朝月の勇者   作:遥海みしん

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第三七話 夢を見る街

 がたん、と電車が揺れる。厚ぼったい床からつり革の間、だらしなく伸びた私の体が揺れる。

 

 この語りは私? 今、私を語ってるの? 私に、は、は、は、、、私よりも語らなきゃいけないもう一人の私がいるっていうのに。

 

 今は……砂漠にいたんだ。

 

「ねえ」

 

「なんだ?」

 

「世界の果てかなんかかなあって、ずっと思ってたんだけど」

 

「まだ思うか?」

 

「もう思わない」

 

 砂に覆われた地上の果てから薄青の広がる空の果てまで、世界がそこで途切れたような断絶があった。勇者が手を伸ばせば、それは断絶などではなくて、巨大な都市の外壁なのだとわかる。勇者は壁に触れた。

 

「冷たくも温かくもない」

 

 そう言って勇者は手を放そうとするが、勇者の触れている手のひらから広がっていくように、緑、紫、水色の光の帯が渦を巻き始める。

 

「お!」

 

 勇者が驚いたような顔で壁から慎重に手を剥がし、指先を離したとき、渦巻く光の帯が解けてオーロラのように重なり合いながら、巨壁の黒い滑らかな面を漂い始めた。

 

 勇者は光の動きを目で追いかけるが、光は勇者の目の前に新しく湧き続け、一方向へと流れているようだった。

 

「あっちに行けってことかな」

 

「あっちに行けってことだな」

 

「そのまま返さないで」

 

「そのまま返さないでござる」

 

「はぁ……」

 

「さすがの勇者も魔女の街を前にして緊張するか、致し方あるまい」

 

「いや、緊張なら今なくなっちゃったよ」

 

「……なんと」

 

 勇者は唇をへの字にして光の進んでいく方へ壁沿いに歩いていく。勇者の向かう先で、光は模様も何もない黒い壁に巨大な門を象り始めていた……それを見て、勇者はテンションが上がったのか駆け出した。

 

 ☆

 

 電車が止まったとわかった。圧縮された空気が抜けていく。扉が開いて、吹き込んでくる風が頬に触れた。つり革にぶら下がってるわけでもなければしっかりと足で地面を踏んでいるわけでもない。自分がどうやって立ってるのかわからない。

 車内から出て行く人は少なく、入ってくる人は多く、ぞろぞろと足音が私を取り囲む。どうしてもうっすらと帰ってきてしまう。帰りたくない、ずっと、向こう側にいたかった。

 

 それでも耳をすませば、もう一人の私の声は大きくなっていった。

 

「な、なんじゃこりゃあー⁉」

 

 雲にも届きそうな高層ビル群を見上げ、体をのけぞらせて叫ぶ勇者。連なる硝子の合間で夕焼けが乱反射する。

 

 勇者のすぐ横の国道は車が途切れることなく行き交って、そのすぐ上には巨大な高速道路が空を伸びていく。

 

 道行く人たちは大剣を担ぐ勇者をすれ違いざま怪訝な表情で見つめるものの、興味は持続せず、すぐにスマホに目を落としてしまう。それは隣に立っている黒装束の忍者を見ても変わらなかった。

 

「な、な、な……なにこれ、なにこれ、なにこれぇ⁉」

 

「長い長い、アポは取ってあるのだ。早く魔女の元へ向かうぞ」

 

 いつも通り、勇者に目的を与えてコントロールしようとする忍者だったが、今回は難しそうだ。轟音を上げる空に勇者は発見する。

 

「鳥じゃ、ないよね……?」

 

 ドラゴンを見た異世界転生者はこんな感じなんだろうな、って私は思う。勇者は口をはわはわ言わせて遠ざかっていく旅客機を目で追っていた。

 

 と、勇者は振り返る。そこに止まったのは黒塗りの自動車だった。警護車列を伴ったその車の扉を、先に下りた軍人が外から開く。中から降りてきたのは礼服を着た黒い髪の青年だった。

 

 男性は少しくまのある目を勇者の目と合わせ、軍人を一人伴って勇者の前まで歩いてくる。

 

「失礼ですが、勇者様でお間違いはありませんか?」

 

 穏やかな声に勇者は拍子抜けしたようにし、気の抜けた声で答える。

 

「そうですけど」

 

「ああ、やはりそうでしたか。失礼、私は魔女の使いとして勇者様の元に参りました。外交官の早良(さわら)と申します。どうぞよろしくお願いします」

 

「あー、ひょっとしてその車に乗る感じ?」

 

 勇者が示したのは早良が乗って来た黒塗り車だった。

 

「ええ、よろしければ」

 

 勇者はそこでなぜか忍者を見るが、忍者はやっぱり変顔しかしないので早々に視界から外す。

 

「せっかく来てもらったし、お邪魔しちゃおっかな~」

 

 勇者なりに申し訳なさそうな顔で笑って見せ、案内に従って白いレースのカバーの掛けられた後部座席に腰を下ろす。一方忍者は無言で助手席に乗り込んだ。

 

 先んじて走り出したバイクと警護車に続いて勇者の乗った車も動き出す。ツクシの車とは段違いに滑らかに、街の風景が音もなく後方へ流れ去っていく。

 

 勇者は窓に貼り付きながら言った。

 

「魔術ってすごかったんだぁ」

 

「いえいえ、そんな」

 

 謙遜するような調子だったが、続く早良の言葉は勇者にとって想定外だった。

 

「この街の全ては科学です。物を擦れば熱が生まれる。強く当たれば壊れ、柔らかく受け止めれば物の形は保たれ壊れない。重いものが当たれば衝撃は強く、鋭いものが走れば風を避けて早くなる。そうした原理を追求した先にこの街の繁栄があるのです。魔術など……科学を準備する前座に過ぎないといっても過言にならないでしょう」

 

 諭すように、しかし力強く述べる早良に勇者は軽く引きながらも、恐る恐る尋ねる。

 

「え……魔術師が集まる街ってきいたんだけど……え?」

 

「ええ、そうですとも。しかし真理の探究のためには魔術から離れることも必要なのです」

 

 勇者の表情はまだ渋い。えっと、えっと、とつっかえながらもさらに聞く。

 

「みんなこの街で魔族に転身して魔術研究をするって聞いたんですけど」

 

「ええ、そうです」

 

 穏やかな声音で早良は答えた。

 

「私たちはみな踊る死骸。魔女の子どもなのです。そんな私たちだからこそ、絶え間のない魔術研究によって天井が見えた」

 

「天井……」

 

「はい」

 

 早良は一度言葉を切り、勇者の貼り付いてる窓の向こう、夕暮れの空を指差した。

 

「あれは私たちが作った空です。都市を丸ごと巨大ドームで包んだ、その屋根ですな。魔術の範囲では建築物の構造に対する理解が漠然とし過ぎて、ああも建物を維持できなかった。あのようなただの太陽の反映ですら大魔術になってしまう。科学では積み重ねは大変でも、至れば再現でき、維持もたやすい、というわけです」

 

「ふーん」

 

 とわからないながらも頷いておく勇者。けど、興奮してるのは間違いなかった。何もかもわからない、見たこともないものばかりですべてが新鮮だったのだ。私だって、興奮していた。私は知っている。勇者(わたし)は知らない。まるで私のことを知ってもらってるみたいで嬉しかったのだ。私は興奮を抑えられずに口に出す。

 

「ねえ、あの建物、おっきい蟹が……」

 

 そこで、どういうわけか私は口を閉ざした。目を細め、視線を落とし、目の前のシートをじっと見つめ始めた私に早良が尋ねた。

 

「どうされましたか?」

 

 きっと、そこで私が口に出した言葉は早良に反応したものではなかったのだろう。ただ、独り言のように、私は言う。

 

「私は、言う……?」

 

 突然、私が車のドアを蹴り破る。制止する早良を無視して車から飛び降りると、アスファルトの地面を踏み抜き、周囲を陥没させながら地下へ。そこを走っていた電車の天井も着地ついでに踏み抜き、電車内に到達した。

 

 ☆

 

 ガタン、と揺れて私の目が開く。

 

 目の前には座席で私を見上げるスーツ姿の男。スマホからも顔を上げて、その目はよく見ると私じゃなくて、私のすぐ隣に向いていて……私は恐る恐る顔を隣に向けた。

 

「や、おはよ。もう一人の私」

 

 電車の天井に穴をあけ、瓦礫を周囲に撒き散らし、もう一人の私がそこに立っていた。

 

「嘘……」

 

 夢にまでみた月の国旗が翻る。まだあどけなさを残しながら、目の前の私を面白がって私は圧倒的な余裕をたたえた笑みを浮かべていた。

 

「末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末末」

 

 と勇者が口にする。口にする口にする。途切れない。わからない。言葉は反響し、電車の壁をすり抜けて世界全体に満ちていく。そして、この小さな電車に全部返ってくる。電車の音は掻き消され、今や世界の全ての音は勇者の口から発されていた。

 

 末末末末……まだ、終わってくれない。

 

「やめて!」

 

 どうしてかわからないけど、私は両手で耳を塞ぎ叫んでいた。勇者は背中で手を組み、くすっと笑って私に言った。

 

「これ、私の名前。知ってた?」

 

「あ、え」

 

「あなたは名前ある? 知りたいな」

 

 勇者は私を真似するようにつり革につかまると、軽くぶら下がりながら体を倒し、私の顔を覗き込んでほほ笑む。遅れて、勇者が何を言ったのかわかって私は慌てて答えようとして答えられなくて……口を突いて出た言葉は……

 

「魔女」

 

 違う。私は口を塞ぐ。おかしい……だって魔女は私の冒険のラスボスで、私が魔女だなんてそんな……だって、私は勇者で

 

「いや、あなたは私じゃないでしょ」

 

 勇者が軽く一笑する。

 

「あ、いえ……」

 

 私は魔女じゃない。私は勇者じゃない。私の名前……。

 

「思い出せない?」

 

 声が出せなくなっていた私に勇者は優しい声をかけてくれる。

 

「目の前空いたよ。座ったら?」

 

 先ほどまで座っていた男性はどこかへ逃げたらしい。でも、私は私を見上げたくなくて

 

「あなたは」

 

 勇者が言う。

 

「あなたは何か、私に聞きたいこととか、言いたいこととかないの? やってもらいたいこととかでもいいし。何でも答えるよ」

 

「あ、えっと、その……」

 

 勇者にやってもらいたいこと……私が勇者に望んでいたこと……私はようやく体ごと勇者の方に向くけく。

 

 なに? と言いたげにほほ笑む瞳。笑っていてもどこか鋭さが残る目元とは反対に、風に解かれて、束ねられて、を、繰り返す……金色の髪は/さらさら/としていて。この手で /触/ /れ/ /て/ みたいと思う。

 

 違う。勇者は今、私の目の前にいるのだ……。

 

 一歩→私は勇者の方に進み出る、ためらいがちに勇者の手を取りりりりりりrrrr///。、。、。、、胸の前で胸の前で両手でつつみ「(包み込み)」、さらにもう一歩(dあくe)」」」」」」」踏み出して……言った。

 

「私を殺して」

 

「ん?」

 

 勇者の浮かべていた笑みに少し苦笑っぽいものが混じる。それでいいと思った。

 

「ずっと神様にお願いしてた。誰かに殺してもらいたいって」

 

「誰かにねぇ」

 

 と勇者。当然の疑問だ。死にたいなら勝手に死ねばいいんだから。でも、私はそれすらできなかった。

 

「私、生きるのに向いてないんだよ。でも死ぬのにも向いてない。甘えてるんだってわかってるんだけど、それでもどうにもできなくて。朝起きるたびに私なのが残念で仕方なくって、ずっとずっと……あなただったらよかったのに」

 

 途中から涙がこぼれ、声が震え出していた。私の言葉が聞き取れたかはわからない。でも、やっぱり勇者はあっさりと答えてくれる。

 

「ふーん。ま、いいけどさ」

 

「いいの?」

 

「そりゃもう。慣れましたから」

 

 なぜか鼻高々に勇者は胸を張る。それでも、私にはとても心強かった。勇者の強さは私が一番よく知っていたから。

 

「ありがとう」

 

 私は言う。

 

「最後に抱きしめつつつつつていい?」

 

 勇者は何も言わずに両手を広げてくれた。

 

 私は勇者の体に腕をををををっ!!!!!!! 回し      

 

 

 

       その細身の体を思いきり

―霧

――霧

―――切り

――――切り    やだなー

―――――切れない(混ざろう)     だるいし

――――――「ッ無理  (じゃない)     

☆――――――あなたを/みていたいよ《みていたくないよ》‼‼‼‼‼‼I‼‼‼‼‼‼i

       

 

 

 えっと……包丁を玉ねぎ(勇者の首)にあてがうとザクザク

 

 抱き締めた。かつて

 

 

 

私だった体。    今は私、

 

(゜.゜)(゜.゜)(゜.゜)

 

 

 

とは、別(いやだ)

 

 

 

の

鼓動で

 

 

 動いてる……?!!?! 

 

だから、こうやって抱きしめることもできた……。

 

「はいはい、泣かない泣かない」

 

 勇者が私の体に手を回してくれる。揺らいで、今にも散ってしまいそうだった私の体が勇者の強靭な腕の中にぎゅっと抱きとめられた。

 

 いつまでもそうしていたかったけれど、勇者が手を離したので私も手を離した。私は一歩、二歩、後ずさる。お互いの体温だけ残したまま、私たちの体は離れていく。

 

 顔を見るのが、見られるのが恥ずかしくなって、私は勇者に背中を向けた。

 

「本当に叶えてもらえるなんて思いもしなかった。口癖みたいに言ってたんだよね、急に背後に現れたお侍さんに首チョンされたいなーって。いや、冗談だけど冗談じゃないっていうか……」

 

 私は笑いかけようと勇者を振り返る。でも、動いていたのは私じゃなくて、世界の方だった。世界が私たちのためにぐるりと回って、私の笑みは勇者に届いて、勇者のほほ笑みも私に届いて、それで、それだけで私には十分だった。

 

 ☆

 

 電車は停まった。勇者は隣の車両に顔を向けた。

 

「……なにお前?」

 

 勇者は隣の車両からスマホを向けていたスーツの男の方に歩み寄る。

 

「あ、取ってます、取ってますよ!」

 

 と勇者には意味の分からないことを言うが、勇者は剣の届く距離に入ると容赦なく男の首を切り落とした。

 

「スマホ向けられたくらいでブチギレでござるか? ったく、これだから器の小さい法国人は」

 

 拙者は肩をすくめるが、勇者はウザそうに睨んでくる。

 

「攻撃だったよあれは、間違いない」

 

「どんな攻撃だと?」

 

 拙者の言葉に勇者は顎に手を当てて考える。あ、と何かを思いついたようで勇者は言う。

 

「魂を抜き去るとか」

 

「勇者。一応言っておくとスマホはこの街の住人なら誰もが持っているものだ。凶悪すぎる、落ち着け」

 

「でも、絶対敵意あったんだって! それも、私だけじゃなくて……」

 

 勇者は血にまみれた床の方に目を向けようとしたようだったが、そこで気づく。車両の奥にいる人間のほとんどがスマホを勇者に向けていた。

 

「とりあえず全員やろっかな」

 

 そう言って剣を抜いたとき、横から声がかかった。

 

「それはご勘弁願いたい」

 

 駅のホームに軍を引き連れた早良が立っていた。

 

「おー! 早良さん、突然離れちゃってごめーん」

 

「そうですね、大変なことになってしまいましたが、ひとまず同行の意思があるなら先ほどの車に戻っていただけますか?」

 

「おっけー」

 

 勇者は車内の人間には興味を無くし、電車を降りて早良の隣を歩いた。

 

 ☆

 

 国会議事堂の中心には、地下へと続く硝子階段の部屋があった。

 

「この階段を降りた先で通路を道なりに進んでいってください」

 

「わかった……けど、早良さんとはお別れな感じ?」

 

「はい、ここにご案内するのが私の務めですので」

 

 早良は扉の手前に留まったまま、一礼し、扉に手をかける。

 

「では、ご武運を」

 

 扉が引かれ、金属の厚い扉は閉ざされた。

 

 勇者は一度拙者の顔を見ると、気の抜けた顔で言う。

 

「ま、行こっか」

 

「アポイントメントの時間には遅刻だ、急ぐのだ」

 

「やだね」

 

 我らは硝子の階段を降り始める。周囲の壁は最初は古風なレンガだったが、じきに階段と同じガラスになり、周囲の風景が見えてくる。

 

 しばらくは海だった。

 

 水色の濃い、透き通る海。視界の端に細かな色が散っていくと見れば色とりどりの魚が泳いでいるのが見える。サンゴ礁に白い砂まで深度が到達すると、しばらくはサンゴなのか岩なのかわからない空間が続く。

 

「ねえ」

 

「なんだ」

 

「魔術師を育てる学校があるって言ってなかった?」

 

「……言ってたか?」

 

「うん。いつかにね」

 

 うーむ。言われてみればどこかで言ったような……いや、どうせ思い出せんわ。拙者は答えがわからないまま答えた。

 

「なら、その時は本当にそうだったのだろう、いや、あるいは外向けのアピールでもいいか?」

 

「いいかってねぇ……いつにもなくてきとー言うじゃん」

 

 勇者は少し呆れ気味に拙者の方を見て笑う。

 

 階段は岩を抜け、星の内部に広がっていた宇宙空間に出る。地層に囲まれた暗闇に星の光が散らばって浮遊する。硝子を踏む勇者の足音と話し声以外、ずっと無音だった。

 

 勇者は立ち止る。階段がどこに降りようとしているか一目で分かったためだろう。拙者がわざとらしく背中にぶつかってやると、勇者は舌打ちして拙者を陰険に睨み、また歩き出した。

 

「あともう一つ。ここに来た魔術師は魔力を捨てるんでしょ? ここで生まれた人も同じ? 四天王の都市だってわかって暮らしてるの?」

 

「なるほど、説明会か。それもよかろう」

 

「はい?」

 

 勇者は呆れてばかりだな。拙者も呆れ返して大きなため息をつき、大仰にもったいぶって(面倒だから全部雑に)教えてやるのだ☆

 

「まず、ここで生まれた者は生まれつき魔力を持たん。で、多くの都市民が四天王どころか街の外の存在を知らん。この街は我らの世界の地図に小さく存在はしているが、実際には圧縮されていて我らの世界より広い。住人たちは一つの国の一つの街で暮らしている気でいるが、この魔女の街の中に海や大陸が幾つもあって、二百近くの国がある……要はこの黒塗りの場所に世界より広いもう一つの世界が丸ごと一つあるようなものか」

 

 と拙者は世界地図の現在地を示しながら言ってやる。勇者は地図とにらめっこしながら難しそうな顔をするが、諦めたのか顔を離してしら~っとした顔になる。

 

「うん。どうせそれ、私が理解しなきゃいけないやつじゃないでしょ? どうでもいいよ」

 

「そんなー。説明させといてそれはちょっとでござるよぉ」

 

 ショックでござる! けっこうすごいのに。魔女とっても凄いのに。拙者は肩を落とし、だらだらとゾンビみたく勇者の後について階段を降りていく。

 

 やがて、階段の出口が見えてくる。この宇宙の中心で光り輝く灰色の大地。クレーターと無数の丘が緩やかに繋がるその場所は……。

 

「お月様だぁ~!」

 

 硝子階段を降り切った勇者が飛び出した。勇者が地表を蹴ればその体はふわりと浮き上がり、ほどほどのところでゆっくりと落ちていく。

 

「って、魔女いないじゃん! ねえ忍者~」

 

 そう言いながらも勇者は差して興味も無さそうにふわふわとした大股ジャンプを繰り返していた。

 

「忍者?」

 

「なんだ」

 

「なーにを笑ってんの」

 

「いや、おかしくてな……なに、魔女ならもういるぞ」

 

「へ?」

 

 拙者は笑って歩き出す。この期に及んでジャンプをやめない勇者の元へと。

 

「忍者……?」

 

 ここに来て警戒の表情を浮かべる勇者。跳ねていた体も地表へそっと降り立った。

 

 拙者の笑っていた唇の両端が吊り上がり、吊り上がり……唇は頬を突き抜け額で結ばれ鼻の方に下りていく。

 歪みは顔の皮膚全体を巻き込み始め、目も鼻も、耳も、全てが溶けだした渦の流れに巻かれていく。

 その渦の回転が進んだ先で、不意にもう一度顔が整い出し、目や鼻や耳があるべき位置に再配置されていく。

 

 拙者の歩みは勇者を通り過ぎて月の奥へ。いい具合の配置に着いたので振り返る。服装こそ忍者の布がうねうねした黒装束だったが、その顔は整った女の顔になる。拙者は……私は、片手を上げて言う。

 

「私が魔女。勇者、よくここまで来たね」

 

 勇者は目を震わせ慄いているようだった。上手く表情が読み取れないが、勇者が何を考えてるかは次のセリフで分かるだろう。

 

 勇者は私を指差して言う。

 

「いや、あのときの痴女じゃん!」

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