二人の食卓、二人の空   作:erupon

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こちらはペルソナ4主人公(鳴上悠)と花村陽介が、ペルソナ4の事件が終わった後普通の学生として生活してたのにどうしてペルソナでちゃって公安に隷属することになったんだという話を書く場所です。

スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。

なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。


16

 十一月の終わりになると、部屋の空気は朝から少し硬かった。

 窓の隙間から入る冷たさが、秋の延長ではなく冬のものへ変わっている。

 起きてすぐに暖房を入れる日が、いつの間にか当たり前になっていた。

 

 洗面所の床も、夜のうちに冷えを溜めている。

 顔を洗う前に蛇口からしばらく湯を出しておかないと、指先が先に冬を思い出すようになった。

 鳴上は朝のうちに加湿器の水を替え、台所で味噌汁の鍋を火にかけながら、今日の帰宅時間を頭の中で組み直していた。

 

 大学祭が終わって、部屋の中の荷物は一度片づいた。

 段ボールもガムテープも消え、机の上から学内用の資料が減って、いつもの視界が戻っている。

 だが、忙しさそのものは少し形を変えて残った。

 学園祭の準備でずれていた時間の上へ、今度は説明会やインターンの予定が重なり始めている。

 就職活動、という言葉は前から知っていた。

 だが十一月の終わりに入ると、それは話題ではなく予定になる。

 カレンダーへ書き込まれる時刻と場所として、生活の中へ入ってくる。

 

 陽介はその朝、目覚ましの二回目でようやく起きた。

 布団の中から腕だけ伸ばして時計を止め、しばらくそのまま動かない。

 

「起きろ」

「……起きてる」

「体が起きてない」

「それはそう」

 

 声が低い。

 体調を崩しているわけではないが、ここ数日の疲れがまだ抜けきっていないと分かる声だった。

 

 鳴上はコーヒーを少し濃くし、いつもより長めにトースターを見張った。

 今日は焼きすぎると食べる速度が落ちる。

 朝食は、ハムエッグとスープ、それにトーストだった。

 寒くなってからは、朝の汁物を欠かさないようにしている。

 胃が起きる速さが少し違うからだ。

 

 陽介は席につくと、まずスープへ手を伸ばした。

 湯気を吸うように一口飲んでから、ようやく目の焦点がはっきりしてくる。

 

「今日、何時からだ」

「午後。説明会ひとつと、そのあと面談っぽいやつ」

「戻りは」

「たぶん遅くはならない。たぶん」

「信用しづらい」

「自分でもそう思う」

 

 そう言って陽介が苦く笑う。

 最近はこの、たぶん、が増えた。

 学内の用事と違って、外の予定は終わり方が読みづらい。

 

 鳴上は食パンの端を切りながら、明日の夕飯は温め直せるものにしたほうがいいと思う。

 片方の予定が読めない日は、もう一方が余白を持つしかない。

 

「おまえは?」

 

 陽介が聞く。

 眠そうな顔のままでも、そこは返してくる。

 

「午後は実験室」

「長い?」

「普通」

「普通って便利な言葉だな」

「お前のたぶんよりは使える」

 

 そう返すと、陽介は少しだけ笑った。

 その笑い方は疲れていてもいつものままで、部屋の空気はそこで少しだけほどける。

 

 朝の支度を終えて家を出ると、外気は思ったより鋭かった。

 吐く息が白くなるほどではないが、首元の隙間へ入る風の細さが、もう冬の入り口だった。

 

 その日から数日は、二人とも帰宅が微妙にずれた。

 鳴上が先の日もあれば、陽介が先の日もある。

 どちらが遅くなるにしても、帰宅後の流れはほとんど固定していた。

 

 先に帰ったほうが暖房を入れ、風呂を溜め、米を炊き、もう一人の分のコップもついでに出しておく。

 

 夜、鳴上が先に帰った日は、マフラーを外しながらまず給湯器のスイッチを押した。

 手が冷えている日は、帰ってすぐの湯気が必要になる。

 

 冷蔵庫から豚肉と白菜を出して、鍋にするか迷って、結局うどんへ寄せることにした。

 疲れている日に、噛む回数が多すぎる献立は向かない。

 

 陽介からの連絡は、七時を少し回って届いた。

 面談が押した、先に食べてていい、という短い文面だった。

 先に食べていいと言うときは、本当に遅い。

 

 鳴上は一人分だけ先に軽くよそい、残りは鍋の火を止めて待たせる。

 麺を入れるのは帰宅してからでいい。

 

 八時半を過ぎて、玄関の鍵が回った。

 足音だけで、今日はかなり神経を使ったのだと分かる。

 疲れている時ほど、陽介の足取りは静かになる。

 

「ただいま」

「おかえり」

 

 コートを脱ぐ手つきが少し遅い。

 鞄を置いてから、陽介は一度だけ目を閉じた。

 深く息を吐いて、それからようやく動き出す。

 

「食うか」

「食う。……風呂、先でもいい?」

「湯、入ってる」

 

 そう言うと、陽介が顔を上げた。

 礼を言う前に分かった、という顔をする。

 そういう順番になって久しい。

 

「じゃあ、先もらう」

「その間に仕上げる」

「助かる」

 

 言葉は短い。

 だが、その短さで足りるくらいには、帰宅後の流れがお互いの中へ入っている。

 浴室から湯の音がしているあいだに、鳴上は鍋へうどんを入れ、薬味のねぎを切り、取り皿を二つ並べた。

 

 風呂上がりの陽介は、少しだけ顔色が戻っていた。

 髪を半分だけ乾かしたまま、湯気をまとってテーブルにつく。

 

「今日、そんなにきつかったか」

「きついっていうか、面倒だった」

 

 陽介は箸を取りながら言った。

 肉体的に潰れているというより、気を使う方向の疲れらしい。

 

「面談?」

「うん。勤務地どう考えてますか、ってやつ」

 

 そこで少しだけ眉を寄せる。

 今日いちばん引っかかったのは、その質問だったのだろう。

 鳴上はうどんをよそいながら、続きを待つ。

 

「まだ三年だし、今すぐ決める話でもないんだけどさ」

「うん」

「でも、決める側は今から聞くんだよな、そういうの」

 陽介は汁をひと口飲んでから、喉の奥に残るものを流すみたいに息を吐いた。

「東京か、地元か、異動の多いとこでも平気か、とか」

 

 その並べ方が、もうただの想像ではないと分かる。

 勤務地、という言葉が生活の近くへ来ている。

 

「何て答えた」

「決めてません、って」

「正しい」

「だろ。なのに、決めてないなりの優先順位はありますか、って返されて」

 

 そこで陽介が苦笑した。

 会話の流れを思い出しているのだろう。

 言い方は柔らかいが、疲れはそこへ残っている。

 

「面倒だな」

「面倒だった」

 

 鳴上がそう言うと、陽介は本当にそれだけで少し気が抜けた顔をした。

 評価や助言より先に、面倒だったことを面倒だと受け取られるほうがいい時がある。

 

「おまえは?」

「研究室で、インターンの話をされた」

 

 鳴上も箸を持ちながら答える。

 機械工学の周辺では、職種や進路の話は説明会より先に研究室経由で入ってくることがある。

 

「行くのか」

「まだ分からない」

「でも考えてるだろ」

「考えてる」

 

 即答すると、陽介は少しだけこちらを見た。

 予想通りだが、実際に口から出ると受け止め方が少し変わる顔だった。

 

「まあ、そうだよな」

「お前もだろ」

「そりゃな」

 

 そこで会話は少し止まる。

 止まるが、気まずいわけではない。

 食事の湯気の向こうで、話題だけが一歩先へ出た感じだった。

 

 来年、再来年。

 これまでも考えなかったわけではない。

 だがそれは遠くの予定表みたいなものだった。

 

 冬が近づく今は違う。

 説明会の時間、面談の問い、研究室から回ってくる話の形で、将来が生活へ触れてくる。

 

 食後、陽介は皿を流しへ持っていくと、そのまま蛇口の前で少しだけ手を止めた。

 洗う気がないのではなく、頭がまだ今日から戻りきっていない。

 

「置いとけ」

「いや、洗う」

「いい。お前は先に髪乾かせ」

「でも」

「風邪ひく」

 

 短く言うと、陽介は少しだけ迷って、分かった、と素直に引いた。

 無理をする元気もないのだろうし、引きどころも分かっている。

 

 鳴上はその後ろ姿を見てから、スポンジに洗剤をつけて皿を洗った。

 湯で流すと、手の冷えが少しだけ戻る。

 

 洗い物を終えたころ、陽介はソファでドライヤーを握ったまま少し止まっていた。

 温風の音が途切れている。

 

「寝るな」

「寝てない」

「止まってる」

「それはそう」

 

 半分閉じた目で言い返すあたりが、もうかなり疲れている。

 鳴上は洗面所から櫛を持ってきて、ドライヤーを取り上げるでもなく、手元だけ直した。

 

「後ろ」

「ん」

 

 陽介が少しだけ前へ屈む。

 その動きにためらいがない。

 こういう補助が、もう特別ではなくなっている。

 

 髪を乾かし終えると、陽介はそのままソファの端へ寄りかかった。

 テレビはついていない。暖房の音だけが小さく続いている。

 

「勤務地ってさ」

 

 乾いた髪を指先で払いながら、陽介が言った。

 考えがまたそこへ戻ったらしい。

 

「東京前提で考えていいのか、地元も一応入れとくべきか、たまに分かんなくなる」

 

 軽い冗談ではない。

 実際の選択肢として口にしている声だった。

 鳴上は加湿器のランプを確認してから、向かいへ腰を下ろす。

 

「今すぐ決めることではない」

「うん」

「でも、考え始める時期ではある」

「そうなんだよな」

 

 陽介はそう言って、視線を少し落とした。

 将来の話を怖がっているわけではない。

 ただ、選択肢が選択肢のまま現実になり始める、その手触りに疲れている。

 

「インターンって、やっぱ行っといたほうがいいと思う?」

「行けるなら」

「だよな」

「見えるものは増える」

「それは分かる」

 

 言葉は少ないが、今はそのくらいでちょうどいいと鳴上は思った。

 結論を出すためというより、考え始めていることを確認する会話だった。

 

 外では風が少し強くなったらしい。

 窓の外で、ベランダの物干しが小さく鳴る。

 十一月の終わりの夜は、もう長くて静かだった。

 

 鳴上は立ち上がって、明日の分の米を研ぎ、タイマーをセットした。

 朝の寒い時間ほど、先に仕込んだものが効く。

 

 その間に、陽介は明日の資料を鞄へ戻している。

 途中で一度、会社案内の紙を見下ろして、それから少し雑に、だが折らずにファイルへ差し込んだ。

 

「明日もあるのか」

「午前だけ」

「帰りは」

「今日はたぶん、よりは読める」

「何時」

「七時前には戻る」

「分かった」

 

 それだけで明日の夕飯の時間も決まる。

 魚を焼くか、鍋にするか、風呂を先に溜めるか、帰宅後にするか。

 

 将来の話題が出ても、結局それは今日と明日の段取りの中へ入ってくる。

 勤務地やインターンのことも、まずは食事と睡眠の順番の隣に置かれる。

 

 鳴上はそのことに、少しだけ安堵していた。

 先の話が現実味を帯び始めても、生活の手つきまで急に変わるわけではない。

 寝る前、暖房の温度を少しだけ下げた。

 乾燥しすぎると朝に喉が痛む。

 

 陽介はベッドに入るなり、珍しくすぐには喋らなかった。

 それでも数分してから、小さく言う。

「悠」

「ん」

「来年のこと、ちゃんと考えないとな」

 眠る前の声だった。

 決意というほど強くなく、でも今日の疲れの底から自然に出た本音だった。

 

「うん」

 鳴上はそれだけ返した。

 

 大きな言葉を足す必要はないと思った。

 考えることはもう始まっているし、明日も続く。

 

 隣の気配はすぐに静かになった。

 眠りに落ちるのが早い夜は、それだけ一日で消耗していたということだ。

 

 鳴上は薄い暗がりの中で、乾いた冬の空気と、部屋の残り湯の匂いを小さく吸い込んだ。

 外の話題がどれだけ増えても、この部屋の流れはまだ崩れない。

 冬の入り口の静かな夜に、鳴上はそういう種類の確かさを、わざわざ言葉にしないまま受け取っていた。

 

 




登場人物をここでまとめておく

鳴上悠(T大在学中大学三年生)
花村陽介(M大在学中大学三年生)

そろそろ就活の季節。

次回もよろしくお願いします
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