スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
武道館の前は、昨日と変わらず朝の人波で満ちていた。
だが、鳴上の目にはその賑わいを眺める余裕がほとんどなかった。
タクシーを降りてからの数十歩だけで、呼吸はさすがに浅くなる。
隣を走る陽介も、ようやく現実へ追いついた顔で前を見ていた。
「親父たち、どこだ……」
陽介が息を切らしながら辺りを見回す。
鳴上も視線を巡らせると、武道館前の一角でこちらへ手を上げる陽一の姿が見えた。
その隣には母親も立っていて、二人ともすでに状況を察した顔をしている。
怒鳴るより先に、まず無事に来たことを確認する目だった。
「いた」
鳴上が短く言うと、陽介もそちらへ顔を向けた。
二人で人の間を縫うようにして駆け寄る。
陽一おじさんたちの前まで来たところで、陽介はほとんど反射のように頭を下げた。
その勢いがあまりに素直で、鳴上は少しだけ目を細める。
「ごめん!」
「いやあ、まあ、来たならよかったよ」
「ほんとにごめんなさい……」
「まず顔上げなさいって。式、まだ間に合うから」
ユリ子おばさんは困ったように笑いながらも、声を荒げることはなかった。
おじさんも呆れてはいるようだったが、息を切らした息子の姿を見ると、それ以上強く言う気は失せたらしい。
事態の収拾が先で、説教はそのあとで十分だと考えているのだろう。
鳴上はそこでようやく、自分の呼吸も少し整ってきたことに気づいた。
「悠くん、助かった」
「間に合いそうでよかったです」
「いや、ほんとに。鍵渡しといて正解だったな」
陽一がそう言って苦笑する。
言葉は冗談めいていたが、本気が半分以上混じっていた。
鳴上はそれにどう返すべきか一瞬迷い、結局小さく頷くだけに留めた。
実際、今朝ばかりはあの合鍵がなければどうにもならなかった。
「親父、それ今言う?」
「今だから言うんだろ」
「いやでも、悠に部屋見られたし……」
「今さらそこ気にするのか」
鳴上がそう言うと、陽介は一瞬だけ言葉に詰まった。
寝起きの惨状を全部見られたあとで、ようやく羞恥が追いついてきたらしい。
だが、その反応に場の空気が少しだけ緩む。
怒られるだけで終わらなかったことで、陽介の肩からも力が抜けたようだった。
開始までの時間は、本当にぎりぎりだった。
おじさんが時計を見て、そろそろ入るぞと全員を促す。
陽介はまだどこか気まずそうな顔をしながらも、足取りそのものはもう止まらない。
鳴上はその横顔を見て、少なくとも間に合ったことだけは事実だと思った。
昨日、自分がくぐった入口を、今日は別の立場で通る。
同じ武道館で、同じような人の流れに混じっているのに、見える景色は少し違っていた。
昨日は自分が式へ向かう側で、今日は陽介を送り込む側にいる。
その違いが妙に鮮明で、鳴上は一歩中へ入ったところでわずかに息をついた。
「悠くんも、せっかくだし見ていく?」
歩きながら、おじさんがごく自然な調子でそう言った。
昨日の陽介とまったく同じように、特別扱いではない口ぶりだった。
ここまで来て引き返すのも不自然だし、断る理由ももう思いつかない。
鳴上は少しだけ間を置いてから、短く返事をした。
「……では」
「よし、じゃあ今日も関係者だな」
「親父、その言い方やめろって」
「でも実際そうだろ」
おじさんの言葉に、陽介が小さく顔をしかめる。
だがその反応には、さっきまでの青ざめた焦りはもうほとんど残っていなかった。
むしろ自分の失態をようやく笑い話の方へ寄せ始めているように見える。
鳴上はその変化を見て、ようやく今朝の一連が終わりに向かっていると感じた。
会場内は昨日とよく似たざわめきに包まれていた。
ただ、今日は陽介の両親が当然のように隣にいて、その中心に陽介がいる。
親に付き添われた新入生の一人としてそこに収まっている姿は、昨日の鳴上とは明らかに違っていた。
それを見て羨ましいと思うわけではないが、違いとしてはっきり分かる。
陽介は係の案内に従って進みかけ、途中で一度だけ振り返った。
鳴上と視線が合う。
その顔には、まだ少しだけ寝坊の名残の気まずさと、助けられたことへの落ち着かない感謝が残っていた。
鳴上はそれに対して特に何も言わず、軽く顎を引くだけにした。
行け、という程度の合図で十分だった。
陽介もそれで意味を取ったらしく、変に礼を言い足さず前を向く。
そういうところは、昔から噛み合う。
余計な説明がなくても通じることを、いちいち確かめる必要はなかった。
席に着いてから、鳴上は会場を見回した。
昨日の自分の入学式と、式次第そのものが大きく違うわけではない。
大学名が違い、周囲の顔ぶれが違い、主役が違う。
それだけなのに、同じ場所を二日続けて見ているせいで、少しだけ可笑しさが残る。
「昨日も来て、今日も来るやつはそういないだろうな」
気づけば、そんなことを考えていた。
隣ではおじさんが式次第に目を落とし、おばさんは穏やかな顔で前を見ている。
家族連れの空気の中に混ざっているのは変わらないのに、昨日ほど所在なさはなかった。
今日の自分は、祝われる側ではなく、見届ける側だからかもしれない。
開式の案内が入り、ざわめきがゆっくり静まっていく。
昨日と同じような言葉が流れ、同じように節目が形になっていく。
その中で鳴上は、前方のどこかにいる陽介のことを自然に探していた。
見えるわけではないのに、意識だけはそちらへ向く。
ちゃんと席に着いている。
ちゃんと式に間に合った。
今朝の慌ただしさを思えば、それだけで十分だった。
鳴上は前を向いたまま、小さく息を吐く。
大学へ入るということが、すぐに何かを変えるわけではない。
昨日、自分の入学式を終えた時もそう思った。
だが、始まりの日に誰が隣にいたかは、案外あとまで残るのかもしれない。
そんなことを考えたのは、たぶん今朝の騒ぎのせいだった。
閉式までの流れは穏やかに進み、やがて会場の空気がほどける。
椅子の引かれる音と人の動きが重なり、式を終えた者たちの明るさが一気に戻ってきた。
おじさんたちも立ち上がり、息子が出てくる方へ目を向ける。
鳴上もその流れに合わせて席を立った。
少し待つと、人の波の中から陽介が現れた。
今度は寝起きの顔ではなく、一応入学式を終えた新入生の顔をしている。
髪も完全ではないが、朝ほど悲惨ではない。
本人もそれを自覚しているのか、最初に鳴上と目が合った時の表情は少しだけましだった。
「……間に合った」
「見れば分かる」
「もうちょっとこう、よかったなとかないの?」
「よかったな」
「言い方が雑すぎるだろ」
陽介はそう言ってから、少しだけ笑った。
その笑い方には、今朝の謝罪とは別の落ち着きがあった。
式に間に合った安堵と、終わったことでようやく出せる余裕が混ざっている。
鳴上はそれを見て、返し方が多少雑でも問題ないと判断した。
「悠くん、本当に助かったよ」
「ありがとうございました」
「いや、そこまで大げさなことは」
「大げさじゃない。陽介、今日悠くんいなかったら終わってたぞ」
おじさんの言葉に、陽介は反論しきれず口を閉じた。
実際その通りなので、否定の余地があまりない。
おばさんも苦笑しながら頷いていて、家族内での評価がほぼ固まっていることが伝わる。
鳴上は視線を逸らし、少しだけ肩の力を抜いた。
「やっぱり、近くに悠くんがいてくれると助かるわねえ」
「ほんとそれ。見張り役一人いるだけで全然違う」
「だから見張り役って言うなって」
陽介が抗議する。
だが、その声には本気の嫌がり方はなかった。
むしろどこか居心地悪そうにしながらも、その言葉自体は受け入れている。
鳴上はその反応を見て、ふと今朝の部屋の様子を思い出した。
一人暮らしを始めたばかりの部屋。
整いきらない家具の配置。
寝坊しても誰も起こさない朝。
大学が始まれば、今日のような日ばかりではなくても、似たような綻びがまた出るかもしれない。
そう考えると、今回の件は一度の失敗では済まない気もした。
もちろん、放っておいても本人なりに生活は整えていくだろう。
だが、整うまでにどれだけ余計な手間がかかるかは、想像がつく。
その過程に自分が巻き込まれる未来も、同じくらい簡単に想像できた。
「陽介」
「ん?」
「一人暮らしは、まだ向いていないんじゃないか」
口に出してから、陽介が目を見開くまでに一拍あった。
陽一と母親の方が、先に面白がる気配を見せる。
予想もしていなかったわけではないが、今言うのかという顔をしていた。
鳴上自身、今ここで言うつもりだったわけではない。
「はあ!? 一回寝坊しただけでそれ言う?」
「一回で済む保証がない」
「ひどい! 俺のこと信用してなさすぎない?」
「今朝の実績がある」
反論はしたものの、陽介の勢いは途中で少し鈍る。
図星だからだろうと、鳴上は静かに思った。
陽一が横でこらえきれないように笑い、母親も困ったように口元を押さえている。
その空気を見ると、どうやら自分だけの意見ではなさそうだった。
「いやあ、でも実際、近い将来そういう話してもいいかもなあ」
「親父まで何乗ってんの!」
「だって、今朝みたいなこと考えると安心だし」
「安心の方向がおかしいって!」
陽介の声が少し大きくなり、周囲の空気に気づいて慌てて抑えられる。
その慌ただしさまで含めて、今日の締めとしては妙に収まりがよかった。
鳴上はそのやり取りを聞きながら、自分が本気でその可能性を考え始めていることに気づく。
冗談半分で投げた言葉では、もうなかった。
同じ都内にいて、互いの大学も通えない距離ではない。
生活の拠点を近づける理由は、探せばいくらでも作れる。
今朝のような事態を防ぐ、というのも十分すぎる口実になった。
陽介がどう反発しようと、親の方が乗ってくるなら話は早い。
「……悠、なんか変なこと考えてない?」
「別に」
「今の間でそれは嘘だろ」
「考えてはいる」
「正直すぎるのも怖いんだけど!」
鳴上はそこでようやく、ほんの少しだけ口元を緩めた。
陽介がそれを見てさらに嫌な予感を強めた顔をする。
その反応まで含めて、今後使える材料として記憶に残りそうだった。
今日の件は、当分のあいだ繰り返し持ち出されるだろう。
武道館の外へ出ると、春先の風がまだわずかに冷たかった。
だが、昨日一人で立っていた時に感じた空気とは少し違う。
今日は陽介の家族がいて、陽介がいて、自分もその輪のすぐ近くにいる。
そこにきっちり名前がつくわけではないが、悪い場所ではなかった。
「一旦ホテルに戻ろうと思うのだけれど」
おばさんが笑みを浮かべた。
「悠くんも一緒に来ない?」
その言葉に、陽介はちら、と鳴上を見る。
「……来る?」
鳴上は一拍置いてから、「行く」と答えた。
それを聞いて、おじさんとおばさんは歩き出す。
陽介はその後ろから追いかけるようにして、鳴上に並んだ。
「今朝は……その、ありがと」
少し間を置いてから出てきた礼は、いつもの調子よりずっと小さかった。
真正面から言うのが照れくさい時の声だと、鳴上にはすぐ分かる。
だからこちらも、大げさには返さない。
その方が陽介にはちょうどよかった。
「間に合ったから問題ない」
「その言い方、ほんと悠だよな……」
「事実だ」
「まあ、そうなんだけど」
陽介は苦笑して、それ以上は言わなかった。
駅の方へ歩く陽介の両親の背中を見ながら、鳴上は静かに息をつく。
昨日と今日で、武道館には二度来た。
思っていたよりも、その二日はきちんと意味のある並び方をしていた。
祝われる側と、祝う側。
拾われる側と、拾う側。
立場が綺麗に入れ替わっただけで、関係そのものが少し輪郭を増した気がする。
鳴上はその感覚を言葉にせず、胸の内で静かに受け止めた。
それから、陽介の部屋の鍵がまだ自分のポケットに入っていることを思い出す。
返すのは、また今度でいい。
どうせこの件は、ここで終わらない。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大に入学した大学生)
花村陽介(M大に入学する大学生(入学式に間に合ったようです))
花村陽一(花村の父:ジュネス本部の地域開発本部の本部長に昇進している。東京に単身赴任中)
花村ユリ子(花村の母:ジュネス八十稲羽店で経理担当している)
次回もよろしくお願いします