライトに照らされた白煙の中からシンが進み出る。服装は街で会った時と変わらない。元々動きやすい服なら何でもいいのだろう。シンもまたまっすぐに進む先を向いていた。
「この戦いでは私は実況しません。この物語はこの街に住む皆さま一人一人が直接受け取るべきものだからです。そして何より、私の声が勇者やシン様に届いてしまうことが私には恐ろしい……お二人のお好きなタイミングで始めて頂いて構いません。どうかお二人とも、ご武運を」
そこでマイクが切られ、ネギのいる実況席の明かりが消えた。モニターにはお互いに手の届く距離で対峙する勇者とシンの姿があった。