スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
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日本武道館の前は、朝からひどく賑やかだった。
真新しいスーツに身を包んだ新入生と、その隣に立つ家族たちが、門のあたりで足を止めては写真を撮っている。
式次第の案内を確かめる者もいれば、ネクタイの曲がりを直されている者もいた。
晴れてはいたが風はまだ少し冷たく、春の陽気と呼ぶには早い気温だった。
鳴上悠は人の流れからわずかに外れた場所で、武道館の屋根を見上げた。
ニュースや中継で目にしたことはあったが、こうして間近に立つと、建物の大きさが思っていた以上に目についた。
見上げた先にある八角形の屋根は端正で、何かの儀式にでも向かうような静かな威圧感を帯びている。
大学の入学式というより、もっと別の節目の場に来たような気がした。
手元の案内には、受付から式の開始時刻まで、必要なことが過不足なく印字されていた。
忘れ物はない。書類も揃っている。スーツも、ネクタイも、靴も問題ない。
ここに来るまでの手順に、不備らしい不備は何一つなかった。
それでも、どこに立てば自然なのかだけが、少し分かりにくかった。
周囲には、同じような年頃の新入生がいくらでもいた。
だがそのほとんどは一人ではなく、父親や母親、あるいは祖父母らしい相手と並んでいる。
肩を並べて案内を覗き込み、写真を撮り、会場の方向を確かめている。
その光景は別に珍しいものではなく、今日という日ならなおさら当たり前のものだった。
鳴上の両親は来ない。
正確には、来られなかった。
数日前の時点では、どちらか一方だけでも時間を作れないかと話していたらしいが、結局それは叶わなかった。
父は海外の発掘現場を離れられず、母も別の土地で修復作業に入っている。
その事情に不満がないわけではなかったが、今さらどうこう言うつもりもなかった。
子どもの頃ならともかく、大学の入学式に親が来るかどうかで騒ぐ年齢でもない。
それに、二人がそういう仕事をしていることは、ずっと前から知っている。
来られないこと自体は、もう珍しいことでもなかった。
ただ、こうして武道館の前に立っていると、来ないことそのものより、周囲の空気の方が気になった。
一人で来ている新入生が自分だけとは思わない。
実際、探せば同じような者もいるのだろう。
それでも、目に入る景色の大半が家族連れで埋まっていると、自分の立ち位置だけが少し曖昧になる。
鳴上は案内を軽く折り直し、腕時計に目を落とした。
まだ時間には余裕がある。
このまま受付へ向かってもいいし、少し待ってから入ってもよかった。
どちらでも構わないはずなのに、妙に足が定まらなかった。
「よう、悠」
不意にかけられた声に、鳴上は顔を上げた。
人混みの向こうから片手を上げて歩いてくる姿を見て、ほんの一瞬だけ言葉が出なかった。
見間違えるはずもない。
花村陽介だった。
濃紺のスーツは一応きちんと着ているが、どこか着慣れない感じが残っている。
ネクタイも曲がってはいないものの、鳴上ほど几帳面には整っていなかった。
それでも本人はそんなことを気にした様子もなく、人の波をすり抜けてこちらまでやってくる。
周囲の賑わいの中でも、陽介の動きだけは妙に目についた。
「……どうしてここにいる」
「開口一番それ?」
「今日は俺の入学式だ」
「知ってるっつの。だから来たんだろ」
陽介はそう言って、鳴上の隣に並んだ。
いかにも当然という顔をしているせいで、かえって追及しにくい。
鳴上は一度だけ武道館を見上げ、それから改めて陽介へ視線を戻した。
まだ事情を飲み込めていない感覚が、少しだけ残っていた。
「明日はお前の方だろう」
「そうだけど、今日は今日だし」
「おじさんとおばさん、八十稲羽から来たばかりじゃないのか」
「ああ、親父たちならホテルも取ってあるし、動けない距離じゃねえし」
言いながら、陽介は周囲を見回した。
写真を撮る親子、談笑する新入生、案内板の前で立ち止まる人の列。
その視線が一巡して、また鳴上に戻ってくる。
いつもの軽い調子のままなのに、見ているところだけは妙に正確だった。
「親御さんは?」
「来られない」
「……そっか」
それだけだった。
同情めいた言葉も、気まずさを埋めるための気遣いも出てこない。
陽介は短く受け取って、それで終わりにした。
その素っ気なさが、かえってありがたかった。
鳴上自身、事情を説明される側の顔になるのは好きではない。
仕方ないと理解されることと、納得することは少し違う。
そのずれを埋めるような慰めは、たいてい役に立たなかった。
陽介はそのあたりを、昔から妙に外さない。
「まあ、だったらちょうどいいか」
「何がだ」
「俺がいるし」
あまりにも簡単に言うので、鳴上は一拍遅れて意味を取った。
陽介は肩を竦め、武道館の入口の方へ顎をしゃくる。
まるで最初から決まっていた予定を確認するような口ぶりだった。
その気負いのなさに、呆れるより先に息が抜けそうになる。
「お前は何の立場で入るつもりだ」
「関係者」
「ずいぶん曖昧だな」
「実際、関係者ではあるだろ。相棒の晴れ舞台だし」
鳴上は思わず目を細めた。
陽介の言葉は半分冗談で、半分本気だった。
その半端さがちょうどよく、真正面から礼を言う気にはさせない。
断る理由を探す方が、よほど不自然に思えた。
「別に、来なくてもよかった」
「そう言うと思った」
「事実だ」
「でも一人で突っ立ってたじゃん」
短く返されたその一言に、鳴上は口を閉じた。
言い返そうとすればできたはずだ。
待っていただけだとか、時間を見ていただけだとか、いくらでも整った説明は作れる。
けれど、陽介が見たものはたぶんそのどれでもない。
武道館の前で、自分が少し所在なさげにしていたことくらいは、自分でも分かっていた。
それを指摘されたからといって、腹が立つわけではない。
見られたくなかったとも思わない。
ただ、見つけられたのだと思った。
「入るぞ」
鳴上がそう言うと、陽介は小さく笑った。
やっぱりな、という顔だった。
その反応に、鳴上はわずかに肩の力を抜く。
ひとりで立っていた時よりも、足が自然に前へ出た。
二人で人の流れに混じって歩き出す。
家族連れの間をすり抜けながら、陽介は案内板を見て「T大って思ったより人数多いな」とどうでもいい感想をこぼした。
鳴上は返事の代わりに、軽く息をつく。
さっきまで耳についたざわめきが、今は少しだけ遠くなっていた。
受付のある方向へ向かいながら、鳴上は横目で陽介を見る。
この場に似つかわしい保護者でもなければ、同じ大学の新入生でもない。
それでも隣にいることだけは、妙にしっくりきていた。
関係者、という曖昧な言い方は、思ったより悪くなかった。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学生)
花村陽介(M大に入学する大学生(もうすぐ入学式))