スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
合鍵を鍵穴に差し込むと、抵抗なく回った。
内側から補助錠のかかった気配はなく、そのことに鳴上は少しだけ眉を寄せる。
一人暮らしを始めたばかりとはいえ、防犯意識まで置いて寝ているのは感心しない。
帰ったらまずそこから言うべきかと考えながら、鳴上は静かにドアを開けた。
「陽介」
声をかけながら部屋へ入る。
返事はない。
玄関先に脱ぎ散らかされた靴と、壁際に寄せられた段ボール箱が最初に目に入った。
一人暮らしを始めたばかりの部屋特有の、仮住まいの名残がまだ色濃く残っている。
廊下を抜けた先の空間には、生活感が遠慮なく広がっていた。
テーブルの上には空のペットボトルと読みかけの雑誌があり、椅子の背には昨夜脱いだらしい服が掛かっている。
床に物が散乱しているほどではないが、整っているとも言い難い。
陽介らしいといえばその通りで、鳴上はむしろ妙に納得した。
「陽介、起きろ」
部屋の奥へ進むと、ベッドの上に丸まった影が見えた。
掛け布団を腰までずり下げたまま、陽介は実に気持ちよさそうに眠っている。
携帯電話は枕元で震えた形跡もなく、画面だけが暗く沈んでいた。
今までの着信に一切気づいていないことが、その寝顔だけで十分に分かった。
鳴上はベッド脇に立ち、まず名前を呼んだ。
反応はない。
肩を軽く揺すると、うるさそうに眉が動く。
だがそれだけで、意識が浮上してくる様子はまるでなかった。
「陽介」
「んー……」
「起きろ」
「あと五分……」
返ってきた声に、鳴上は一瞬だけ黙った。
完全に寝ぼけた調子で、状況を一切把握していない。
この場面であと五分という単語が出るあたり、逆に感心したくなる。
鳴上はため息を飲み込み、今度はもう少し強く肩を揺さぶった。
「陽介、今日が何日か分かるか」
「ん……なんにち……」
「入学式当日だ」
「……は?」
瞼が薄く開き、それからまた閉じかける。
鳴上は逃がさないように、もう一度はっきりと言った。
今日がM大の入学式当日であること。
そして今、おそらくのんびりしていられる時間ではないこと。
「起きろ。お前の父親から電話が来た」
その一言で、陽介の目がようやく開いた。
半分寝ていた意識が、一気に現実へ引き戻されたのが顔つきだけで分かる。
鳴上が腕時計を見せると、陽介は数秒固まったまま数字を追い、それから文字通り飛び起きた。
布団が跳ね、枕元の携帯が床に落ちる。
「うわっ、やっべ!」
「気づいたなら立て」
「何でもっと早く起こしてくれなかったんだよ!」
「今起こした」
寝起きの混乱で筋の通らないことを言っている。
鳴上はそれを指摘する気にもならず、まずカーテンを開けた。
朝の光が部屋に差し込み、眠気の残る空気を容赦なく白くする。
陽介はその眩しさに顔をしかめながら、ようやくベッドから足を下ろした。
「顔を洗ってこい」
「いやその前に時間、時間!」
「だから洗ってこい。意識をはっきりさせろ」
「う、うわあ……まじか……」
陽介は半ば転ぶような勢いで洗面所へ向かった。
その背中を見送りながら、鳴上は部屋を見回して必要なものの位置を探る。
スーツはどこか。ネクタイはあるか。靴下は揃っているか。
本人に任せると、この状態では余計な時間だけが消える。
椅子の背に掛かったジャケットは昨日着ていた私服だった。
クローゼットを開けると、ハンガーにかかったスーツが一着見つかる。
まだクリーニングのビニールを外したばかりのような、あまり生活に馴染んでいない黒だった。
入学式用に用意したものだろうと判断し、鳴上はそれを引き抜いた。
「悠、俺のネクタイどこ!」
「クローゼットの右側だ」
「なんで把握してんの!」
「見れば分かる」
洗面所から返ってくる声は、まだ半分ほど動揺で裏返っている。
鳴上はシャツとネクタイをまとめてベッドの上へ置き、靴下も引き出しから引っ張り出した。
生活圏に他人が踏み込んでいる状況としてはそれなりに異常だが、今さら線を引いている余裕はない。
陽一が合鍵を渡した理由が、ここへ来て全面的に効いていた。
顔を洗って戻ってきた陽介は、まだ髪の毛先から水滴を落としていた。
寝起き特有のぼんやりした顔は多少ましになっているが、髪は見事に跳ねている。
鏡を見たらしい本人が、ベッドの上のスーツに手を伸ばしながら絶望した顔をした。
鳴上はその視線の先を見て、今気にする場所はそこではないと思った。
「髪が終わってるんだけど!」
「顔は洗ったな」
「洗ったけど! いやこの寝癖まずいって!」
「それより着替えろ」
陽介は納得していない顔のまま、シャツへ腕を通した。
ボタンを一つ掛け違えかけたので、鳴上は黙って指を伸ばして直す。
寝起きで手元が覚束ないのか、ネクタイも綺麗に結べていない。
さすがにそこは見過ごせず、途中で鳴上が手を取った。
「じっとしてろ」
「いや、ありがたいけど、情けなさすぎて死ぬ」
「死ぬのは式が終わってからにしろ」
「その言い方だと死ぬ前提なんだけど」
ネクタイを締め直しながら、鳴上は返事をしなかった。
冗談に付き合っている時間もないが、陽介が口を回せる程度には意識が戻ったことは確認できる。
その点だけは助かった。
ここから先は、どれだけ無駄を削れるかの勝負になる。
「靴下、左右合ってるか確認しろ」
「小学生みたいな確認すんなよ!」
「今のお前はそれ以下だ」
「悠、今日だけちょっと当たり強くない?」
「昨日言ったはずだ。電話に出ろと」
その言葉で、陽介は一瞬だけ口をつぐんだ。
昨日のレストランで交わしたやり取りを思い出したのだろう。
図星を刺された時の分かりやすい沈黙に、鳴上はそれ以上追及しなかった。
反省はあとでいくらでもさせられる。今は間に合わせる方が先だった。
ジャケットを羽織らせ、財布と携帯を持たせる。
学生証や必要書類の有無も確認したかったが、式典への入場自体はどうにかなる可能性が高い。
優先順位を切り替え、鳴上は玄関の方へ向かった。
陽介も慌てて靴を履きながら、その後ろを追ってくる。
「親父、怒ってた?」
「困ってはいた」
「うわあ……」
「あとで連絡しろ」
「分かってるって……」
扉を開けると、外の空気は思ったよりまだ冷たかった。
部屋の中の寝ぼけた熱が抜けるせいか、陽介もそこでようやく完全に目が覚めたようだった。
二人で廊下を走り、外階段を駆け下りる。
鳴上はその足音を聞きながら、時計と駅までの距離を頭の中で照らし合わせた。
電車では厳しい。
乗り換えと歩く時間を考えると、今からでは余裕がなさすぎる。
駅前まで出てタクシーを拾う方が早い。
そう判断すると、鳴上はそのまま進路を駅側へ切った。
「悠、電車じゃねえの?」
「間に合わない」
「だよな!」
「走れ」
「分かってる!」
陽介の返事はいいが、足はまだ本調子ではない。
寝起きで全力疾走を強いられているのだから当然ではある。
それでも途中で弱音を吐かないあたり、事態の深刻さだけは理解していた。
鳴上は一歩先を走りながら、信号の切り替わりを見てタイミングを読む。
駅前へ出る頃には、さすがに陽介の息も上がっていた。
鳴上自身も平然としているわけではないが、止まるほどではない。
ロータリーには何台かの客待ちタクシーが並んでいる。
鳴上は一番手前の車へまっすぐ向かい、ドアが開くのを待たずに行き先を告げた。
「日本武道館まで」
「お客さん、急ぎ?」
「できるだけ早くお願いします」
「任せて」
運転手の返事と同時に、陽介を後部座席へ押し込む。
鳴上も続いて乗り込み、扉が閉まると同時に車が動き出した。
ようやく座れた安心からか、陽介はシートに背を預けて大きく息を吐く。
そのまま数秒黙り込み、やがて両手で顔を覆った。
「終わった……」
「まだ終わっていない」
「でも社会的にはだいぶ終わってる」
「式に間に合えば立て直せる」
「立て直せるかなあ……」
悲観しているわりに、声に完全な絶望はない。
武道館へ向かって車が走り出したことで、ようやく現実的な希望が見えたのだろう。
鳴上は窓の外を見ながら、渋滞のないルートを取っているかだけを気にした。
今は励ますより、到着を一分でも早める方が意味がある。
しばらくして、陽介が前髪に触れた。
寝癖の残り具合がまだ気になるらしい。
指で押さえても、跳ねた髪はそう簡単には戻らない。
鳴上は横目でその様子を見て、今日の優先順位を本当に分かっているのか少し疑った。
「まだ髪が変なんだけど」
「知っている」
「そこは大丈夫とか言ってくれない?」
「大丈夫ではない」
「容赦なさすぎるだろ……」
それでも陽介は、少しだけ笑った。
自分が今どういう顔をしているのか、半ば諦めて受け入れ始めたのだろう。
鳴上はそこでようやく、財布からカードを取り出して膝の上に置いた。
現金でも足りるかもしれないが、迷う時間の方が惜しい。
父が持たせた黒いカードは、こういう場面のためのものではないはずだった。
だが、必要な時に使えと言われている以上、今は十分に必要な時だと判断できる。
陽介を入学式へ間に合わせることは、少なくとも無駄遣いではない。
そう考えると、使うことへのためらいはほとんどなかった。
「……悪い」
不意に落ちてきた声に、鳴上は陽介を見る。
さっきまで髪だの終わっただのと言っていた顔が、今は少しだけ真面目になっていた。
寝起きの混乱が引いたぶん、ここまで運ばれている状況をようやく正面から見たのだろう。
その一言だけで、何に対する謝罪なのかは十分に分かった。
「あとで父親にも言え」
「言う」
「母親にもだ」
「う……言う」
「ならいい」
それだけ返すと、陽介は小さく息をついて窓の外へ視線を戻した。
素直に謝る時の方が、かえって調子が狂う。
鳴上はカードを指で軽く叩きながら、前方の道路標識を確認した。
武道館まで、あと少しだった。
昨日、自分の入学式に当然のような顔で付き添ってきた男が、今日は自分の入学式に寝坊している。
その状況を頭の中で並べると、さすがに少しおかしかった。
だが、笑うにはまだ早い。
鳴上は表情を崩さないまま、車窓の向こうに見え始めた武道館の方向へ目を向けた。
「見えた」
鳴上がそう言うと、陽介も反射的に身を乗り出した。
車の流れの向こう、見慣れ始めた屋根の形が確かに見える。
それだけで、車内の空気がわずかに変わった。
間に合うかもしれないという感覚が、ようやく現実味を帯びる。
タクシーが減速し、武道館前へ寄せていく。
鳴上は先にドアへ手をかけ、停車と同時に外へ出た。
料金をカードで支払い、礼だけ簡潔に告げる。
後ろから降りてきた陽介は、まだ少し上気した顔でスーツの裾を整えていた。
「行くぞ」
「うん、いや、はい!」
「返事は一つでいい」
「今はそれ言ってる場合か!」
言いながらも、陽介の足は止まらない。
二人で武道館の方へ駆ける。
開始十分前に間に合うかどうかというぎりぎりの線だった。
鳴上は上がりかけた呼吸を押さえ込みながら、陽一おじさんたちの姿を探して視線を巡らせた。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学生)
花村陽介(M大に入学する大学生(もうすぐ入学式))
次回もよろしくお願いします