スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
八十稲羽から戻るローカル線の中で、陽介は珍しくよく寝ていた。
窓にもたれすぎないように頭を引いているつもりらしいが、首の角度だけが少し無理をしている。
深く眠っているというより、緩める場所を間違えたまま落ちているように見えた。
鳴上は時刻表アプリと講義予定を見比べながら、乗り換えの時間を確認した。
東京へ戻ったら買い足す物と、今週の帰宅時間のずれも頭の中で組み直す。
それでも、指先で画面を送るたび、八十稲羽で聞いた言葉が途中へ差し込んだ。
不知火。
日下部家。
器として狙われている、という言い方。
意味をまだ十分に掴みきれてはいない。
だが、陽介自身へ向いた危険だということだけは、もう予定表のどこへ書き込んでも薄まらなかった。
鳴上は一度だけ陽介の寝顔を見て、折ったタオルを首の後ろへ差し入れた。
起こさないように位置を直すと、陽介は目を覚まさないまま小さく息を吐いた。
東京へ戻ってから、鳴上は生活の流れを少しずつ組み替えた。
見た目はほとんど変えないまま、帰宅までの導線だけを詰める。
大げさに囲えば陽介は気づくし、気づけば余計に消耗する。
だから、いつもの形を崩さずに手数だけを増やした。
鍵の置き場所を少し変えた。
玄関脇のトレーから、棚の上の小皿へ移す。
陽介が帰ってきた時、鍵を置くついでに一度だけ視線が上がる位置だった。
冷蔵庫の中身も組み直した。
簡単に食べられるものを増やし、温め直しやすいものを手前へ寄せる。
帰宅がずれても食事の流れが崩れないようにしておく。
予定共有は前より一段だけ細かくなった。
講義の終わり、学内で寄る場所、帰宅が遅れるならその理由。
もともと二人ともある程度は共有していたが、鳴上の確認は以前より少し粘るようになった。
「今日、ゼミのあとちょっと寄る」
「どこに」
「学内のラウンジ。資料受け取るだけ」
「終わったら連絡」
「はいはい」
陽介は軽く返したが、嫌がってはいなかった。
八十稲羽から持ち帰った家の空気が、まだ抜けきっていないのだろう。
帰宅時間を伝えることにも、以前より素直に応じた。
お守りの所在確認も、生活の動きへ混ぜた。
財布、学生証、鍵、携帯。
その並びに、お守りを加える。
出かける前、鳴上は自分の鞄へ入っていることを一度だけ確かめる。
陽介の分は見せろと言わず、玄関を出る前の動きで目を追う。
「ある?」
「あるある」
「落とすなよ」
「おまえ最近そればっかだな」
「そうだな」
「否定しねえのかよ」
軽口の形にしておけば、陽介もそれ以上は引っかからない。
鳴上はそういう範囲で手を増やした。
帰宅時間に合わせて食事を整える回数も増えた。
先に炊飯器の時間を合わせ、味噌汁は仕上げの手前で止める。
焼き物は帰宅予想の十分前に火へかければ、だいたいずれない。
以前なら、それで十分だった。
九月も半ばを過ぎたある日、夕方の空気は少しだけ軽くなっていた。
窓を少し開けておけば、熱のこもり方も夏ほどではない。
鳴上は先に帰宅し、米を研いで炊飯器をセットした。
冷蔵庫から下ごしらえ済みの食材を出し、鍋へ水を張る。
その頃、携帯が短く震えた。
『すぐ帰る』
陽介からだった。
講義終わりの時間を考えれば、そこから三十分強で戻る計算になる。
寄り道がなければ、もう少し早いこともある。
鳴上はそれを見て、鍋へ火を入れた。
炊き上がりまでの時間を逆算し、野菜を切る。
味噌汁は具だけ先に煮て、味噌はまだ入れない。
魚を出すには少し早い。
陽介が駅を出る頃に焼き始めれば丁度いい。
三十分が過ぎても、インターホンは鳴らなかった。
鳴上は包丁を置き、携帯の画面を見た。
追加の連絡はない。
学内で何かあったのかもしれない。
電車が少し遅れているのかもしれない。
帰る直前に呼び止められた可能性もある。
その程度なら、まだ普通だった。
鳴上は魚を冷蔵庫へ戻し、味噌汁の火を弱めた。
先にできるところまで済ませておく。
帰ってきた時にすぐ出せるようにしておけばいい。
四十分。
五十分。
時間のずれ方が、いつもの遅れと少し違った。
陽介は遅れる時、短くても一言入れることが多い。
意識してそうしているわけではないが、生活が長ければその癖は読める。
鳴上は一度だけ携帯へ連絡を入れた。
呼び出しは続く。
切られもしないが、出もしない。
鍋の火を止め、炊飯器を保温へ切り替える。
部屋の中は整っているのに、帰ってくるはずの一人分だけが抜けたまま時間が進んだ。
一時間を越えた頃、鳴上はようやく座って待つのをやめた。
鞄を取り、財布と鍵と携帯を入れる。
その時、内ポケットへ触れた指先に妙な感触があった。
熱い、というほどではない。
だが、チリ、と刺すような熱が布越しに走った。
鳴上は手を止め、守りを取り出した。
木札の角が、指先へ細く乾いた熱を返してくる。
体温で温まったのとは違うと、触れた瞬間に分かった。
遠くの異変を知らせるような反応ではなかった。
むしろ、何かを引きずったままこちらへ近づいてきているような熱だった。
鳴上は鍋の蓋を閉め、火元をもう一度確認した。
財布と携帯を持ち、玄関で靴を履く。
確認しに行くというより、迎えに行く方が近かった。
部屋を出た時、意識したのはまず牛込神楽坂駅の側だった。
陽介が普段の導線で戻るなら、そちらから上がってくる可能性が高い。
だが、外へ出て数歩進んだところで、守りの熱がじわりと増した。
鳴上は立ち止まり、呼吸だけを整えた。
牛込神楽坂の入口へ向かうまっすぐな感覚ではない。
もっと曖昧に、しかし確かにずれた位置へ引かれる。
そのまま少し歩き、角を曲がる。
熱は消えない。
むしろ、地下へ潜る方ではなく、地上の神楽坂へ抜ける方へ細く続いていた。
鳴上はそこで足の向きを変えた。
理由は説明できない。
だが、陽介の帰宅導線がそのまま残っているなら、こんな反応にはならない。
坂へ出ると、周囲の音が少し変わった。
飲食店の灯り、行き交う人の声、夜へ沈みきらない路面の熱。
その中で、善國寺の門前だけがわずかに空気を切り分けているように見えた。
門の前の階段に、一人座りこんでいる影があった。
陽介だった。
すぐに分かったが、一瞬だけ足が止まった。
表情が半ば抜け落ちていたからだ。
焦点が合っていないわけではない。
目は前を向いている。
だが、その顔へ乗るはずの反応だけが薄い。
疲れているとも、眠いとも違う。
何かをやり過ごしたあと、中身だけ遅れて戻ってくるような顔だった。
額に汗が浮いている。
手は膝の上に置かれていたが、指先だけがわずかに震えていた。
「陽介」
鳴上が声をかけると、陽介の視線がゆっくり持ち上がった。
こちらを見た瞬間にだけ、薄かった焦点が少し戻る。
「……悠」
その声に引かれるように、抜けていた表情の一部がようやく動いた。
戻った分だけ、今度は顔色の悪さがはっきり見えた。
「立てるか」
「いや……ちょっと待って」
陽介はそう言ってから、片手で口元を押さえた。
「ごめ、なんか、急に……気持ち悪……」
鳴上はすぐ隣へしゃがみこんだ。
まず肩へ手を置き、体勢だけ崩れないように支える。
「吐きそうか」
「そこまでは、たぶん……でも、ちょっとやばい」
「分かった。呼吸だけ整えろ」
陽介は頷いたが、頷き方も少し遅かった。
善國寺の門前だけ、妙に空気が静かだった。
駅前からのざわつきが少し遠くなる。
鳴上のポケットの中で、守りがはっきり熱を帯びていた。
近づいたことで反応が強くなっている。
陽介自身が何かを引いて、ここまで来たのだと感覚の方が先に告げた。
「何があった」
鳴上は声を低く保った。
「学校を出たところまでは覚えてるか」
「……うん」
陽介はこめかみを押さえた。
「講義終わって、帰るつもりで出たんだよ。そこまでは普通」
「連絡も入れたな」
「入れた。すぐ帰るって」
そこで言葉が切れた。
陽介は眉を寄せるが、記憶を辿るたび気分の悪さが強まるらしかった。
「地下鉄の駅、行こうとしたんだけど」
「うん」
「入口が、見つかんなくて」
鳴上は先を促さず待った。
陽介は息を整えてから、断片を拾い直すように言った。
「見えてんだよ。人もいるし、いつもの道っぽいのも分かるんだけど、なんか、そこ行っても違うっていうか」
「……」
「で、気づいたらJRの、御茶ノ水にいた」
鳴上は表情を変えなかった。
「自分でも意味わかんねえんだけど、駅入った記憶が曖昧でさ」
陽介は続けた。
「本来乗るやつじゃなくて、なんでかそっちに吸われるみたいに……気づいたら、もう電車の中で」
「それで」
「三鷹まで行ってた」
陽介はそこで乾いた笑いを漏らしかけたが、うまく形にならなかった。
「さすがに、は?ってなって。あ、やべえって思って、すぐ折り返したんだよ」
「そこから戻ってきた」
「戻った。たぶん、戻ったんだけど……」
また言葉が途切れた。
自分で話しながら、自分の記憶の辻褄が合っていないのを分かっている顔だった。
「降りるべき駅も、なんか変で」
「変」
「名前が、うまく掴めないんだよ。分かってるはずなのに、引っかかんなくて」
陽介は片手で額を押さえた。
「でも、神楽坂、だけは分かった。そこだけ妙に残ってて」
鳴上はその言葉を覚えた。
地下の導線は掴めないのに、地上の地名だけが残る。
帰宅の線が、途中から別の形へずらされている。
「だから飯田橋で降りたのか」
「たぶん。そこは、できた」
陽介は浅い息を繰り返した。
「でもさ、地下の入口が、なんか全部違って見えて。そこ通るとまたどっか行きそうで」
そこで鳴上は善國寺の門前へ視線を上げた。
陽介は神楽坂という地上の記憶だけを頼りに、知っている場所へ自分を寄せたのだ。
「それで地上を来た」
「うん。神楽坂なら、上歩けば分かるかなって」
陽介は目を閉じ、少しだけ背を丸めた。
「で、ここ来たら、急にちょっと戻った感じしてさ」
戻った。
その言い方だけで十分だった。
「善國寺の前で」
「うん。なんか、一瞬だけ、頭がはっきりした」
陽介は苦く息を吐いた。
「そしたら逆に気持ち悪くなって、膝抜けて、ここ座った」
鳴上は陽介の横顔を見た。
何が起きたのかを細かく説明できなくても、陽介が自分で戻ろうとしていたことだけは分かる。
だから余計に消耗している。
「歩けるか」
「……たぶん」
「たぶんじゃ足りない。立つ時は支える」
「うん」
鳴上は持っていた小さい水筒を出し、蓋を開けて陽介へ渡した。
陽介は受け取るのに一拍遅れたが、こぼさず飲んだ。
「もう少し」
「ん」
「飲め」
「はい」
二口、三口と飲ませると、陽介の喉がやっと動き方を思い出したように見えた。
鳴上は空いた手で陽介の手首へ触れた。
脈は早いが、崩れてはいない。
「立つぞ」
「……オッケー」
実際には、あまりオッケーではなかった。
陽介は立ち上がる瞬間に膝を取られかけ、鳴上が肩と肘を支えてようやく体勢を戻した。
顔色はまだ悪い。
だが、さっきよりは目が合う。
「悪い」
「いいから、足元だけ見ろ」
「はいはい」
軽口の形だけは残っていた。
それで十分だった。
帰り道、鳴上は必要以上に話しかけなかった。
歩幅を合わせ、車道側へ寄り、陽介がふらつけばすぐ支えられる位置を取る。
守りはポケットの中でまだ熱かったが、善國寺を離れてから少しずつ弱まっていった。
部屋へ着くと、鳴上は先に鍵を開け、陽介を中へ入れた。
「靴、脱げるか」
「うん」
「壁使え」
「……はい」
玄関で一度つかまらせ、きちんと靴を脱がせる。
そのまま居間の椅子ではなく、背を預けやすいソファへ座らせた。
クッションを腰へ入れ、水をもう一度渡す。
「吐きそうなら先に言え」
「今は大丈夫……たぶん」
「たぶんが多いな」
「今日のオレに厳しくね?」
「甘くしてないだけだ」
陽介はそこでほんの少しだけ笑った。
その笑いが形になったことで、鳴上はようやく呼吸を一つ深くした。
鳴上は陽介の鞄を受け取り、いつもの位置へ置いた。
内ポケットに入ったままのお守りを確認し、数秒だけ視線を止める。
効いていなかったわけではない。
だが、そのことを今ここで言葉にする必要はなかった。
台所へ戻り、味噌汁を温め直す。
胃へ負担の少ない量だけ椀によそい、塩気も強くしすぎない。
食べられなければ無理に食わせないが、水だけで終わらせるのも良くない。
「少しだけ食えるか」
「……ちょっとなら」
「じゃあそれでいい」
陽介の前に椀を置き、熱すぎないのを確かめる。
持ちやすい向きへ直し、そのまま手の届く位置に座る。
陽介は二口ほど飲んだところで、ようやく肩の力を落とした。
「学校出たとこまでは、ほんと普通だったんだけどな」
「うん」
「疲れてんのかと思った。でも、なんか違う」
「そうだな」
鳴上はそこでそれ以上追わなかった。
説明させるより先に、陽介を落ち着かせる方が優先だった。
部屋の中は、いつもの夜と大きく変わらなかった。
炊飯器の保温ランプが点き、鍋の蓋が小さく鳴る。
洗ったコップの水滴が流しへ落ちる。
生活の形そのものは残っている。
けれど、その生活へ辿り着くまでの線は、もう無事ではなかった。
鳴上は自分の守りを机の上へ置いた。
さっきまでの熱は、かなり引いている。
陽介はソファにもたれたまま、少しずつ呼吸を整えていた。
水を飲ませ、座らせ、温かいものを口に入れる。
今できることは一通りやった。
だが今日は、その全部が届かなかったあとで、ようやく間に合っただけだった。
東京へ戻れば、少なくとも普段の生活の中では持ちこたえられるかもしれない。
鳴上はどこかでそう考えていた。
その見立ては、今日で終わった。
守りは働いていた。
善國寺の前で一瞬だけ陽介が戻ったことも、ここまで辿り着けたことも、それが無関係だとは思えない。
それでも、生活を整えるだけでは足りない。
東京に戻っても、終わっていなかった。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大在学中大学四年生)
花村陽介(M大在学中大学四年生)
多分何が起こっているのか描写が足りてない(入れれなかった)ので補足。
・悠と陽介は「牛込神楽坂」が最寄り駅の中古マンションに住んでいます。
・「牛込神楽坂」から御茶ノ水へ向かうルートはいくつかありますが、悠がT大に通っている関係上、陽介は「牛込神楽坂」<都営大江戸線>「本郷三丁目」<営団丸の内線>「御茶ノ水」という定期券を持っています。
※なおT大の最寄り駅が本郷三丁目です。
・本来なら丸の内線(地下鉄)に乗りたかったのに、なんでかJRに乗って、しかもうまいこと飯田橋で降りれず三鷹(終点)まで乗ってしまっているのがヤバい、という話でした。
東京の交通事情の描写むずい……
次回もよろしくお願いいたします。