リゼロif 少年と魔女   作:まんはんたん

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その5

「──オエェェッ、ゲホッ、ゴホッ……!」

 

 夢の城の緑の草原に、ナツキ・スバルの盛大なむせ返る声が響き渡る。

 魔女の体液(という名の怪しいお茶)を無自覚に飲み干してしまった事実に対する、魂からの拒絶反応。スバルはテーブルに突っ伏し、涙目になりながら何度も咳き込んでいた。

 しかし、物理的な肉体を持たないこの精神世界において、すでに体内に取り込まれてしまった「資格」を吐き出すことなど不可能だった。

 

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 ひとしきり咳き込み、ぜえぜえと荒い息を吐きながら、スバルはゆっくりと顔を上げる。

 目の前では、強欲の魔女エキドナが、全く悪びれる様子もなく、むしろ「サプライズ大成功」とでも言わんばかりの誇らしげな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 

「それで……?」

 

 スバルは恨みがましい視線を魔女に向けながら、擦れた声で話を本筋へと無理やり引き戻した。

 

「俺が『資格』とやらを持ちになったことは……百歩譲って、理解した。俺に試験をクリアさせるっていうオマエの方針にも、まあ、納得はいく。エミリアたんをこれ以上あの地獄の試練で傷つけずに済むなら、俺が身代わりになるのは望むところだ」

 

 スバルは乱れたジャージの襟元を直し、再び椅子に深く腰掛け直す。そして、表情から疲労の色を拭い去り、険しい勝負師の顔を作った。

 

「だが、仮にだ。俺がその墓所の試験を突破して、結界を解くフラグを立てたとしても……この『聖域』には、厄介な問題がいくつも残ってる。その中でも、まず最初の、そして最大の物理的な障害は──ガーフィールだ」

 

 ガーフィール・ティンゼル。

 金色の短髪に、鋭い三白眼、そして額の傷跡。凶悪な牙を剥き出しにして嗤う、この聖域の『盾』。

 その名前を口にしただけで、スバルの脳裏に、幾度となく味わわされた凄惨な死の記憶がフラッシュバックする。

 腹を蹴り破られる衝撃。岩盤ごと叩き潰される絶望的なまでの膂力。そして、巨大な虎の獣人へと変貌し、理不尽な暴力の権化となって襲いかかってくる恐怖。

 

「あいつは、結界の解除に強硬に反対している。それだけじゃない。時折だが……いきなり、狂ったように俺のことを目の敵にして、殺意を剥き出しにして襲いかかってくることがあるんだ」

 

 スバルは無意識に、かつてガーフィールに引き裂かれた自身の腹部に手を当てていた。

 

「原因は、俺から漂う『魔女の残り香』ってやつらしい。あいつは鼻が利くからな。俺が死に戻りを繰り返すたびに濃くなるその臭いを嗅ぎつけて、俺を魔女の手先だと断定してくる。試験を突破しようとする俺を、あいつが大人しく見過ごすわけがない」

 

 スバルの深刻な懸念に対し、エキドナは顎に手を当て、理知的な瞳で小さく頷いた。

 

「そうだね。ガーフィールを正面から敵に回すのは、ボクからも絶対にオススメしないよ。あの少年は、この聖域という限定的な盤面においてかなりの難敵。今の脆弱な君が、どれほど完璧な作戦を立てて力ずくで排除しようと何百回挑んだところで……文字通り、挽肉にされて殺されるのがオチさ」

 

 エキドナの言葉には一切の容赦がなかった。スバルの弱さを前提とした、冷徹極まりない事実の提示。しかし、嘘をつかないという契約がある以上、これが覆ることはない。

 

「でも、ナツキ・スバル」

 

 エキドナは不意に、スバルを指差して言葉を継いだ。

 

「君は一つ、大きな勘違いをしている。今後の戦略に関わることだから、今のうちに正しておくけれども……ガーフィール自体には、君の言う『魔女の残り香』を直接感じ取れるような能力は、備わっていないよ」

 

「……は? 備わっていない?」

 

 スバルは目を丸くした。

 ガーフィールは獣人だ。優れた嗅覚で、俺の放つ異常な臭いを嗅ぎ取っているのだと、これまでずっと疑っていなかった。

 

「だけど、実際あいつは俺の臭いを理由に敵対を……!」

 

「それはあくまでも、また『別の要因』によるものさ」

 

 エキドナはスバルの言葉を遮り、さらなる真実のピースを落とす。

 

「別に、彼自身の鼻が利くわけじゃない。この聖域の中に、直接その『瘴気』を感じ取れる者が他にいて、その人物がガーフィールに情報を流している……ただ、それだけのことだよ」

 

「な……!」

 

 スバルは息を呑んだ。

 ガーフィールの背後に、別の情報源がいる。俺の『死に戻り』に伴う臭いの変化を、正確に観測し、ガーフィールをけしかけている黒幕のような存在が、この聖域に潜んでいるというのか。

 その事実の重さにスバルが戦慄していると、エキドナはティーカップを手に取りながら、まるで学者が講義をするような淡々としたトーンで補足を加えた。

 

「それに、『残り香』というのは情緒があって言い得て妙だが、ボクたち魔女から言わせれば、正確に表現するならばそれは『瘴気』だ。ただの臭いじゃない。世界そのものを歪め、精神を汚染する、極めて濃密な呪いの残滓さ」

 

 エキドナは琥珀色の液体を一口含み、スバルをじっと見つめる。

 

「ちなみに、幾度となく死に戻りを繰り返し、そのおぞましい瘴気を魂の芯まで纏えている特異体質の君だからこそ……こうして、本物の魔女であるボクを目の前にしても、平然としていられるんだよ」

 

「ん? どういう意味だ?」

 

 スバルは眉をひそめた。話の着地点が見えない。

 

「文字通りの意味さ」

 

 エキドナは事もなげに言った。

 

「普通の人間が、何の耐性もなくボクたち『魔女』を直接目にすれば……こんな風に、白いパラソルの下で優雅に楽しいお茶会なんて、絶対に出来っこないんだよ。ボクの存在そのものが発する圧倒的な情報の奔流と瘴気に当てられて、一瞬で泡を吹いて倒れるか、発狂して自らの目を掻き毟るか、あるいは恐怖のあまり脳の血管が破裂して正気を失うか。とまぁ、死に様はさまざまだけどね」

 

 風が、スッと冷たくなった気がした。

 エキドナのその言葉には、一切の誇張が含まれていなかった。

 嘘をつかない契約。つまり、彼女は本当に、ただそこに存在しているだけで周囲の人間を狂死させるほどの「歩く厄災」なのだ。

 スバルは改めて、目の前で優雅にお茶を飲んでいる、白く、美しく、可憐な少女の姿をした「化け物」の底知れなさに背筋を凍らせた。

 

 己の魂が、すでに人間側の領域から、魔女側の領域へと半分足を踏み入れている事実。

 スバルは不思議そうな、しかしどこかひどく重苦しい眼差しで、エキドナの顔をじっと見つめた。

 漆黒のドレスに包まれた華奢な体。透き通るような白い肌。彼女の存在の恐ろしさと、見た目の可憐さのギャップに、脳がバグを起こしそうになる。

 

 しばらくの間、夢の城に無言の視線が交差する静寂が落ちた。

 すると。

 

「……そう。その視線だ」

 

 不意に、エキドナが熱を帯びた、ひどく艶めかしい声を漏らした。

 彼女はティーカップをテーブルに置き、自身の白い頬に両手を添えて、うっとりと目を細めた。

 

「その、ボクをじっくりと、ねっとりと、頭のてっぺんから足の先まで……まるで薄皮を一枚一枚剥ぎ取るように、いや、すでにボクの喪服の下の『裸』を見透かしているかのように舐め回すような、その猛禽類のような熱い視線で見つめている今も」

 

「…………は?」

 

 スバルの思考が、唐突なジャンルの急旋回についていけず、見事に停止した。

 先ほどまでの、呪いと瘴気と死の恐怖に満ちたダークファンタジーの雰囲気はどこへ行ったのか。

 

「きっと、君のその獣のような瞳に映るボクは……」

 

 エキドナは自身の両腕で自らの体を抱きしめるように身をよじり、うわ言のように陶酔した言葉を紡ぎ出し始めた。

 

「優雅で、美しく、可憐で、お淑やかで、麗しく! この世の物とは思えないほどに信じられないほどにあらまほしく! 君のその雄としての抗いがたい獣欲をこれでもかと掻き立てられ、盛りのついた若い獣の如く、今にもこの邪魔なテーブルを蹴り飛ばし、ボクのこの無防備な柔肌へと理性を飛ばして飛び掛かるのを、奥歯を噛み砕くほど必死に自制しなければならない……そんな、庇護欲をそそる純情な乙女にしか見えていないのだろう!?」

 

「…………」

 

「あぁ、なんという罪深い魅力! なんという残酷な試練! ボクの存在そのものが、君の理性を焼き切る拷問になっているとは! だが許してほしい、ボクにはこの溢れ出る美しさを隠す術がないのだから!」

 

 一人で悦に入り、一人で身悶えし、自身の美貌とスバルの(存在しない)情欲を長々と、そして異常なまでの語彙力で描写し続ける強欲の魔女。

 そのあまりにも完璧な「自意識過剰」と「妄想癖」のフルコンボを前に、スバルの顔からスゥッとすべての表情が抜け落ちた。

 

「いや」

 

 スバルは、絶対零度の冷ややかな声で、容赦なくその妄想を一刀両断した。

 

「一度たりとも、そんな風には見たことはないが」

 

「ッ!」

 

 ピシャリと放たれた全否定の言葉に、エキドナの動きがピタリと止まった。

 彼女は信じられないものを見るような目でスバルを見つめ返し……やがて、大きく、それはもうこれ以上ないほどわざとらしい、大袈裟なため息をついた。

 

「全く……素直になれない契約者さまだなぁ」

 

「は?」

 

「やれやれ、これだから反抗期の男の子は困る」と言わんばかりに、エキドナは悲しげに首を横に振った。

 

「ボクもね、君がそういうお年頃なのは痛いほどわかるよ。強欲の魔女であるボクに骨抜きにされている自分を認めるのが、男のプライドとして恥ずかしいのだろう? だがね、スバル。どうか思い出してほしい」

 

 エキドナは立ち上がり、テーブル越しにスバルの方へと身を乗り出した。

 彼女の顔が近づき、純白の髪がスバルの目の前で揺れる。その瞳は、まるで過去の甘い記憶を慈しむかのように、ひどく優しげに潤んでいた。

 

「あの日のことだよ」

 

「……あの日?」

 

「そう。ボクらが初めての情事を終え、互いの汗ばんだ素肌を晒したまま、シーツの海に沈むベッドで二人仲良く微睡んでいた時に……君が、ボクの耳元で甘く告白してくれたじゃないか」

 

「────ッ!?」

 

 スバルの心臓が、別の意味で跳ね上がった。

 何を言っているんだこの魔女は。情事? ベッド? シーツの海? 出会ってからお茶を飲んで契約を交わすまでの、この数十分の間のどこに、そんな大人なイベントを挟む余地があったというのか。

 

 だが、エキドナの「捏造された記憶」の朗読は止まらない。

 

「ボクの目を情熱的に見つめ、熱い手を取り合い……『愛してるよ、エキドナ。オマエのすべては俺のものだ。だから、一生を俺と共に過ごしてくれ』と。そう言って、ボクの唇に永遠を誓う熱いキスをしてくれた……あの、純朴で、愛に溢れたナツキ・スバルは、一体どこへいってしまったんだい!?」

 

 エキドナは両手で顔を覆い、まるで薄情な恋人に捨てられた悲劇のヒロインのように、ウソ泣きの声を上げ始めた。

 

「そ、そんな……! いくら周りに人がいないからって、照れ隠しにもほどがあるよ、スバル! あんなに、あんなに何度も激しく愛し合ったのに! ボクの体には、まだ閨事での君の熱が残っているというのに!」

 

 限界だった。

 スバルの頭の中で、何かがブチッと音を立てて千切れた。

 

「ふ・ざ・け・ん・なぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 夢の城の空気をビリビリと震わせる、渾身の大絶叫。

 スバルは勢いよく立ち上がり、椅子を後ろに蹴り飛ばしながら、テーブル越しの悲劇のヒロインに向かって指を突きつけた。

 

「どこの世界線の話をしてんだよ!! 誰がお前とシーツの海に沈んだ!? 俺とお前の間にあったのは、血で血を洗うようなドス黒い契約の腹の探り合いだけだろうが!!」

 

 スバルは真っ赤な顔でゼェゼェと息を荒げながら、さらに言葉の連射を叩き込む。

 

「大体な! 『情事』だの『閨事(ねやごと)』だのってなんだよ! 四百年前のババア丸出しの古臭い単語使ってんじゃねえよ! もうちょっと現代のライトノベルを読んで出直してこい!!」

 

「バッ……ババア!? 四百年前のババア!?」

 

「そうだババア!! お前のその無駄に高い知能と四百年の叡智は、俺への極上のセクハラ妄想を生成するためだけに存在してんのか!? さっきの『嘘をつかない契約』はどうした! 今の妄想、完全に嘘八百だろうが!!」

 

「う、嘘じゃないもん! これはボクの脳内で確固たるリアリティを持ってシミュレーションされた、近い未来の『最善のルート』の確実な予測だもん!」

 

「それを世間では妄想って言うんだよ! 頼むから真面目に聖域の攻略のハナシをしてくれぇぇ!!」

 

 静寂と狂気が支配するはずの「夢の城」は、今や完全に、ポンコツ魔女と苦労人少年の、やかましい漫才の舞台へと成り下がっていた。

 先行きは、ただひたすらに、絶望的に多難であった。

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