フードを顔で隠した勇者が夜の街を進んでいる。相変わらず市街は夜店の連なりに眩い明かりに包まれていたが、すれ違う人々はみなどこか浮かない顔をしていた。
呼び込みの声を張り上げる商人たちも一見すれば何も変わらない。しかし、彼らの明るさ、ひいては街の明るさ全体が、今夜に限れば空回っているように見えるのだ。
目に涙の跡を残して少年は眠り、母は少年を抱いてどこかへと歩いていく。母の顔は険しかった。
「ま、そうなるよね」
勇者は親子を目で追いながら呟き、また足を進めた。人ごみの奥に立ち止ってる女がいた。女は黒のパーカーにフードをかぶり、迷子の子どものように地面をじっと見つめていた。
「ネギちゃん」
勇者は女の前で立ち止る。女はネギだった。ネギは頬を赤くし、腫れぼったい瞳を勇者に向けた。
「ああ、勇者。宿の方にいないから時間を潰してたんだ。でも……」
ネギは続けようとしたようだったが、上手く言葉に出来なかったようだ。硬く拳を握り締めるだけだった。
「いいよ、無理して言わなくても。それより私に何の用? どこかでゆっくり話してみる?」
勇者の助け舟は有効だったようで、ネギは表情をやわらげて頷いた。
☆
この街に着いたのは夜だった。けれど今夜、港は沈黙している。最低限の街灯に道を照らされ、明るく虚しく、街の喧噪も堤防の向こう側に仰ぎ見て、勇者とネギは港を並んで歩いていた。
「もう大丈夫なの?」
優しい口調で勇者が尋ねる。
「うん、ありがとう」
ネギは頷くが、その目は潤み、今にも泣きだしてしまいそうだ。ネギはぽつり、ぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「勇者と戦った時……ううん、本当は実況席で見てた時からシン様でも勝てないってどこかで気づいてた。でもシン様が負けるはずないって思いこもうとしてた。勇者を見てきたこの街のみんな、そうなんじゃないかな」
ネギの揺れる瞳が海へと向かう。見るものを定めた視線は暗い海の向こうへとまっすぐに進み続ける。
「シン様だってそうだよ。私なんかがわかるんだもん。シン様に勇者の強さがわからなかったはずがないんだ」
ネギは海を見るのを中断し、振り返って勇者を見た。
「ねえ、勇者にはわかる? シン様、何を考えてたの?」
それに対して勇者は……まだ陸上にもかかわらず勇者は視線を泳がせまくっていた。
「……勇者?」
「な、なにかな~?」
「なにかな~ってなんだよ! なにかな~って! 嘘、勇者何か知ってるの?」
「ししし、知らないよ~。勇者何も知らない~」
「言え! これは大事なことなんだ! 言えっての、こらっ! 」
ネギが勇者の襟首をつかんで揺するが、勇者はぎゅっと目を瞑って口を真一文字に引き結ぶ。ネギは勇者の顔を凝視し、何かに傷ついたかのように勇者を離した。ネギはぼそりと一人ごとのように言う。
「ごめん、取り乱した」
「気にしなくていいよ……うん、私が悪い」
勇者は歩きながら軽く襟を正す。二人はしばし港を歩いていたが、ずっと言葉を探していたらしい、ネギがようやく切り出す。
「そっか。勇者は知ってるんだ」
ネギが小さく笑みを浮かべて頭上を見上げた。街の明かりは星の光の一つ一つを塗り潰すように、夜空全体を淡く滲ませる。ネギはそんな夜空が眩しいのか、顔の前で手をかざした。
「昔、あの人に救われたんだ。つぶれそうな時にさ、私が頑張ってるってことをシン様だけが見てくれてた。私ね、歌を歌ってるでしょ? それと実況もして、戦って、この街を盛り上げ巻くってさ。シン様ってずっと一人で寂しそうじゃん? だからあの人にもこの街を楽しんでもらいたかったっていうか、何か、何かをさ……」
潤んでいたネギの瞳から滴がこぼれ、ネギは目を見開き慌てて頬を袖で拭う。
「何かを、返したかった」
感情をせき止めて押し出されたネギの声……しかし勇者は頭の後ろで両手を組み、夜空を見上げていた。
「そうかなー」
勇者のぶっきらぼうな声にネギは顔を上げる。
「この街から……特にネギちゃんから貰ってたもの、あると思うよ。シンはさ」
ネギの凝視に気づき、やべっと再び勇者は視線を泳がせまくる。そんな勇者を見て、ネギはふっと笑みを浮かべた。
「もういいよ」
「え、いいの⁉」
言葉を真正面から受ける勇者である。しかしネギはそれも勇者らしいと頷いた。
「シン様の真意はわかんないんだけどね。でも、私の言葉に勇者は抗議してくれた。私を励まそうだなんて優しさ、欠片も見せずにさ。それがシン様だって勇者は本気で思ってるんだね……うん。それはもう、信じるしかないよ」
ネギの浮かべた笑みに勇者も困惑しながら笑みを返す。ネギは数歩勇者の前に進み出た。
「じゃあね、勇者ちゃん。今日は話せてよかった。またいつか、ね」
「うん、おっけー。またいつか」
勇者が手を振る。ネギは踵を返し、港を歩いていく……と見せかけてUターンダッシュで戻ってきた。
「あっぶな! これを言うために勇者ちゃん待ってたのに、忘れるところだった!」
ネギは勇者の肩を掴み、自分の身を落ち着かせてから言った。
「勇者ちゃん、落ち着いて聞いてね。聖バーナード法国は今、他国から宣戦布告を受けまくってて戦争状態にあります」
「相手は?」
「相手は……んえ? あんまり驚いてない感じ?」
「いいから教えてよ」
勇者がネギの肩を小突く。ネギは肩をじっと見つめ、すぐ頭をぶんぶん振って言った。
「魔王軍と、あとブルードゥクを始めとした人類国家連合軍!」
勇者の目がキョトン顔になった。
「え、なにそれ? 魔族と人類はずっと戦争してたんじゃないの?」
「そうなんだけどね、世界の癌を一掃するために一時的に停戦協定を結んだんだよ。そんですぐ共同戦線」
「へぇ、そっかぁ」
少しだけ暗い笑みを浮かべる勇者に、ネギが頭を下げた。
「勇者、ほんとごめん! 実は私、全部知ってたんだ。魔王様から命令を受けてた、シン様と一緒にこの街で勇者を足止めしろって……それで私」
「いいからいいから」
再び泣きそうになるネギの頭を勇者がぽんぽんする。ネギは勇者の顔を見て、再びまくしたてようとする。
「船を確保してるんだ、勇者早くっ……」
言葉は続かなかった。勇者が人差し指でネギの唇を塞いだからだ。
「今日はもう眠いし、宿に帰って寝るのを楽しみにしてたから」
「へ?」
「また明日ね」
そうして帰ろうとする勇者の背にネギは呼び掛けた。
「で、でも」
「要は世界中から攻められてるんでしょ? ざまあみろじゃん?」
勇者はさらりと言うと今度こそ宿に向かって歩き出す。
☆
通りに面した宿の三階では明かりは消されていた。その一室では窓は開け放たれ、夜風が部屋に吹き込んでくる。勇者は窓枠に片膝を立てて座り、人々が通りを行き交う様子を見下ろしていた。
一人にも関わらず、勇者は呼び掛ける。
「ねえ忍者」
「なんでござるか?」
サッと美しく拙者登場。
「はぁ、なんでおんねん……」
勇者は自分で呼んでおきながら頭を抱える。
「忍者知ってた?」
「当然でござる。で、何をでござるか?」
「私の故郷。今攻められてんだって」
「ああ、把握しておったぞ。法国は拙者も嫌いなので滅んでヨシ! でござるよ~」
「はは、そか」
乾いた笑いを浮かべる勇者。勇者は膝を抱え込み、腕の上に顔を埋める。
「面倒くさいな。行きたくないよ」
「ならずっとここにいればいいのではないか?」
拙者は歩き、窓の前に立つ。勇者がほんの少しだけ顔を上げてこちらを見た。
「新しい四天王としてここにいるのもよかろう」
「シンみたいに?」
「ああ、悪くはないだろう。シンやヒョールドを見れば分かると思うが、魔王の命令が絶対でもない。四天王は各々領地で好き勝手やっている。そうした好き勝手出来る状況を守るためにこそ最低限魔王に協力する必要もあるが」
「魔王ねー」
勇者は下で行き交う人々を見下ろし、ぽつりと言う。
「仲良くなれるかな」
「意外と、気は合うのではないか?」
「忍者がそういうならそうなのかもね~」
心ここにあらず、そんな風に投げ出された言葉が光に浮かれた夜空へ漂っていく。勇者が突然笑って言った。
「そういえばお前って私の暗殺者なんだっけ。忘れてたわ」
「そうだぞ。ちなみに拙者の算段では魔女殿に倒してもらう予定だ」
「へえ」
勇者はため息を交え、言う。
「なんかいいね。みんな動いてて」
☆
早朝から港は活気づいていた。船が次々と出入りし、町民たちの張り上げる声があちこちで聞こえてくる。
そんな港のふちっこもふちっこ、堤防の角に女は座り、鼻歌を歌い足をプラプラさせていた。
遠く、海の向こうを眺めていた女だったが、堤防の下で何者かが歩いてくるのに気づき、足を揺らすのをやめた。
海風が吹いて、女のアイスクリームの髪留めでまとめられた前髪が揺れる。女は口元をほころばせ、堤防から飛び降りた。
☆
「ここであってるの? 誰もいないけど」
人目を避けるように堤防沿いを歩き、港の縁っこまでやってきたのは我らが勇者である。見送りはなし、当然である。
「うるさいなー。みんな訓練したり、お仕事したり、忙しいんだよ」
「それがなくても見送りには来ないであろう」
「なにを~! わかんないじゃん、そんなこと。めっちゃ眠かったのかもしれないし」
「勇者がそれでいいならもういいでござる」
拙者たちは同時に足を止める。堤防の上に座る女が足をプラプラさせていたからだった。女はこちらに気づくと、堤防から飛び降りてくる。
得意げな顔で勇者をじろじろと覗き込む女に、勇者は言った。
「えーっと、どちら様?」
女がすてんとすっ転ぶ。あ、リアクション芸人枠でござるなこれは。
女は涙をたたえた顔で屈辱に歯を噛みしめながら、中指と人差し指を立てたポーズをとる。
「に、
どこかで見た時とは違って瞳をプルプル震わせながら女が言った。
「あー!」
勇者は思い出したらしい。女を指差して言った。
「九段戦の忍者!」
「そうそれです! ツクシですよ~!」
女が嬉し涙を流してこくこく頷いた。勇者がわからなかったのも無理はない。今日のツクシはあのエセ忍者衣装ではなく、ぶかぶかのカーゴパンツになんかこじゃれた魔術言語のプリントされた白シャツを着ていたのだ。あとついでに鼻にガーゼが引っ付いておるな。これはよいか別に。
「え、ツクシちゃん、どうしてこんなとこに?」
「いや~、ネギ様からの依頼を二つ返事で受けたらこれだったっす。勇者様を法国までお連れしろって。あとしばらく護衛でくっついとけって。最悪ですよもぉ~」
ツクシは首を傾けてにぱっと笑う。あざとウザいでござるな。拙者の不穏な感情を読み取ったか、ツクシは拙者の方を見て言う。
「先輩もよろしくお願いしますね☆」
「貴様のような雑魚など不要。帰れでござるよ☆」
「ひっどい言われようっすね⁉」
うえ~んとツクシが勇者に泣きつく。勇者はツクシの頭をよしよししながら拙者に言う。
「そんないじめなくてもさ。ほら、ツクシちゃんも。これからよろしくね」
「う、うぅ……よろしくっす」
勇者とツクシが軽いハグのあと体を離す。ツクシは勇者から少し離れ、海の方を示して言う。
「では見ててくださいね~」
ツクシはパチンと指を鳴らす。ボンッとあの間の抜けた音が響き、海の上に白煙が広がった。海風に吹き去られた煙の後に出てきたのは二階建ての大型クルーザーだった。
「すごーい!」
勇者が船に駆け寄る。船の側面にはツクシの髪留めと同じ馬鹿みたいなアイスクリームのプリントがでかでかと貼られている。
「へいへーい、イッツにんじゅーつ!」
「マジックであろう。こんなものは忍の暗殺術ではない」
「忍術ですよ~! もう、先輩意地悪いな~」
忍者はぷいと拙者から顔を背けながらも復活したどや顔で、親指を船に向けて言う。
「さぁ、操縦はツクシにお任せ! 乗り込んでくださいっすよ!」