「すいませんでした!」
突然頭を下げ、事情を話し出した勇者を副将軍はけげんな表情で見守っていたが、じきに表情は真剣なものになる。
勇者が話し終えて反応を窺うように頭を上げた直後、今度は勇者よりも深く、副将軍が頭を下げた。
「この度は誠に申し訳ありませんでした。話を聞く限りですが、私が勇者殿を便利に使おうとしてしまった代償を払わせてしまったのでしょう。辛い役目を負わせてしまいました。同時に感謝もしなくては。この村の併合に恐らく多くの死者は出ますまい。よその村との交渉についても勇者様の持ち帰った情報が大きな価値を持つでしょう。勇者様は忍び殿の報告書作成を補佐して頂ければ、我々の契約は履行されたものとして報酬はお約束します。ですからまあ、一度おやすみください。酷い顔をしておられますから……」
☆
「謝られちゃったな」
宙に放ったような勇者の言葉が長い廊下に響いていく。
厚みのある白亜の壁に覆われた廊下は薄暗く、どこまでも続いているようだった。一定の間隔で壁をくり抜かれて作られた窓からは細長い陽光が差し込んでいる。
壁に沿って置かれた無駄につるつるした大理石の硬い長椅子に勇者は座り、ぷらぷら揺らす足先を目で追っていた。勇者は足で勢いをつけて立ち上がり、窓の方へ歩いて行って外を覗いた。
上から街を見下ろしてみると、白い方形の建物が整然と区画ごとに並び、それらを真っ白な平らな切り石の道が束ねているように見える。
街の上空には、空の青に霞みそうな白い月が浮かんでいた。
「街は綺麗なんっすけどねー」
勇者の背後から身を乗り出してツクシが覗き込む。勇者は笑って言う。
「人の心は薄汚れてるって?」
「そうっす! あいや、冗談っすよ?」
ツクシは勇者に笑顔で睨まれすすすと身を引いた。
拙者とツクシがカチャカチャと手裏剣の品評をし、勇者は手持無沙汰に一人で立って窓を見ているうち、重厚な扉がゆっくりと開かれる。中から呼び出しの声がかかった・
「じゃ、行きますか」
拙者たちが立ち上がるのを待って、勇者が言った。
☆
扇状に広がっていく白い巨大空間の奥には階段が続いていた。階段の両脇には段ごとに作られた丸い足場が連なっており、偉い順なのか、そこには白の法衣を纏う男や女がやたら背もたれの高い大理石の椅子に腰かけている。
階段の頂点には、より高く、より硬そうな椅子に教皇が腰かけている。教皇は他のメンバーよりも青みがかった重厚な白の法衣に袖を通し、白く濁った石の埋め込まれた皇冠を頭に被せていた。
しかし、勇者が見ていたのはさらにその奥だろう。教皇の背後に広がる透明な硝子壁。雲の薄くたなびいていく青空と貝殻のような白い月。
恐らくは月の移動を捉えられるよう、こうにも巨大な硝子になったのだろう。これを見ればこの教皇の間の巨大さも、結局はその硝子の巨大さのためなのだとわかる。
冷たく響く足音とともに、勇者は階段の手前まで来る。拙者とツクシは美しく洗練された動作で勇者の背後に膝をついて顔を伏せた。
(ばっちりっすね、先輩!)
(これは決まってしまったでござるな)
横目でニヤニヤ笑い合う拙者たちに遅れ、勇者は肩に掛けた国旗に身をくるめるよう、膝をついて顔を伏せ、小さくなった。
「勇者、ただ今聖バーナード法国首都、ミズァウネに到着致しました」
勇者にしては仰々しく宣言する。それを聞き届けて教皇が合図すると、階段の足元に立っていた、法衣の上からでもわかるほどのムキムキマッチョ眼鏡な男が手元の書類を見て話し出した。
「うむ、勇者の旅は順調で何よりである。四天王ヒョールド、及びシンの討伐ご苦労であった。教皇様も勇者の活躍を喜ばしく思っている」
「はい」
勇者は畏まった声で頭を下げる。それを見届けてマッチョ眼鏡は続けた。
「えー、それで、本日勇者がミズァウネに顔を見せたのは法国に押し寄せる敵軍を打ち払うべく、我が国の軍と連携を取るため、ということでよいか?」
「いいえ」
「そうか、ならば……なに? 勇者、今なんと言った?」
「いいえ」
繰り返される否定に教皇の間にざわめきが起こった。拙者は隣のツクシを確認する。ツクシは頭を下げたふりをしながらその場にいる面々の顔を一人一人じっくりと観察しているようだった。
「ならば何のために戻って来たか⁉ 答えよ!」
階段の上の方にいる女が激昂したよう人差し指を勇者に向けた。勇者は特に顔も上げずに告げる。
「降伏勧告のためです」
一瞬ざわめきが消えた後で、罵詈雑言が勇者の頭上から降りかかる。女は口を開いたまま持ち上げていた腕を自分の腿の上にぽとんと落とす。勇者は少しの間言葉を待ったが、答えられる類の言葉がいつまでも来ず、結局自発的に続けることにしたようだ。
「えー、細かいことは忘れたので、部下が話します」
自発的に続けると言ってしまったが、これは嘘であったな。しかし勇者に部下などおらんぞ? いったいどうするつもりだ?
拙者が疑問に思いながら勇者の背を見つめていると、勇者の背中の国旗の隙間からすーっと隠れて勇者の手が拙者の方に伸びてくる。
なんだこれは? と拙者が見ていると、手は拙者のすねの前で中指と親指でわっかを作り、拙者のすねをぴんっと弾いた。
「ぎゃああああああっ!」
折れたっ、折れたでござる! 拙者はすねを抑えて立ち上がる。勇者がすかさず言った。
「今荒くれ物の部下が説明しますので、お静かに」
既に拙者の雄たけびで黙らされていた階段上の面々だが、勇者の言葉で奴らの視線が拙者に集まった。
やばい、涙が……だが、次第に静まった空気と視線も痛くなってくる。これはどっちが痛い……? だが拙者も一流の忍びゆえ、肉体の痛みは我慢、我慢でぃ……!
「えー、こほんでござる。あー、要求を告げる(低音イケボ)……。聖バーナード法国の現統治者は、現統治者が持つ全ての土地と国民に対する権限をブルードゥク国王・及び魔王の両者に明け渡すこと。今後はこの両者による国家運営を行う。両者が現統治者に保証するものは平和、信仰、そして一部統治者。国家運営に関わらない形での宗教の存続を両者は許すものとし、法国の現統治者の一部を協力者としてブルードゥクの政権に迎え、一定期間の統治後、ブルードゥク現地統治者としての地位を与える……でござる」
拙者は申し終えた後、美しき所作にて片膝をつき、体を丸めるようにして頭を下げてすねを全力でさすりにかかった。
一方、階段上は静かなままだった。
「……何か返答をいただきたいのですが」
せっかち勇者の催促にマッチョ眼鏡がハッとして声を上げた。
「では、一度勇者は退席、勇者の今の言葉をこの場の皆様方で検討――」
「なりません!」
先ほどの女が再び声を上げた。
「もう答えは出ています。結局勇者だのなんだのと持ち上げてはみたものの、根っこが芋くさい小娘ですからね。動物ですら育ててもらった恩を忘れないというのに」
「そうだ!」
と今度は何やらパイプがあちこちに伸びてるようなエキゾ法衣の男が続く。
「今の言葉が検討に値するものとは思えん! 力があるだけの女に法国の名は重かったと言わざるを得ない!」
「勇者の名を剝奪しろ! このような間違いを放置してはならぬ!」
まあ、まともではないが、まだまともっぽかったのはこの辺までだったということだろう。感情的な罵倒に勇者を逮捕するよう求める声が次々と上がって聞き取れない渦になる。
マッチョ眼鏡はもはや勇者に背を向けて、ヒートアップする階段上の輩に静まるよう訴えていた。
「ツクシ」
そんな中で、勇者はツクシの名を呼ぶ。
「オッケーっす! 勇者様はそのままの姿勢で!」
ツクシがばっと立ち上がる。歯を見せるような軽い笑顔と共に腰を落とし、手のひらを上に、そこにもう片方の手のひらを重ねる間際、袖から両手の合間に手裏剣の影が降りてくる。
ツクシが手を擦る。同時に凄まじい速度で手裏剣が射出されていく。
罵倒は一瞬で静まった。事態に気づいたマッチョ眼鏡がショックを受けながらも勇者の方へ歩み寄る。
「な、なんてことを……」
勇者は立ち上がると、マッチョ眼鏡に向けてしーっと人差し指で口を塞ぐ仕草をして見せる。
「なんとかなる。最後まで頑張ってたあなたならね」
勇者の言葉がどう届いたかはわからない、が、マッチョ眼鏡は歩き去る勇者を追わなかった。勇者は階段を上っていく。
その途上に、一人だけ手裏剣の刺さってない女があわあわと辺りを見回し口をパクパクとさせていた。
「勇者様、私、私……!」
「あなたも大丈夫」
勇者は椅子から立ち上がれない女の太ももに手をトンと置こうとするが、女の表情を見て思いとどまり、軽くほほ笑んでまた階段を上がる。
勇者は立ち止り、一人の男を見下ろした。背もたれの高い、硬い椅子に座って勇者をまっすぐに見上げる男……教皇だった。
「場所を変えませんか?」
勇者の言葉に教皇は穏やかな表情で頷いたのだった。
☆
教皇の間のすぐ上、月の塔の頂上にして柵も出入り口も作られていない、屋上ともいえないただの真っ平な建物の頂上に、勇者と教皇は並んで立っていた。
「……まさか、この塔にもまだ知らぬ場所があったとは」
教皇はそんなことを言って建物の縁へと歩き出す。
「あんま調子乗ると危ないよ」
そう言いつつ勇者も付き添う。
「なに、私は教皇なのだから、これくらい調子に乗っても怒られんさ」
教皇は縁に辿り着くと、軽く下を覗き込む。月の塔の周辺は広場となっているが、今は戦時中でのどかに歩く人もいない。教皇は下から吹き上げてくる風にあおられて目を閉じ、両手もぐっと上に、気持ちよさそうに伸びをする。
「ここ、私のお気に入りなんだよね」
勇者の言葉に教皇は目を閉じたまま答える。
「なんだと、それはずるいな」
「でしょ? 昔からさ、なんか疲れたときに一人でここに来てたんだ」
「ますます許せん。あの間こそがこの世界で一番月に近く、私こそが一番月の光を浴びていると思っていたのに。私のすぐ頭上には勇者がおったか」
「ま、そういうこと。お月様は私みたいなのにも寄り添ってくれるんだから。独占は諦めてよ」
二人の視線は釘付けされたように遠くの白い月へと向けられている。教皇の背中は少し萎んだように小さくなる。
「そうだな。認めがたいが、もはや状況が私の野望を許さない。いや、そもそもそうだ。勇者の言うような月だからこそ、私は月に惹かれたのだった」
そうして、教皇は皇冠を頭から外し、ことりと軽い金属音を鳴らしてその場に置く。
置かれた冠を見下ろし、勇者は教皇に尋ねた。
「どこで間違っちゃったの?」
「そうだな……私もずっと考えていた」
教皇の目が月へと吸い込まれるように遠くへと向かう。
「言い訳になるが、初めから向いてなかったのだ。私は人と話すのは好きだ。たくさんの人と話をして、相談に乗って、元気づけて、実際に些細な問題を解決するために街中を走り回ったこともあった。小さな教会でそんなことを繰り返すうちに、法衣が重たくなっていったよ……殺されてしまったが、あの場にいた者もみな、昔は生き生きとして民のことを考えていた良き為政者たちであった。たぶん、私だけじゃない。みな何かが違う、こうなるはずではなかったと違和感を抱きながら日々を生きていただろうな」
勇者はふぅん、と頷いて口を挟む。
「それはいい人なあなただけじゃない?」
教皇は苦笑して言う。
「私がいい人なら、いつまでもあの椅子に座っていられるものか。私は罪人だよ」
教皇はようやく月から目を離し、勇者に顔を向けた。
「勇者、戻って来てくれてありがとう」
勇者は体を月に向けたまま、顔だけを教皇に向ける。
「この国を、壊してくれてありがとう」
教皇は懐から魔術銃を取り出す。
「そしてさようならだ」
勇者が反応し、その腕を跳ね飛ばす。
「あっ」
勇者は自ら剣を振るっておきながら驚いたような顔をし、次いで教皇の顔を見る。それで勇者は苦い表情でもう一度、剣を振るった。
教皇の首が飛ぶ。首は転がっていって塔から落ちそうになるが、その直前に勇者が止め、倒れた胴体の傍らに置かれた。勇者は一緒に銃を取り除いた腕も置く。
勇者は眼下に街を見下ろす。月に向かって銃を構え、引き金を引くが、カチッと機械の嚙み合わさる音が鳴っただけだった。
勇者はしゃがみ、横で倒れた教皇の遺体を見てため息をつく。
「下のみんな、まだ誰も知らないんだよね」
勇者はうんざりしたように項垂れた。