スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
陽介の熱が下がってから二日ほど経つと、生活の形はほとんど元に戻っていた。
朝はいつも通りに起きて、講義へ出る。
夜になれば二人で帰るか、片方が先に部屋へ戻る。
表面だけ見れば、何も変わっていない。だが実際には、少し違っていた。
風邪の夜を境に、陽介は時々こちらを見る。
何か言いたそうにして、途中でやめる。
軽口に逃がすには、少し間が長い。あれこれ考えている時の癖だとわかっていた。
その夜も、夕食のあとに流し台へ立った陽介は、珍しく自分から皿を洗うと言い出した。
「今日は俺やる」
「熱はもうないのか」
「ぶり返してねえよ。そこまで虚弱じゃないって」
返事の調子は軽い。だがスポンジを持つ手が、妙に落ち着かない。
皿に洗剤をつける動きも少し雑だった。
調子が悪いというより、迷っている感じに近い。
鳴上は拭き物を引き受けながら、その横顔を見ていた。
話すなら待つ。黙るなら急がせない。
そう決めていたのに、向こうの方が先に沈黙に耐えられなくなったらしい。
「この前さ」
「うん」
「俺、けっこう面倒くさかったよな」
何の話かはすぐにわかった。風邪を引いた夜のことだろう。
「病人としては普通だ」
「普通、ねえ」
陽介はそう言って、皿を流した。
そのまま次の皿に手を伸ばす気配がない。
蛇口から落ちる水音だけが細く続く。
鳴上は布巾を動かしながら待った。
「……ああいうの、慣れてねえんだよな」
声が少し低い。
鳴上は手元を止めずに問い返した。
「看病されることにか」
「それもあるけど。あそこまで普通に甘えるの」
陽介は水を止めたまま、流し台へ目を落としている。
いつものように笑ってごまかす気配は薄い。
「助かったのは本当だし、ありがたかった。そこはマジでそうなんだけどさ」
「うん」
「でも、あとから考えたら、ちょっと甘えすぎたかなって」
その言い方は予想通りだった。
だが実際に聞くと、胸が少し硬くなる。
気にするだろうとは思っていた。
陽介は本気で世話を焼かれると、妙に引く。
「この前も言っただろう」
鳴上は皿を棚へ戻し、静かに続けた。
「今さら、そこで遠慮する方が不自然だ」
陽介はすぐには返事をしなかった。
数秒遅れて、困ったように息を吐く。
「だから、それなんだって」
「何が」
「お前、そういうこと平気で言うじゃん」
言いながら、陽介はまた蛇口をひねった。必要もないコップをすすぎ始める。
「俺が引こうとするとさ、そういう一言で引けなくなるんだよ」
「引く必要がないからな」
「そういうとこだよ……」
弱い抗議だった。
拒否の色はない。むしろ困っている。
鳴上は流し台の端に布巾を置いた。
ここで軽く流すのは違う気がした。
「お前は、甘えたこと自体を気にしているわけじゃないだろう」
その言葉で、陽介の手が止まった。
コップの縁を持つ指先だけが固まる。
「……何それ」
「気にしているのは、甘える側にいたことだ」
陽介は返事をしない。
だが、否定が出ない時は大体当たりだ。
「迷惑をかけたことより、自分が頼る方に回ったことの方が落ち着かない」
鳴上はそこまで言って、一息分置いた。
陽介はまだこちらを見ない。
「それに慣れそうなのが少し怖い。違うか」
そこでようやく、陽介が振り向いた。
図星を突かれた時の、少し悔しそうな顔。
「……お前さあ」
「違うなら違うでいい」
「違わねえから腹立つんだよ」
吐き捨てるように言ってから、陽介はコップを流しに戻した。
その肩から、少し力が抜ける。
「俺ばっか受け取ってる感じになるの、なんか嫌なんだよな」
「嫌か」
「嫌っていうか……落ち着かねえ」
言葉を探す間があった。
まだ、自分でも整理できていないらしい。
「助かったし、嬉しかったし、正直かなり甘えた。けど、それでそのまま当然みたいになるのも違う気がして」
「何が違う」
「だから、それがうまく言えねえんだって」
声が少し掠れた。
鳴上は一歩だけ距離を詰める。
詰め寄るほどではない。
だが逃げるには少し狭い距離だった。
「線を引きたいなら、もっと前にやっている」
陽介の喉が小さく動いた。
だが目は逸れなかった。
「同居を決めた時点で、生活はもう分かれていない」
「いや、それはそうだけど」
「なら、今さらそこで引き直す方がおかしい」
陽介は困ったように眉を寄せた。
鳴上はその顔を見て、少し焦る。
言い過ぎかもしれないと思う。
それでも止める気にはなれなかった。
「お前、ほんと逃がしてくれねえな」
「逃がす必要がないからな」
「必要があるとかないとかじゃなくてさ……」
そこで言葉が切れた。
陽介は袖口をいじり始める。
考えが追いつかない時の癖だった。
鳴上はその手元から目を離さない。
「頼られるのが嫌なら、最初からここまでしない」
言い終えたあと、さすがに少し沈黙が落ちた。
陽介の手が止まる。
今度ははっきりとこちらを見た。
反応が鋭くて、少しだけ息が詰まる。
「……それ、さらっと言う?」
「さらっと言ったつもりはない」
「余計だめだろ、それ」
口ではそう返すが、声は弱い。
本気で拒む響きではない。
むしろ、刺さりすぎて困っている。
そう見えたせいで、鳴上の鼓動が少し速くなる。
「勝手に引くな」
短く言うと、陽介は目を見開いた。
その反応に、自分でも一歩踏み込みすぎたと思う。
だが引き下がる言葉は出なかった。
ここまで来て曖昧に戻したくない。
「お前がそこで線を引く理由にはならない」
「……何が」
「風邪を引いて甘えたことが、だ」
陽介はしばらく黙っていた。
流し台にもたれ、視線だけが揺れる。
「お前が勝手に気まずくなるのは自由だ」
「自由って言い方ひどくね?」
「だが、それで距離を戻される方が困る」
口にしてから、少し焦る。
思ったより本音に近い言い方だった。
陽介はその言葉を聞いて、今度こそ完全に黙った。
軽口で返さない。冗談にも逃げない。
部屋が静かだった。
冷蔵庫の小さな作動音だけが遠い。
「……何なんだよ、お前」
やっと出てきた声は、呆れたようで、少しだけ弱っていた。
「何が」
「そういうの。何でそんな当然みたいに言えんの」
「当然だからだ」
「だから、その押し方がきついんだって……」
陽介は片手で顔を覆った。
耳のあたりが少し赤くなっている。
そこまで反応が出ると、さすがに落ち着かない。鳴上は視線を逸らさずにいる。
見ているくせに、内側は忙しい。
相手の様子に敏感になるほど焦る。
「俺さ」
陽介が、指の隙間からこっちを見る。
困ったような、途方に暮れた目だった。
「そんなこと言われたら、どうしたらいいんだよ……」
その言葉に、鳴上は返事を急がなかった。
ここで答えを押しつけるのは違う気がした。
だから、少しだけ息を整えてから言う。
「別に、今すぐ何かしろとは言っていない」
「いや、でも、気にするだろこんなの」
「なら気にしておけ」
「雑じゃねえ?」
「雑ではない。必要だと思ったことを言っただけだ」
陽介は顔を覆ったまま、小さく笑った。
完全に困っている時の笑いだった。
「ほんと、そういうとこなんだよなあ……」
そこに責める感じはなかった。
困惑と、少しの敗北感が混じっている。
鳴上は一歩分だけ距離を戻した。
追い詰めきるつもりはない。
ただ、戻すつもりもなかった。
今夜置いた言葉は、もう消えないと思う。
「陽介」
「……何」
「礼を言うなら、もう勝手に引こうとするな」
「まだそれ言うのかよ」
「言う」
即答すると、陽介は観念したように肩を落とした。
そのまま蛇口をひねり、残りの洗い物に戻る。
だが手つきは、さっきよりずっと静かだった。
話す前より整理がついたのか、余計に深みに嵌まったのか。
たぶん両方だろうと思う。
鳴上もまた、自分の内側を持て余していた。
少し踏み込みすぎたかもしれない。
だが、後悔はしていない。
陽介の反応を見たせいで、むしろ自分の方が次を待ち始めていると気づいてしまった。
それは少し危うい。
危ういが、嫌ではない。
「悠」
棚に皿を戻したところで、陽介が呼ぶ。
振り向くと、まだ少しだけ照れた顔でこっちを見ていた。
「……ありがとな」
「何に対してだ」
「看病も、さっきのも。いろいろ」
短い礼だった。
だが、その中身は軽くない。
鳴上は小さく息を吐く。
今夜はそれで十分だと思った。
「把握した」
「そこ、“どういたしまして”じゃねえんだ」
「必要ないだろ」
「そういうとこだって言ってんの」
呆れたように笑いながら、陽介は最後のコップをすすいだ。声音はやわらかい。
まだ決定的な名前はついていない。
それでよかった。今夜はここまででいい。
だが、線はもう崩れている。
前と同じ距離には、たぶん戻れない。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学生)
花村陽介(M大に入学した大学生(風邪なおったらこじらせました))
次回もよろしくお願いします