暗い森を抜けて丘の上に出ると、視界は一気に開かれた。空には煌々として星々が輝き、森を撫でる涼しい風が丘の上にまで駆け上ってくる。
勇者は風を浴びて一息つくと、振り返って未だお祭り騒ぎの続くブルードゥクを見下ろした。
「私、さっきまであそこにいたんだ」
一方その傍らに侍る美しき影たる忍びは既に別のことに意識を向けていた。
「勇者よ」
「なに?」
「この丘を降りたところに川がある」
「そうなんだ。じゃあ、そこで少し休もうかな」
「そうだな、ではそこで食事を済ませるがいい」
「うん?」
「ではな、勇者よ」
「うん、また。……っていやいや⁉」
「拙者、最近はサウナにハマっておるのでな。一度整ってくるでござる」
「おいこら」
「ではな勇者よ、また会おう」
「こらっ、待てよ! てめえざけんな! サウナっ、私もつれて……!」
拙者の形のいい両脚は車輪の如く駆け回り、勇者の顔は一瞬で遠のいて辺りの風景は光の速さで背後へと流れ行き、あっという間に拙者はブルードゥクの高級ホテル、
ウィーン……。
自動ドアの開く洗練された音が鳴り、今日も赤いカーペットが拙者を出迎える……チェックインでござる!
カポン、と桶が鳴る。白濁したお湯は肌だけでなく心までをぽかぽかにしてくれる。艶々になった肌を撫でつつも100まで数えたら上がってサウナへ。
嗚呼、熱波師のタオルの熱い風がこの身に染みる! この爽快感、本来忍びたる自分には無縁な感覚だが、自分がたいそうな何者にでもなったかのようだ! 不浄な心の汚れが汗と共に背後へと飛び散っていく! 生きとし生けるものの全て、全宇宙の営みよ、みんな今日もありがとう!
温泉を出た拙者はレストランにしようかとも迷うのだが、結局事前に買い込んである食料もあって部屋に備え付けのダイニングへ。
豪勢に並べたにんじんやじゃがいも、たまねぎ、そしてポーク肉を見て腕組し頷く。
さあ忍者’sキッチンの時間でござる、みんな集まるでござるよ!
と言いつつ完成したものがこちらでーす。おお、これはすごいな。艶々のカレーに贅沢カットのじゃがいもがぷかぷか浮いてるでござる! カレーの中でも白さを失いきらぬポークの脂よ! お前は戦場を潜り抜けてより美しくなったのだ! 芯を失ったあま色玉ねぎも彩りにんじんも最高でござる! ここではみんな主役だ!
だがしかし……はっはっは、馬鹿め! その程度では終わらんよ……そう、たった今この平皿に盛られたのは現代国宝の職人に特注で作らせた最高級のお釜で炊いたお米! 米の一粒一粒がふっくらしていて光を放つ!
ほら、恥ずかしがってるじゃないか、かくしておやり……ということで、ここでみんなカレーライスに生まれ変わるがいいわ! せやぁ、はっ!
さあみんな、銀のスプーンは持ったか? では、いただきまーす! でござる!
カチャン、と軽く皿の底にスプーンが接触、スプーンには並々としたカレープールが出来上がる……! それらはなんと、拙者の口の中に納まってしまう世界最小のプールなのだ!
カチャン、と拙者の歯(真っ白)とスプーンが軽く接触し、プールは無事拙者の下の元へと送り届けられた。果たして結果はぁ……んんっ! あっ、うま……。
ポークの脂が甘くて効いてるっ、効いてるっ! なのに米は米で甘さが残っててやばい、マジでヤバい。そんな折に挟むほくほくじゃがいもの優しさときたらもう……惚れてしまうではないか。
拙者、カレーライス大好き忍者だったのだったのだな、とカレー食べるたびに思うもん。
あっ!!!!!??!? という間に食べ終わり、お米をよそってお代わりしようと立ち上がったとき、カレーの鍋をつい見てしまう。
ふむ……二人分以上あるな。
拙者は悩む。
う、うぅむ。
そこから悩むことコンマ参拾分。ついに拙者は決断を下す。
「はー、持ってってやるか」
拙者は面倒くさい、面倒くさい、と嘆きながらもタッパーにカレーと米をそれぞれ詰め、銀のスプーンをナプキンに包んだ。さあ、勇者のひもじい食卓を見に行こうではないか。
〇
夜の森を川は流れ、せせらぎの中に炎の弾ける音がする。勇者はつばが後ろに来るように帽子をかぶり、川沿いで焚火していた。
あら、覗き込んだらかわいらしい目をした魚を何匹か捕まえたらしい、木を削った棒に魚を突き刺し焼いていた。
「勇者~」
拙者は木陰から姿を現すと、勇者に手を振ってスキップで駆けよる。勇者は訝しむように停止してこちらを見ていたようだが、ぽつりと言う。
「めっちゃシャンプーのいい匂いするんだけど」
「それは失礼した。拙者の髪は繊細故な。女物のシャンプーで丁寧にほぐして馴染ませないといかんのだ。と、それよりも勇者よ、調味料はどうしている?」
「え、ないよそんなの」
「それは重畳。そんな勇者に拙者からのプレゼントでござる」
じゃじゃーん。\カァルェールゥー!/
拙者は風呂敷からタッパーを出すと、ルーの詰まったのを勇者に差し出してやった。
「おおー、いいじゃん!」
勇者はタッパーを受け取ると蓋をパカッと開ける。焼き魚を火からサッと取り上げてカレーにそのカリカリした身を浸し、豪快にかぶりつく。
「んー! おいしい!」
肘をワキワキさせて国旗の端をはためかせる勇者。法国うるさい。
「その国旗、ひょっとしておふとんにして寝るでござるか」
「そだよー? 変かな」
「変でござるな」
「いいよ別に。ちょっと薄いかなってくらいだし」
「それはそうでござる」
「うんうん」
勇者はあむあむと魚を食み、食べ終わった串を焚火にくべると次の魚を手に取った。
そろそろ拙者もおかわりを……とお米のタッパーを取り出したところで拙者は固まった。
「んむ、ひょっとして自分のぶん取るの忘れてた?」
「……拙者はホテルで食べてきたので別にいいでござる」
「いや、気にしてるじゃん。別にいいよ? ほら」
と勇者はカレールーを差し出してくる。拙者がタッパーに手を伸ばしていいものかと思案気に見つめていると、勇者が後押しとばかりに言う。
「いい魚の出汁出てんじゃない? まあ、二度漬けしまくってるけど」
「あ、二度漬けはちょっと流石にでござる」
「えー、忍者のくせに。サバイバル適性ないよそれ」
ふ……と拙者は笑う。勇者が忍者に向かってサバイバルを説くなどと笑わせる。
「生きるのに不要なサバイバル、これすなわち贅沢なレジャーでしかござらん。拙者の足からすれば魔王城からバーナードまでもコンビニ感覚でござる。金があるうちはコンビニで飯を買うのが正常なサバイバル感覚というものだ」
ふんす、と拙者の鼻が膨ら息まで吹いてみるが、勇者はすでにタッパーのカレーに再び魚を二度漬け、それも齧ったところを特に念入りにべったりと浸していた。
「便利だなあー」
「で、ござろう?」
「じゃあこれ」
と再びこちらに差し出す勇者。今度は焚火から取り出したばかりの焼き魚であった。
「ご飯だけだと寂しいでしょ」
な、なんだこいつ⁉ 前々から思っていたが、この勇者、さてはいい子ちゃんか?
「ほい」
と勇者は拙者のタッパーの白米の上に焼き魚をぽとりと置いた。
「……かたじけない」
何はともあれ感謝はせねば。拙者は常備しているソルト&ペッパーを魚と米の上に軽く振る。
スプーンで米を掬って口へ。ううむ、焼き魚の風味が米に沁みるな……。