スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
日曜の午前は、朝から気温が高かった。
駅まで歩くだけで背中に熱がたまり、日陰へ入った時だけ、ようやく息が少し軽くなる。
陽介は隣を歩きながら、いつもより口数が少なかった。
黙り込むほどではないが、要らない一言を足す余裕までは持たず、必要な返事だけを置いてくる。
「暑いな」
「今日は高い」
「だよな。家出る前からもう負けてた」
「水は持ったな」
「持った。ハンカチもある」
言いながら、陽介は鞄の位置を肩で直す。
そのあと襟元へ一度手が行き、さらに靴のつま先をちらりと見た。
別に汚れてはいない。
昨日のうちに拭いたのも知っているが、確認する仕草が二度続けば、落ち着いていないことくらいは分かる。
「そんなに見なくても平気だろ」
「いや、見るだろ、こういう時は」
「見てる」
「見てるのかよ」
そこで少しだけ笑ったが、すぐに表情は元へ戻った。
駅のホームへ上がる階段でも歩幅が半歩だけ慎重で、考えることがまだ前に残っている。
電車に乗ってからも、陽介は窓の外を見る時間が長かった。
話しかければ返すし、黙り切ることもない。ただ、気を紛らわせるより、順番に整えている最中らしかった。
「母さんは柔らかい」
車内アナウンスの切れ目で言う。
「父さんも、いきなり踏み込む方じゃない」
「そういうフォローを今入れるってことは、やっぱ必要なやつ?」
「必要そうだから言った」
「だよなあ」
返事のあと、陽介は膝の上の手を組み直した。
隠すほどではないが、見せすぎない位置で処理したい時の動きに近い。
「で、その」
少し間を置いてから、陽介が言う。
「お父さんの方が考古学のすごい人で、お母さんが修復のすごい人、で合ってる?」
「大体合ってる」
「大体って便利だな」
「説明を増やしても今はあまり意味がない」
「それはそう」
そこで会話は切れた。
電車が揺れ、窓に映る自分の顔を一度見てから、陽介はまた前を向く。
実家の最寄り駅へ着くと、空気の熱がそのまま地面から返ってきた。
改札を抜けて住宅街へ入ると、車の音が遠のき、代わりに蝉の声だけが近くなる。
この道は、陽介にとって初めてではない。
何度か一緒に来ているし、掃除や換気の時に手を借りたこともあるので、曲がる角で迷うことはなかった。
ただ、今日は歩く速度が少し固い。
普段なら道沿いの店や看板に一言入るところが、そのぶんだけ静かだった。
「昼、そんな長くはならない」
「うん」
「食って、少し話すくらいだ」
「助かる」
「変に構えなくていい」
「それができたら苦労しねえんだよ」
そう返したあとで、陽介は自分で少し笑った。
その笑いが無理のあるものではなかったので、玄関に着く頃には多少ましになるだろうと思う。
門扉を開けると、手入れの行き届いた庭木の匂いがした。
うちの実家は広く整っているが、見せつけるような派手さはない。暮らしと仕事の輪郭が、静かに重なっている家だった。
玄関の鍵を回し、扉を開ける。
一歩中へ入るだけで外の熱が切れ、乾いた空気と、よく整えられた家の匂いが戻ってくる。
「おじゃまします」
陽介が靴を脱ぎながら言う。
普段ここへ来る時より、声が半音だけ丁寧だった。
「そのままでいい」
言ってから、自分の靴を棚の端へ寄せる。
並びを見れば、両親がすでに着いているのはすぐ分かった。父の革靴と、母の淡い色の靴が奥に揃っている。
廊下の先から足音がした。
最初に現れたのは母さんである、鳴上春奈だった。柔らかな色味の服装なのに、姿勢の線がまっすぐで、それだけで場の空気が少し整う。
「悠」
「ただいま」
「おかえりなさい」
母さんの視線がすぐ隣へ移る。
そこで陽介が一歩だけ背筋を伸ばしたのが分かった。
「花村陽介です。今日はお邪魔します」
普段より少し硬い声で言う。
礼の角度は深すぎず浅すぎずだが、その前に呼吸を一つ入れていた。
「ようこそ。来てくださってありがとう」
母さんはやわらかく微笑んだ。
声は上品だが遠くない。相手を試すような響きはないのに、こちらをまっすぐ見ている感じだけははっきりしていた。
その奥から、父さんである、鳴上友樹も姿を見せる。
父は母とは別の意味で目を引く。華やかというより輪郭が整いすぎていて、静かに立っているだけで空気が締まる。
陽介が、ほんのわずかに目を見開いた。
その反応だけで十分だった。顔面国宝級、という雑な言い方をしたくなる気持ちは分かる。
「鳴上友樹です」
父さんは落ち着いた声で言った。
「暑かったでしょう。どうぞ上がって」
「はい。ありがとうございます」
陽介の返事はきちんとしていたが、完全に平常ではない。
目線の置き方が一拍だけ遅れ、鞄の持ち手を握る指先にも少し力が入っていた。
「荷物、客間へ置く」
間を空けすぎないよう言うと、陽介がすぐこちらを見る。
「うん、頼む」
返事が少し早くなったので、そのまま鞄を受け取った。
客間までの廊下は、陽介ももう何度か歩いている。
最初の頃ほど周囲を気にしてはいないが、今日は足音を少し抑えていて、家の空気に合わせようとしているのが見えた。
客間の襖を開け、荷物を端へ置く。
シーツも座布団も昨日のうちに整えてあるので、そのまま人が入っても崩れはない。
「水、出す?」
陽介が小さく聞く。
視線は廊下の先へ向いていて、勝手に台所へ入るべきかどうかだけを一度確認していた。
「冷蔵庫の麦茶でいい」
「了解」
それで十分だった。
生活空間の範囲なら、ここで陽介が動くことはもう不自然ではない。
台所へ戻ると、母さんは食卓の上を軽く整えていた。
父さんはダイニングの椅子を一つ引き、座る前にこちらを一度見て、それから配置を変えずにそのまま手を止める。
誰がどこへ座るかまでは、こちらが決める必要はなかった。
ただ、陽介を母の真正面へ置くより、少し斜めにした方が会話の流れはやわらかくなる。
「こっちでいい」
短く言って椅子を一つ引く。
陽介は何も聞き返さず、その位置へ自然に入った。
そこへ、冷蔵庫から麦茶を出した陽介が戻ってくる。
グラスの場所を探す手つきに迷いがない。上段右の棚から四つ出し、そのうち二つだけ先にテーブルへ置く。
母さんの視線が、その動きへふと向いた。
父さんも何も言わないまま、グラスの置かれ方を一度だけ見ている。
「場所、覚えてくれていたのね」
母さんが言う。
声音は軽いが、ただの雑談として流している感じでもなかった。
「何度か来てるので」
陽介は少しだけ笑って答える。
「勝手に触っていいとこだけですけど」
「十分よ」
母さんはそう言って席についた。
「悠はそういう線引きをきちんと守るでしょう」
その言い方なら、陽介も答えやすい。
実際、陽介は鳴上家の生活空間にはかなり馴染んでいるが、奥の領域へは自然に踏み込まない。
「まあ、うん」
陽介がこちらを一度見てから言う。
「そこは、なんとなく分かるんで」
「分かるなら十分です」
父さんが静かに言った。
そこで話は一度切れたが、空気が詰まることはなかった。
昼食は、母さんが整えていたものを中心に並べた。
煮物や和え物の器は小ぶりで上品だが、量はきちんとある。海外から戻った直後でも、そのあたりは崩れないらしい。
足りない分の味噌汁は、自分が鍋からよそう。
その動きへ陽介が自然に手を出し、取り皿を横から回したので、そのまま受けて並べる。
「ありがとう」
母さんが言う。
向けられたのが自分だけではないと分かる位置の言い方だった。
「いえ」
陽介は短く返し、すぐ手を引いた。
出しゃばらず、引きすぎずという線を測っているのが分かる。
食事が始まると、最初の数分は穏やかな確認で進んだ。
大学のこと、暑さのこと、休みの入り方。父さんは問いを絞って投げ、母さんはその隙間をやわらかく繋ぐ。
「M大は、今はもう休みに入ったのかしら」
「入りました。前期のレポートがやっと片づいた感じです」
「悠も似たようなものね」
「こっちは片づいたというより、次が来る前にいったん切れた感じだけど」
自分が返すと、母さんが小さく笑う。
そこへ陽介も少し遅れて笑ったので、緊張はまだあるが完全には硬直していない。
「機械工学は、やはり忙しい?」
父さんがこちらへ向けて聞く。
「前より、手順が増えた」
「だろうな」
「でも、去年より生活は組みやすい」
答えながら、ご飯の量を見て味噌汁の鍋を少し寄せる。
陽介の茶碗はまだ半分残っていたので、おかわりを勧めるほどではない。
「生活が組みやすい、というのは」
母さんがそこで言葉を拾う。
「二人で、という意味もあるのかしら」
問い方はやわらかいが、見ている場所は正確だった。
そこで曖昧に濁すより、事実のまま置いた方が自然だと思う。
「ある」
短く答える。
「分担が固定じゃないぶん、調整しやすい」
「へえ、なんか悠がそういうことちゃんと言うの新鮮」
陽介が思わず入れる。
言ったあとで少しだけ視線が泳いだので、軽口の入れ方を一瞬測り損ねたらしい。
ただ、母さんは気にした様子を見せなかった。
「そういう話を、悠は必要ならちゃんとしますよ」
そう言って、今度は陽介の方を見る。
「でも、たしかに普段はあまり自分から言わないかもしれないわね」
「はい、まあ……」
陽介の返事は少し曖昧になったが、食事の手は止めなかった。
そのぶん、落ち着いてきていると分かる。
途中、母さんが箸置きを探すように一度だけ視線をずらした。
その前に、陽介が横の小皿を一つ寄せる。箸置き代わりに普段こちらが使っている置き方だった。
「あ」
母さんが小さく声を漏らす。
「助かります」
「すみません、つい」
陽介はすぐ手を引こうとした。
だがその置き方は完全に家の流れに馴染んでいて、わざわざ崩す方が不自然だった。
「そのままでいい」
言うと、陽介がこちらを見る。
その隙に、母さんはもう一度だけ小さく微笑んだ。
父さんは何も言わなかったが、視線が一度だけ自分と陽介の間を通った。
確認するようでも、警戒するようでもなく、形を見て納得する時の静かな見方だった。
食事が進むにつれて、会話も少しだけ平らになる。
緊張で硬くなっていた陽介の返事も、最初より自然な長さに戻ってきた。
「悠は、家のこともきちんと見てくれていたのね」
母さんが湯飲みに手を添えながら言う。
「洗面所の備品も、台所のものも、減った分がちゃんと補われていたから」
「週末ごとに見てる」
「そうでしょうね」
母さんの返しは静かだった。
ただ、その中には単なる家事の確認以上のものが入っているように聞こえた。
「陽介くんも、手伝ってくれているのかしら」
今度は母さんが直接尋ねる。
陽介は少し姿勢を正してから答えた。
「来た時に、できることは」
「掃除とか換気とか?」
「そのへんです。あと、物運んだり」
「そう」
母さんはそれだけ言って頷いた。
軽く流したわけではなく、必要なことだけ受け取った時の頷き方だった。
父さんも、そこで初めて口を開く。
「家の方は、きちんと見てくれていたようだな」
「最低限です」
「最低限でこれなら十分だ」
短い評価だったが、それで足りる。
そこで父の視線が少しだけ動き、今度は陽介の方へ向いた。
「勝手の分かる人間が増えるのは助かる」
言い方は穏やかだった。
だが、ただの来客へ向ける言葉ではない。
「え、いや、そこまでじゃ」
陽介は少し戸惑ったように返す。
ただ、そのあとで何を足すべきか迷い、結局グラスへ手を伸ばした。
そこは無理に補わなくていいと思ったので、何も挟まない。
陽介がこの家の全部を知っているわけではないし、こちらもそうさせるつもりはない。ただ、生活空間の中にいること自体は、もう十分自然だった。
食卓の上の皿が少しずつ減っていく。
その流れの中で、誰が茶を継ぎ、どの皿を奥へ寄せるかが、説明なしに決まっていくのを見る。
陽介が次に立ったのは、急須の湯が切れた時だった。
置き場所を完全に知っているわけではないので一拍だけこちらを見るが、湯飲みの棚はもう覚えていて、先にそこを開けている。
「上、左から二つ目」
言うと、陽介は頷いて急須を出した。
そのやり取りが短すぎたのか、母さんが今度ははっきりとこちらを見た。
「本当に、もうかなり慣れているのね」
母さんの言葉は感想の形をしていた。
だが、その実際の意味は、家の中での呼吸の揃い方を見ているものだった。
「生活空間なら」
答える。
「手伝ってもらうこともある」
「そう」
母さんはそれだけ言って、湯飲みを受け取った。
父さんも何も足さない。ただ、机の上へ置かれた湯飲みの位置を見てから、静かに礼を言った。
午後の光が障子越しにやわらいでいた。
この家は広く整っていて、生活感は薄い。それでも人のいない家ではなく、長く留守にしがちな持ち主の呼吸だけが、道具や本棚の並びに残っている。
食卓の中で動く陽介は、その呼吸を乱さない。
客として遠慮しすぎるわけでも、当然のように踏み込むわけでもなく、置かれた線の内側で自然に手を動かしている。
その様子を、父も母も見ている。
見てはいても、わざわざ名前をつけて指摘したりはしない。ただ、この家の中での自然さが、説明なしでも十分伝わっているのだと分かった。
母さんが箸を置き、ふとこちらへ視線を戻す。
その目線は、家を整えてきた自分だけでなく、今こうしてその流れへ入っている陽介まで含めて見ているようだった。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学二年生)
花村陽介(M大に入学した大学二年生)
鳴上友樹(西洋考古学の権威の一人。T大客員教授でもある)
鳴上春奈(文化財修復のスペシャリスト。特に古文書や稀覯本等の紙類文化財の修復では比肩するものなしといわれる)
次回もよろしくお願いします