スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
翌朝、鳴上は目覚ましが鳴る少し前に目を開けた。
薄いカーテン越しに差し込む光はまだ柔らかく、空気にも朝の冷たさが残っている。
昨日と同じように武道館へ向かうのだと思うと、少しだけ妙な気分になった。
入学式に二日続けて足を運ぶことは、そう何度もある経験ではない。
ベッドから起き上がり、カーテンを開けた。
都内の朝は八十稲羽より早く動き出すが、この時間ならまだ通りも落ち着いている。
窓の外に並ぶ建物を一瞥してから、そのまま洗面所へ向かった。
顔を洗いながら、今日は陽介の番だと頭の中で改めて整理する。
誰かに頼まれたわけではない。
だが、昨日自分の隣に陽介が立っていたことを思えば、今日は自分が行くのが自然に思えた。
花村家と別れたあとの静かな帰路の中で、そのつもりはもう決まっていた。
見届けるだけで十分だが、行かないという選択肢は最初から薄かった。
寝癖のない髪を指先で整え、クローゼットからスーツを取り出した。
昨日着たものでも問題はなかったが、気分の上で替えた方が収まりがよかった。
シャツの襟を整え、ネクタイを締め、袖口を確認する。
手順は慣れたもので、鏡の前に立つ時間は長くかからない。
こういう身支度を一人ですることには、もう慣れている。
父も母も、家にいれば細かいところまでよく見ていた。
だが不在が続くようになってからは、自分の支度は自分で済ませるのが当たり前になった。
大学の入学式に向かう朝も、その点では普段と何も変わらない。
ただ、今日は昨日よりわずかに気が楽だった。
一度同じ場所へ行っているせいもあるし、今日は主役が自分ではないせいもある。
祝われる側でいるより、見届ける側に回る方が性に合っているのかもしれない。
鳴上はそう考えながら、時計に目を落とした。
時間にはまだ余裕がある。
少し早めに出れば、武道館の前で陽介たちと合流するくらいはできるはずだった。
昨日の陽介のように、何気ない顔で現れて隣に立てばいい。
そこまで考えたところで、机の上の携帯電話が震えた。
表示された名前を見て、鳴上は一瞬だけ眉を上げた。
花村陽一、とある。
昨日の食事のあとで何か伝え忘れでもあったのかと思いながら、鳴上はすぐに通話へ出た。
相手がこの時間にかけてくる時点で、雑談ではない気もしていた。
「はい」
『あ、悠くん? 朝から悪いな』
「いえ」
『ちょっとさ、陽介、そっち行ってない?』
鳴上は携帯を持ったまま、数秒だけ黙った。
質問の意味を取るより先に、状況だけが先に見えた。
武道館へ向かっているはずの陽介が、まだ現れていない。
そうでなければ、陽一おじさんが自分に電話をかけてくる理由がない。
「行っていません」
『だよなあ。こっち、もう着いてるんだけど、連絡もつかなくて』
「電話は」
『何回かした。出ない』
「式典開始までは、まだ少しありますね」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
焦っていないわけではないが、驚きより納得の方が先に立っていた。
昨日の食事の席で交わされたやり取りが、そのまま現実になっただけとも言える。
やったな、と思った。半分は呆れで、半分は確認に近い感覚だった。
『悪いんだけど、ちょっと見てもらえるか?』
「分かりました。今から向かいます」
『助かる。ほんとに悪いな』
「いえ。見つけたら連絡します」
通話を切ると同時に、鳴上はすぐ陽介の番号へ発信した。
呼び出し音は鳴る。
だが、数コール待っても出る気配はなかった。
昨日の「電話に出ろ」という言葉を思い出し、鳴上は小さく息をつく。
二度目をかけながら、机の上の鍵を取り上げる。
財布、携帯、定期。
必要なものを確かめ、上着をつかみ、そのまま玄関へ向かった。
通話はやはり繋がらず、自動応答に切り替わる直前で鳴上は切った。
靴を履きながらもう一度かける。
今度も出ない。
ここまでくると、移動中で気づかない可能性より、部屋で寝ている可能性の方がずっと高い。
自分の中で、その見立てはほぼ固まっていた。
陽介は昔から、環境が変わった直後や、少し疲れが出た翌朝に寝坊することがあった。
八十稲羽にいた頃も、前日にバイトが立て込んだ日や、遅くまでダンジョンで動き回った翌日は危うかった。
本人はそのたびに「たまたま」を主張していたが、たまたまで片づく回数ではない。
気にして何度かモーニングコールを入れたことも、実際にあった。
都内での一人暮らしが始まってまだ日も浅い。
家族の目がないぶん、朝の緩みは今までより表に出やすいはずだった。
昨日の食事の席で皆がああいう顔をしていた理由も、今ならよく分かる。
警戒は冗談の形をしていたが、根拠は十分にあったのだ。
家を出ると、駅とは逆の方向へ足を向けた。
まず陽介のアパートへ行く。
武道館へ直行しても本人がいなければ意味がないし、時間を考えてもその方が早い。
頭の中で道順と所要時間を組み直しながら、歩幅を自然と広げた。
朝の通りはまだ人がまばらで、通勤前の静けさが少し残っている。
信号待ちのあいだにも携帯を耳に当てたが、呼び出し音はむなしく続くだけだった。
画面を見下ろすと、発信履歴に同じ名前が短い間隔で並んでいる。
ここまで出ないとなると、もはや確認ではなく確信だった。
陽介の部屋は、駅から少し歩いた先のアパートの二階にある。
一人暮らしの部屋としては標準的な広さで、大学への通学にも不便はないと聞いていた。
昨日の夜、別れ際に「また明日な」と言っていた顔まで思い出せる。
その翌朝にこれでは、見事というほかなかった。
腹が立たないわけではない。
だが、その感情は長く続かなかった。
怒るより先に、間に合わせる手順を考える方が早い。
自分にとって陽介の寝坊は、責めるより対処が先に来る種類のものだった。
駅前を抜け、住宅の並ぶ通りへ入る。
昨日までなら新生活の朝らしく見えたはずの街並みも、今日は少し違って見えた。
部屋で寝ている本人を叩き起こして、支度をさせて、移動して。
そこまで含めた所要時間を、鳴上は歩きながら淡々と計算する。
間に合わないとはまだ決めない。
式典開始までには猶予がある。
むしろ今の段階で連絡が入っただけ、まだましな方だった。
最悪なのは、誰も異変に気づかないまま開始時刻を過ぎることだ。
そう考えると、おじさんが先に武道館へ着いていたのは助かった。
親が動いて、鳴上に連絡が来る。
鳴上が部屋へ向かう。
その流れが、すでに半分出来上がっていることにも少しだけ可笑しさを覚える。
家族全員が、陽介の朝にある程度の警戒をしていた。
そして、そのフォロー役として自分が組み込まれている。
昨日までなら少し大げさにも思えたその構図が、今朝だけで完全に意味を持ってしまった。
鳴上は足を止めずに、携帯をポケットへ戻した。
陽介のアパートが見えてきたのは、その数分後だった。
見慣れた外階段と、二階の廊下。
まだ外に出た気配はなく、洗濯物も朝の風に揺れていない。
呼吸を整える間も惜しんで、そのまま階段を上がった。
部屋番号を確かめ、インターホンを押す。
電子音が鳴り、短い沈黙が落ちる。
返事はない。
間を置かず、もう一度押した。
やはり反応はなかった。
ドアの向こうに気配も足音も感じられない。
耳を澄ませば、室内の生活音すら何も拾えなかった。
少しだけ息を吐き、携帯を取り出してその場でもう一度だけ陽介へ発信する。
部屋の中から、ごくかすかに着信音が聞こえた。
それだけで十分だった。
本人はいる。そして出ない。
通話を切り、ドアの前でもう一度わずかに息を吐いた。
ここから先の手段は、最初から一つしかなかった。
陽一から預かっている合鍵が、財布とは別のポケットに入っている。
何かあった時のためだと渡された時には、大げさではないかとも思った。
だが今朝ばかりは、その用意を責める気にはならなかった。
ドアノブに手をかける前に、一度だけ静かに目を閉じた。
許可はある。理由もある。時間もない。
それでも、誰かの部屋へ踏み込む前には一瞬だけ区切りが要る。
その短い間のあとで、ポケットの中の鍵へ指を伸ばした。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学生)
花村陽介(M大に入学する大学生(寝坊してるっぽい))
花村陽一(花村の父:ジュネス本部の地域開発本部の本部長に昇進している。東京に単身赴任中)
花村ユリ子(花村の母:ジュネス八十稲羽店で経理担当している)
次回もよろしくお願いします