スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
御茶ノ水駅から少し歩いた先に、その喫茶店はあった。
表通りから一本入った場所にあり、昼の人通りが少しだけやわらいでいる。
ガラス扉を押して中へ入ると、低く流れるジャズが耳に入った。
古い木の床はよく磨かれていて、足音だけが小さく沈んでいく。
店内を一度見渡し、案内される前に奥の席へ目をやる。
壁際のソファー席が空いていたので、そちらを選ぶ方が話しやすいと思った。
えんじ色のベルベットが貼られたソファーは、見た目より沈み込みが浅い。
背を預けても姿勢が崩れにくく、こういう話をするには都合がよかった。
向かい側に陽一おじさん、その隣に陽介が座る。
自分は通路側に腰を下ろし、机の上の水の位置だけ先に整えた。
注文を取りに来た店員へ、三人それぞれ飲み物を頼む。
おじさんはブレンド、陽介はクリームソーダに少し迷ってからアイスコーヒーを選んだ。
氷の音が遠くで触れ合うのを聞きながら、時計を見る。
約束の時間ちょうどで、遅れも早すぎることもなく始められるのは助かった。
こういう場では、最初の数分で流れが決まる。
余計な前置きが長いと、確認すべきことまで曖昧になりやすい。
「それで」
先に口を開いたのはおじさんだった。
「話というのは、同居の件でいいんだな」
「うん」
陽介が頷く。
「去年からやってた、おためしのやつ。あれ、今年度もこのまま続けようって話になって」
言い切ったところで、テーブルの下で足先の向きを変えたのが見えた。
緊張しているというより、言い出した後の着地点を探している時の癖に近い。
「なるほど」
おじさんはそこで急かさず、水を一口飲んだ。
「続けること自体に反対するつもりはないが、確認はしたい」
その言い方なら、まず大きく崩れない。
必要な項目を順に見ていく流れだと分かり、肩の力を少しだけ抜いた。
「学業への影響はどうだ」
「そこは、だいじょぶ。去年も単位は落としてないし」
「今年は二年だ。課題も少し変わるだろう」
「通学時間は今の部屋の方が安定しています」
陽介の言葉が止まる前に、短く補った。
「生活時間も固定しやすいので、遅刻や寝不足は減っています」
おじさんがこちらを見る。
必要以上に言葉を足さず、その視線が戻るのを待つ。
「実際、去年より朝は回ってると思う」
陽介が続ける。
「一人だった時より、飯とか支度とか、変に崩れにくいし」
その表現は少し曖昧だったが、意味は足りていた。
おじさんもそこを細かく咎めず、次の項目へ移る。
「費用の負担は」
「家賃は今の配分で偏りません」
今度は先に答えた。
「光熱費と食費を含めても、大きな片寄りは出ていません」
「数字は見ているのか」
「はい。月ごとに確認しています」
「そうか」
注文した飲み物が運ばれてきて、一度会話が切れた。
カップの置かれる音が小さく重なり、ジャズの低音がその隙間へ戻ってくる。
湯気の立つコーヒーがおじさんの前に置かれる。
陽介のグラスには氷が多めに入っていて、水滴がすぐ外側へにじみ始めた。
ストローの包みを陽介が雑に折りかけたので、テーブルの端へ寄せ直す。
こういう場で紙片が散ると、会話と関係ないところで気が削がれる。
「家事はどう分けている」
「えーと、飯は悠が多めで、俺は買い物とか」
そこで少し考え込む間が空いた。
「あと、洗濯物取り込んだり、そのへん」
「固定ではなく、その日の帰宅時間で調整しています」
補足すると、おじさんが頷く。
「朝食の準備は俺が先に起きる分を担当していますが、買い物や片づけは陽介が拾う日も多いです」
「なるほど。どちらか一方に寄りすぎていないならいい」
「寄りすぎてはない、はず」
陽介がそう言ってグラスに触れる。
断定するには少し躊躇いがあるのだろうが、否定の響きは入っていない。
「生活がだらける心配は」
おじさんはそこで少しだけ言葉を選んだ。
「一緒にいる方が楽になる分、境目が曖昧になることもある」
それはもっともだった。
同じ部屋で過ごす時間が長いほど、緩さは自然に混じる。だからこそ、どこが崩れていないかは先に整理してきた。
「平日は起床と外出の時間をほぼ固定しています」
カップの持ち手に触れながら答える。
「課題の締切や試験前は、先に予定を共有して調整します。生活の方は、その方が回しやすいので」
「共有って、わりとちゃんとしてるな」
陽介が半分笑う。
「まあ、うん。言われてみればそう」
曖昧に笑ったあと、視線が少しだけ下がった。
そのままでも問題はないが、ここで話を泳がせると、必要以上に気を遣う流れになりやすい。
「部屋の更新条件も確認済みです」
言うと、陽介がこちらを見る。
「継続する場合に必要な手続きと時期は、先に整理してあります」
「もうそこまでか」
おじさんの声に、驚きはあっても重さはなかった。
「なら、考えなしに続けるわけではないと見ていいな」
「はい」
それだけ返す。
説明を増やす場面ではないと思ったので、そこで止めた。
おじさんはコーヒーを一口飲んで、しばらく黙った。
店内のジャズがサックスへ変わり、隣の席でカップソーサーの触れる音が小さく鳴る。
「陽介」
「うん」
「お前は、この形で続けたいんだな」
聞かれた陽介は、一度だけ息を整えた。
グラスの縁から手を離し、今度はまっすぐ顔を上げる。
「続けたい」
短く言って、それから少しだけ言葉を足した。
「負担になってるなら別だけど、そうじゃないなら、このままの方がちゃんと暮らせると思う」
言い終えたあと、指先がグラスの水滴をなぞった。
そこに迷いがないとは言わないが、少なくとも逃げる言い方ではなかった。
おじさんはその返答をそのまま受け取り、こちらへも視線を向ける。
確認は十分だろうと思い、姿勢を崩さず見返す。
「分かった」
おじさんはそこで頷いた。
「学業に支障がなく、費用も偏らず、生活が回っているなら、継続に異論はない」
その一文で、場の張りが一段だけ下がった。
陽介の肩が、分かる程度に少しだけ落ちる。
「ただし、何か崩れるようなら早めに言え」
「うん」
「続けると決めたなら、続けるための見直しも必要になる」
「分かってる」
そこまで聞いて、十分だと思った。
これ以上同じ話題を引っ張ると、承認より検査の余韻が残りやすい。
グラスの結露がコースターの端へ滲んでいるのを見て、紙ナプキンを一枚寄せる。
陽介がそれに気づいて、小さく礼だけ言った。
「今月、洗剤と保存容器を買い足す予定です」
そのまま話題をずらす。
「食費の見直しも一度やるつもりなので、必要なら配分を再調整します」
「急に生活感が強いな」
陽介が言う。
「報告が済んだなら、次はそっちだろ」
「まあ、そうだけど」
おじさんがそこで初めて少し笑った。
「その調子なら、少なくとも形だけで続けることにはならなさそうだ」
「今のところ、崩す理由がないので」
答えると、陽介が横でまた小さく息を漏らした。
さっきとは違い、今度は完全に力の抜けた音だった。
会計を済ませて店を出ると、午後の光が通りへ落ちていた。
駅の方から人の流れが戻ってきていて、喫茶店の静けさだけが扉の向こうへ残る。
おじさんと別れたあと、しばらくは並んで歩く。
陽介はすぐには何も言わず、代わりに肩の位置だけがさっきより自然になっていた。
「とりあえず、通ったな」
数歩してから、ようやく陽介が言う。
「確認はされたけどな」
「そりゃそうだろ。親だし」
その通りだった。
反対されなかったことより、必要な確認を通ったことの方が、今後の生活には都合がいい。
「このままスーパー寄る」
「もう切り替え早いな」
「牛乳がない。パンも減ってる」
「はいはい。じゃ、今日は俺カゴ持つ」
駅前の通りへ向きを変える。
家に戻れば、更新の書類を入れるファイルの位置も、買ったものを置く棚も、もう決まっている。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学二年生)
花村陽介(M大に入学した大学二年生)
花村陽一(陽介の父。現在の勤務地は御茶ノ水近辺にあるジュネス東京オフィス)
※ずっと鳴上目線なので、陽一のことは「陽一おじさん」「おじさん」と呼んでいるのです)
次回もよろしくお願いします