スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
商店街の通りを抜けたあと、陽介はしばらく何も言わなかった。
八月の夕方はまだ明るく、舗道に落ちる影だけが先に長くなる。
見慣れたはずの帰り道で、陽介の歩調だけが少し落ち着かなかった。
信号の手前で、陽介がようやく口を開いた。
「悠、一緒に来てくんね? ……ちょっと、怖くてさ」
軽く聞こえるように言った形にはなっていたが、うまく隠しきれてはいなかった。
冗談へ逃がさずに出てきた言葉だということだけで、もう十分だった。
鳴上は返事の代わりに、隣へ並ぶ位置を少しだけ詰めた。
陽介は一度だけこちらを見て、すぐ前へ視線を戻した。
「昨日からさ、家の空気が変なんだよ」
「うん」
「親父も母さんも、隠してるっていうか。いや、隠してるだけならまだいいんだけどさ、あれ、もう完全に言うことの順番決めてる顔なんだわ」
鳴上は歩幅を合わせたまま聞いた。
陽介がこういう言い方をする時は、曖昧な不安をそのまま投げているわけではない。
空気の違和感を拾いきったうえで、まだ言葉にできない分だけが残っている。
「俺に言うことと、おまえに言うこと、分けてる感じがして」
「そうだろうな」
「だよな」
陽介は苦く笑ったが、その笑いも長く続かなかった。
「……店のことだけじゃない気がすんだよ。もうそこ、誤魔化せてないっていうか」
「分かった」
「うん」
それ以上は続かなかった。
鳴上も追って聞かなかった。
今は聞き出すより、家へ一緒に行く方が先だと分かっていた。
花村家の玄関灯は、外がまだ明るいうちから点いていた。
扉が開いた時、先に届いたのは夕飯の支度の匂いだった。
出汁に、少し焼いた魚の匂いが混じっている。
家の中は普段と変わらず整っていた。
靴は揃えられ、廊下に余計な物は出ていない。
居間の奥からテレビの小さな音がして、台所では食器の触れる軽い音がした。
その普通の気配の上にだけ、妙な硬さが乗っていた。
「おう、来たか」
陽一おじさんは玄関まで出てきて、まず陽介を見た。
それから鳴上へ視線を移し、少しだけ口元をゆるめた。
「悪いな、悠くん。付き合わせちまって」
「いえ」
「上がってくれ」
鳴上が靴をそろえて上がると、台所からユリ子おばさんが振り向いた。
「いらっしゃい、悠くん。暑かったでしょう」
「お邪魔します、ユリ子おばさん」
ユリ子おばさんの声はいつも通りだったが、湯呑みを出す手つきは普段より慎重だった。
陽介もそれを見ていたらしく、鞄を置く手がわずかに止まった。
食卓の椅子が引かれ、四人が座る形になりかけたところで、陽一が口を開いた。
だが、その前に一度だけ間が落ちた。
陽介を見て、鳴上を見て、言葉を置く場所を決めるように息をつく。
「すまん、……少しはずしてくれないか」
陽介の眉がぴくりと動いた。
「は?」
「陽介」
声は強くなかったが、冗談でもなかった。
陽介はすぐには動かなかったものの、父の顔を見て、言い返すのをやめた。
「……分かった」
鳴上が立ち上がるより先に、ユリ子おばさんが盆へ手を伸ばした。
「悠くん、こっちでお茶を淹れるわ。少し付き合ってくれる?」
「はい」
陽介が別室へ向かう前に、一度だけ鳴上を見た。
置いていくというより、残していくような視線だった。
鳴上は小さくうなずいた。
それで陽介は父親の後についていった。
ふすまの閉まる音は、思ったより静かだった。
ユリ子おばさんは台所へ戻り、やかんの火加減を見た。
湯が立つ音が小さく続き、急須へ湯が落ちる。
茶葉の開く匂いが、さっきまでの会話の余白にゆっくり広がった。
「座っていてね」
「はい」
鳴上は言われた通り食卓の端へ座った。
冷蔵庫の低い作動音がして、換気扇が一定の速さで回っている。
ごく普通の家の夕方だった。
だからこそ、これから始まる話の重さだけが浮いて聞こえそうだった。
ユリ子おばさんは盆を持ってきて、鳴上の前へ湯呑みを置いた。
向かいへ腰を下ろしてからも、すぐには本題に入らなかった。
一口だけ茶を飲み、言葉を選ぶように視線を伏せる。
「……まず、順番に話すわね」
「はい」
「陽介には、陽介に向けて陽一さんから言うべきことがあるの。だから、先にあなたにこっちの話をするわ」
鳴上は頷いた。
今ここで渡されるのは、陽介と別の種類の話なのだと分かった。
「私はね、不知火の人間なの」
鳴上はそこで初めて、わずかに目を上げた。
聞いたことのない家の名だった。
少なくとも自分の記憶の中には、すぐ結びつく情報がない。
「……不知火、ですか」
「ええ」
「ユリ子おばさんのご実家の」
「そう。……古くから、占いとか祈祷とか扱っているような、変な家でね」
ユリ子おばさんは手元に置いてあったお茶をすすった。
「そういう家の話を、普段あまり表へ出してこなかっただけなの」
「はい」
「その不知火に、本家筋があるの。日下部家っていうのだけど」
ユリ子おばさんはそこで少しだけ間を置いた。
「今回のことには、その日下部家が絡んでいると見ているわ」
鳴上は黙って聞いた。
名前が出たことで、さっきまで漠然としていたものに輪郭がついた。
ただ、その輪郭が何を意味するのかまでは、まだ分からない。
「昔から厄介な家だったのよ」
ユリ子おばさんは湯呑みへ指先を添えたまま言った。
「力に執着して、人を道具みたいに扱うところがあるの。こっちが距離を取っても、向こうはそうしてくれないことが多かった」
「……その家が、今、陽介に向いている」
「ええ」
肯定は静かだったが、迷いはなかった。
「店のことや、親類筋の面倒だけなら、ここまで嫌な重なり方はしないの」
ユリ子おばさんは言葉を切らずに続けた。
「陽介そのものへ向いている感じがあるのよ」
「陽介そのもの」
「ええ。巻き込むというより、狙っている」
鳴上はそこでようやく、言葉の置かれ方に注意を向けた。
店の問題の中心に陽介がいるのではない。
陽介を中心にして、店や家の方へ何かが広がっている。
そう考えると、ここ数日の違和感の向きが揃った。
「どういう意味ですか」
「……器として、よ」
その一語だけが、台所の生活音から切り離されたように重く落ちた。
鳴上は急いで聞き返さなかった。
言葉の意味をそのまま飲み込むには足りない部分が多い。
だが、ただの嫌がらせではないことだけは十分に伝わった。
「何を降ろそうとしているのか、何を最終的にしたいのか、そこまでは私にも分からないわ」
ユリ子おばさんは慎重に言った。
「でも、陽介をただ傷つけたいわけではないの。壊して終わりじゃなくて、空けようとしている感じがする」
鳴上は湯呑みに触れたまま頷いた。
理解しきれてはいない。
それでも、守るべき対象として陽介がはっきり狙われていることだけは、もう曖昧ではなかった。
「それを知ったきっかけがあったんですか」
「ええ。知らせてくれた子がいるの」
「……その人が」
「綾ちゃんよ」
鳴上はそこで初めて、小さく息をついた。
知らない名前だった。
だが、さっき出た日下部家とつながる人間なのだろうとは分かる。
「日下部家の」
「娘さん」
「そうですか」
ユリ子おばさんはその答え方に、少しだけ頷いた。
「便利な内通者、みたいには思わないであげて」
「はい」
「あの子は昔、親にひどい目に遭わされていたの」
声色は変わらなかった。
それでも、その一定さが、長く見てきた人の言葉だと分かった。
「本家はね、力の強さに異常にこだわるところがあるの。綾ちゃんは、小さい頃から厳しく育てられていた」
ユリ子おばさんは一度だけ言葉を選ぶように間を置いた。
「求められていたものに届かなかった。それで責められて、追い詰められて、壊されかけたの」
鳴上は何も挟まなかった。
細かく聞き返すべき話ではないと分かった。
「最終的に、不知火の方で引き取った時期があったの。療養みたいな形でね」
「その時に、陽介と」
「ええ。陽介はたまに不知火へ行っていたから」
ユリ子おばさんは少しだけ目を細めた。
「陽介、変に構えないでしょう」
「そうですね」
「相手が怖がられているとか、触れにくいとか、そういう空気を分かったうえで、わざと普通にするの。綾ちゃんに対してもそうだった」
鳴上はその様子を思い浮かべた。
相手の事情を聞かなくても、必要以上に踏みこまず、逃げもしない。
陽介にはそういうところがある。
「恐れなかったのよ」
ユリ子おばさんは言った。
「あの子が不安定でも、妙な空気をまとっていても、避けなかった。たぶん、それがすごく大きかったのね」
「……だから、止めようとしている」
「ええ。理屈だけじゃないわ。恩義があるの」
少しの沈黙が落ちた。
時計の秒針だけが、規則正しく進んでいる。
「それとね、もう一つ」
ユリ子おばさんは湯呑みを置いた。
「これは、今だから言っておいた方がいいと思うのだけど」
鳴上は視線を上げた。
「私ね、高校の時、悠くんや陽介たちがずっとジュネスで集まって、それから家電売場の方でどこかへ消えるの、知っていたの」
鳴上は一瞬だけ言葉を失った。
「……気づいていたんですか」
「全部じゃないわよ。何をしていたのか、どこへ行っていたのか、そういうことまでは分からない」
ユリ子おばさんは首を横へ振った。
「でも、普通の高校生の顔じゃない時があったでしょう。帰ってきたあとの陽介も、みんなも」
責める言い方ではなかった。
確かめるためでも、過去を暴くためでもない。
ずっと前から見えていたことを、今のこの場で静かに差し出している声だった。
「だけど、それは必要なことだったのでしょう?」
ユリ子おばさんは続けた。
「だから私は、邪魔にならないようにしていたの。知らないふりをした方がいい時もあるって、分かっていたから」
鳴上は湯呑みから上がる湯気を見た。
あの頃、自分たちは見えている範囲だけで動いていたつもりだった。
その外で、見ていて、けれど止めなかった人がいたらしい。
「ありがとうございます」
「お礼を言われることじゃないわ」
ユリ子おばさんは小さく首を振った。
「だから今回のことは、とても重く責任を感じているの。……まさか本家が陽介を狙うなんて、思わなかった」
その言葉で初めて、ユリ子おばさんが母親としてだけではなく、家の側にいる人間としても負い目を持っていることが分かった。
鳴上はそこで一度、整理のために聞いた。
「陽介には、どこまで」
「陽一さんからは、現実の危険について話しているはずよ。店のこと、周りの目、ひとりにならないこと、勝手に動かないこと」
「こっちの話は」
「まだ全部は言っていないと思うわ」
鳴上は頷いた。
父親と母親で、受け持っている危険の形が違うのだと分かった。
どちらも守ろうとしているが、渡せる言葉が同じではない。
ユリ子おばさんはそこで立ち上がり、小さな引き出しを開けた。
布に包まれた物を一つ持って戻ってくる。
「悠くん、あなたのを見せて」
「はい」
鳴上は鞄から守りを取り出して机へ置いた。
ユリ子おばさんはそれを開き、組紐の端と木札の表面へ静かに目を落とした。
「……そう」
小さくこぼれた声は、悪くないという意味に聞こえた。
鳴上も視線を落とす。
紐の一部は擦れていて、木札の角にも細い傷が入っている。
無傷ではない。
ただ、ユリ子おばさんの表情は、それを見てさらに硬くなるものではなかった。
「どうですか」
「まだ大丈夫そうね」
ユリ子おばさんは守りを指先でそっとなぞった。
「傷んではいるけれど、すぐどうこうという感じではないわ」
鳴上はそこで初めて息をついた。
見た目の傷みそのものより、ユリ子おばさんの反応から判断した方が正しいと分かった。
「でも、油断しないでね」
ユリ子おばさんは守りを包み直しながら言った。
「これは悪い気をそらすけれど、万能じゃないの」
「はい」
「それでも、必ず持っていて」
「分かりました」
「本家が陽介を狙うなら、近くにいるあなたも標的になっているかもしれないわ」
鳴上はその言葉を、脅しではなく条件として受け取った。
陽介の近くにいる限り、自分も射程に入る。
それは避けるべきことではなく、最初から把握しておくべき前提だった。
「分かりました」
鳴上はもう一度言った。
「問題ありません」
大きく言い切る必要はなかった。
守りを持つこと、離れないこと、変化を拾うこと。
やるべきことは、もう十分に明確だった。
ユリ子おばさんはその答えに、少しだけ息を抜いた。
「……そう言うと思っていたわ」
「陽介は、俺が見ます」
口にしてから、鳴上は余計な言葉を足さなかった。
感情的に誓うより、見失わないと決める方が自分には合っていた。
ふすまの向こうから、低く続く男二人の声がかすかに聞こえた。
内容までは分からない。
だが、陽一が現実の危険を自分で受けるつもりで話していることは、声の置き方だけで伝わった。
鳴上は机の上へ置いた守りを見た。
店のまわりで起きていること。
帰宅時間や行き先を細かく確かめる陽一。
家の空気の硬さ。
特捜隊が拾った違和感。
そして、器という言葉。
ばらばらだったものが、ようやく同じ向きを向いた。
これは店の問題ではない。
陽介本人が、中心に置かれている。
鳴上は少し冷めた茶を飲んだ。
東京へ戻ったあと、やるべきことを順に並べる。
ひとりにしないこと。
移動を合わせること。
守りを切らさないこと。
接触してくる相手を拾うこと。
生活の中で、陽介の変化を途切れなく見ること。
ふすまの向こうでは、まだ話が続いている。
鳴上は待った。
焦らず、席を立たず、陽介が戻ってきた時にすぐ顔を見られる位置で。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大在学中大学四年生)
花村陽介(M大在学中大学四年生)
花村陽一(陽介の父。ジュネスの偉い人になっている。陽介に合わせて単身赴任先から帰宅中)
花村ユリ子(陽介の母。ジュネス八十稲羽のスーパーパート)
超説明回ではありますが、視点が鳴上悠のため大事なとこがふわっとしています。
陽介と陽一は別室で何を話しているのか……
次回もよろしくお願いします。