リゼロif 少年と魔女   作:まんはんたん

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その4

「……と、まあ、ボクの乙女心に関する冗談はこのくらいにしておき、そろそろ本題──『聖域』攻略の話をしないかい?」

 

 コホン、と。

 エキドナはわざとらしく小さな咳払いをして、すんと澄ました顔を作った。つい先ほどまで、スバルの契約条件を曲解して一人で頬を赤らめ、スバルから特大のツッコミを食らってへたり込んでいたのと同じ存在とは到底思えない、見事な切り替えだった。

 彼女の纏う空気が、ふわりと変わる。

 それは、ポンコツな小娘から、四百年の叡智を誇る「強欲の魔女」への回帰。夢の城に漂っていた気の抜けた空気が一掃され、代わりに、底知れない深淵を覗き込むような、ヒリつくような緊張感が再び場を支配し始めた。

 

「……お前が一人で暴走して、話を明後日の方向へ脱線させてきたんだろうが」

 

 スバルはジト目を向けながら、大きくため息をついた。額に浮かんだ疲労の汗をジャージの袖で拭う。魔女との口喧嘩は、物理的な戦闘とはまた別の、莫大な精神力を消費するらしい。

 

「そうだったかな? なにせ四百年ぶりの契約だ。しかも、こんなにも情熱的なアプローチを受けてしまったのだからね。ボクが少しばかり浮かれてしまうのも、無理のない話だろう?」

 

 エキドナは全く悪びれる様子もなく、むしろ誇らしげに胸を張った。

 

「そこはどうか、素敵で可憐な魔女であるボクの愛嬌に免じて、寛大な心で許してくれたまえよ」

 

「……その図太さだけは、マジで強欲の名に恥じねえよ」

 

 ふぅ……と、スバルはもう一度、今度は先ほどよりもずっと深く、肺の中の空気を全て入れ替えるような長いため息をついた。

 これ以上この魔女のペースに巻き込まれるのは御免だ。スバルは頭を切り替え、表情を引き締めると、再び白いテーブルを挟んでエキドナの対面に腰を下ろした。エキドナもまた、優雅な所作で自身の椅子に座り直す。

 

「さて、と」

 

 エキドナが、パチン、と細く白い指を鳴らした。

 その乾いた音が夢の城に響いた瞬間、二人の間にある真っ白なテーブルの上に、魔法のような現象が起きた。

 何もない空間から、突如として二つの白磁のティーカップが実体化し、コトンという上品な音を立てて置かれたのだ。カップの中には琥珀色の液体がなみなみと注がれており、淹れたてであることを証明するかのように、芳醇な香りを伴った湯気が立ち昇っている。さらにその横には、色とりどりの可愛らしい焼き菓子が盛られたバスケットまでが、ポンと出現していた。

 

「ボクと君が、晴れて正式な契約者となって初めての共同作戦だ。お茶の一つも飲みながら、落ち着いて盤面を整理しようじゃないか」

 

 エキドナは微笑みながらそう言うと、自身の前に置かれたティーカップを両手で包み込むように持ち上げ、ゆっくりと口をつける。

 ふぅ、と熱い息を吐き出す彼女の顔は、とても満足げだった。

 

 スバルは、自分の前に置かれたティーカップを見つめた。

 湯気とともに漂ってくるのは、紅茶のようであって紅茶ではない、花のような、果実のような、それでいてどこか血液を連想させるような、ひどく甘く、本能をざわつかせる奇妙な香り。

 本来なら、得体の知れない魔女が出した飲み物など、口にするべきではない。だが、すでに彼女とは「嘘をつかない」「最善を尽くす」という絶対の契約を結んだ身だ。ここで毒殺されるようなマヌケな真似はされないだろう。

 何より、先ほどの契約の口づけと口論で、スバルの喉はカラカラに乾いていた。

 

「……いただきますよ、魔女サマ」

 

 スバルは覚悟を決め、ティーカップの取っ手に指をかけた。

 カップの温もりが指先から伝わってくる。スバルはそれを口元に運び、目を閉じて、琥珀色の液体をゴクリと飲み込んだ。

 

「────」

 

 それは、ひどく妙な感覚だった。

 熱い液体が喉を通り、食道を滑り落ち、胃の腑へと到達する。その一連の過程が、やけに生々しく感じられた。

 味は、あるような、ないような。甘いようで、苦いようで、しょっぱいような気もする。脳が味覚情報を正しく処理できていない。ただ、体内に入り込んだその液体が、血液に混じり、全身の毛細血管の隅々にまで浸透していくような、圧倒的な「同化」の感覚だけがあった。

 初めて飲んだはずだ。それなのに、スバルの脳髄の奥底で、何かが小さくノックする。

 ──前にも、これを飲んだことがあるような? 

 既視感(デジャブ)。死に戻りの影響か、それともこの空間特有の幻覚か。スバルがその微かな疑問に首を傾げようとした瞬間、エキドナの涼やかな声がそれを遮った。

 

「さて。この『聖域』という盤面における大きな問題を、まずは列挙していくよ」

 

 エキドナはカップをソーサーに置き、黒い瞳でスバルを真っ直ぐに見据えた。その眼差しは、先ほどの戯れを完全に捨て去り、冷徹なチェスプレイヤーのそれへと変貌している。

 

「大兎の襲来。屋敷の襲撃。そして、聖域の解放。……大筋としては、そんなところかな?」

 

 大兎。屋敷。聖域。

 その単語が並べられただけで、スバルの胃袋がギリリと嫌な音を立てて痛んだ。

 無数の白い悪魔に全身を食い破られる激痛。エルザの凶刃に腹を裂かれ、腸をぶちまける絶望。そして、閉ざされた結界の中で心をすり減らしていくエミリアの悲痛な泣き顔。

 どれか一つだけでもクリア不可能なほどの難題が、同時多発的にスバルに襲いかかっている。これが現在の状況だ。スバルは無意識に、ジャージの胸元──服の下にあるペンダントの黒い石──を強く握りしめた。

 

「ボクの知識を以てしても、これらを全て一度の魔法で解決するような都合の良い奇跡は存在しない。一つずつ、確実に対処し、潰していくことが、最も死を遠ざける近道だからね」

 

「……あぁ、わかってる。そのための契約だ」

 

 スバルが低く唸るように答えると、エキドナは満足そうに一つ頷いた。

 

「では、一番直近であり、全ての前提条件となる大きな問題──『聖域の解放』についてだ。これに関しては、実はとても簡単な解決策がある」

 

 簡単な解決策。

 その言葉に、スバルはハッと顔を上げた。

 聖域の解放。それはすなわち、混血であるエミリアたちを縛り付ける結界を解除すること。そのためには、「墓所の試練」と呼ばれる過去・現在・未来と向き合う過酷な精神的拷問をクリアしなければならない。

 スバルは何度も、その試練に挑んでは傷つき、心を折られていくエミリアの姿を見てきた。彼女を救いたい。彼女の力になりたい。だが、試練の過酷さはスバルの想像を絶するものだった。

 

「簡単って……まさか」

 

 スバルは身を乗り出し、すがるような視線を魔女に向けた。

 

「オマエ、エミリアたんを……特別に、試験をクリアせずに『合格』させてくれるのか?」

 

 聖域の創造主であるエキドナならば、あるいはそんなチートまがいの裏技が使えるのではないか。

 試練など受けずとも、結界を解き、エミリアをあの苦しみから解放できるのではないか。スバルの瞳に、希望の光が宿る。

 しかし、強欲の魔女は、少しだけ申し訳なさそうに、ゆっくりと首を横に振った。

 

「それができたら手っ取り早いのだけれどね。生憎だが、それは不可能だ。今のボクはあくまで魂だけの存在であり、現世のシステムに対して、そのような直接的な形での干渉はできないように制限されているんだ」

 

「……っ、そう、か」

 

 スバルは深く落胆し、椅子の背もたれに体を預けた。

 やはり、甘い道はない。エミリア自身が、あの過去のトラウマと向き合い、自らの力で乗り越えなければならないのか。だが、彼女の心がそれに耐えられる保証はない。もし、エキドナが「エミリアに何度も試練を受けさせ、心を砕いてでも突破させろ」という『最善(ルート)』を提示してきたら、自分はそれに従えるのか。

 スバルの顔に暗い影が落ちる。契約の重圧が、早くも彼を押しつぶそうとしていた。

 

 そのスバルの内面を見透かしたように、エキドナは柔らかく、諭すような声を出した。

 

「だが、安心するといい、ナツキ・スバル」

 

 彼女の言葉に、スバルは顔を上げる。

 

「君との契約には『最善の策を偽りなく答える』という条項がある。そしてボクは、君が何を最も恐れているかを理解しているつもりだ。……ボクの提示する解決策は、君の大切なお姫様を、これ以上傷つける方向のものではないからね」

 

「エミリアを……傷つけない?」

 

 スバルは、その言葉を聞いて、憑き物が落ちたように深く安堵の息を吐いた。

 よかった。もし、エミリアを合格させるまで地獄の試験に挑ませ続けろ、などという冷酷な答えが返ってきていたら、スバルはどうすべきかわからなかった。契約を破棄してでも彼女を守るか、心を鬼にして彼女を絶望の淵に突き落とすか。その究極の選択を迫られずに済んだだけでも、この契約には意味があった。

 

「だったら……どうやって結界を解くんだ? 現世のシステムに干渉できないなら、正攻法で試験をクリアするしかないんだろ? でも、エミリアたんには無理をさせないって……まさか、他の村人たちの中に適性がある奴を探すとか?」

 

「いや、そんな不確実な方法はとらないよ」

 

 エキドナは、まるで子供に謎解きの答えを教える直前のように、楽しげに目を細めた。

 そして、人差し指をピンと立て、それを真っ直ぐにスバルへと向けた。

 

「答えは至極単純だ。──ナツキ・スバル。君が、攻略してしまえばいい」

 

「……………………は?」

 

 スバルは、自分の耳を疑った。

 あまりにも突拍子もない提案に、思考が完全に停止する。

 俺が、攻略する? 墓所の試練を? 聖域の結界を解くために? 

 

「なんだと……? いやいやいや、ちょっと待て! ストップストップ!」

 

 スバルは慌てて両手を振り、前のめりになって反論した。

 

「俺にはその資格はないだろ! 試練を受けられるのは『ハーフ』……つまり、人間と亜人の混血であることが絶対条件なんだろ!? 俺はどう見たって、純度一〇〇パーセントの純血の地球人だぞ! 結界を通り抜けることはできても、墓所の奥で試練を受ける権利なんかないはずだ!」

 

 スバルのもっともな反論。

 しかし、それを聞いたエキドナは、「ふふっ」と可笑しそうに笑い、困ったように肩をすくめた。

 

「嫌だなぁ。ボクの愛しい契約者殿は、ひょっとして大事なことをお忘れのようだけど……この『聖域』という場所は、一体誰が造ったものだと思っているんだい?」

 

「誰って……そりゃ、オマエ……」

 

「そう。製作者である強欲の魔女、エキドナ自身が『このナツキ・スバルには試験を受ける資格がある』と、明確に宣言しているんだ。これほど絶対的で、確実な担保が他にあるかい?」

 

 エキドナは、自らの胸に手を当てて、誇り高く微笑んだ。

 その理屈は、あまりにも強引で、しかし同時に、反論の余地がないほどの説得力を持っていた。ルールを作ったゲームマスターが「このプレイヤーには特別に参加権を与える」と言っているのだ。システムの壁など、あってないようなものだろう。

 

「お、お前が認めるだけで、システムを書き換えられるのか……? さっき現世には干渉できないって言ったばかりじゃないか」

 

「現世のシステムそのものを書き換えることはできない。だから、君という『個』のステータスを書き換えたのさ」

 

 エキドナは、ティーカップの縁を指先でツーッと滑らせながら、種明かしを始めた。

 

「厳密に言うとね、あの墓所の試練を受ける資格というのは、『強欲の使徒』となること……つまり、ボクの魂の因子を分け与えられた存在であること、それが真の条件なのさ。混血の者たちが対象になっていたのは、単なる初期設定の副産物にすぎない」

 

「強欲の……使徒」

 

 スバルはその物々しい響きに、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「じゃあ、俺はどうやってその使徒とやらになればいいんだ? また何か、痛い儀式とか、ヤバい血判状とか書かされるのか?」

 

 身構えるスバルを見て、エキドナはますます笑みを深めた。

 彼女は、自身のティーカップを持ち上げ、スバルに向けて軽く乾杯の仕草をして見せる。

 

「儀式なら、もう済んでいるよ」

 

「……は?」

 

「そして君は、もうすでに、その『資格』を完全に得ている」

 

 スバルは、自分の前に置かれた、すでに半分ほど中身が減っているティーカップへとゆっくりと視線を落とした。

 琥珀色の液体。奇妙な甘さ。体内に染み渡るような、強烈な同化の感覚。

 まさか。

 

「先ほど、ボクが心づくしで出したお茶を、君は素直に口にしてくれただろう?」

 

 エキドナの声が、ひどく甘く、そして悪魔的に響く。

 

「あれはね、単なる『心優しいボクの心遣いのお茶』というだけの役割じゃない。ボクの体液であり、魂の抽出物であり……因子を君の体内に取り込まれることで、ボクとの精神的結びつきを物理的に高め、さらには『試練に挑む資格』を強制的に与えるための、特製の霊薬だったというわけさ」

 

「────ッ!!」

 

 スバルは、ガタッと大きな音を立てて椅子から立ち上がった。

 喉元を両手で押さえ、顔面を蒼白にして、口から何かを吐き出そうとするかのように咳き込む。

 

「オマエ、オマエエエッ! そういう重要なことは飲む前に言えよ! 俺、いま、オマエの体液を……魔女の体液を飲んだってことかよ!?」

 

「だから、愛しい君のために、ボク自身を抽出して淹れた特製のお茶だと言っているじゃないか」

 

 えずくスバルを尻目に、エキドナは一切の悪びれる様子を見せず、むしろ誇らしげに両手を腰に当てた。

 彼女の雪のように白い顔には、「どうだい、ボクの完璧な計画は」とでも言わんばかりの、あまりにも清々しく、腹立たしいほどの──ドヤ顔が浮かんでいた。

 

「むふーっ」

 

 鼻息を荒くして得意げにする魔女。

 その滑稽で、しかし底知れぬ狂気を孕んだ姿を前に、スバルは胃液の逆流を必死に堪えながら、これから始まる「最善のルート」という名の地獄が、決して一筋縄ではいかないことを、改めて魂の底から思い知らされていた。

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