二人の食卓、二人の空   作:erupon

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こちらはペルソナ4主人公(鳴上悠)と花村陽介が、ペルソナ4の事件が終わった後普通の学生として生活してたのにどうしてペルソナでちゃって公安に隷属することになったんだという話を書く場所です。

スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。

なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。




 六月の午後、鳴上悠は国際会議場の広いロビーを歩きながら、首から下げた来場者証の位置を指先で整えた。

 

 冷房の効いた空気の中に、人の声が低く幾重にも重なっている。日本語だけではない。英語、フランス語らしい響き、それから聞き取れない言語が、抑えた声量のまま絶えず流れていた。足音は厚い絨毯に吸われ、代わりに紙をめくる音や、名刺入れの金具が触れる小さな音だけが、ときおり不思議なくらい鮮明に耳へ残る。

 

 受付を抜けてすぐの壁際には、発表要旨をまとめた分厚い冊子が整然と積まれていた。各国の研究機関名、大学名、美術館名、保存修復機関の名称。そこに並ぶ文字列の密度だけで、この場が学会というより、ひとつの巨大な専門世界そのものだとわかる。

 

 鳴上は足を止め、案内表示を確認した。世界考古学会議の基調講演は大ホールで、そのあと分科会が各階へ散る。文化財修復と考古資料保存の合同パネルは二階。父の名前が入っているのは基調講演と、その後のラウンドテーブルだった。母は別会場で修復事例の報告を行う予定になっている。

 

 隣で陽介が、来場者証の端を見ながら小さく息を吐いた。

「なんつーか、マジで別世界だな」

 声は低くしているが、感想そのものは率直だった。

「別世界ではある」

「悠ん家の『家の外』って、こういう感じなんだな」

 

 鳴上はそれにすぐ返さず、少し先を見る。ロビーの向こうで、友樹がちょうど別の研究者に呼び止められていた。こちらとは十メートル以上離れているのに、周囲の人間の動きだけで、そこに中心ができているのがわかる。

 

 誰かが近づき、立ち止まり、短く会釈をする。友樹も足を止めるが、必要以上に留まりはしない。相手が若い研究者なら少しだけ言葉を足し、年長の専門家なら要点だけを交わして次へ移る。そのどの場面でも、相手の側に「時間を取りすぎない方がいい」という緊張が薄く走っていた。

 大げさな敬意ではない。だが、鳴上友樹という名前がこの場で持つ重さを、周囲は誰もが前提として扱っている。

 

「鳴上先生、の方が今日はしっくりくるな」

 陽介が小さく言った。

「そうだな」

 

 家の中で見る父さんとは、立ち方の重さが少し違う。実家では静かな管理者で、必要なことだけを言う人間だが、この場では議論の軸として置かれている。本人は何も変えていないのに、周囲の距離が違うだけで見え方が変わる。

 

「緊張する?」

 陽介が訊いた。

「少しは」

「おまえでもか」

「自分の大学じゃないしな」

「そりゃそうか」

 

 陽介はそう言ってから、ロビーに並ぶ展示パネルへ目を向けた。遺跡出土品の写真、修復前後の比較図、地層断面の解析結果、計測技術の導入事例。全部が専門用語のまま置かれているのに、見せ方は洗練されていた。文字を追わなくても、この世界が長い時間を扱う仕事なのだと伝わってくる。

 

 鳴上はその横顔を少しだけ見た。陽介はこういう場で無理に知った顔をしない。わからないものはわからないままに受け取り、その代わり空気の動きには敏い。そのことを、鳴上は知っていた。

 

「母さんの会場、先に見に行くか」

 鳴上が言うと、陽介は頷いた。

「基調講演の前なら行ける?」

「少しだけなら」

「じゃあ、そっち見てから戻るわ」

 

 二人で二階へ上がる。階段脇のガラス窓からは、初夏の東京の明るさが見えたが、会場の中はそれと切り離された温度で保たれていた。外の季節より、展示ケースの中の時間の方が支配的に感じられる場所だった。

 

 修復分野の会場前は、大ホールの華やかさとは少し違う緊張に包まれていた。声量はさらに低く、名札の肩書は大学より研究所や博物館の方が多い。机の上に置かれた布見本や樹脂のサンプル、修復工程を示すパネルの前で、人々は短く言葉を交わしては、すぐ資料へ視線を戻す。

 

 鳴上春奈は会場入口の少し奥で、配布資料の確認をしていた。黒に近い落ち着いた色のスーツに細い真珠のピアス。家で見る母さんと変わらない顔なのに、ここでは姿勢ひとつで空気が締まって見える。近くにいた学芸員らしい女性が何か質問すると、母さんは紙面を一度だけ見て、すぐ簡潔に返した。その女性は深く頷き、礼を言って離れていく。

 

 陽介が小さく息を呑む気配がした。

「おばさんも、やっぱ別格だな」

 

 内輪の響きのまま落とした声を、鳴上は聞き流すように受けた。たしかにそうだった。母さんは目立とうとしない。だが、この場の秩序に自分の位置を正確に持っている人間の動き方をしている。

 

 こちらに気づいた母さんは、視線だけで二人を招いた。

「来たのね」

「始まる前に少しだけ」

「ちょうどいいわ。ここはすぐ始まるから、長くは話せないけれど」

 その言い方も実務的で、余分がない。母さんは陽介にも短く目を向けた。

「こういう場は初めて?」

「はい。かなり」

「無理に全部わかろうとしなくていいわ。人の動きだけ見ていても、だいたい輪郭は見えるから」

「……はい」

 

 陽介が少しだけ姿勢を正す。助言として自然なのに、そのままこの場の見方まで渡してくるあたりが母さんらしかった。

 

「父さんの方は」

 鳴上が訊く。

「もう何人かに捕まっているはずよ」

「そうだろうな」

「今日は特に多いでしょうね。基調があるもの」

 

 母さんは資料の束を整えながら、そう言った。その口調に誇りを混ぜることはない。ただ事実として把握しているだけだ。だが、だからこそ重みが出る。

 

 会場の係が合図を出し始めたので、二人はすぐにその場を離れた。階段を戻りながら、陽介が小さく言う。

 

「人の動きだけ見ろって、すげえ納得した」

「母さんらしい言い方だ」

「いや、ほんとにそうだった。説明読まなくても、誰が中心で、どこが詰まってるか、なんとなく見える」

 

 鳴上は頷いた。たぶん陽介は、この世界の専門用語を全部は理解できない。だが、誰が何を背負って立っているか、どこに力が集まっているかを見ることはできる。その見方は、経済や流通の方へ向いているときの陽介とも少し似ていた。

 

 大ホールに戻ると、人の流れはさっきよりさらに濃くなっていた。通路の脇で話し込む研究者たちの輪がいくつもできている。そのどれもが閉じているようでいて、完全には閉じない。誰かが入り、誰かが抜け、名刺が渡り、肩書と機関名が交換される。その流れの中で、父さんの周囲だけは輪の密度が違った。

 

 海外の研究者らしい初老の男性が、通訳を介さずに英語で何か言い、父さんが短く返す。近くの大学教授が待つように立ち、そのさらに外側で若い院生らしい数人が様子を窺っていた。父さんは誰かを急かすわけでもないのに、長話にはならない。相手はみな、必要なだけ話して自分から引いていく。

 

「やっぱすごいな」

 陽介が、今度は感想を落とすように言った。

「すごい」

「なんかもう、悠の父親って情報だけで見てる場合じゃねえ」

 

 鳴上は少しだけ口元を緩めた。実際、その通りだった。家族として知っている姿と、この場で見える姿は矛盾しない。ただ、片方だけでは足りない。

 

 基調講演の開場が始まり、人の流れがホールへ向かう。二人もその後ろへ並びかけたとき、少し斜め前で会話が不意に耳に触れた。

「桂木、そっちの資料は持っているか」

 壮年の教授らしい男がそう言って、隣の若い男性へ視線を向ける。

 

 鳴上は無意識にそちらを見た。細身で、黒髪を後ろへ流すように整えた男が、手元のファイルを持ち直している。スーツの着方は堅すぎず、だが学生にしては場慣れた落ち着きがあった。名札には大学名と研究室名、その下に「桂木」の姓が見える。

 

 陽介の足が、隣でほんのわずかに止まった。

「……え」

 声は小さかったが、はっきり聞こえた。

 鳴上が顔を向けると、陽介は数秒だけ前方を見たまま、目を細めている。驚きと確認が一緒に来たときの顔だった。

 

「知ってるのか」

「たぶん、桂木だ」

 そう言ったとき、前方の男がちょうど教授に何か答えて横を向いた。整った目元と、少し皮肉っぽく見える口元の線。高校時代から大きく顔立ちが変わったわけではないのだろう。陽介の表情がそこで確信に変わる。

「やっぱり」

 桂木は教授の後ろを半歩下がって歩いている。聴講者というより、補助として同行している位置だ。ファイルの持ち方にも無駄がなく、たぶんこの場に一度きりではない。

 

「高校の友達か」

「同級生。……いや、友達っていうか」

 陽介はそう言って、一度言葉を切った。関係を一語で決めきれないときの間だった。

「同じクラスだったやつ。けっこう頭よくて、なんつーか、妙にいろいろ見えてる感じの」

「考古学にいるのか」

「いや、そこがオレもびっくりしてる」

 陽介の視線はまだ桂木の背中を追っている。高校時代の友人がこの場にいること自体より、ここに自然に馴染んだ位置で立っていることの方に驚いているらしい。

 

 鳴上は前方を見る。桂木は教授の指示を待つだけではなく、会場案内の紙を先に確認し、入場列の流れを邪魔しない位置へすぐ身体をずらしていた。場のルールを理解した動きだった。

 

「偶然ではないな」

 鳴上が言うと、陽介が小さく頷いた。

「うん。たまたま迷い込んだ感じじゃない」

「教授と一緒に来てる」

「たぶん研究室か、ゼミか、そういうつながりだろうな」

 陽介の声が少し低くなる。高校時代の文脈で知っていた相手が、自分の知らない専門世界の中に、すでに別の顔で立っている。その事実を、たぶん今、受け入れ直している。

 

 鳴上もまた、奇妙な感覚を覚えていた。目の前に広がっているのは父と母の世界だ。考古学と文化財、修復と発掘、資料と権威。そのはずなのに、そこへ陽介の高校時代の名前が、何の無理もなく混ざっている。

 

 それは偶然の再会というより、別の場所にあったはずのものが、ここで同じ輪郭に触れたような感じだった。

 

 列が進み、二人もホールへ入る。前方では桂木が教授の隣の席へ資料を置いていた。手際は落ち着いていて、周囲から浮かない。陽介はその背中を見たまま、小さく息を吐く。

 

「なあ」

「ん」

「オレ、高校んときあいつがこういうとこ来るって、たぶん想像してなかった」

「今のおまえも、想像してなかっただろ」

「してない。全然」

 

 その返答が正直で、鳴上は少しだけ視線を落とした。高校時代の陽介。まだ自分の知らない時間だ。その頃の人間関係が、いま父のいる学会会場に繋がってくる。その事実が、鳴上の中に静かに残る。

 

 ホールの照明が少し落ち、ざわめきが静まっていく。壇上には会議のロゴと発表タイトルが映し出され、通路脇ではまだ数人が急いで席へ滑り込んでいた。

 

 鳴上は前方の席にいる父さんの背を見た。その少し離れた位置に桂木がいて、隣では陽介がまだその存在を意識している。

 家の中で見ていた専門世界が、今日、初めて家の外で輪郭を持った。そしてその輪郭の縁に、陽介の過去の名前が、ごく自然な顔で立っていた。

 それが何を意味するのかは、まだわからない。だが、無関係だったはずのものがそうではなかったと知る感触だけは、静かに、はっきりと鳴上の内側に残った。

 




登場人物をここでまとめておく

鳴上悠(T大在学中大学三年生。世界考古学学会で親がパネラー)
花村陽介(M大在学中大学三年生。考古学難しいのワカラナイ)

鳴上友樹(鳴上の父。日本における西洋考古学の権威の一人)
鳴上春奈(鳴上の母。文化財修復で世界有数と言われる。得意分野は本類)

桂木(K大文学部考古学専攻で学ぶ学生。陽介が八十稲羽に引っ越す前に友人だった)

次回もよろしくお願いします
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