スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
ようやっと2期生最後のイベントおわったべや…
東京へ戻ったのは、夕方が夜へ切り替わる少し前だった。
玄関の鍵を開けると、閉め切っていた部屋の空気がわずかに重く、数日分の不在だけがそのまま中に残っている。
先に靴を脱ぎ、荷物を上がり框の横へ寄せる。
陽介も後ろから上がってきて、鞄を下ろす音だけが、八十稲羽から東京へ戻ったことをやけに現実的にした。
「……帰ってきたな」
陽介が言う。
声は普段と大きく変わらないが、最後の音だけ少しだけ落ちる。
「帰ってきた」
そう返して、窓の鍵を先に見る。
留守の前に閉めた位置からずれていないことを確かめてから、換気のために一つだけ開けた。
外の空気はまだぬるい。
それでも、淀んだ室内に少しだけ流れができると、部屋がようやく自分たちのものへ戻り始める。
冷蔵庫を開ける。
出発前にほとんど空けておいたので、中には調味料と水だけが整然と残っていた。
「牛乳、ないな」
「そりゃそうだろ」
陽介が笑う。
「帰る日に合わせてきれいにしたのお前じゃん」
「した」
「忘れてるみたいに言うなよ」
そのやり取りだけなら、いつも通りだった。
ただ、笑いが完全に長く続かない。どちらも、日常の調子へ戻る手前で一拍だけ止まる。
台所の電気を点け、シンクを流す。
蛇口から出る水の音が、数日ぶりの部屋に小さく広がって、それでようやく東京の生活の手順が指先へ戻ってくる。
持ち帰った土産の袋を脇へ寄せ、洗えるものとすぐ仕舞うものを分ける。
堂島家で使ったタオル、八十稲羽で買った細かいもの、洗濯へ回す服。その並びに、地元と東京の間を往復した数日分がそのまま残っている。
陽介は自分の鞄を開け、まず財布と充電器を出した。
そこまではよかったが、そのあとで土産の袋と着替えを同じ場所へ重ねようとしたので、先に手を出す。
「分けろ」
「分かってるって」
「分かってるなら最初からそうしろ」
「はいはい」
返事は軽い。
軽いが、八十稲羽へ帰る前より少しだけ素直で、余計な押し引きをする気力がまだ戻りきっていない気もした。
冷房を入れ、食卓の椅子を定位置へ戻す。
出る前に整えていったはずの部屋なのに、人が戻ると机の角度や鞄の置き場所ひとつで、すぐ二人分の生活へ形が寄っていく。
「晩飯どうする」
陽介が服を分けながら聞く。
「買うか、簡単に作るか」
問い方が少し遅い。
腹が減っていないわけではないが、判断の軸がまだ移動の疲れと一緒に揺れているらしい。
冷蔵庫の中身をもう一度見て、戸棚を開ける。
米はある。卵もある。帰る前に置いていった乾麺も残っていた。
「麺でいい」
「助かる」
「その前に洗濯物を分ける」
「了解」
そう言って、陽介がようやく本格的に荷解きを始める。
堂島家に置いてきたものと、花村家に残してきたものと、こっちへ持ち帰ったもの。その境目を、本人ももういちいち迷わず処理している。
実家は別でも、生活圏はもう片方へだけ閉じていない。
東京の部屋へ戻りながら、八十稲羽にも最低限の着替えや日用品が残っていて、次に動く時の基準が最初から二つある。
洗濯籠へ服を入れ、色の薄いものだけ先に分ける。
陽介のシャツが一枚、思ったより土埃を拾っていた。山へ入った時のものだと気づいて、そのまま一番下へ押し込む。
その手だけ、一拍遅れた。
白い線の走る画面と、ざらついた黒が、服の繊維についた土の匂いから急に戻りかけてくる。
「悠?」
陽介の声で手を離す。
「なに」
「いや、止まってた」
「なんでもない」
そう言って洗濯籠を持ち上げる。
説明するほどのことではないし、したところで減るものでもない。今は洗って、干して、元の位置へ戻す方が先だった。
洗濯機を回し、その間に鍋へ湯を沸かす。
乾麺を茹でるだけの簡単な夕食でも、火をつけると部屋の中の時間が一気に生活のものへ戻る。
陽介は風呂の用意を見に行き、戻ってきてから食卓へスマートフォンを置いた。
画面が一度だけ光る。特捜隊の返信らしい通知が上に溜まっていたが、今すぐ大きく動く内容ではなさそうだった。
「返信、来てる?」
「来てる」
「なんかあった?」
「今のところはない」
それで十分だった。
詳しく読み上げなくても、今はまだ“動かない時間”の中にいることだけ共有できれば足りる。
麺を湯へ入れる。
沸騰の泡が上がり、台所の熱が少しだけ増える。八十稲羽での数日が切り離されたわけではないのに、鍋の前に立つと東京の部屋の動線がまた体へ馴染んでくる。
「ネギ切る?」
陽介が聞く。
「あるやつでいい」
「じゃあ、冷凍の出す」
冷凍庫を開け、袋の位置を迷わず探す。
その動きももう自然で、戻ってきた部屋を、二人ともまた使う場所として扱っている。
夕食は簡単に済ませた。
汁の温度と麺の柔らかさだけで十分だったが、食卓を囲むと、ようやく長い移動のあとにどこへ戻ったのかが体へ落ちてくる。
「やっぱ東京の水だな」
陽介が言う。
「分かるのか」
「なんとなく」
「気のせいだろ」
「たぶんな」
その会話も、途中まではいつも通りに見える。
ただ、言葉の合間に時々小さな沈黙が混じる。その沈黙の中身が、数日前までの軽い疲れとは違うことだけは分かる。
食後、皿を流しへ運ぶ。
陽介が先に水を張り、自分が鍋を洗う。順番も立ち位置も変わらないのに、頭の端にはまだ山の中の古いテレビが居座ったままだった。
ノイズの白い筋。
画面の奥行きのなさ。クマの低い声。以前のものと似ていて、それなのに決定的なところで違う、あの嫌な半端さだけが消えない。
「風呂、先入る?」
陽介が聞く。
「お前が先でいい」
「今日は譲るんだ」
「今日はそうする」
そう返すと、陽介は少しだけこちらを見た。
問い返しはしない。代わりにタオルの位置だけ確認して、そのまま風呂場へ向かう。
湯の音がし始める。
その間に台所を拭き、残った麺つゆを捨て、明日の朝に使う茶碗を手前へ寄せる。こういう細かい手順を重ねている間だけ、頭の中のざらつきは少し薄くなる。
洗面所の棚には、出る前と同じように歯ブラシが二本並んでいた。
東京の部屋は変わっていない。タオルの位置も、洗剤の残量も、食器棚の並びも、全部いつも通りに戻せるはずだった。
それでも、まったく同じ生活へ戻った感じはしない。
同じ部屋で、同じ手順で、同じように火を使い、皿を洗っているのに、その奥へ異物が一つだけ残ったままになっている。
陽介が風呂から上がると、髪を拭きながら居間へ戻ってきた。
さっきよりはだいぶ力が抜けているが、ソファーへ沈み込む前に、スマートフォンの通知を一度だけ見る。
「まだ特に動かないっぽい」
「そうだな」
「なら、今日は寝るしかねえか」
「そうする」
その言い方が、投げやりではないのがよかった。
今すぐ手を打てるものではないと分かった上で、生活を止めない方を選んでいる。たぶん自分も同じだった。
次に風呂へ入る。
湯に肩まで沈むと、移動の疲れがようやく体の表面から剥がれていく。だが、目を閉じると、暗い裏側へ白い線が走る感覚だけがまだどこかに残る。
風呂を出て、歯を磨く。
鏡の前で隣に並ぶ時間も、前と同じ長さのはずなのに、今日は言葉が少しだけ減った。
「明日、一限あったっけ」
陽介が口をすすいでから聞く。
「ない」
「助かった」
「お前は」
「二限から」
「なら起きろ」
「そこは変わんねえな」
その短いやり取りで、少しだけ空気が戻る。
戻るが、完全には戻りきらない。それでいいと思った。無理にいつも通りへ寄せる方が、たぶん今は不自然だ。
寝る前に、玄関の鍵と窓の位置をもう一度見る。
留守の後だからという理由もあるが、それだけではない。生活の線を確かめるみたいに、部屋の境目を順に見て回る。
台所の電気を消し、洗濯物の終了音を確認し、明日の朝干せる位置へ洗濯籠を寄せる。
手が勝手に、朝の動線まで整えたところでようやく止まった。
守りたい、という言葉にする必要はない。
ただ、部屋の中を元の形へ戻しながら、その形がもう前と同じ無傷のものではないことも、どこかで同時に分かっていた。
布団へ入ると、部屋は静かだった。
同じ空間に陽介の寝返りの気配があり、冷房の音が一定で、それだけなら東京のいつもの夜だ。
それでも、八十稲羽から持ち帰った違和感だけは、荷物の中へしまわれずに残っている。
テレビのノイズも、山の湿った空気も、クマの慎重な声も、この部屋まで一緒についてきたみたいに、まだ消えない。
大学二年の春から夏にかけて、生活はたしかに形になった。
同居を続けることを言葉にし、家族の中へ相手を入れ、地元と東京の間に二人分の動線を作ってきた。その上へ、今は異物が一つだけ静かに置かれている。
生活は続く。
明日になればまた食事を作り、洗濯を干し、大学へ行く。その回り方を止めないまま、異常だけがまだ名前のつかない形で残っている。
東京の部屋へ戻ったはずなのに、もう以前とまったく同じ生活ではない。
その感触だけを薄く抱えたまま、夜の静けさは、次の時間へ向かって少しずつ深くなっていった。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大在学中大学二年生。東京に帰ってきた)
花村陽介(M大在学中大学二年生。東京に帰ってきたけど…)
次回もよろしくお願いします