スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
最後の残響が、遅れて屋上から抜けていった。
耳の奥に張りついていた高いノイズが消え、代わりに風の音だけが戻ってくる。さっきまで空間そのものを引っかいていた軋みも、もう続いていなかった。
鳴上はまず、陽介の肩へ手を置いた。
返ってくる重みを確かめてから、指先で腕の位置を直し、立ち方の崩れを見る。陽介は立っていた。立ってはいる。けれど、立てていることと、平気でいることは違った。
肩はまだ細かく上下している。手の甲には、力を入れすぎたあとのような白さが残っている。呼吸は浅いが、途切れてはいない。視線も浮いてはいなかった。
顔色は悪い。
それでも、さっきまでの抜け落ちるような危うさは止まっていた。
「陽介」
呼ぶと、陽介は少し遅れてこちらを見た。
焦点が合うまでの間が、もう致命的な長さではない。鳴上はそれを先に確認して、ようやく小さく息を吐いた。
「……おう」
声は掠れていたが、ちゃんと陽介の声だった。
鳴上は肩から手を離さず、もう一度だけ全身を見る。
魂の奥を掘られかけた身体が、急に戦闘へ引き戻されたのだ。無理をしていないはずがない。スサノオを呼んだことで芯は戻った。だが、消耗が消えたわけではない。
そう考えたところで、自分の呼吸も思ったより浅いことに遅れて気づいた。
大きく息を吸おうとすると、胸の奥にまだ硬いものが残っている。ルシフェルを降ろした時の圧が、身体の内側に沈殿しているようだった。テレビの中で戦っていた頃とは違う。現実に近い場所で力を通すと、反動まで現実の重さを持って返ってくる。
壊れた床材の破片が、夜気に冷えたまま散っている。煤のついた裸足が、場違いなほど生活の途中を引きずっていた。
屋上は、元の形を辛うじて残しているだけだった。
フェンスは何枚か外側へ歪み、看板の支柱も途中から捻れている。催事用の簡易ステージがあったらしい跡だけが、妙に四角く床へ残っていた。その中心に近い場所で、自分たちは止まっている。
どう見ても、ここが一番ひどく壊れていた。
鳴上は視線を動かす。
陽介の風が通った跡は、細い。
フェンスの一部に、鋭く裂かれたような線が残っている。看板の支柱にも、一直線に削れた傷が入っていた。余計な場所へ散らず、必要なところだけを抜いた跡だった。
それに比べて、自分が通した力の跡は広い。
床のひびは放射状に伸び、ステージの残骸は根元から歪んでいる。モニターのあった位置には、爆ぜたような焦げ跡が残っていた。
火力は足りた。
制御は足りなかった。
鳴上はその事実を、誰に言われるより先に理解した。
爆ぜた空気の名残だけが薄く漂い、焦げたような匂いがまだ抜けきらない。
それでも、さっきまでここを満たしていた異様な密度は崩れていた。
舞台だけが役目を終えて骨組みからほどけ、噛み合っていなかった何かが少しずつ元へ戻り始めている。
フェンスの向こうに、濃い霧ではなく八十稲羽の町並みが見えた。
閉店後の駐車場に残る車のライト。
遠くを走る車の音。
どこかの搬入口で台車が鳴る、かすかな金属音。
風の匂いも変わっていた。
無臭に近かった異界の風に、山並みの木々の匂いと、夜の町の湿り気が混ざっている。
景色の輪郭が落ち着き、風の冷たさが皮膚へまともに触れてきた。
「……終わった、のかね」
陽介がそう言って、壊れたフェンスの向こうを見た。
軽口に寄せる余裕はまだ薄い。語尾だけが、かろうじて普段に近かった。
「止まった、とは思う」
鳴上はそう返しながら、陽介の首筋に汗が残っているのを見た。
汗なのに、熱が引いたあとのような冷え方をしている。この場で立たせたままにするのはよくない。自分も、立ったまま考え続けるには身体の芯が少しずれている。
そう判断して、鳴上は周囲を見回した。
「ちょ、待て。どこ行く」
「座るものを探す」
「えっ、今?」
「今だ」
「あるのか、この惨状で」
「探す」
言い切ってから、鳴上は陽介の肩から手を離した。
離す前に、陽介が自分で立てていることだけは確認した。それでも二歩進んだところで一度振り返る。陽介は渋い顔で肩を回しながら、こちらを見ていた。
その視線が追えているだけで十分だった。
少し離れた場所に、ひっくり返った椅子が四脚あった。
一脚は脚が折れていた。もう一脚は座面が割れている。残った二脚は、どうにか使えそうだった。鳴上は破片をどけ、座面を確かめてから両手で運ぶ。
妙に日常的な重さだった。
その重さが、逆に屋上の壊れ方を現実へ引き戻す。
椅子を置くと、陽介が一度だけ吹き出しかけた。
「なんでそんな冷静なんだよ、お前」
「座った方がいい」
「いや、それはそうだけど」
「今の状態で立っていたら倒れる」
「俺が?」
「俺も」
そう言うと、陽介は少しだけ黙った。
鳴上は先に陽介を座らせた。背もたれに体重が落ちるのを見てから、自分も隣へ腰を下ろす。
その瞬間、張っていた力が一段だけ抜けた。
二人とも同時に肩を落とし、ほとんど同じ間で息を吐いた。
ため息は深かったが、楽になった音ではなかった。
ようやく止まれた、というだけの重い呼気だった。
「……ジュネスだったら」
陽介が前を向いたまま言った。
「親父に頼んで、まず靴借りよう」
鳴上は足元を見た。
破片と煤で汚れた裸足が、やけに場違いに見える。
「そうだな」
「いや、もっと他にあるだろって感じだけどさ」
「優先度は高い」
「だよなあ……」
そこで、少し離れた上から低い声が落ちてきた。
『靴ないのに気づかねーのおかしくね』
鳴上は顔を上げた。
まだ完全にはほどけきっていない気配の奥に、陽介の影が残っている。さっきまで戦っていた名残が、声だけ先に居座っているようだった。
陽介がすぐに眉をしかめる。
「うるせえな。今気づいたんだよ」
『今って遅えだろ』
「状況見ろっての。こっちは魂ほじくられて、変な神様もどきと戦って、靴までなくしてんだぞ」
『靴はもっと早く気づけただろ』
「そこだけ正論言うな!」
渋い顔のまま返しながらも、陽介の声は少しだけいつもの調子に近づいていた。
鳴上はそのやり取りを聞きながら、横顔の強張りが戻りきっていないのを見た。軽く喋れていても、消耗は消えていない。それでも、言い返せるだけの線は戻っている。
スサノオの声も、陽介を責めているというより、そこにいることを確かめているように聞こえた。
同じ場に戻ってきた者同士の、粗い確認だった。
『主』
今度は、自分の頭上で声がした。
鳴上は顔を少しだけ上げる。
イザナギは姿を明確に取ってはいない。だが、空気の奥に静かな雷気の名残がある。スサノオが風の残響なら、こちらは細く張られた線のようだった。
「イザナギ、助かった」
言えば、ふふ、という密かな笑いが聞こえた。
『礼を言うのはこちらだ』
「そうか?」
『ようやく、主と並び立てた』
その声は、陽介とスサノオの軽口とは違っていた。
静かで、近い。
鳴上の内側へ直接置かれるような響きだった。
『これからも、よろしく頼むぞ』
「……ああ」
短く返すと、胸の奥に残っていた硬さが少しだけ形を変えた。
完全に楽になったわけではない。むしろ、これから何かが始まるのだと分かる。けれど、ひとりでそれを受ける感覚ではなかった。
屋上の空気は、なおも静かだった。
静かすぎて、逆に何かが欠けているのが分かる。
さっきまでここに満ちていた異常が消えたのではない。引き剥がされたあとに残る空白だけが、広く薄く残っている。
「……なんか、ごめん」
陽介が不意に言った。
鳴上はそちらを向く。
「俺の母さんの実家が、こんなこと」
言葉の置き方が珍しく鈍かった。
冗談へ逃がさずに出てきたぶん、余計に疲れが見える。陽介はしばらく言葉を探していたのだろう。軽口に逃げるには屋上が壊れすぎていて、黙り込むには鳴上が隣に座りすぎている。
だから結局、いちばん不器用な言い方だけが残ったのだと思った。
鳴上は少しだけ間を置いた。
今ここで返すべき言葉は、多くない方がいい。
「陽介がテレビに落ちたとき、俺は手を離す選択肢はなかった」
陽介がこちらを見る。
鳴上は視線を外さなかった。
「ユリ子おばさんから話も聞いたし、今更だ」
陽介は一瞬だけ黙って、それから息を漏らした。
笑いそうで笑えない顔のまま、膝へ肘をつく。
「……今更、か」
「今更だ」
「お前、そういうとこだけ妙に効くんだよな」
鳴上は答えず、代わりに椅子の位置を少し寄せた。
陽介の肩が触れない程度の距離へ置き直す。それだけで十分だった。今は、離れていないことの確認の方が要る。
どこの家が始めたことかより、今ここで手を離さなかった事実のほうが、鳴上にはずっと大きかった。
風が吹くたび、壊れたフェンスがかすかに鳴る。
遠くで金属の軋む音がして、看板の残骸が微かに揺れた。夜の商業施設の屋上らしい明かりも、まだどこか不安定だった。点いているのに、完全には戻っていない。
鳴上は視線を巡らせた。
崩れた床。裂けた跡。焼けた線。倒れた設備。
終わった場所の形をしているのに、終わっただけでは済まない気配が残る。ここは区切りではなく、何かが次へ繋ぎ直される前の短い空白に近かった。
そのとき、スサノオの気配がわずかに変わった。
さっきまで陽介へ向いていた粗い軽さが消え、風の残響がひとつの方向へ揃う。
ジュネスフードコートへの出入り口。
歪んだドアの向こう。
鳴上の内側でも、イザナギの気配が静かに張り直される。
『主』
声は短かった。鳴上はそちらを見た。
まだ何も来ていない。
少なくとも、目には見えない。だが、出入り口の向こうで、現実の側の何かが動き始めている。異界の名残ではない。もっと具体的で、もっと人間の足音に近い気配だった。
「陽介」
「ん?」
「多分、まだ終わらない」
陽介はすぐには返事をしなかった。
壊れた屋上の向こうを一度見て、それから出入り口の方を見る。そこでようやく、ひどく疲れた顔で息を吐いた。
「えぇ……俺もう疲れたよ」
「俺もだ」
「お前が言うと、割とほんとにまずそうだからやめろ」
「でも来る」
「だよなあ……」
陽介は椅子の背に体重を預けたまま、目だけは出入り口へ向けた。
鳴上も同じ方向を見る。
スサノオもイザナギも、もう戦闘中のように現実を押し広げてはいない。それでも、完全には遠ざかっていなかった。風の端と雷気の線として、二人のすぐ近くに残っている。
異界は退いた。
だが、日常は戻ってこない。
戻ってくるのは、たぶん別の現実だ。
二人はそのまま椅子に座り、崩れた屋上の真ん中で次を待った。
風の温度は少しずつ現実へ寄っていく。けれど、その現実はまだ姿を見せず、見えない何かだけが静けさの底で形を取り始めていた。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠(T大在学中大学四年生)
花村陽介(M大在学中大学四年生)
戦闘おわって賢者タイム。よく見たら普通にジュネスの屋上ぶっ壊してんじゃんね
次回もよろしくお願いいたします。