リゼロif 少年と魔女 作:まんはんたん
それは、聖域での激闘と凄惨なループを乗り越え、陣営が新たな一歩を踏み出した後のこと。
いつものように開かれる、強欲の魔女との「夢の城」でのお茶会での一幕。
「──三大魔獣のうちの二体、『白鯨』と『大兎』それに加えて、魔女教大罪司教『怠惰』の討伐。この圧倒的な戦果を前にして、もうナツキ・スバルの陣営を侮るような愚か者は、他陣営のどこにもいないだろうね」
どこまでも続く緑の草原。真っ白なパラソルの下で、エキドナは優雅にティーカップを傾けながら、嬉しそうに目を細めて言った。
彼女の口から語られるのは、スバルがこれまでに成し遂げてきた偉業の数々だ。四百年もの間、世界を恐怖に陥れてきた厄災を次々と打ち倒した功績。それは王選を戦う上で、何よりも強力な後盾となる。
しかし、その称賛を受けたスバルは、テーブルの上の紅茶を見つめたまま、ひどく冷めた声で返した。
「俺の手柄じゃねえよ。あくまで、エミリア陣営としての成果だ。それに、白鯨も怠惰も、クルシュさんたちとの共同戦線があってこそ成り立ったもんだ。俺一人でやれたことなんざ、これまでただの一度もねえよ」
スバルの言葉は、謙遜というよりは、自らの無力さを噛み締めるような重苦しさを伴っていた。
白鯨と、魔女教徒の大罪司教『怠惰』を担当していたペテルギウス・ロマネコンティ。
彼らを討伐したのは、スバルがこの「夢の城」でエキドナと血みどろの契約を交わすよりも前──聖域に足を踏み入れる前の出来事だ。
幾度も死を繰り返し、絶望の泥濘を這いずり回り、クルシュやアナスタシアの陣営を巻き込んで、ようやく掴み取った勝利。
「なにより……あの時は、彼女が……レムが、俺の隣にいてくれたからだ」
ギリッ、と。
スバルは強く奥歯を噛み締めた。その音は、静かな夢の城に痛々しく響いた。テーブルの下で握りしめられた拳が、微かに震えている。
「死に戻り」。
時間を巻き戻し、死の運命を回避できる、ある種無敵の権能だと誰もが錯覚する力。
だが、現実は違う。スバル自身の意思で巻き戻る時間を指定することはできず、セーブポイントが唐突に更新されてしまえば、リスポーン地点は不可逆的に前へと進んでしまう。
もしその更新の瞬間に、「すでに失われた者」がいれば──その命や存在を、二度と助け出すことはできないのだ。
レムは今も、冷たいベッドの上で、眠り姫のように静かに目を閉じている。
暴食の大罪司教によって「名前」と「記憶」を喰われ、スバル以外の誰の記憶にも残っていない、世界から切り離された存在として。
エキドナと出会う前の出来事だ。もし、仮に、ありえないことだと理解しているが──エキドナと契約できていれば。
もっと「最善」を知っていれば、彼女を失わずに済んだのではないか。その悔恨が、スバルの魂を今も黒く焦がし続けている。
「……それはそうだね。セーブポイントの不可逆性は、君の権能の最大の弱点だ」
エキドナはティーカップを置き、同情するように、しかしどこか冷徹な観察者の眼差しでスバルを見つめた。
「でも、その結果として、今の『最適化された盤面』があるのは、他でもない君が上手く立ち回ったからじゃないか」
「上手く立ち回った、か」
「そうとも」
クスクスと、エキドナは喉の奥で笑い声を立てた。
「ボクを相手に、そんな誤魔化しは必要かい? 『俺一人でやれたことじゃない』だなんて。それとも、己の罪悪感を薄れさせるために、そう言い聞かせているのかな?」
「……何が言いてえ」
「事実を確認しているだけさ。陣営の今後の方針も、他陣営への交渉に対策も、暗殺者の運用も……重要事項は全て、ボクと君の二人だけで決めているじゃないか」
エキドナは身を乗り出し、スバルの顔を覗き込む。
「表向きのリーダーである、あのハーフエルフのお姫様が……一体、自らの意思で『何を選択してきた』というんだい? 彼女は君が用意した安全な道を歩き、君が用意した原稿を読んでいるだけだ。君が『エミリアの手柄だ』と周囲に思い込ませるように、盤面を操作しているに過ぎない」
スバルは反論の言葉を持たなかった。
エミリアを試練から遠ざけ、彼女の自立の機会を奪い、自分への依存を決定づけたのはスバル自身だ。「全てを救う」という強欲を満たすため、彼女を何も知らない美しい人形として飾り立てているのは、他でもない自分なのだ。
「……それでも、俺たちはエミリアの陣営だ。彼女を王にするために動いてる。それは揺るがねえよ」
「まぁ、君がそういうのなら、そういうことにしておいてあげよう」
エキドナは肩をすくめ、優雅に背もたれに体を預けた。
「何にせよ、だいぶこちらの手駒も増えてきたね。最初の頃の『ろくな協力者もいない』なんていう絶望的な状況からは、完全に脱しつつある」
エキドナは自身の指を折りながら、現在のスバル陣営の主要な戦力を数え上げる。
「君という稀代の観測者を認め、狂信的に従う宮廷筆頭魔術師ロズワール。物理的な盾である、まだまだ反抗期の獣人ガーフィール。それに、闇の世界を知り尽くした一流の暗殺者、腸狩りエルザ。……単純な軍事力と裏工作の戦力で言えば、これはなかなかのものだよ」
「……まぁな」
スバルは自嘲気味に笑い、天を仰いだ。
「基本的に、俺を何百回も惨殺できる連中が揃い踏みだしな。味方陣営にいる強力な駒の半分以上が、俺の腹を裂いたり、顔面を陥没させたり、腸をぶちまけさせたり、屋敷ごと焼き殺したりした前科持ちだ。……笑えない冗談みたいなチームだよ、全く」
スバルの脳裏に、彼らに殺された際の鮮烈な激痛と絶望の記憶がフラッシュバックする。
普通であれば、顔を見ただけで恐怖に発狂してもおかしくない相手と、毎日同じ屋根の下で食事を取り、味方として談笑しているのだ。スバル自身の精神が、すでに人間の規格を完全に外れてしまっている証左であった。
「確かに、その三人は一角の猛者たちではある。狂気と殺意に満ちている分、君が手綱さえ握り間違えなければ、王選においてこれ以上ない強力な刃となるだろう」
エキドナは深く頷き、そして──不意に、その表情から一切の笑みを消した。
周囲を吹き抜けていた風が止まり、夢の城の空気がヒリつくような緊張感に包まれる。彼女の漆黒の瞳が、深淵の底からスバルを見据えるような、ぞくりとする光を帯びた。
「さて。我が愛しき契約者、ナツキ・スバルに……契約に基づく『最善の提案』だ」
ごくり、と。
スバルの喉が、無意識に鳴った。
エキドナがこのトーンで切り出してくる時、それは必ず、スバルの倫理観や限界を大きく揺さぶる、とんでもない悪魔の囁きであると相場が決まっているからだ。
陣営を強化するための、スカウティング提案。
かつての宿敵であった腸狩りエルザを殺さずに手にし、首輪をつけるという決断を下したのも、このエキドナの提案があってのことだった。
魔女の提案をすべて鵜呑みにするわけではないが、少なくとも耳を傾け、盤面を計算する価値は絶対にある。最終的に選ぶのが自分であったとしても、だ。
「まだ……まだ、足りない」
エキドナはテーブルの上に両手を組み、その顔をスバルへと近づけた。
「今の戦力だけでは、王選を勝ち抜き、君の望む全ての者を救い、切り捨てないという道に対して、決定的にピースが足りない。もっと、強力で、絶対的な人材を陣営に引き入れなきゃね。……君の、『全てを掴み取りたい』という身の程知らずの強欲を満たすためにはね」
「……その人材に、目星はついてんだろ?」
スバルは警戒心を露わにしながら、低く問い返した。
「もちろんだとも」
エキドナは即答した。
「何より、その人物を『敵に回すこと』は……ボクの計算上、最優先で回避しなければならない事項のトップに位置している。あれは、盤面に存在しているだけでルールを破壊する、イレギュラーな存在だからね」
「随分と高い評価だな」
スバルは目を細めた。
「ロズワールにも、エルザに対しても『殺せるなら殺す、拾えるなら拾う』ってスタンスで、あくまで手駒の一つとして冷静に評価してたオマエが、そこまで言うか?」
ロズワールの魔法も、エルザの不死性も、エキドナからすれば「対処可能な障害」に過ぎなかった。それを「最優先で回避しなければならない」と言わしめるほどの存在とは。
「ハッキリ言うがね、スバル」
エキドナの声は、ひどく重々しく、そしてどこか畏怖すら混じっていた。
「一時的に盤面から取り除くことさえも難しく、今の君の陣営の戦力──ロズワール、ガーフィール、エルザを総動員して同時に襲いかかったとしても、敵対すれば勝ち目は『万に一つも』ない」
「ッ……!?」
「信じられるかい? 『死に戻り』という無限の挑戦権を持つ君と、四百年の叡智を持つ強欲の魔女が、文字通り、手と手を握り合ってあらゆるシミュレーションを重ねてなお……その人物を力でねじ伏せる可能性は、皆無だ。全く、質の悪い冗談みたいな話だよ」
「それだけの……絶対的な強さってことか」
スバルは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
エキドナの知識と自分の死に戻り。そのチートの組み合わせをもってしても「勝率ゼロ」と断言される存在。
「その通り。ボクの知恵と君の命をいくらすり減らしても、真正面からの『武』では絶対に勝てない。……だけどね、スバル」
エキドナの唇の端が、邪悪に、そして魅惑的に吊り上がった。
「それだけの絶対的な強さを持つイレギュラーを……もし、君の陣営に『味方』として加えることができれば、どうなると思う?」
「俺たちの陣営に……」
スバルは息を呑んだ。
敵に回せば即ゲームオーバー。だが、手駒にできれば、これ以上ない無敵の剣となる。
「それで? どんなやつだ? まさか、四百年前に封印されたバケモノとかじゃないだろうな。俺は知ってるやつか?」
スバルが身を乗り出して尋ねると、エキドナは満足そうに目を細め、ゆっくりと首を縦に振った。
「君もよく知っている人物だよ。……たしか、君がこの世界に降り立ち、一番最初にその命を救われた、『最強の強者』でもあるかな」
一番最初に、出会った強者。
その言葉を聞いた瞬間、スバルの脳裏に、一人の青年の姿が鮮烈にフラッシュバックした。
燃えるような赤毛。透き通るような青い瞳。
どんな絶望的な状況にあっても、一振りの剣と爽やかな微笑みだけで全てを解決してのける、絵本の中から飛び出してきたかのような完璧な英雄。
「──つまり、それは……」
スバルの声が、微かに震えた。
「そう。──当代の『剣聖』、ラインハルト・ヴァン・アストレアさ」
夢の城に、決定的な名前が落ちた。
沈黙が、スバルの思考を支配する。
ラインハルト。王国最強の騎士。そして、王選のライバルであるフェルトの第一の騎士。
「しょ……正気か?」
スバルは思わず椅子から立ち上がり、テーブルを両手で叩きつけた。
「いやいやいや! あのラインハルトだぞ!? 正義感の塊みたいな、絵に描いたような騎士の中の騎士だ! あいつが、主であるフェルトを裏切って、得体の知れない俺たちの陣営に寝返るわけないだろ!!」
スバルの常識が、全力で警鐘を鳴らしていた。
人質で縛れたエルザとは違う。力で屈服させられるガーフィールとも違う。ラインハルトは、己の信念と忠誠心で動く男だ。そんな彼を、闇にまみれたスバルの陣営に引き抜くなど、不可能にもほどがある。
しかし、エキドナは動じなかった。
むしろ、スバルの激しい反応を予想していたかのように、冷たく、そして甘く囁きかける。
「確かに、最高に難易度が高く、最高に血反吐を吐くだろう。彼の強固な忠誠心をも上回り、精神を揺さぶり、君の陣営こそが彼の居場所だと思い込ませる……それは、これまでのどんな戦いよりも、地獄のような引き抜き作戦になるだろうね」
エキドナは予言する。提示した作戦は地獄を見ると。
「だが、成功した際のリターンは莫大だ。この世界における最強にして絶対のカード。その力は、ロズワールやガーフィールを遥かに凌駕する。彼さえ手に入れれば、君の『全てを救う』という強欲に対して大いに役立ってくれることだろう」
「だけど……そんなこと……」
「なにより」
エキドナは悪魔のような笑みを深めた。
「一筋縄で行かなかろうと、見上げるほどに高い障害だろうと、倫理を捨てる容易ならざる問題だとしても」
彼女の言葉が、スバルの魂を直接鷲掴みにする。
「それは君が──『最善の選択』を選ばない理由になるのかい? ナツキ・スバル」
「────ッ!!」
全てを救うためなら、どんな地獄でも歩むと誓ったはずだ。
その強欲を満たすための、最強のピース。
強欲の魔女の冷酷な問いかけに、ナツキ・スバルの瞳の奥底で、かつてないほどに昏く、重たい狂気の炎が静かに燃え上がり始めていた。
書いてはいたが、自信なくて保留していたが、感想貰えたので更新
でも前回のとこが短編として一番区切り良いとは思うが、書いてはいたいたのですねん