スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
式が始まるまでのあいだ、武道館の中は独特のざわめきに満ちていた。
高い天井の下で人の声がいくつも重なり合い、少し遅れて耳に返ってくる。
案内に従って席へ向かう流れは整っているのに、そこかしこで写真や会話が止まらず、祝祭の日らしい落ち着かなさが残っていた。
鳴上はその空気の中を歩きながら、隣にいる陽介を一度だけ見た。
陽介は完全に場に馴染んでいるわけではなかったが、居心地悪そうにもしていなかった。
案内表示を見上げては周囲を見回し、物珍しそうに視線を巡らせている。
場違いであることを自覚したうえで、それでも引かない顔をしていた。
そういうところは昔から妙に図太い。
「武道館って、もっと薄暗いとこかと思ってた」
「何を想像していたんだ」
「ライブ会場とか試合の映像の印象」
「入学式の会場としては十分明るいだろう」
「いや、そうなんだけどさ」
陽介は言いながら、どこか納得していない顔で天井を見上げた。
こういうどうでもいい感想を挟むせいで、周囲の厳かな空気が少しだけ遠のく。
鳴上は案内に従って席を確かめ、余計なことを言い出す前に座るよう視線で促した。
陽介はそれに気づいて、肩を竦めるようにして従った。
席に落ち着いてからも、周囲の音は完全には静まらなかった。
近くでは、母親らしい女性が息子の肩を軽く叩きながら何かを言っている。
少し前方では、父親がスマートフォンの画面越しに壇上を撮っていた。
式典が始まる前の数分だけ許された、落ち着かない親子の時間なのだろうと思う。
目に入るたび、別に何かを思うつもりはなかった。
羨ましいとも、寂しいとも、今さら言うほどのことではない。
ただ、景色の大半がそういう組み合わせでできていると、自分がその輪の外にいることだけは否応なく分かった。
その認識を持て余しかけたところで、隣から小さな声が落ちてきた。
「おい、あの人たぶん保護者席間違えてる」
「見るな」
「いやだって、さっきから三回くらい係の人に聞いてる」
「だから見るな」
「悠、こういう時だけ妙に冷たいよな」
鳴上は前を向いたまま、小さく息をついた。
陽介の声量は抑えられていたが、内容はあまり抑えられていない。
それでも、そのくだらない観察に意識を持っていかれる分だけ、周囲の家族連れを眺め続けずに済んでいる。
たぶん陽介は、そのことを半分くらいしか自覚していない。
ほどなくして、会場全体のざわめきが少しずつ薄れていった。
開式を告げる案内が入り、人の動きが止まり、場の空気が一段落ち着く。
整えられた式次第に従って、言葉と音が順に流れていく。
鳴上は背筋を正し、壇上へ視線を向けた。
大学名、祝辞、歓迎の言葉。
どれも今日という節目にふさわしい、過不足のない言葉だった。
新しい環境に進む者へ向けられる整った文言は、聞き流そうと思えばそうできる程度に端正だった。
だが、こういう型通りの言葉は嫌いではなかった。
自分がどこへ向かうのか、まだ具体的に見えているわけではない。
それでも、大学へ進むという選択だけは、自分の意思で決めたものだった。
都内へ戻り、高校を一年過ごし、その先としてT大を選んだ。
そうして今ここにいることは、少なくとも他人に決められた結果ではない。
壇上を見つめながら、鳴上はそんなことを考えた。
何か特別な感慨があるわけではない。
ただ、目の前の式典が、自分の生活を少しだけ次の段階へ押し出していることは分かった。
それを一人で受け取るはずだった。
そう思った瞬間、横から紙の擦れる小さな音がした。
視線だけを向けると、陽介が式次第の紙面をまじめな顔で見ている。
内容を追っているのか、単に手持ち無沙汰なのかは分からない。
だが少なくとも、途中で飽きて寝たりはしていなかった。
鳴上はわずかに口元を緩めそうになって、すぐに戻した。
式の最中に笑う理由としてはあまりにもくだらない。
それでも、自分の入学式に陽介が同席しているという状況は、少し時間が経ってもなお妙だった。
現実味が薄いわけではないのに、どこかだけ現実離れしている。
式が進むにつれて、会場の空気は徐々に均されていった。
入学を迎えた高揚も、保護者の落ち着かなさも、ひとつの式典の中にうまく収まっていく。
人が大勢いれば、それぞれ事情は違っていても、見た目の上では同じ節目を迎えた集団になる。
その中に、自分もきちんと含まれている。
そう感じられたのは、たぶん陽介が隣にいたからだった。
親ではないし、大学の関係者でもない。
だが、誰もいない状態と、ひとり隣にいる状態では、同じ式でも受け取り方が違う。
その違いを、鳴上は言葉にするつもりはなかった。
閉式が近づいたころ、陽介がわずかに姿勢を動かした。
退屈したというより、式の終わりを察した動きだった。
それを横目に見ながら、鳴上は最後の案内を聞き流す。
無事に終わった、とまず思った。
式が終わると、張りつめていた空気は一気にほどけた。
椅子を引く音や立ち上がる気配が重なり、会場全体に人の流れが戻ってくる。
前方ではさっそく保護者が子どもに声をかけ、周囲でも笑い声が増えていた。
鳴上も立ち上がり、式次第の紙を軽く折りたたんだ。
「終わったな」
「意外とちゃんと見ていたな」
「なんだよその言い方」
「途中で飽きるかと思っていた」
「失礼すぎるだろ」
陽介は不服そうな顔をしたあと、すぐに周囲へ視線を向けた。
人の流れが出口へ集まり始めている。
家族連れはその場で写真を撮るか、外へ出てから合流するかで動きが分かれていた。
そうした空気を見てから、陽介は鳴上へ顔を戻した。
「写真とか、撮るか?」
「別にいい」
「まあ言うと思った」
「お前は撮りたいのか」
「俺はどっちでもいいけど、せっかくっちゃせっかくだし」
鳴上は少しだけ考え、それから首を横に振った。
記録がいらないわけではないが、この場で立ち止まって撮る理由もあまり思いつかない。
陽介もそれ以上は勧めず、あっさり引いた。
無理に何かを足さないところも、助かる時がある。
二人で人の流れに乗り、武道館の外へ出る。
朝よりも人は増えていて、門の近くはさらに賑やかになっていた。
式を終えた新入生たちが保護者と合流し、何枚目か分からない記念写真を撮っている。
春先の陽射しはまだ柔らかく、スーツの肩をほんの少しだけ温めていた。
外へ出たところで、陽介が大きく息を吐いた。
「終わってみると、なんかあっという間だな」
「式典はそんなものだろう」
「もっとこう、大学生になったって感じするのかと思ってた」
「今さら実感するものでもない」
「悠はそういうこと言うよな」
陽介は笑いながら言い、それから足を止めた。
視線の先には、ホテルのある方角へ続く大通りがある。
今夜の食事の予定を思い出したのだろう。
鳴上も同じことを考えて、腕時計に目を落とした。
「夜は、親父たちと飯だからな」
「聞いている」
「時間まではまだ余裕あるけど、いったん戻るか」
「そうするつもりだ」
「じゃ、夕方にホテル集合でいいか」
鳴上は頷いた。
陽介の両親が上京している以上、今夜の食事はもともと決まっていた。
だが、その予定が今日に限っては少し違う意味を持っている気がした。
陽介の入学祝いの前日であり、鳴上の入学式の当日でもある。
どちらか一方だけを祝う席ではなくなるのだろう。
そう考えると、少しだけ妙だった。
だが、悪い気はしなかった。
少なくとも、今日一日が武道館で終わって、そのまま各自解散になるよりはずっとよかった。
「じゃあな、悠」
「ああ」
「明日は俺の番だから、ちゃんと見とけよ」
「寝坊しなければな」
「しねえよ」
陽介は即答して、それから少しだけ目を細めた。
不満そうでもあり、笑っているようでもある顔だった。
そのまま背を向けて人混みの中へ入っていく。
鳴上はその後ろ姿を見送り、わずかに息をついた。
式の前に一人で立っていた時よりも、足元の感覚がずっと軽い。
入学式そのものが何かを大きく変えたわけではない。
ただ、始まりの日として記憶に残るなら、今日の景色はたぶん思っていたより悪くない。
鳴上はそう考えて、ホテルへ向かう時間を頭の中で組み直した。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学生)
花村陽介(M大に入学する大学生(もうすぐ入学式))