リゼロif 少年と魔女 作:まんはんたん
その1
どこまでも続くような緑の草原。吹き抜ける風は優しく、見上げる空は抜けるように青い。
ここは現実ではない。精神と魂が交差する死の淵の空間、「夢の城」
真っ白なパラソルの下、白いテーブルを挟んで、二つの影が向かい合っていた。
一人は、この空間の主である「強欲の魔女」エキドナ。
雪のように白い肌と、絹糸のような純白の長髪。喪服を思わせる漆黒のドレスに身を包んだ彼女は、人間離れした美しさと、底知れない知性を湛えた瞳で目の前の少年を見つめている。
もう一人は、ナツキ・スバル。
ありふれたジャージ姿の、どこにでもいるような少年。しかし、その瞳の奥には、彼の年齢には到底見合わないほどのどす黒い疲弊と、途方もない絶望の澱が沈殿していた。
腹を切り裂かれる熱さ、呪いに体を食い破られる激痛、全身の血が凍りつくような冷気、そして無数の獣に生きたまま貪り食われるという狂気。
数多の地獄のような「死」の記憶が、ナツキ・スバルの精神を削り、摩耗させ、そして皮肉なことに──極限の状況下で思考を研ぎ澄ますという、冷酷な鋼の意志を鍛え上げていた。
「どうだろう? ボクと契約してくれないか?」
甘く、優しく、鼓膜を撫でるようなエキドナの声が響く。
それは、絶望の淵に立たされた人間にとって、蜘蛛の糸よりも魅力的な救済の誘いだった。彼女は己の膨大な知識を以て、スバルの過酷な運命を打破する力になると宣言したのだ。
普通であれば、迷わずその手にすがりついただろう。幾度も死を繰り返し、心身ともに限界を迎えていたスバルにとって、全知を誇る魔女のサポートは喉から手が出るほど欲しいものだった。
だが、ただこの時のナツキ・スバルは、少しだけ頭が働いた。
あるいは、幾度も繰り返された理不尽な死と痛みが、彼の生存本能に警鐘を鳴らしたのかもしれない。目の前で優微笑む絶世の美女が、何故これほどまでに自分に協力的になろうとしているのか。
「強欲」の魔女。その名の通り、彼女が渇望するものは「未知なる知識」だ。
己が持つ『死に戻り』という狂気の権能が、彼女のその果てしない探求心と結びついた時、何が起こるか。
「……エキドナ。契約してもいいぜ」
スバルが静かにそう告げた瞬間。
「本当かい!? ナツキ・スバル!」
エキドナの顔がパァッと明るく華やいだ。その表情は、欲しかった玩具を買い与えられた子供のように無邪気で、純粋な歓喜に満ちていた。
「じゃあ早速、誓いの契約を……」
「おっと、待てよ」
身を乗り出そうとした魔女を、スバルは冷ややかな声と、突き出した手のひらで制止した。
風が止んだ。草原のざわめきが消え、夢の城に冷たい静寂が降り降りる。
「これまで、数え切れないほど散々に死んできた俺だぜ。痛みに泣き叫んで、絶望に吐き散らして、這いつくばってきたんだ。……『はいそうですか』と、素直に頷いて首輪をつけられるほど、おめでたい頭はしてねえよ」
スバルの声には、熱がなかった。ただひたすらに平坦で、それゆえに不気味なほどの凄みを帯びていた。
エキドナは瞬きをし、小首を傾げる。その仕草すらも計算されたように愛らしい。
「何を迷うことがあるんだい? 魔女としての名にかけて誓ってもいいが、ボクは必ず、君を君が望む未来に導いてみせるよ。君の力になりたいと、そう願っているのは本心だ」
「あぁ、そうだろうな」
スバルはあっさりと肯定した。彼女の瞳を真っ直ぐに見据えながら、鼻で笑う。
「その言葉に嘘はねえな。オマエの知識があれば、最終的に俺を目的の場所へ到達させることは可能だろうさ」
「だったら……!」
「──オマエは俺をゴールに導く。だが、それは『最後』に、だろ?」
ピタリ、と。
エキドナの長い睫毛が揺れ、その動きが完全に停止した。
「全ての選択肢をコンプリートしてからだ」
スバルの口から紡がれた言葉が、鋭い刃となって夢の城の空気を切り裂いた。
「冗談じゃねえ。もしお前の好奇心に付き合って契約なんか結んだ日には、俺は一体何万回死ぬことになんだよ」
スバルは気づいていた。
『死に戻り』という能力は、エキドナにとって究極の観測装置だ。
「もしここで右の道を選んだらどうなるか」「もしあの時、違う言葉をかけていたらどうなるか」
本来の人間であれば、一度の人生で一つの選択しかできない。しかしスバルを操れば、エキドナは考えうる限りのあらゆる「もしも」を検証することができる。
わざと破滅する
そして最後に、本当に正しい「最善のルート」を教え、約束通り望む未来へと導く。
確かに嘘はついていない。だが、そこに至るまでのスバルの精神の摩耗など、彼女にとっては知ったことではないのだ。
スバルはテーブルに両手を突き、魔女の顔を覗き込むようにして言葉を叩きつけた。
「俺が出す契約の条件は四つだ。よく聞け」
一言一言、区切るように指を立てる。
「一つ、俺に対して絶対に嘘をつかないこと」
「二つ、俺の質問には必ず真実で答えること」
「三つ、俺の不利益になるような知識を隠さないこと」
「四つ、常に『最善の方策』を偽りなく答えること」
そして、突きつけた四本の指を握り込み、拳を作った。
「最後に。この契約条件を破る、あるいは抜け道を探るような真似を一切禁ずる」
あまりにも一方的で、強固な縛り。魔女の持つ「強欲」の自由を完全に奪い去るための鎖。
エキドナは困ったように眉を下げ、まるで傷ついた少女のような表情を作った。
「そんなの、わざわざ契約の条件にしなくても……ボクたちはお互いを信頼し合うパートナーになるんだ。君の疑心暗鬼は、少しボクを悲しくさせるよ」
「いいや、ごまかされねえよ」
スバルは吐き捨てるように言った。
「俺の死に戻りの権能、オマエは自分が満足するまで、全ての選択肢を試してからじゃないと気が済まないんだろ? 未知の結末を知りたくて知りたくてたまらない。それが『強欲』の魔女たるオマエの本性だ」
沈黙が落ちた。
ティーカップから立ち昇っていた紅茶の湯気が、不自然に揺らぐ。
「なぁ、
スバルは、これまでに経験した死の記憶を全て両目に込めるかのように、暗く、重たい眼差しでエキドナを射抜いた。
「いい加減に、その見え透いた『作り笑い』をやめたらどうだ?」
風の音が消えた。
エキドナの顔から、先ほどまでの愛らしい少女のような表情が、まるで薄皮が剥がれ落ちるようにスッと消え失せた。
残ったのは、感情の温度を一切感じさせない、深淵のような絶対的な虚無。
「……悲しいなぁ。気になる男の子に精一杯のアピールをする、いじらしい乙女心だというのに」
声のトーンは変わらない。だが、そこに込められていたはずの「親愛」の色は綺麗に抜け落ち、ただの冷徹な事実の羅列のように響いた。
「……君は、僕を信じていないんだね。これほどまでに心を砕いているというのに、ひどい男だ」
「信じてるさ」
スバルは口角を歪め、邪悪にすら見える笑みを浮かべた。
「オマエの『実験動物の扱い』に関しては、世界中の誰よりも信頼してるぜ。最高のモルモットを前にして、ヨダレを垂らすのを我慢できないマッドサイエンティストだってな」
スバルの持つ、ある種の無限の可能性。
時間を巻き戻し、運命を書き換える力は、知識を渇望するエキドナにとって何にも代えがたい至宝だ。だからこそ、彼女はスバルを手放せない。スバルから拒絶されることは、彼女の「強欲」が最も恐れる事態のはずだ。
スバルは椅子に深く腰掛け、足を組んだ。完全に主導権を握った者の態度で、目の前の魔女を見下ろす。
「俺の条件を全て飲んで、大人しく俺のためのナビゲーターとして契約するもよし。それとも条件を蹴って、この退屈な墓所でこれからも永遠と一人で冷めたお茶をすすってるのもいいだろう」
スバルはゆっくりと右手を持ち上げ、エキドナに向けて差し出した。
先ほどまで、彼女がスバルに対して行っていたのと同じ所作。だが、その意味合いは正反対だ。
「何より──選ぶのは俺じゃない。エキドナ。お前だ」
魔女に対する、圧倒的なまでの不遜。
かつて世界を震え上がらせた存在に対し、一介の無力な少年が選択を強要している。
エキドナの漆黒の瞳が、驚愕にわずかに見開かれ──やがて、ゾクッとするような妖艶な光を帯びて細められた。
「──面白い。このワタシに、選ばせるか」
一人称が変わった。それは彼女が被っていた「ボク」という仮面が外れ、奥底に隠していた本性が漏れ出た瞬間だった。
スバルは差し出した手をそのままに、皮肉たっぷりに笑いかける。
「あぁ、早速、大好きな『選択肢』だな」
二つの道。
契約を結び、自身の欲望を抑え込んででもスバルという稀代の観測者を手元に置くか。
それとも、プライドを守り、永遠の孤独に戻るか。
「答えは二つに一つだ。存分に悩めよ」
立場は完全に逆転した。
救済を与える側と、すがりつく側。その関係性は崩壊し、今はただ、強かさを身につけた少年が魔女の喉元に刃を突きつけている。
「なんせ、オマエは死に戻りできないわけで」
スバルの言葉が、静かな夢の城にトドメのように響き渡る。
「俺と違って、両方のルートを試すことはできないからな」
差し出された少年の手を見つめる強欲の魔女。
その沈黙を切り裂くように、スバルは悪魔のような笑みを深めた。
「おや……全ての選択肢を網羅しないと気が済まない、フルコンプ主義の強欲の魔女さまには、ひどくお辛い決断だな?」
風が再び、二人の間を吹き抜けた。
どちらの手が握られるのか、それはまだ、誰にもわからない。
続刊の新刊は買ってはいるもののリゼロは貯めて一気に読みたい派。そろそろ読もう…
リゼロIFのこのカサネルルートが特典小説の一冊しか出てないのが不満。もっと出して…