スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
電車を降りて八十稲羽の空気に触れると、東京で張っていたものが少しだけ緩む。
気温そのものは大きく変わらないはずなのに、風の抜け方と人の歩幅が違うだけで、体の力の抜ける位置まで変わった。
駅前の景色は見慣れている。
新しくなった看板も、少し色の薄れた店先も、久しぶりというより、少し間を空けて戻っただけの顔で並んでいた。
改札を抜ける人の流れも、都会ほど急がない。
誰も立ち止まっているわけではないのに、肩をぶつけない程度の余白がいつもより多い。
陽介は隣で鞄の位置を直しながら、駅の外を一度見渡した。
東京で大学の話をしている時とは少し違い、視線の動きが早すぎず、町の中へそのまま馴染んでいく。
「戻ってきたって感じするな」
そう言って、息を一つ吐く。
声の高さも外向きのそれではなく、張る必要のない場所へ戻った時の自然な位置に落ちていた。
「するな」
「東京ももう普通なんだけどさ」
鞄の紐を肩へ掛け直して、少しだけ笑う。
「こっちは、別の意味で何も考えなくていい感じあるわ」
言いたいことは分かる。
地元だから何でも楽という単純な話ではないが、体が先に覚えている歩き方や間合いがある場所では、使う力が少し減る。
堂島家へ向かう道も、特別な感慨より先に順番が浮かぶ。
荷物を置く、土産を渡す、菜々子の様子を見る。そのあと陽介は花村家へ向かうが、それまでの流れはすでに固まっていた。
持ってきた土産は二つある。
堂島家へ渡す分は自分で選んだ無難な菓子で、もう一つは春奈から預かった、小さくて上品な包みだった。
菜々子へ、と春奈は言っていた。
大きすぎず、持ちやすく、受け取った側が置き場に困らない形で、箱の角も潰れにくいものを選んでいるあたりが春奈らしい。
帰省の荷造りでは、その箱を鞄の中央ではなく端へ寄せた。
押されて潰れないよう、衣類を下に敷いて、上には重いものを置かない形で収めたのを思い出す。
堂島家の玄関が見えてくると、陽介の歩調が半歩だけ緩んだ。
帰ってきた場所が別でも、この家へ入ること自体はもうかなり自然になっている。
「じゃ、荷物置いたら俺、いったん実家に戻るわ」
陽介の言葉に、一つうなずいた。
「分かった」
「夜、連絡する」
「待ってる」
それで十分だった。
いつまた会うかをわざわざ詰めなくても、流れの中で自然に合流する前提がもうできている。
インターホンを押す前に、土産の位置だけ確かめる。
春奈からの包みがきちんと無事なことを見てから呼び鈴を鳴らすと、ほどなくして中から足音が近づいてきた。
扉が開いて、最初に見えたのは菜々子だった。
少しだけ背が伸びて、髪の長さも前より整っている。それでも、こちらを見た瞬間に表情が明るく変わるところは変わらない。
「悠お兄ちゃん!」
「ただいま」
声の勢いのまま前へ出かけて、途中で陽介にも気づく。
「陽介お兄ちゃんも! おかえりなさい!」
「ただいまー」
陽介の返しは東京にいる時よりずっと軽い。
外で人と合わせる声ではなく、最初からこの呼び方に合った高さで返している。
菜々子が玄関の中へ一歩下がり、上がってと促す。
堂島は奥から「ちゃんと靴並べろよ」と声だけ飛ばしてきたが、その響きもいつも通りだった。
玄関を上がり、荷物を脇へ寄せる。
堂島家の中の空気は鳴上家とも今のマンションとも違うが、ここもまた別の意味で体が覚えている場所だった。
「土産」
持っていた箱を先に渡す。
菜々子は両手で受け取り、そのあとで自分の方を見る。
「あと、これは母さんから」
母さんから預かった小さな包みを出す。
「菜々子ちゃんに、って」
「えっ、菜々子に?」
菜々子が少し目を見開く。
受け取る手つきが慎重だったので、箱が小さいぶんかえって大事に扱っているのが分かった。
母さんが選んだそれは、淡い色の小箱だった。
焼き菓子の類だろうと思う。見た目は控えめだが、子どもが受け取っても重すぎず、かといって簡単すぎもしない。
「姉さんから?」
堂島が奥から出てきて言う。
「気を遣わせたな」
「そういうの、あの人はきっちりするから」
返しながら、箱の角が潰れていないのをもう一度だけ目で追う。
無事に渡せたので、ようやくそこは頭の中から外せた。
「開けてもいい?」
菜々子が包みを見ながら聞く。
「あとでな」
堂島がそう言うと、菜々子は素直に頷いて棚の上へ置く。
置く場所を少しだけ迷ったあと、日が当たりすぎない位置を選んだのが菜々子らしかった。
荷物を居間の端へ移し、土産の紙袋を脇へ寄せる。
その間にも、陽介は菜々子ともう二言三言やり取りを交わしていて、肩の力が完全に抜けているのが分かった。
「大学どう?」
菜々子が聞く。
「なんとかやってる」
陽介がそう返して、少しだけ大げさに肩を回す。
「でも、こっち帰ってくると、いろいろちがうなーってなる」
「何が?」
「空気とか、歩く速さとか」
「ふうん?」
菜々子は完全に分かった顔ではなかったが、話を聞いている時の笑い方は楽しそうだった。
堂島が冷たい麦茶を出してくれる。
グラスの表面がすぐに白く曇り、その温度だけで駅からの熱が少し下がる。
「花村、お前んとこ寄るんだろ」
堂島が陽介に言う。
「はい。荷物だけ置いたらいったん戻ります」
「そうか。あとで顔出せ」
「はい」
こういうやり取りも、もう去年より早い。
誰がどこへ寄り、どのくらいで戻るかを、いちいち説明し直さなくても通るところまで来ている。
陽介がいったん花村家へ向かったあと、居間の中は少し静かになった。
それでも、その静けさは空白ではなく、あとでまた戻ってくる前提のある短い間として置かれている。
堂島家の窓から見える景色も、前と大きくは変わらない。
遠くの山の色、道路を走る車の少なさ、昼の光の溜まり方まで、八十稲羽の時間は都会より少しだけ緩く進む。
菜々子は母さんからの包みが気になるらしく、時々そちらを見る。
それでも勝手に開けずに我慢しているので、先に冷蔵庫へ麦茶を戻し、テーブルの上を片づけてから「開けていい」と言った。
中に入っていたのは、小さく整った焼き菓子だった。
色も形も派手ではないが、手で持ちやすく、崩れにくい。子どもに渡すことをきちんと考えて選ばれている。
「きれい」
菜々子がそう言って、一つだけ指で示す。
「食べてもいい?」
「一つだけならな」
堂島がそう言うと、菜々子は嬉しそうに頷いた。
その光景を見ているうちに、町へ戻ってきた実感がゆっくり広がる。
大きな事件も、特別な予定もなく、ただ普通に会えて、普通に土産を渡して、普通に顔を見て話せること。今はそれだけで足りていた。
夕方が近づく頃、陽介から短い連絡が入る。
今から出る、とだけある。いつ戻るかの細かな説明がなくても、そのあとどのくらいで着くかはだいたい分かる。
菜々子が「陽介お兄ちゃん、来る?」と聞く。
「来る」
そう返すと、菜々子は分かったように頷いた。
この家にとっても、陽介がまたここへ戻る流れはもう珍しいものではなくなっている。
外へ少し出て、近所の店まで歩くことにした。
冷たいものを買うほどでもないが、家の中だけで一日を閉じるのも惜しいくらいには、八十稲羽の夕方は穏やかだった。
道を歩く人の少なさも、店先の静けさも、東京とは違う。
急いでいないのではなく、急ぐ必要のない速さで進んでいる人ばかりに見える。
途中で戻ってきた陽介と合流する。
花村家での時間を終えてきたあとの顔は、大学で見せる外向きのそれとも、東京の部屋で気を抜いた時とも少し違っていた。
もっと地元に寄った顔だった。
肩の落ち方も、返事の間も、この町の歩幅に合わせて自然にほどけている。
「なんか買う?」
陽介が聞く。
「菜々子にアイスでも」
「いいな、それ」
店に入り、冷凍ケースの前で少しだけ迷う。
選ぶ時間までゆっくりで、後ろから急かされることもない。そういう小さな間が、この町ではちゃんと成り立つ。
戻り道、陽介は袋を片手に持ちながら、もう片方の手で額の汗を拭った。
その動きも、東京で人の多い道を歩いている時よりずっと雑で、余計な力を使っていない。
「やっぱ地元だと違うな」
また同じようなことを言うので、隣で少しだけ笑う。
「さっきも言ってた」
「言いたくなるんだよ」
その気持ちは分かった。
自分にとっても八十稲羽は戻る場所で、町の空気も、人の呼び方も、道の曲がり方も、全部が体の中に先に入っている。
堂島家へ戻ると、菜々子がすぐ袋を覗き込む。
その反応も、堂島が苦笑しながら止める声も、何も変わっていないようでいて、またここへ来られたことの方が先に嬉しかった。
日が傾き始めた居間で、菜々子の笑い声と陽介の返事が重なる。
その音を聞きながら、この町へ戻れること自体がもう一つの安堵なのだと、説明なしに分かる気がした。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学二年生。菜々子だいすき)
花村陽介(M大に入学した大学二年生。菜々子だいすき)
堂島遼太郎(稲羽署の刑事。多分生活安全課と捜査課が合体してる部署にいる)
堂島菜々子(地元の小学校に通っている。周りのおとなたちを狂わせる大天使)
次回もよろしくお願いします