スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
講義が終わったあとのM大船橋キャンパス構内は、まだ夕方と呼ぶには早い明るさを残していた。人の流れは途切れず、春のざわめきがそのまま廊下へ満ちている。
陽介もその中を歩いていた。肩に鞄を引っかけ、適当な相槌を打ちながら、顔見知りになった連中と一緒に階段を下りる。
入学した頃のぎこちなさは、もうかなり薄れていた。講義ごとに話す相手もできたし、昼を一緒に食う相手も増えた。
陽介なら、その変化は早い方だった。話しかけることに躊躇がないし、初対面の空気を崩すのもそれなりにうまい。
だから、声がかかるのも自然な流れだった。
「花村、今日このあと空いてる?」
階段の踊り場で、同じ講義を取っている男子学生が軽い調子で振り返る。
隣では女子が二人、何となく笑っていた。
「空いてるっちゃ空いてるけど」
「じゃ、来ない? 人数合わせ兼ねてだけど、軽く飲みっていうか、合コンみたいなやつ」
言われた瞬間、陽介は一度だけ瞬きをした。
驚くほどではない。むしろ、そのうちこういう誘いは来るだろうと思っていた。
断る理由は、特になかった。講義のあとに誰かと飲みに行くこと自体、嫌いなわけでもない。場を回すのも苦ではない。
実際、少し前の自分なら、たぶん深く考えずに頷いていた。面白そうなら行くだろうし、面倒でも何とかする自信はあった。
「どうする?」
笑いながら促されて、陽介は口を開きかけた。
そこで、不意に別の光景が頭へ差し込んでくる。
玄関を開けた時の、食事の匂い。
台所に立つ背中。
何でもない顔で返ってくる「おかえり」。
なぜそこでそれが浮かんだのか、自分でもよくわからなかった。
ただ、その一瞬で足がそちらへ向いた気がした。
「あー、悪い。今日やめとくわ」
気づけば、そう言っていた。
誘った方も意外そうに目を丸くしたが、すぐに「そっか」と軽く流して笑う。
「珍しいな。先約?」
「いや、そういうのじゃねえんだけど」
「じゃあ余計来ればよくない?」
もっともだと思う。
陽介も、そう思う。思うのに、どうしても今から別の場所へ行く気にはなれなかった。
「また今度な。今日は何か、いいわ」
結局、曖昧なまま断る。
理由になっていない理由だったが、相手はそれ以上食い下がらなかった。
「じゃ、また誘うわ」
「おう、悪い」
軽く手を上げて別れる。
廊下を離れ、駅へ向かう人の流れに紛れながら、陽介はひとりで首の後ろを掻いた。
何だ今の、と思う。自分でもよくわからないまま断ってしまった。
気が乗らないにしても、あそこまで即答するほどでもない。
だが、あの場で頷くより、断る方が自然だった。
そう感じてしまった時点で、何かがもうずれている気もした。
駅へ向かう足は軽いわけではない。
むしろ少し考え込んでいるせいで、歩く速さは普段より遅いくらいだった。
それでも、戻る先を間違えていない感覚だけは妙にある。
そこがいちばん厄介で、いちばん引っかかった。
自宅へ着くころには、空はすっかり夕方の色へ寄っていた。陽介は鍵を回し、半歩だけ息を整えてから扉を開ける。
中には、見慣れた明かりがある。
すぐに、味噌と出汁の匂いが鼻先を掠めた。
「ただいま」
「おかえり」
台所から返ってきた声は、いつも通りだった。鳴上はコンロの前に立ったまま、鍋の火加減を見ている。
その姿を見た瞬間、陽介は少しだけ肩の力が抜けた。無意識に詰めていたものが、そこでほどける。
何だそれ、と自分で思う。
だが、思うだけで否定はできなかった。
「今日は早かったな」
「講義、ちょっと巻いた」
「そうか。もう少しでできる」
鳴上はそう言って、鍋の蓋を少しずらす。
湯気がふわりと立ちのぼり、その向こうの横顔が少しだけ霞んだ。
特別なことは何もない。夕飯を作っているだけだ。
なのに、その何でもなさが妙に胸へ落ちてくる。
陽介は鞄を置き、手を洗ってから食卓についた。
箸や茶碗は、もう何も言わなくても二人分揃っている。
こういうのが普通になって久しい。
久しいのに、今日はやけに一つ一つが目についた。視界の中で輪郭が強い。
「どうした」
鳴上が振り向かずに訊く。陽介は一度だけ逡巡し、それでも結局そのまま口を開いた。
「今日さあ」
「うん」
「合コンに誘われたんだわ」
そこで、鳴上の手がほんのわずかに止まった。
止まったが、振り向かないまま味噌汁を椀によそう。
「そうか」
「反応うす」
「続きを待っている」
いつもの調子だった。だが、その静けさが逆に怖い。陽介は少しだけ身じろぎし、椅子に座り直した。
「で、断った」
「なぜ」
間髪がなかった。
鳴上は椀を置いてから、今度はようやくこちらを見る。
その目が妙にまっすぐで、少し困る。
「いや、何か気分じゃなくて」
「なんとなくで断る話ではないだろう」
「うわ、そこ切る?」
「切る」
即答だった。陽介は顔をしかめる。
だが、自分でもなんとなくで済ませられないことはわかっていた。
「……お前、こういう時だけやたら容赦ねえよな」
「こういう時だからだ」
そう返されると、軽口に逃がす隙がない。
陽介はため息をつきながら、湯気の立つ味噌汁へ視線を落とした。
豆腐が入っている。
主役にならない程度の大きさで、わかめと一緒に沈んでいるのが妙に鳴上らしかった。
「で」
短く促される。
陽介は箸を持つ手を止めたまま、机の木目を見つめた。
逃げ道を探しても、たぶんもうない。
「断る時さ」
「うん」
「なんか、お前の顔浮かんだんだよな」
言ってしまうと、急に妙な静けさが降りた。
鍋の中で小さく煮立つ音だけが、遠くの方で聞こえる気がする。
鳴上は何も言わなかった。
だが、その沈黙が一番面倒だった。陽介は自分から続きを足すしかなくなる。
「いや、別に深い意味あるとかじゃなくて」
「あるだろう」
「決めつけ早くね?」
「お前が俺の顔を思い浮かべて、他の誘いを断って、ここへ帰ってきた」
そこで鳴上は一拍置いた。
その間の取り方まで、妙に容赦がない。
「深い意味がないと思う方が無理だ」
陽介は言葉に詰まった。
反論したいのに、反論の形が見つからない。事実だけ並べられると、逃げ場が薄い。
「だから、そういうのをさ」
「何だ」
「淡々と追い詰めるの、やめろって……」
「確認しているだけだ」
「圧があるんだよ、その確認に」
鳴上はそこで小さく息をついた。
だが視線は逸らさない。逸らさないまま、さらに言葉を重ねてくる。
「お前は、なぜ俺の顔が浮かんだ」
「知らねえよ、そんなの」
「知らないまま断ったのか」
「断ったけど」
「それで帰ってきた」
「帰ってきたけど」
「そして今、その話を俺にしている」
一つずつ並べられる。
逃がさない確認。
陽介は額を押さえた。
自分でも何をしているのか、途中からだいぶわからなくなっている。だから余計に困る。
「俺、どうしたいんだろうな」
ぽろりと出たのは、ほとんど独り言だった。
鳴上はそれを聞いて、少しだけ目を細める。
「少なくとも、他へ行きたいわけではなかった」
「……たぶん」
「ここへ来たかった」
「それは、まあ」
「俺のいる場所へ」
そこまで言われて、陽介は顔を上げた。
鳴上の方は相変わらず静かだ。静かなまま、最短距離で刺してくる。
「お前、ほんとさあ」
「うん」
「その言い方、反則だろ」
「反則かどうかは知らない。だが間違っているとも思わない」
陽介は何も言えなかった。
味噌汁の湯気が目にしみる気さえしたが、もちろんそんなはずはない。
自分の中で何かが動いている。
それはわかる。だがまだ、うまく名前がつかない。
少し前の自分なら、こんなことで立ち止まりはしなかった。
誘われたら行く、面白そうなら乗る、それで済んだ。
なのに今日は違った。
知らない誰かと過ごす時間より、ここへ戻ってくる方が自然だった。
そこがどうしようもない。
「陽介」
「何だよ」
「俺は、お前が他を断ってここへ来たことを、軽い話だと思わない」
その言い方に、胸の奥がわずかに跳ねた。
鳴上はまたそうやって、こちらの逃げ道を先回りで塞いでくる。
「それを聞いた以上、確認はする」
「……何を」
「お前が、俺をどう見ているか」
真正面からだった。陽介はしばらく固まった。
そこまで来るのか、と一瞬思う。だが鳴上なら来るとも思う。
風邪をひいたあとの会話が、ふと頭をよぎった。
引こうとした時、引くなと押された。逃げる理由にはならないと言われた。
あの時から、たぶんどこかで待っていたのだろう。
こうして言葉の形になる瞬間を、自分でも気づかないまま。
「……普通では、ないんだと思う」
出てきたのは、そんな曖昧な言葉だった。
だが鳴上はそこで急かさない。ただ静かに先を待っている。
「友達とか、相棒とか、そういうので収まる感じでは、たぶんもうねえんだろうなって」
言いながら、自分の声が少しずつ低くなる。
恥ずかしいとか気まずいとかより、いよいよ認めるしかない感覚が近い。
「お前といるの、自然なんだよな」
鳴上の目が、わずかに揺れた気がした。
ほんの一瞬だったが、見間違えではないと思う。
「帰ってきて、お前がいて、飯があって。そういうのが普通になってて」
陽介はそこで一度だけ言葉を切った。
これ以上先へ行くと、戻れない気がした。
だが、もう半端に止まる方がきつい。
鳴上の顔を見ていると、そう思う。言わせる顔をしているのが腹立たしい。
「今日もさ、誘われた時に浮かんだの、お前だったし」
「うん」
「だから、たぶん」
陽介は観念したように息を吐いた。
ここまで来たら、もういいだろうと思った。
「俺、お前のこと、そういう意味で見てんだと思う」
言い切ったあと、急に顔が熱くなる。
鳴上の方を見るのも少し怖い。それでも、視線は逸らしたくなかった。
鳴上はしばらく何も言わなかった。
食卓の上にある箸と椀、窓の外の音、その全部が妙に鮮明になる。
やがて、鳴上が静かに口を開く。
「俺は、前からそのつもりだった」
あまりにも当然みたいに言うから、陽介は一瞬何を言われたのかわからなかった。
理解が少し遅れて追いつく。
「……は?」
「お前を同居に引き込んだ時点で、かなりそうだったと思う」
「お前、それ今さら言う?」
「今さら確認が取れたからな」
淡々としている。
だが、その声の奥にあるものは、もう聞き違えようがなかった。
陽介は額に手を当てたくなる。
「いや、待て待て待て。じゃあ俺、だいぶ長いこと掌の上じゃねえか」
「掌の上に乗せたつもりはない」
「乗せてるだろどう考えても」
思わず突っ込むと、鳴上が少しだけ笑った。
その小さな変化が、妙に嬉しい自分がいて、それもまた困る。
「それで」
鳴上が言う。また確認の顔だ。
「お前は、どうしたい」
「まだ聞くのかよ」
「聞く」
「容赦なさすぎだろ……」
文句を言いながら、陽介は自分でもわかっていた。
ここで曖昧にして終わらせたくないのは、自分も同じだ。
合コンを断って、ここへ帰ってきた。
今こうして夕飯を食いながら、この話をしている。それがもう答えの半分だった。
「……俺、たぶん」
言葉を探す。
鳴上は急かさない。
「恋人とか、そういうのでいい気がする」
言ってから、自分でひどく照れた。
好きより先に恋人が出るあたりが、ひどく自分らしい気がした。
鳴上はその言い方に少しだけ目を細めた。
笑ったのか、安堵したのか、その両方だったのかはわからない。
「かな、じゃなくていいのか」
「お前、そこ詰める?」
「確認は必要だ」
「言霊使いかよ……」
「今さらだろう」
返されて、陽介は笑ってしまった。
笑った拍子に、肩から力が抜ける。ああ、もう駄目だなと思う。
ここまで来て嫌じゃない。むしろ、しっくり来ている。
その時点で、だいたい答えは出ていたのだろう。
「……いいよ。恋人、で」
言い直すと、鳴上は静かに頷いた。
その頷き方が、やけに大事そうで困る。
「わかった」
「そこは嬉しいとかねえの?」
「ある」
「あるんだ」
「かなり」
短い返事だった。
だが、そのかなりの重さが鳴上らしくて、陽介はもう一度だけ笑った。
派手な告白でもなければ、劇的な演出もない。ただ夕飯の途中で、いつもの食卓の上で、静かに関係が変わっただけだ。
それなのに、何かがきちんと収まった感覚がある。ずっと微妙に引っかかっていたものが、ようやく言葉の形を得た。
鳴上は味噌汁の椀を取り上げ、少し冷めたそれを飲んだ。その横顔はいつも通りに見える。見えるのに違う。
「陽介」
「ん?」
「合コンは、今後も断るのか」
「恋人になった直後に確認することそれ?」
「必要だからな」
「必要って便利な言葉だなおい」
呆れて言うと、鳴上はわずかに口元を緩めた。
その表情を見た瞬間、断って帰ってきて正解だったと思う。
「まあ、少なくとも今日断ったのは正解だったんじゃね」
「俺もそう思う」
「即答だな」
「当然だろう」
鳴上はそう言って、白米を口に運ぶ。
その調子が普段通りすぎて、逆に笑えてくる。
恋人になったからといって、急に何かが変わるわけではないのかもしれない。いや、変わるのだろうが、形は同じだ。
食卓があって、夕飯があって、帰る場所がある。その中に、今までより少しだけはっきりした意味が増えただけだ。
陽介は箸を持ち直し、味噌汁をひと口飲んだ。豆腐は相変わらず主役ではなく、ちゃんと味噌の味が勝っている。
「どうした」
「いや、別に」
「そうか」
「……お前、やっぱりそういうとこだわ」
「何のことだ」
「好きだなって話」
言うと、鳴上は珍しく少しだけ目を見開いた。
その反応が見られただけで、だいぶ満足だった。
それから鳴上は、ほんのわずかに視線を逸らし、すぐに戻す。
「俺もだ」
短い。
だが、それで十分だった。
部屋の中には、いつもの夜がある。
そのいつもの意味だけが、今夜から少し変わった。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学生)
花村陽介(M大に入学した大学生)
次回もよろしくお願いします