二人の食卓、二人の空   作:erupon

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こちらはペルソナ4主人公(鳴上悠)と花村陽介が、ペルソナ4の事件が終わった後普通の学生として生活してたのにどうしてペルソナでちゃって公安に隷属することになったんだという話を書く場所です。

スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。

なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。



10

 八月の朝は、起きた時点でもう暑かった。

 窓の外は白く明るいのに、風はほとんど動いていない。

 東京の夏は、朝から空気が人の体にまとわりつく。

 

 帰省当日、鳴上は目覚ましが鳴る前に起きた。

 長く寝ていられたはずなのに、頭のほうが先に起きていた。

 移動時間が長い日は、朝の段取りを崩したくない。

 

 洗面所で顔を洗い、台所へ入る。

 冷蔵庫の中身は数日前から調整していたので、ほとんど残っていなかった。

 牛乳と卵、調味料、麦茶くらいで、庫内はいつもより広い。

 

 ゴミをまとめ、シンクを拭き、炊飯器の内釜を乾かす。

 数日空けるだけでも、戻ったときの手間は減らしておきたい。

 自分たちの生活の場所を、途中で止めた形にしたくなかった。

 

 窓際の植物へ水をやっていると、寝室の扉が開いた。

 まだ足音が重い。

 陽介は寝起きのとき、体より先に口が起きる。

 

「……暑っ」

 

 やはり最初の言葉はそれだった。

 鳴上はケトルのスイッチを入れたまま振り返る。

 

「起きたなら顔洗え」

「いま行く」

 

 陽介はそう言いながらも、まず冷蔵庫の前で立ち止まった。

 麦茶の場所を確認してから、ようやく洗面所へ向かう。

 眠いときの順番が毎回同じなのを、鳴上はもう覚えている。

 

 トーストを焼いている間に、陽介が戻ってくる。

 髪はまだ半乾きで、肩にかけたタオルが少しずれていた。

 それを直しもせず、椅子へ座る。

 

「何時に出るんだっけ」

「予定通りなら、あと四十分」

「結構早いな」

「乗り継ぎ多い」

「だよなあ……」

 

 陽介はそう言って、マグカップを両手で包んだ。

 帰省の朝なのに、浮き立つ感じは薄い。

 その代わり、頭の中だけが少し先を歩いている顔をしていた。

 

 東京駅までは慣れた経路だが、そこから先が長い。

 都心から一本で着く場所ではない。

 何度か乗り継ぎ、最後はローカル線の終点まで行く。

 

 鳴上は昨夜のうちに時刻表をもう一度確認していた。

 乗り換えの待ち時間、荷物の量、到着の見込み。

 八十稲羽へ帰る日は、帰省というより小さな移動計画に近い。

 

 朝食を済ませてから、最終確認をして部屋を出る。

 鍵を閉める直前、陽介は室内を一度だけ振り返った。

 忘れ物を探す目ではなく、留守にする部屋を見る目だった。

 

「大丈夫か」

「たぶん」

「たぶんは困る」

「じゃあ大丈夫」

 

 そう言って笑うところまでは、東京の陽介だった。

 ただ、その笑いが長く続かない。

 玄関の外へ出た途端、気持ちの置き場所を変えていた。

 

 東京駅は朝から混んでいた。

 帰省客と旅行客が混ざり、改札前の流れが途切れない。

 キャリーケースの車輪とアナウンスが、熱い空気の中で重なる。

 

 人の多い駅で、陽介は自然に少し前を歩いた。

 東京では並んで歩くことが多いが、こういう日は違う。

 進む方向が頭に入っているときの足取りをしていた。

 

 最初の列車に乗り込むと、やっと温度が落ちる。

 窓の外はまだ都心の景色で、建物が隙間なく続いていた。

 鳴上は乗り換えの表示を確認してから、陽介の顔を見る。

 

 陽介は外を見ているが、景色を楽しんでいる様子ではない。

 視線の先より、その向こうを考えている顔だった。

 地元へ近づくほど、こういう顔をすることがある。

 

「眠いなら寝ろ」

「いや、まだいい」

「乗り過ごすなよ」

「それはねえよ」

 

 返事は軽いが、語尾が少し短い。

 ぶっきらぼうというより、説明を省いている。

 鳴上はそれ以上話しかけず、水だけ手渡した。

 

 都心を抜け、西へ向かうにつれて景色がほどけていく。

 高い建物の数が減り、窓の外の空が広くなる。

 同じ関東でも、東京の密度は少しずつ剥がれていった。

 

 大きな駅で一度乗り換え、さらに先へ進む。

 ホームの売店の品揃えも、乗っている人の空気も少しずつ変わる。

 帰省客の荷物が目立ち、会話の量が落ち着いてくる。

 

「遠いな」

 陽介が、窓を見たまま言った。

「毎回言ってる」

「だって遠いだろ」

「知ってる」

 

 そう返すと、陽介は少しだけ笑った。

 その笑い方が、さっきよりも柔らかい。

 移動の長さに文句を言えるところまで来ると、少し落ち着くらしい。

 

 さらに乗り換えて、ローカル線へ入る。

 車両は短く、駅の間隔も都心よりずっと長い。

 窓の外には、山の線と、低い建物と、開けた土地が続いていた。

 

 八十稲羽駅は終点だ。

 そこまで行く列車の中では、時間が東京よりゆっくり流れる。

 急ぐ理由が減るというより、急ぎ方そのものが変わる。

 

 向かいの席で子どもが眠り、母親が扇子を動かしていた。

 どこかでドアが開くたび、熱を含んだ空気が一瞬入ってくる。

 その空気の匂いまで、東京の駅とは違っていた。

 

 陽介は途中で少しだけ眠った。

 揺れで目を開け、ぼんやりした顔で駅名標を見る。

 それから、まだか、と小さく言う。

 

「あと少し」

「ん」

 

 その返事は寝起きのせいだけではなく、少し幼かった。

 東京の部屋で聞く声よりも、肩の力が抜けている。

 土地の記憶が先に体へ触れているのかもしれないと鳴上は思う。

 

 終点に着いたとき、ホームの空気は熱く明るかった。

 小さな駅舎の向こうに、強い夏の空が広がっている。

 蝉の声が近く、アスファルトの照り返しも強い。

 

 改札を出ても、そこで終わりではない。

 八十稲羽は駅前からさらに離れている。

 迎えの車がなければ、ここから先も簡単ではない距離だ。

 

 ロータリーの端に立ちながら、鳴上は荷物を持ち直した。

 風はあるがぬるく、日差しが肌へまっすぐ落ちてくる。

 陽介は駅舎の屋根の影で、一度だけ周囲を見回した。

 

「着いた感じしねえな、まだ」

「家まである」

「それな」

 

 その返しに、少しだけ地元の響きが混じる。

 東京での陽介より、言葉の輪郭が丸い。

 他人行儀ではなくなる代わりに、無駄な説明も減っていた。

 

 ほどなくして、見慣れた車がロータリーへ入ってきた。

 運転席から降りた陽一が、こちらへ手を上げる。

 それを見た瞬間、陽介の肩の力が少しだけ抜けた。

 

「おかえり」

「ただいま」

 

 返事の音が、東京で聞くものと違った。

 大きく変わるわけではないが、語尾の硬さが落ちる。

 家へ返す言葉として、初めから収まりのいい声だった。

 

「悠くんも、暑かっただろう。待たせたな」

「いえ」

「荷物、それだけか」

「うん、そんな多くない」

 

 陽介の答え方も、少しだけ早い。

 遠慮と甘えの線引きが、東京より近い位置にある。

 鳴上はその差を見ながら、トランクへ荷物を載せた。

 

 車に乗り込むと、冷房の風に混じって車内の匂いがした。

 洗剤と紙と、日差しを吸ったシートの匂い。

 店の車とも東京のレンタカーとも違う、家の車の匂いだった。

 

 駅を出てからしばらくは、幹線道路を走る。

 店や住宅が点々と続き、やがて建物の間隔が広がっていく。

 車で一時間以上かかる距離だと、窓の外がよく分からせてくる。

 

 東京の周辺のように、どこまでも町が切れないわけではない。

 道の先で景色が開き、山の線が遠くに見える。

 道路脇の草の色まで、夏の濃さが違っていた。

 

「あそこ、前のコンビニ潰れたんだ」

 陽介が窓の外を見ながら言った。

「春だったかな。今は空いたままだよ」

「へえ」

 

 会話は短いが、無理がない。

 久しぶりの帰省だからと、ことさらに盛り上げる感じはない。

 離れていた時間を、そのまま置いたまま話している。

 

 途中で見える店や交差点に、陽介の視線が止まる。

 説明しない場所も多い。

 説明が要らない記憶として、先に本人の中へ入っているのだろう。

 

 鳴上はその横顔を見ていた。

 東京とは違って、地元では言葉が出る前に一拍ある。

 

「今日、ジュネス寄るのか」

 陽一が前を見たまま聞いた。

 

 その問いに、陽介はすぐには答えなかった。

 窓の外を見たまま、一拍だけ間を置く。

 

「今日はいい。明日で」

「そうか」

 

 それ以上は続かなかった。

 押しつけない会話だが、確認は必要なのだと分かる。

 鳴上はそのやり取りの軽さと重さを一緒に覚えておく。

 

 道が細くなり、景色がさらに静かになる。

 庭木のある家、開けた窓、遠くの畑、用水の光。

 東京では切り分けられている生活の気配が、ここでは外まで滲んでいた。

 

 家の近くまで来ると、陽介の座り方が少し変わった。

 背筋を伸ばすほどではないが、重心が前へ寄る。

 着く前に気持ちが先に家へ入っている形だった。

 

 花村家の門をくぐったとき、鳴上は窓の外を見た。

 強い陽射しの下で、建物の影だけがくっきりしている。

 東京の部屋とは違う時間が、ここには最初から流れていた。

 

 玄関が開き、ユリ子が出てくる。

 笑顔は明るいが、声の調子は普段通りだった。

 大げさにしないところに、帰省が珍しい行事ではない気配がある。

 

「おかえり。暑かったでしょう」

「ただいま」

「悠くんも、よく来たわね。上がって。冷たいのあるから」

「お邪魔します」

 

 靴を脱いだ瞬間、家の中の匂いが変わる。

 冷房の涼しさの奥に、木と畳と、台所の残り香がある。

 長く人が暮らしてきた家の匂いだとすぐ分かった。

 

 廊下の先の光も、棚の密度も、東京の部屋とは違う。

 片付いているのに、生活の痕跡がきれいに残っている。

 客を緊張させすぎず、だが完全にはよそへしない家だった。

 

「二階、風通してあるから。荷物置いたら降りてきて」

「うん」

 

 陽介は短く返し、鳴上を先へ促す。

 気遣いというより、この家の流れを体が覚えている動きだった。

 人をどこへ通すか、何を後にするかの判断が早い。

 

 二階の部屋は、東京の部屋よりずっと時間が重なっていた。

 今も使うものの中に、昔からのものが自然に混じっている。

 机も本棚も、簡単には入れ替わっていない。

 

 陽介は荷物を置くと、窓際へ行って外を見た。

 庭の緑と、その向こうの屋根が見える。

 その景色を確かめる仕草が妙に馴染んでいて、鳴上は少し見入った。

 

「変わってないな」

「何が」

「部屋」

「まあな。そんな急に変わっても困るし」

 

 言いながら笑う声が、東京より少し柔らかい。

 この家では最初からこういう音で話すのだろう。

 合わせているのではなく、戻っているのだと鳴上は思う。

 

 下へ降りると、冷えた麦茶と切った桃が出てきた。

 皿の水滴まできちんと拭かれている。

 ユリ子の手の入り方が、店とは別のかたちで現れていた。

 

「向こうはどう? ちゃんと食べてる?」

「食べてます」

「この子、適当なこと言ってない?」

「失礼だな」

「半分はしてる」

「おまえ、こういうとこだけ正確だよな」

 

 そのやり取りに、ユリ子が笑う。

 穏やかな居間の空気の中で、陽介の返しが半拍だけ早い。

 昔からの会話の間合いだと、聞いていて分かる。

 

 だが、それだけでは終わらない厚みがこの家にはあった。

 棚の上の小物、座布団の置き方、店から持ち込まれたらしい書類の束。

 生活と商いと家の事情が、無理なく同じ部屋に置かれている。

 

 穏やかで、整っていて、居心地は悪くない。

 それでも、ただ休みに来ただけでは済まないものが、この家の底には残っていた。

 

 夕方前、陽介は少し外を歩くと言った。

 散歩、と軽く付け足したが、その軽さは本物ではなかった。

 気分転換だけでない用事を、自分でぼかしている声だった。

 

「俺も行く」

「うん。じゃあ一緒に来る?」

 

 断る理由は無い、という響きだった。

 一人で行きたい場所ではないのだと、それで分かる。

 鳴上は財布だけ持って玄関を出た。

 

 外はまだ明るく、夕方の風にも熱が残っていた。

 蝉の声が途切れず、道の端には昼の熱がまだ沈んでいる。

 東京より空が広く、音の抜け方も違う。

 

 陽介は地元の道では、周囲をよく見る。

 誰がいるかというより、何が変わったかを確かめる目だった。

 シャッターの閉まった店、空き地、看板の変わった角。

 

「あそこ、前は文房具屋だった」

「今は」

「空っぽ。しばらくこのままじゃねえかな」

 

 説明は短い。

 懐かしさを語るでもなく、地元を解説するでもない。

 変化だけをいったん受け取り、自分の中へ置いている話し方だった。

 

 商店街の端で、知った顔らしい相手とすれ違う。

 陽介は足を止め、軽く会釈して短く言葉を交わした。

 そのときの声が、東京より少し低く落ち着いている。

 

 愛想がいいわけではないが、突き放しもしない。

 地元での距離の取り方を体が知っている声だった。

 鳴上には、その違いがかえって強く残る。

 

「顔広いな」

「広くねえよ。向こうが覚えてるだけ」

「覚えられる側だろ」

「それ、おまえに言われたくない」

 

 やり取り自体はいつも通りなのに、

 地元の道の上では、陽介の返しに少しだけ慎重さが混じる。

 聞かれて困る話を避けるというより、土地に合わせた自然な制御だった。

 

 家へ戻る途中、陽介はふと足を止めた。

 先には、ただの地元の道が伸びている。

 特別な何かが見える場所ではないのに、見ている時間が少し長い。

 

「どうした」

「いや。……帰ってきたなって思っただけ」

 

 言葉としては普通だった。

 だが、その声にはほんの一瞬、別の響きが混じる。

 戻ってきたというより、戻されるものまで思い出したような音だった。

 

 鳴上は何も言わず、立つ位置だけ少し近づけた。

 並ぶ肩の距離は、東京の部屋にいるときと同じにできる。

 ここが陽介の地元でも、その距離だけはもう変えなくていい。

 

「腹減った」

 

 先にそう言ったのは陽介だった。

 自分で空気を切り替えるときの声だった。

 

「ちょうどいい」

「今日、たぶんいろいろ出る」

「知ってる」

「分かってる顔すんな」

「毎回だ」

 

 ようやく笑い方が東京のものに近づいた。

 完全ではないが、戻せる余地がある。

 そのことに、鳴上は内心で少し息をつく。

 

 家へ戻ると、台所から出汁と醤油の匂いがしていた。

 夕食の支度が進み、皿の触れ合う小さな音が聞こえる。

 居間の灯りもついて、家の時間が夜へ移ろうとしていた。

 

 玄関を上がる前、鳴上は一度だけ振り返った。

 外の空はまだ薄明るく、蝉の声が粘るように続いている。

 休みに来たはずなのに、ここには休暇だけではないものがある。

 

 それは誰かが口にする種類のものではない。

 家の匂い、地元での声、言葉を止める間。

 そういうものが積み重なって、静かに残っている。

 

 東京へ戻るとき、

 自分たちは土産だけを持ち帰るわけではないだろうと鳴上は思った。

 まだ形にならない何かが、この帰省にはもう混じっていた。

 

 




登場人物をここでまとめておく

鳴上悠(T大在学中大学三年生)
花村陽介(M大在学中大学三年生)

花村陽一(花村の父。ジュネス八十稲羽店と東京本部と行ったり来たりしている)
花村ユリ子(花村の母。ジュネスで経理担当してるシゴデキママ)

次回もよろしくお願いします
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