スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
3期生シーズン…… やっと半分超えた!
長いなあ……大丈夫かわし
1
目覚ましが鳴るより少し早く、鳴上悠は目を開けた。
薄いカーテンの向こうから、四月の朝の明るさが静かに滲んでいる。冬のあいだはまだ暗かった時間帯でも、もう部屋の輪郭は十分に見えた。二人で使う前提で整えた部屋の向こう側で、花村陽介はまだ眠っている。
起こさないように身体を起こし、足音を殺してベッドを出る。床の冷たさはもう厳しくない。春先のわずかなぬるみが、季節の切り替わりを足裏から伝えてきた。
洗面所の灯りをつける前に、まず台所の小窓だけ開けた。
朝の空気を少し入れると、こもっていた室温がゆるやかに抜けていく。
電気ケトルに水を入れてスイッチを押し、冷蔵庫を開ける。
卵は残り四つ。昨夜のうちに切っておいたキャベツが半玉分、密閉容器に入っている。
ヨーグルトはあと二回分。牛乳は今日の帰りに補充した方がいい量だった。
扉の内側に貼った小さなメモに目をやる。
洗剤は切らさない。ラップ、残量少。食パン、今日で最後。
字は自分のものだが、項目の増え方には明確に二人分の生活が反映されている。
今は食材も日用品も、だいたい予定通りに減っていく。
食パンを二枚取り出し、片方だけ少し厚めにバターを塗る。
陽介は焼くときに端まで塗っていないと、食べながら小さく文句を言う。
その頻度が一定以上あったので、鳴上の手は最初から端まで動くようになっていた。
フライパンに油をひきながら、今日の流れを頭の中で並べる。
自分は一限から実験系のガイダンスがある。三年の前期は講義より演習と実習が増える。帰宅時間の見積もりも昨年までとは少し変わる。
陽介は二限からだったはずだが、初回のオリエンテーションは教室変更が起こりやすい。
昨夜のうちに向こうの時間割も軽く見せられているから、大まかな移動の組み立てはもう済んでいた。
卵を割り入れる音が、小さく乾いた。白身の縁が固まり始めるのを見ながら、トースターにパンを入れる。味噌汁を作る時間はあるが、今日は帰りに買うものが少し多い。洗濯も一回、回したい。朝は簡単な方が全体の流れが崩れない。
洗面所に入ると、歯ブラシが二本、ほとんど同じ角度で立っていた。色は分けてあるが、置き方はいつの間にか揃った。コップも二つ。整髪料は陽介の方が多いが、洗顔料の減りはだいたい同じだ。鏡の下に置いた替えの歯磨き粉が半分を切っているのを確認し、これも今日の買い物に加える。
洗濯かごの中身を見れば、色物と白物で分ける必要はない量だった。
シャツ二枚、タオル三枚、靴下が数足。
陽介のワイシャツは、自分のものよりどうしても袖口の汚れが早い。雑に見えて、本人なりに急いでいる朝の痕跡がそこに残る。
週の前半は自分が洗い、後半は陽介が先に気づけば回す。担当を決めたわけではないが、その流れはもう固定されていた。
寝室の方から、布団が擦れる気配がした。
続いて、喉の奥で小さく咳払いする音がする。起きたらしい。
「おはよ」
少し掠れた声が、廊下越しに届いた。
「おはよう」
返しながら、火を弱める。
陽介はまだ完全には起きていないはずだが、ここからの動きはだいたい決まっている。
洗面所に寄って顔を洗い、途中で髪を気にして一度だけ鏡の前で止まり、そのあと匂いにつられて台所へ来る。
予想通り、数十秒後に足音が近づいてきた。
寝癖を片手で押さえたまま、陽介が洗面所の前で一瞬立ち止まる。
鏡を見て、眉をしかめ、蛇口をひねる。
水の音が続き、そのあいだに鳴上は皿を二枚並べた。
「今日、もう作ってんのか。早」
「起きたから」
「いや、起きるのが早いって話」
「四月だから」
「理由になってるようで、あんまなってねえな」
濡れた手をタオルで拭きながら、陽介が台所に入ってくる。
まだ眠気は残っているが、椅子を引く動作に迷いはない。
自分の席に座り、机の上を見て、何も言わずにスマートフォンを端へ寄せた。
朝食の皿を置く場所を空ける動きが先に出るあたり、三年目の四月はもう新鮮さより慣れの方が勝っている。
鳴上は皿にトーストと目玉焼き、千切りキャベツをのせ、陽介の前に置いた。
自分の分も置いて、マグカップにコーヒーを注ぐ。片方には砂糖を少し入れる。言われなくても手が動く。
「ありがと」
陽介が欠伸を噛み殺しながら言った。
「今日は二限からだったな」
「おう。初回だけど、たぶんガイダンスで終わる。そっちは一限?」
「一限から。実験の説明」
「じゃあ先出るの、悠か」
「たぶん」
「帰り、そっち何時になりそう」
「少し遅くなるかもしれない。でも七時は回らない」
「オレは三限まで。新歓に顔出せって言われてっけど、一瞬で抜けると思う。夕飯は家で食う」
「了解」
陽介が短くうなずいて、トーストをかじる。
そのまま、「うま」と小さく言った。
大げさではない感想が、かえって本音に近い。
鳴上は自分のコーヒーを飲みながら、相手の皿の減り方を確認する。
今日は食欲が落ちている様子はない。昨夜は履修登録の画面を見ながら少し長く起きていたが、朝に響くほどではなかったらしい。
「牛乳、今日買う」
「もうそんな減ってたっけ」
「コーヒーにも使ったから」
「ああ、オレ昨日シリアル食ったわ」
「知ってる。箱、出しっぱなしだった」
「あれ、ちゃんと閉めたぞ」
「閉まってなかった」
陽介が一瞬だけ目を逸らし、それから肩をすくめた。
「……すみませんでした」
「次からでいい」
「そういう言い方すると、怒ってる感じしねえのに地味に効くんだよな」
「効くなら十分だろ」
陽介が笑う。寝起きの鈍さが、そこでようやく取れたようだった。
笑い声の大きさももう朝向けに調整されている。
以前なら勢いのまま声量が上がり、鳴上が一度注意する流れもあったが、今はそこまでいかない。
食事を進めながら、鳴上は台所の見える範囲をもう一度確認した。
昨夜洗って伏せておいた食器は乾いている。シンクに残り物はない。
コンロの周りにも油跳ねは少ない。
陽介が昨夜、珍しく自分から拭いていたのを思い出す。
その少しの手間を自然に足せるようになったことが、この部屋の時間の長さを示していた。
「そういやさ」
陽介がコーヒーに口をつけてから言った。
「三年って聞くと、なんか急に後半感ない?」
「あるな」
「二年までは、まあ大学生ですって感じだったのに」
「三年になると、先の話が近い」
「それ。就活とか、院とか、公務員試験とか、急に現実味ある単語ばっか出てくる」
言いながらも、陽介の口調はまだ軽い。
重くしすぎないようにしているのか、本当にまだ距離があるのかは判断しきれないが、少なくとも今この朝の食卓で結論を出したい話ではないと、鳴上は思った。だから頷くだけに留める。
「履修も、去年より面倒だしな」
「面倒だった。ていうか、なんでああいうシステム毎年微妙に使いづらいんだろ」
「みんな同じこと言う」
「改善されねえの終わってる」
陽介が不満をこぼしながらも、皿のキャベツを残さず食べる。
嫌いではないが、自分から積極的に取るほどでもない食材だと知っているから、こうして出せば普通に食べる量で出す。
多すぎると露骨に箸が止まるし、少なすぎると昼前に腹が減る。
そういう加減が、今は測るまでもなく決まる。
食べ終える頃には、部屋の中はすっかり朝の明るさで満ちていた。
陽介が空になった皿を持って立ち上がる。
流しへ持っていく順番も、立ち位置も、狭い台所でぶつからない角度も、もう考える必要がない。
自分がマグカップを洗うあいだに、陽介は食器を軽く水にくぐらせて置く。
朝のうちにぬめりだけ落としておけば後が楽だと、二人とも知っている。
「洗濯、回す?」
陽介が蛇口を止めながら訊いた。
「回す。干すのは先に出る前でいい」
「じゃ、オレ靴下出しとくわ。たぶん一足、ベッドの下に落ちてる」
「たぶんじゃなく確認してくれ」
「はいはい」
返事は軽いが、やることはやる。
寝室へ向かった足音を聞きながら、鳴上は洗剤のボトルを手に取った。
残量は三分の一ほど。今日買えばちょうどいい。
こうした判断が増えたのは、一人分ではなく二人分の生活を持つようになってからだった。
足りなくなる前に補い、どちらかが遅くなっても回るようにしておく。
その手つきの中に、自分でも扱いきれていない感情が混ざっていることを、鳴上は否定しなかった。
陽介が寝室から靴下を二足持って戻ってきた。一足多い。
「なんで二足」
「片方なくしたと思ってたやつ、昨日の洗濯物の山から出てきた」
「山を作るな」
「いや、あれは一時置き場」
「名前を変えても同じだ」
「厳し」
そう言いながら、陽介は口元を笑わせている。責められていると思っていない顔だった。そのことに、鳴上は小さく息をつく。言葉の強さではなく、受け取り方まで含めて、この生活の温度はもう定まっていた。
洗濯機を回し、二人でそれぞれ身支度に移る。洗面所の鏡の前に並ぶ時間も、今では朝の一工程として自然に収まっていた。鳴上が髭を剃るあいだに、陽介が寝癖を直す。ドライヤーのコードが腕に触れれば、どちらからともなく少し身体をずらす。歯磨きのタイミングが重なっても、洗面台の使い方に無駄な遠慮はない。
「今日ネクタイいる?」
陽介が鏡越しに訊く。
「要らない。そっちは」
「M大もまだいらん。助かるわ、新年度初日から首締まるのはだるい」
「言い方」
「事実だろ」
ワックスを手に取る陽介を横目に、鳴上はシャツの袖を整える。クローゼットには互いの服が並んでいる。色味も系統も違うのに、収納の区切りは曖昧だった。取り違えることはないが、境界を強く意識する必要もない。
身支度を終えて部屋へ戻ると、机の端に昨夜の履修メモが二枚重ねて置かれていた。上が自分、下が陽介。書式も書き方も違うのに、一緒の場所にあることに違和感がない。鳴上は自分のメモだけを確認し、それから下の紙にもちらりと目を落とした。移動時間の余裕は足りている。去年までより、互いの時間割を把握することに遠慮がなくなった。そのこと自体を、特別だとはもう感じない。
「昼、学食?」
バッグにノートPCを入れながら鳴上が言う。
「今日はたぶん学食。初日だし、混むかな。そっちは」
「実験棟の近くで済ます」
「じゃ、帰りの連絡だけでいいか」
「そうだな」
必要な確認だけで話が終わる。その短さが、かえって暮らしの深さを示しているように思えた。逐一報告を求めることはしない。ただ、要ることだけは漏らさない。相手が戻る場所を同じくしているから、それで足りる。
洗濯機の終了音が鳴った。陽介が「あ、オレやる」と言ってベランダの方へ向かう。鳴上も後を追って外へ出た。春の風はまだ少しだけ冷たいが、日差しは明るい。陽介がタオルを広げ、鳴上がシャツの皺を伸ばす。並んで立つ距離は近いが、狭さを意識するほどではない。むしろ、一人で干すより早いという実利の方が先に来る。その実利を、鳴上はたぶん好んでいた。
「今年も始まったな」
タオルを竿にかけながら、陽介が言った。
「始まったな」
「三年かあ」
「三年だな」
短く返すと、陽介が少し笑う。
「悠、そういうとこだけ妙に実感こもるよな」
「事実だから」
「まあ、そうだけど」
最後の靴下を留めて、陽介が空を見上げた。鳴上もつられて視線を上げる。雲は薄く、高い。新年度の朝らしい、少しだけ張った空気がある。それでも、足元にある生活はもう落ち着いていた。春が来るたびに組み直さなければならないものではなく、季節が一つ進んでも、そのまま回っていく土台としてここにある。
部屋へ戻り、火の元と窓の鍵を確認する。財布、学生証、定期、鍵。陽介も同じように持ち物を点検している。玄関に並んだ靴は二足ともよく見慣れたもので、減り方まで把握できてしまうのが少し可笑しかった。
先に鳴上が靴を履く。陽介はドアの横で壁に手をつきながら、踵を押し込んでいる。
「帰り、洗剤と牛乳と歯磨き粉」
鳴上が言うと、陽介がすぐに頷いた。
「了解。オレも見とく」
「見なくていい。買えたら連絡する」
「じゃ、買えなかったらオレが拾う」
「それでいい」
鍵を開け、玄関の扉を引く。外の空気は部屋の中より少しひんやりしていた。けれど、それもすぐに馴染む程度の差だった。
先に一歩出てから、鳴上は振り返る。陽介が鞄の紐を肩に掛け直し、当たり前の顔で後に続いてくる。その様子に、何かを確かめる必要はなかった。
新年度は始まる。講義も、予定も、先の話も少しずつ形を変えていくのだろう。それでも、朝の台所に並んだ皿の位置も、洗面所の歯ブラシの並びも、帰る場所を共有している感覚も、もう簡単には揺らがない。
そう思いながら、鳴上はいつもの速度で階段を下りた。後ろからついてくる足音が、今日も同じ間隔で続いていた。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大在学中大学三年生)
花村陽介(M大在学中大学三年生)
※ほんとは大学によって年次の呼び方変わるんだけど、そこまで考えるのめんどいのでこれで勘弁して欲しす
次回もよろしくお願いします