スターシステムを採用しているため分かりづらいですが、『ペルソナアフターパラレル』とは別世界線で交差することはありません。
オリジナルしかない世界線ですがよろしくお願いいたします。
なおBLタグがついていますがイチャイチャしません。
最終回というかネタバレ後日談の回。
警察大学校編入前夜です。
三月三十一日の夜、食後のコーヒーは少し濃いめに淹れていた。
俺、こと花村陽介はコーヒカップに映る自分の顔を眺めている。
明日から入校式だと思うと、さすがに少し落ち着かない。
テーブルの端には、提出用の書類が順番に重ねてある。
証明写真、印鑑、身分確認の書類、最低限の着替えをまとめた鞄。忘れたら面倒なものばかりが、いつもの生活の机の上に妙にきっちり並んでいて、それだけで四月が本気で来る感じがした。
でも、部屋そのものはまだいつものままだ。ソファの位置も、ラグの端のめくれ方も、流しの脇に伏せてあるマグカップの置き方も変わらない。大学生の部屋が急に警察の前線基地になるわけじゃないんだな、と変なところで感心する。
「苦くないか」
向かいから悠が聞いてくる。
自分の分のカップを持ったまま、書類の束が風でずれないよう片手で押さえていた。そういうとこ、明日が入校式でも平常運転だなと思う。
「平気。今日のはむしろこのくらいでいい」
「そうか」
短く返して、悠はカップを口元へ運ぶ。
その後ろのソファには、スサノオが寝そべって雑誌を読んでいた。
寝そべるなよと言いたいが、今さらそこを指摘しても遅い。あいつはここ数か月、だいぶ自然にこの部屋へ居着いている。
しかも読んでるのが、コンビニで買った情報誌なのがまた腹立つ。ページをめくる手つきもかなり雑で、あとで文句を言うと、だいたい『陽介の持ち物を知るのも務めだからな』とか何とか偉そうに返してくる。
一方で、窓際の椅子ではイザナギが本を読んでいた。
読んでいるというか、悠が大学四年間で使ってきたテキストやノートを端から順に掘り返している。本人はえらく真面目な顔をしているが、そのせいで卒業したら処分するつもりだった本がまだ一冊も捨てられていない。
「テキスト、やっぱり明日までに片づかないか」
俺がそう言うと、悠は一瞬だけ眉を寄せた。
「無理だな。まだ三冊残ってる」
「お前がじゃなくて、そっちな」
視線を向けると、イザナギは特に悪びれもせず一枚ページをめくった。
『知の蓄積を粗末にするな、花村』
「お前が読む前は処分予定だったんだよ」
『ならば、なおさら止めて正解だったな』
悠がまた少しだけため息をつく。
事件が終わったのに、非日常だけきれいに片づいてくれない。
コーヒーを飲みながらその光景を見ていると、あの屋上で起きたことが夢じゃなかったと嫌でも分かる。夢じゃないどころか、結果が堂々とソファを占領している。
そこまで来て、ようやく俺は、自分に何が起きてたのかをちゃんと考え直せる気がした。
大学四年のあいだ、いや、もっと前から、何かがおかしかった。
八十稲羽へ引っ張られる感じがあった。ジュネスの地上げの話が出て、家の周りの空気がおかしくなって、東京じゃ帰る道が狂った。御茶ノ水にいたはずなのに三鷹へ飛ばされて、飯田橋を経由して神楽坂の善國寺まで引き回されるとか、今思い返しても本気で気持ちが悪い。
あのときは一個ずつが別件みたいに見えた。
家の話、地上げの話、俺個人の違和感、帰宅導線の狂い、八十稲羽に呼ばれるみたいな感覚。けど、今なら分かる。あれはたぶん、全部一つの術の段階だった。
不知火家と、その本家筋の日下部家。
うちの母さんの実家の不知火家が、昔から陰陽師の家だって話は、俺は子どものころには知らなかった。というか、知ってたらもっと別の人生になってた気もする。
さらに厄介なのは、その本家筋にあたる日下部家も、平安時代から続く陰陽師の家だったってことだ。
格式とか系譜とか、そのへんの重たさは正直どうでもいい。
問題は、そういう家の当主が本気で人を材料として見ていたらしい、という一点だった。
今回俺を狙ったのは、日下部家当主の日下部紬。
名前だけ聞くと、どこにでもいそうな感じがするのに、中身はまるでよくない。あいつの頭の中では、俺は最初から「器として使えるかもしれない人間」だったらしい。
理由も、気持ちが悪いくらい筋が通っている。
俺は高校のとき、イザナミとの戦いを通って生きて戻った。あの世界の底まで行って、あの神様とやり合って、それでも戻ってきた。紬から見れば、それは「普通なら壊れるはずのものを通っても残った器」なんだろう。
つまり、適性があると見なされた。
やめろよ、って感じだ。
適性なんて言葉で片づけていい話じゃない。人間を空の容れ物みたいに扱う発想が、まず気持ち悪い。けど、あいつは本気でそう考えていたのだと思う。
俺を空にして、そこへイザナミの欠片を植える。
たぶん、それが最終形だった。
実際にどこまで本当にできたのかは知らないし、本人もテレビの向こう側の本質までは分かってなかったらしい。けど、ジュネス八十稲羽店を「イザナミの世界の影響が濃く残る場所」だと思って、龍脈みたいに使おうとしていたって話を聞くと、嫌な意味で一貫はしている。
俺にかけられていた術式の正体も、今ならだいぶ見えてくる。
あれはたぶん、呪いに属する術だ。
本来なら逃げられない場所へ閉じ込めて、絶望とか諦めとか、そういう後ろ向きな感情を抱かせながら、人として積み上げた経験を削っていく。そうやって中身を抜いて、空にして、人柱にする。
聞けば聞くほどろくでもない。
けど、俺を閉じ込めるようなことができなかった。
そこがたぶん、あっちにとっては誤算だったんだろう。
今回は俺をどこかへさらうこともできなかったから、外堀を埋めるほうへ寄った。家の問題を揺らして、ジュネスをめぐる現実を崩して、八十稲羽へ引く感じを重ねて、東京でも帰る道を狂わせて、不安とか焦りとか、そういうもので少しずつ削った。
そう考えると、あの気持ち悪さは全部つながる。急に足元の現実がずれる感じも、家に帰れるはずなのに帰れない感じも、何かに呼ばれてるみたいな嫌さも、全部「空にする」ための手順だったのだと思う。
だから最後は、ジュネス屋上で逆再生まで来た。
あれはたぶん、俺の中の時間とか経験とかを遡らせて、人として積んできたものを剥がしていくための段階だった。テレビの中で起きたこと、仲間と積んだ時間、今までの選択、そのへん全部を逆から削って、空へ近づけるつもりだったんだろう。
実際、流れた映像は俺が見てきたものだった。
屋上の空気も、スクリーンの光も、胸の奥を掴まれるような感じも、今でも思い出すとあんまり気分がよくない。あれで壊すつもりだったのは、分かる。
でも、壊れなかった。
途中で、むしろ引っくり返った。
たぶんあれは、紬の想定してた人間の壊れ方じゃなかったんだと思う。俺はただの器候補じゃなくて、もうペルソナ使いで、心の底に触る回路をとっくに持っていた。しかも、悠と妙なところで深くつながってる。
だから逆再生は、そのまま空にする方向へは行かなかった。
削られるんじゃなく、もっと奥のほうへ触った。
あのとき、先に来たのはスサノオだった。
スクリーンの向こうから、荒っぽい疾風ごと現れて、それなのに俺に触る動きだけは雑じゃなかった。高校のころの俺の影をまとったまま、あいつはまっすぐこっちを見ていた。
呼ばれた、と思った。
たぶん俺も呼んだ。
順番なんて細かくは覚えてない。けど、あいつが俺を見つけて、俺もあいつを見つけた、その感覚だけは妙にくっきり残っている。
それで終わらなかったのが、もっとすごいところだ。
俺のあとで、悠もイザナギを呼んだ。
あいつのほうは、今までずっと通り過ぎてた本来の邂逅を、大学四年の現実でようやくやり直したみたいな顔をしていた。そこは見てるこっちまで鳥肌が立ったし、正直ちょっとずるい。
なんで最後にそんな完璧なやつ出してくんだよ、と思った。
まあ、その結果が今のリビングなんだけど。
俺はカップを持ったまま、ソファのほうをもう一度見る。
スサノオはさっきから雑誌を半分ほど読み進めていて、たまに眉を寄せている。記事の何が気になるのか知らないが、自分と同じ顔で芸能欄まで真面目に読んでるのはだいぶ面白い。
「おい、そこ俺の読みかけなんだけど」
言うと、スサノオはページから目を上げずに答えた。
『陽介の興味の流れを把握しているとこなんだが?』
「雑誌で?」
『情報源を選り好みするのは愚か者がすることだぞ』
「いや、そういう話じゃねえよ」
隣で悠が小さく息をつく。
その視線の先では、イザナギがまた一冊テキストを閉じていた。閉じた本を積み直す手つきがいちいち丁寧で、その丁寧さのせいで捨てにくくなってるのが本当に困る。
「それ、いつまで読む気だ」
俺が聞くと、イザナギは静かに顔を上げた。
『我の気が済むまで』
「それじゃあ悠の本棚がずっと片づかないんだよな」
「片づかないんじゃない。処分できないだけだ」
ため息交じりの悠の訂正が地味に重い。
リビングではペルソナが雑誌とテキストを読んでいる。非日常が帰ってくれないどころか、完全に住民面している。
でも、妙にしっくりもしてしまう。
あの屋上で起きたことの続きが、今はこういう形で部屋に残っているのだと思えば、まあ納得はできる。したくはないけど、できる。
コーヒーは少し冷めてきて、苦味がはっきりした。
その味を舌に残したまま、俺はもう一度テーブルの書類へ目を向ける。明日の入校式、公安のこと、親父のこと、日下部家と不知火家のその後、敵の顛末。
ようやく、自分の中で話が一本につながってきた。
つながったからこそ、まだ整理しきれてない先のことも見えてくる。
俺はカップを置いて、背もたれに体を預けた。
ここまで分かったなら、次はたぶん、そっちを考えなきゃならない。公安のことも、親父がどこまで知っていたのかも、紬たちが最終的にどうなったのかも。今夜のコーヒー一杯で終わる話じゃないのは、もう分かっていた。
公安が事件のあとで急に出てきたわけじゃない。
ジュネスの屋上で雅也さんが口にした「内偵」って言葉は、今ならだいぶ腑に落ちる。あの場では情報量が多すぎて流しかけたけど、落ち着いて思い返すと、あれは「ちょっと前から見てました」なんて生ぬるい話じゃなかった。
かなり前から、見られていたんだと思う。
そう確信したきっかけが何かって言われると、情けないけど靴だった。ジュネス屋上で回収されて、会議室に移動することになったときだ。
俺たち、裸足だったんだよな。
そりゃそうだ。あんな状況のあとで靴どころじゃない。屋上でイザナミみたいなヤツと戦った時点で、床の冷たさとかもうどうでもよくなってた。
なのに、何も言わないうちに靴が出てきた。
しかも、サイズぴったり。
俺のも、悠のも。
あれは本当に気味が悪かった。
助けに来てくれたのは事実だし、その場ではありがたい以外の感想を優先する余裕もなかった。でも、裸足の二人に、確認もなしでちょうどいい靴を差し出せる時点で、生活の細部まで把握されてるってことだ。
笑えない種類の親切だった。
その時点で、事件が終わっても「はいお疲れ、じゃあ元の生活へどうぞ」にはならねえなと、俺ははっきり分かった。公安って、そういうところまで知ってて動くんだなと、妙なところで実感した。
会議室でサインしたあと、車でマンションの下まで送られたときも大概だった。
送迎されるような人生じゃなかったはずなのに、気づけば書類を抱えたまま後部座席に座ってる。しかも行き先が、自分で説明しなくても当然みたいに今の部屋だった。あのときはもう苦笑いしか出なかった。
「やっぱ思い出してもキモいな」
カップを持ったまま言うと、向かいの悠が少しだけ顔を上げた。
「何が」
「靴」
一言で通じたらしく、悠もわずかに黙る。
「あれでだいぶ察した」
俺はコーヒーを一口飲んで続ける。
「助けに来ました、じゃなくて、前からずっと見てました、だろあれ」
「そうだろうな」
悠は短く答えた。
そこで無理に否定しないのが、あいつらしい。気休めで軽くしないから、その分だけ余計に現実味が出る。
でも、あの現実味の中でいちばん強かったのは、たぶんその直後の悠の一言だ。
ジュネスの屋上で、雅也さんたち相手に、あいつはほとんど脅しみたいな条件を出した。
俺と一緒じゃなきゃ、この力はあんたらをぶっ壊すために使う。
言い回しそのものは多少違ったかもしれないけど、意味はそういうことだった。あの場で聞いたとき、正直かなりキモが冷えた。
普段の悠は、もっと段取りで詰める。言葉も短いし、感情を前に出すほうじゃない。なのにあのときは、一歩間違えばその場の空気ごと裂きそうな言い方をした。俺のためだと分かるから余計に、ぞっとした。
ああいう声も出るのかよ、って思った。
同時に、助かったのも本当だった。あの場で「二人一単位」が通らなかったら、そのあとがどうなってたかは考えたくない。
怖かったし、重かったし、公安相手にそこまで言うかよとも思った。けど結果として、これからも二人で行く形だけは残った。
それはやっぱり、でかかった。
俺はカップの底に少し残ったコーヒーを見ながら、特捜隊で一度集まったあとの夜を思い出す。
あのとき、親父と二人で話した。
内容は、その場でははっきり分かったような分からないような感じだった。親父は陰陽道とか呪いとか、そのへんをさっぱり理解してない。母さんと違って、見えないものの理屈で状況を掴める人じゃない。
でも、だからこそ逆に、あの言葉は最大限だったんだろう。
こっちは大丈夫だ。
お前は自分の身だけ守れるように行動しろ。
何なら悠くんと一緒にいればいい。
だいたい、そういう意味のことを言っていた。
あの夜は、親父なりに現実の危険だけを拾って言ってるんだと思ってた。親類筋が怪しいとか、地上げがきな臭いとか、そのへんの延長として。
でも今は、あれで十分だったんだと思う。
自分の息子に向かって「家のことはこっちで何とかするから、お前はお前で逃げ道を取れ」と言う。それ以上は、たぶん言えない。
しかも、最後に悠を入れてきた。
何なら悠くんと一緒にいればいい。
あれは俺への甘やかしっていうより、親父なりの判断だったんだろうなと思う。深い理屈は知らなくても、俺が一人より悠といたほうが崩れにくいことくらいは、見てれば分かる。
親父はそういうところ、たまに妙に本質を突く。
分かってない人間の言葉としては、あれが限界まで正しかったんだと思う。
「陽一おじさん、あのときからそう言ってたな」
悠が静かに言う。
たぶん同じ夜を思い出してるんだろうけど、そこを説明しないのがあいつらしい。俺も「だな」とだけ返して、カップを置く。
敵のその後も、分かる範囲なら分かっている。
六郎はジュネスの裏階段で倒れていたらしい。悠の卒業式のときに来てた雅也さんが、「導線が灼き切れた」みたいなことを言っていたけど、正直そこはよく分からん。術式の回路が焼き切れたとか、そういう意味なんだろう。
とにかく病院へ運ばれて、今も昏睡状態のままだという。
目が覚めるのか、覚めたとして何が残るのか、そのへんは誰も言わないし、俺も詳しく聞く気にはならなかった。あの男については、顔を思い出すだけでだいぶ気分が悪い。
紬のほうは、日下部家で死んでいたらしい。
しわしわになって干からびた、なんて聞かされたけど、そこはもう本当に考えたくない。比喩なのか事実なのかも、確認したくない部類だ。
不知火側もそのへんは多くを語らない。
語らないってことは、たぶん語りたくない状況なんだろう。俺だって聞かされたいわけじゃないし、それで十分だった。
家のほうの流れも少しだけ耳に入っている。
綾が日下部の当主になって、柊が支える形になったらしい。日下部そのものを潰す話も出たみたいだけど、不知火家と雅也さんが何とかしたとかで、最終的にはそこまで行かなかった。
今後は不知火が筆頭分家として日下部を支えて、日下部も警察捜査協力の流れに乗ることになった、というざっくりした説明だけ聞いている。
制度の細かいところはどうでもいい。どうせ俺には分からないし、分かったところで気持ちよくもない。
ただ一つだけ分かるのは、終わったけど消えたわけではない、ってことだ。
日下部も、不知火も、公安も。
もうこの先ずっと、自分たちと無関係ではいられない。
それはわりと面倒だし、気味も悪いし、普通に大学を卒業して普通に就職して終わるつもりだった身からすると、だいぶ理不尽だと思う。
でも、その「普通」はもうない。
なくなったあとに何が残ったかって言うと、二人で行くことだけは残った。
それで全部よしとは言わない。
言わないけど、まあ、それならまだやれるかと思う程度には残っている。
窓の外はもうすっかり夜で、部屋の中の明かりだけがやたら現実的だった。
そういや、明日は四月一日だ。
そこに思い当たって、俺は思わず口を開く。
「この話、明日になったらエイプリルフールとかにならんかなあ」
言ってから、自分でもだいぶ間抜けだと思った。
でも、少しくらいそういうことを言いたくなる。明日になったら全部嘘でした、大学卒業おめでとう、はい普通の新生活へどうぞ、ってなってくれたらどんなにいいか。
ならないんだけど。
悠はカップを持ったまま、少しだけ口元を緩めた。
「ならないな」
「だよなあ」
俺も笑うでもなく返す。
ならないまま明日になって、俺たちは警察大学校へ行く。書類を持って、朝起きて、ここから出る。普通じゃない進路へ、そのまま足を突っ込むことになる。
それでも今夜はまだ、ここでコーヒーを飲んでいる。
食後のマグカップが二つあって、流しには洗い待ちのスプーンがあり、ソファではスサノオが雑誌を閉じる気配もなく、イザナギはまだテキストのページをめくっている。
俺は少し冷めたコーヒーを飲み干して、背もたれに体重を預けた。
明日は来るし、嘘にはならない。
だけど、今夜のこの部屋まで消えるわけじゃない。そう思えるくらいには、まだここは俺たちの生活の場所だった。
登場人物をここでまとめておく
鳴上悠
花村陽介
イザナギ
スサノオ
はい、いつメンですね。
とっても安心します。
ここまで本当に長々とおつきあいくださりありがとうございました。
さすがに警察大学校と配属してすぐのエピソードは書きませんが、また別の話でお会いしましょう。
またね!