スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
五月の終わりから六月に入る頃には、部屋の空気が少し変わっていた。
忙しさそのものはまだ続いているが、ただ追われているだけではない。
提出した書類や受けた面接、研究室で積み上げた実験結果が、それぞれ少しずつ次へ繋がり始めていた。
朝、鳴上が起きて台所へ立つと、机の上には昨夜のまま置かれた書類が二つあった。
一つは陽介の企業マイページを印刷したメモで、もう一つは鳴上の研究室関係の資料だった。
どちらも片づけるにはまだ早い。今は途中にあるものとして、そこに置いておく理由があった。
炊飯器を開け、味噌汁の鍋を火にかける。
冷蔵庫から卵と作り置きの副菜を出しながら、鳴上は今日の予定を頭の中で並べた。
午前は研究室、午後は指導教員との確認がある。
陽介は大学へ寄ったあと、午後に面接が一件、その後で結果待ちの企業のマイページを確認するつもりだと昨夜言っていた。
前よりも、予定表の見方が変わっていた。
四月の頃は、まず出すこと、受けること、それ自体で手一杯だった。
今は、どの選考がどこまで進んでいるか、研究室で積み上げたものがどこへ繋がるかまでが、日常の中へ入ってきている。
寝室の方で物音がして、陽介が起きてくる。
少し髪を乱したまま洗面所へ向かう後ろ姿はいつも通りだったが、春先のような手探りの気配はもう薄い。
忙しさに慣れたというより、自分が今どの位置にいるかを把握した動きだった。
鳴上は皿を並べながら、その歩き方を見た。
疲れはある。だが、それは押し負けている人間の疲れ方ではなかった。
陽介が戻ってきて椅子に座り、テーブルの上を見て目を細める。
「今日も整ってるなあ」
「昨日のうちに見えていた分だけだ」
「その“見えていた分”がすごいんだよ」
陽介はそう言って笑い、味噌汁を口に運んだ。
面接がある日に特有の張りはあるが、嫌がっている顔ではない。
「午後のやつ、終わったらそのまま確認するのか」
鳴上が聞く。
「うん。たぶん夕方にはマイページ動くと思う」
「連絡は」
「出たらする。鳴上も研究室だろ?」
「終わるまでは見られない」
「分かってる」
そう言いながら、陽介はスマートフォンをテーブルの端に置いた。
通知が来るたびに落ち着かなくなる時期は、もう過ぎている。
それでも今日はさすがに意識しているらしく、画面を伏せたあとも、ときどき視線だけがそちらへ流れた。
食事をしながら、陽介がぽつりと言う。
「なんかさ」
「何だ」
「思ってたより、ちゃんと進んでるよな」
「そうだな」
鳴上は短く返した。
大げさに言うほどではないが、それは確かだった。
忙しさの形を整えるだけで手一杯だった時期を越えて、今はそこに少しずつ結果がつき始めている。
陽介は箸を持ったまま、少しだけ考えるように黙った。
浮かれているわけではない。
良い感触を受け取りながら、それが本当に手元へ来るのを待っている時の慎重さだった。
「昨日のとこもさ、話しやすかったし」
「手応えがあったか」
「かなり。ああいう場だと、オレの使いどころ分かってもらえると強いわ」
対人の場に入った時の陽介は、自分の立ち位置を掴むのが早い。
相手の温度に合わせて言葉の出し方を変え、会話の流れを読む。
その強みが、面接でもそのまま効いているのだと鳴上には分かっていた。
「悠の方は?」
陽介が聞き返す。
「この前のとこ、どうなりそう?」
「まだ最終ではない」
「でも、悪くない顔してる」
陽介はそう言って少し笑う。
鳴上は味噌汁の椀を置いてから答えた。
「研究内容込みで、前向きに見てはもらえている」
「じゃあ十分いいじゃん」
「まだ仮だ」
「そこは悠だなあ」
確定していないものを確定したようには扱わない。
そういう癖は昔から変わらない。
ただ、仮の段階でも、来年の生活にどう関わるかを考えることはできた。
食後、二人はそれぞれの準備を進めた。
陽介はスーツに着替え、クリアファイルに今日使う書類を順番どおりに入れる。
鳴上は研究室用のノートと資料、ノートパソコンを鞄に収める。
同じ部屋から出るのに、持ち物も服装も、その先にある一日の形もまだだいぶ違っていた。
玄関を出ると、朝の空気はもう初夏に近かった。
駅までの道を並んで歩きながら、陽介が言う。
「今日、もし結果出たら、夜ちゃんと見る?」
「見る」
「怖えな」
「見ないままにする方が面倒だ」
「それはそう」
改札で別れてから、鳴上は研究室へ向かった。
午前中は装置の確認と実験条件の調整で時間が埋まる。
教授に進捗を見せ、必要な修正を詰め、空いた時間でデータを整理する。
研究室の空気は相変わらず慌ただしいが、その慌ただしさの中にも進路の話が濃く混じるようになっていた。
面接の日程、推薦の扱い、配属の可能性。
研究だけやっていればいい時期は、もうはっきり終わっていた。
昼過ぎ、短い休憩の間にスマートフォンを見る。
陽介からはまだ何も来ていない。
鳴上は画面を閉じ、データの並びをもう一度確認した。
気になるなら気になるで、先に自分の手元を片づけるしかない。
研究室を出たのは夕方を少し回ってからだった。
駅へ向かう途中でスマートフォンが震える。
陽介からの短いメッセージが一件入っていた。
出た。帰ったら見せる。
それだけで、鳴上は足を止めた。
文面は短いが、悪い時の書き方ではない。
少なくとも、その場で電話してこない程度には落ち着いている。
鳴上は了解、とだけ返して電車に乗った。
部屋に戻ると、まだ陽介は帰っていなかった。
先に米を温め、簡単な夕食の用意をする。
今日は煮物の残りと味噌汁、あとは焼くだけで済む魚で十分だった。
結果を見る前に、落ち着ける環境だけ整えておく。
鍵の音がして、陽介が帰ってきた。
ドアを開けた顔は疲れていたが、それ以上に妙に明るい。
「ただいま」
「おかえり」
「……いや、すげえ変な感じする」
「座れ」
「うん」
陽介は鞄を下ろすより先にネクタイを緩めた。
その手つきが少しだけ雑で、今日の緊張の長さが見える。
だが、肩は落ちていなかった。
ソファに座ると、陽介はスマートフォンを取り出した。
鳴上も向かいに座る。
画面には企業のマイページが開かれていて、結果通知の欄に新しい表示が出ていた。
「読むぞ」
陽介が言う。
「読め」
陽介は一度だけ息をついてから、画面を見た。
数秒の沈黙のあと、口元が少しだけ緩む。
「……次、最終」
「そうか」
「で、勤務地候補、首都圏配属の可能性高めって」
鳴上はその文面を自分でも確認した。
選考通過。次回最終面接。
配属については本人の適性と希望を踏まえ、首都圏エリアを含めて検討。
確定ではない。だが、来年の生活に引き寄せて考えられる程度には具体的だった。
陽介が画面を見たまま、笑うとも息を吐くともつかない音を出す。
「うわ、来ると変な感じだな」
「かなり前向きだ」
「うん。かなり前向き」
その言葉を聞いた瞬間、鳴上の頭の中では別の計算が動き始めていた。
首都圏配属。
研修先が都内なら今の部屋からでも通えなくはない。
神奈川寄りになるなら沿線は見直した方がいいかもしれない。
最終面接の結果次第ではあるが、東京圏に残れる可能性はかなり高い。
「……何考えてんの」
陽介がふと顔を上げた。
「勤務地候補」
「やっぱそこ行く?」
「首都圏なら通勤時間が変わる」
「そこまで考えるの早くね」
陽介が笑う。
疲れているはずなのに、その笑い方は軽かった。
「まだ最終前だぞ?」
「分かってる」
「分かってる顔じゃねえんだよなあ」
「仮定の範囲だ」
「仮定で沿線まで行くな」
鳴上はそこで少しだけ黙った。
言われてみれば、その通りだった。
だが、結果を生活条件へ変換して受け取るのは、ほとんど無意識に近い。
来年も一緒に暮らす前提が頭の中にあるから、なおさら早い。
陽介はその沈黙を見て、困ったように笑った。
「いや、でも、ちょっと嬉しい」
「何が」
「オレの結果見て、鳴上の頭ん中で普通に通勤とか部屋とか出てくるの」
「出るだろ」
「そういうとこな」
その言い方には、からかいと安堵が両方混じっていた。
陽介にとっても、これはただの選考結果ではない。
来年の生活が、まだ完全には決まっていなくても、手を伸ばせる距離へ入ってきた感覚があった。
鳴上は画面をもう一度見た。
まだ最終ではない。
勤務地も確定ではない。
それでも、これまで話していた「東京圏に残れたらいい」という希望とは違う。
候補として置ける程度には、輪郭が見えていた。
「悠の方は?」
陽介が聞く。
「この前のやつ」
「今日、教授経由で連絡があった」
「え」
「研究内容込みで、かなり前向きに見ているらしい。正式な返事はまだだが」
「ちょ、待って。それ、かなりいいやつじゃん」
陽介が身を乗り出す。
鳴上は頷いた。
「勤務地候補は」
「都内寄り」
「……おい」
「確定ではない」
「いや、でも、だいぶすごくね?」
鳴上の方は、陽介ほど分かりやすく表には出ない。
それでも、研究と進路がきちんと繋がっている手応えはあった。
しかも勤務地の条件まで見え始めているなら、それは十分大きい。
陽介は数秒、何も言わなかった。
それから、ふっと肩の力を抜く。
「なんか、思ってたよりずっといい形で進んでんな」
「そうだな」
「まだ決まってないけど」
「決まってはいない」
「でも、もう仮定だけの話じゃねえな」
その言葉に、鳴上はすぐには返事をしなかった。
代わりに、今の部屋から通える範囲を頭の中で静かに並べ直す。
都内寄り。首都圏配属候補。研修先次第。
今の部屋のままで足りるのか、それとも見直しが要るのか。
まだ何も決まっていないのに、設計図の輪郭だけが急に見え始めていた。
「やっぱ考えてる」
陽介が笑う。
「考えるだろ」
「うん。悠だしな」
夕食を並べると、陽介はようやく鞄をきちんと置いた。
食べながら、二人は結果の文面をもう一度確認する。
どこまでが確定で、どこからがまだ仮なのか。
浮かれすぎないように、条件を一つずつ分けていく。
「最終でひっくり返る可能性はある」
鳴上が言う。
「ある」
「勤務地も希望どおりとは限らない」
「分かってる」
「研修先で一時的に動くこともある」
「それもまあ、ある」
そこまで聞いてから、陽介は苦笑した。
「でも、そのへん込みでも嬉しいもんは嬉しいな」
「そうだな」
「ちょっと安心した」
「俺もだ」
その一言で十分だった。
何に安心したのかを、改めて細かく言葉にする必要はない。
食後、陽介はスマートフォンを机に置き、鳴上は研究ノートを閉じた。
どちらもまだ途中で、どちらもまだ決定ではない。
それでも、六月の初めの部屋には、前とは違う種類の静けさがあった。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大在学中大学四年生)
花村陽介(M大在学中大学四年生)
就活いい感じみたいでよかったですね。
次回もよろしくお願いいたします。