スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
翌朝は、前日の移動の疲れが少しだけ体に残っていた。
目を開けたとき、東京の部屋とは違う天井が先に視界へ入る。
木目の色も、光の回り方も、寝起きの感覚を一拍遅らせた。
隣の布団はすでに空いていた。
陽介のほうが先に起きたらしい。
起き上がると、階下から食器の触れ合う音がかすかに聞こえた。
顔を洗って下へ降りると、台所には朝の匂いが満ちていた。
焼いた魚と味噌汁、それに炊きたての米の匂いが混ざっている。
東京の部屋では出ない種類の朝だと、鳴上は思った。
「おはよう」
陽介が先に気づいて振り向いた。
Tシャツに短パンという気楽な格好だが、動きはもう家のものだった。
冷蔵庫を開ける手も、湯呑みを出す位置も迷いがない。
「おはよう」
「よく寝てたな」
「普通」
「普通のやつは二回起こされねえの」
「起こされた記憶がない」
「幸せなやつだな」
そう言って笑う陽介の声は、昨日よりもさらに柔らかい。
地元へ帰って一晩置くと、角がまた一つ取れるらしい。
鳴上は席に着きながら、その変化を静かに見ていた。
食卓には四人分の朝食が並んでいた。
品数は多いが、見せるための整い方ではない。
家で長く繰り返されてきた朝の配置だとすぐ分かる。
「たくさんあるな」
「夏は食べないと保たないでしょ」
ユリ子はそう言って、味噌汁をよそった。
明るい調子なのに、食べる量の見方が具体的だ。
日々の体調を観察する人の手つきだった。
陽一は新聞を畳んで脇へ置き、湯呑みを持ち上げる。
会話を邪魔しない位置でいるのに、家の中心からは外れない。
花村家の朝の静けさは、その辺りの均衡で保たれているらしかった。
「今日は何か予定ある?」
ユリ子が味噌汁の椀を配りながら聞いた。
「昼までは特に」
陽介が先に答える。
今日の動き方を、自分の分だけでなく二人分として返す。
その自然さに、鳴上は少しだけ目を止めた。
「午後は?」
「夜、ちょっと出る」
「そっか」
ユリ子はそれ以上聞かなかった。
聞きたいことがないわけではないが、朝食の場で広げない。
そういう引き方が、この家ではもう馴染んでいる。
朝食のあいだ、会話は穏やかに続いた。
昨日の駅の混み具合、近所の店の閉店、庭の柿の木のこと。
大きな話題はなく、それでいて間が空きすぎることもない。
鳴上は箸を動かしながら、陽介の返事を聞いていた。
東京での陽介より、ここでは少しだけ短く、少しだけ丸い。
反射で返しているようでいて、家の流れに合わせている。
食後、陽一は店のほうへ顔を出しに行った。
居間には食器を下げる音と、水道の流れる音が残る。
鳴上が立とうとすると、ユリ子が先に首を振った。
「いいのよ。座ってて」
「手伝います」
「じゃあ、それ拭いてくれる?」
「分かりました」
渡された布巾で皿を拭きながら、鳴上は台所の動きを見る。
ユリ子の手は速いが忙しなくはない。
必要なものを必要な順番で片づけていく手つきだった。
陽介は流しの横で、コップをすすいでいた。
実家だから何もしない、という態度にはならない。
だが東京の部屋での家事分担とも少し違う、手の出し方をしている。
「それ、こっち置いといて」
「はいはい」
「返事だけいい」
「それは昔からでしょ」
その軽いやり取りに、ユリ子が笑う。
鳴上は皿の水気を拭き取りながら、
長く続いてきたやり取りの角の丸さを聞いていた。
一通り片づいたあと、陽介が麦茶を取りに冷蔵庫へ向かう。
その背中へ、ユリ子がふと思い出したように声をかけた。
「ちょっと待って」
語気は強くない。
むしろ、今でなくてもよさそうな調子だった。
それでも陽介はすぐ振り返り、鳴上も手を止めた。
「何」
「そうだ、渡しておこうと思ってたの」
ユリ子は食器棚の下の引き出しを開けた。
そこから取り出したのは、小さな布袋が二つだった。
色は深い紺と、少し褪せた赤茶で、どちらも派手ではない。
「これ」
そう言って、片方を陽介へ、もう片方を鳴上へ差し出す。
お守りに見えたが、観光地で見かけるような軽さとは少し違った。
布地はやわらかいのに、中の形が妙にしっかりしている。
「何これ」
陽介が受け取りながら言う。
疑っているというより、見覚えのないものへの素直な反応だった。
「お守りみたいなもの」
「みたいなものって何」
「最近、実家の近くの神社で買ったのよ」
ユリ子はさらりと言った。
言葉だけなら、母親らしい気遣いの範囲に収まる。
だが、差し出す指先に少しだけ力が入っていた。
「最近って、いつ」
「この前。法事のついでに寄ったとき」
「へえ」
陽介はそこで追及をやめた。
完全に納得した顔ではないが、
朝の台所で深く掘る話ではないと判断したらしかった。
鳴上は受け取った布袋を掌で確かめた。
思ったより重い。
金属ほどではないが、紙や木だけでもなさそうだった。
縫い目は丁寧で、角がきれいに収まっている。
大量に並ぶ土産物というより、
手に馴染ませる前提で作られた小物に近かった。
「ありがとうございます」
鳴上が言うと、ユリ子はいつもの調子で笑った。
「いいのよ。こういうの、気休めでも持ってると違うから」
言い方は軽い。
だが、気休めという言葉に本気で寄りかかっている感じは薄かった。
陽介のついでではなく、初めから二つ用意してあった声だった。
そのことが、布袋の重さとは別の形で手に残る。
「なくさないでね」
続いた一言は、柔らかいのに短かった。
母親の念押しとしては自然だが、
そこだけ妙に芯がある。
「そんな子どもじゃねえよ」
陽介が笑って言う。
いつものように軽く返しているが、
袋をすぐポケットへしまわず、一度見下ろしていた。
「知ってるわよ。でも、そういうこと言う人ほど落とすの」
「偏見だ」
「経験則」
会話の表面は穏やかだった。
台所の明るさも、午前の光も、さっきまでと変わらない。
それでも鳴上は、ユリ子の視線が一瞬だけ止まったのを見た。
陽介へ向けたあと、鳴上へも同じように視線が来る。
二人まとめてではなく、それぞれへ確かめるような見方だった。
「財布に入るか」
陽介が指先で袋をつまみながら言う。
「肌身離さず持っててくれれば何でもいいわ」
その返答は、すぐに出た。
言い直しも迷いも無かった。
さっきより少しだけ、本音が前に出た気がした。
陽介もそれを感じたのか、今度はすぐには軽口を足さなかった。
数秒だけ間が空き、
それから、分かった、と短く言う。
鳴上も同じように答え、袋をもう一度掌へ収めた。
布越しに形を探っても、中身ははっきり分からない。
ただ、何となくこの家の中だけで完結する物ではない気がした。
「そんな顔しなくても、変なものじゃないわよ」
ユリ子がそう言って笑う。
鳴上は、自分が見すぎていたことに気づいた。
「顔に出てましたか」
「ちょっとね」
「悠、たまにこういうとき分かりやすいんだよな」
「お前にだけだろ」
「それはそう」
陽介がすぐに返し、台所の空気が少しだけ緩む。
ユリ子も肩を揺らして笑い、
さっきの硬さは会話の表面からは消えた。
「じゃあ、二人ともちゃんと持ってて」
「はいはい」
「返事が軽い」
「分かったよ、母さん」
陽介がそう返す声は自然だった。
軽く返したのに、ユリ子はそれで充分らしく頷いた。
「悠くんもね」
「はい」
鳴上が答えると、ユリ子はそれ以上何も足さなかった。
説明しようと思えばできるはずなのに、そこへは行かない。
その説明のなさが、かえって妙に残る。
話はすぐ、午後の予定や昼食の相談へ移った。
冷やしうどんにするか、そうめんにするか。
台所の空気は完全にいつもの午前へ戻ったように見えた。
それでも鳴上は、ポケットの中の重さをたびたび意識した。
布袋一つのはずなのに、存在感が小さくならない。
縁側に近い廊下を通ったとき、外から蝉の声が強く入ってきた。
庭の光は白く、夏の午前は静かに熱を溜めている。
鳴上は立ち止まり、袋をそっと取り出して見た。
紺の布地は、近くで見ると織りが細かい。
どこにでもあるもののようでいて、
雑に選ばれたものではない感じがある。
神社で買った。
それだけなら別におかしくない。
帰省先で子どもにお守りを渡す母親も、いくらでもいる。
だが、なくさないで、という一言だけが妙に耳に残っていた。
大げさな説明も、祈るような口調も無い。
それなのに、言葉の芯だけが不自然なほど動かなかった。
「何見てんの」
背後から陽介の声がして、鳴上は振り向いた。
陽介は冷蔵庫から取ってきた麦茶のコップを二つ持っている。
片方を自然に差し出す手つきが、東京の部屋と変わらなかった。
「これ」
「そんな気になる?」
「少し」
鳴上が袋を見せると、陽介は自分の分もポケットから出した。
布の色以外は、ほとんど同じ作りに見える。
「おれも、ちょっと思った」
「何を」
「母ちゃん、わりと本気だったなって」
声は低いが、深刻にしたいわけではなさそうだった。
同じ違和感を言葉にしただけで、答えを出す気はない。
鳴上はそれに少しだけ救われる。
「うん」
「まあ、持っとくけど」
「なくすなよ」
「それさっき聞いた」
「お前は落とす」
「ひど」
陽介は笑って、コップを縁側の手すりへ置いた。
それから自分の分の袋を財布へ入れて、
ちゃんと入った、と子どもみたいに確認する。
その動作が少し丁寧すぎて、鳴上は黙って見ていた。
軽口を言いながらも、雑には扱っていない。
陽介もまた、台所で感じた硬さを拾っていたのだろうと思う。
鳴上も同じように財布の内側へ袋を収めた。
革越しに厚みが一枚増える。
それだけのことなのに、持ち物の意味が少し変わった気がした。
「夜、使うわけじゃないよな、こういうの」
陽介が何気なく言う。
その言い方は軽いが、夜を先に出したことが少しだけ残る。
「使うものじゃない」
「分かってるよ」
そう返したあと、陽介は庭のほうを見た。
蝉の声がまた強くなり、陽の白さが廊下へ反射している。
穏やかな午前のはずなのに、何かだけが小さく引っかかったままだった。
ユリ子の言葉は、結局ほとんど説明になっていない。
それでも、説明されなかった部分のほうが、
布袋の重さより長く手に残っていた。
軽い会話のまま終わったはずなのに、
その朝のことだけは、あとで思い返す形で残るだろうと鳴上は思った。
財布の内側に収まった小さなものが、妙に近く感じられた。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大在学中大学三年生)
花村陽介(M大在学中大学三年生)
花村陽一(花村の父。ジュネス八十稲羽店と東京本部と行ったり来たりしている)
花村ユリ子(花村の母。なんかお守りを準備していた)
次回もよろしくお願いします