リゼロif 少年と魔女 作:まんはんたん
引き続き、ヒロイン不在会その2
部屋に充満する、むせ返るような薬草の饐えた匂いと、濃厚な血の香り。そこにナツキ・スバルが吐き出す紫煙が混ざり合い、ひどく淀んだ、息苦しいほどの空気を作り出していた。
ロズワール・L・メイザースは、全身の包帯から赤黒い血を滲ませながらも、歓喜に身をよじり、腹の底から湧き上がる狂笑を響かせている。
「ただ一つの望みのために全てを捨てる怪物になった」。目の前の少年をついに自分と同類の領域へと引き摺り下ろしたと確信し、その完成を祝福する魔導士の姿は、ひどく滑稽で、同時に悍ましかった。
スバルは、咥えていたパイプをゆっくりと口から離し、灰色の煙を天井に向けて細く長く吐き出した。
その双眸には、発狂したように笑い転げるロズワールに対する同情も、かつての怒りや嫌悪すらも浮かんでいない。あるのはただ、ひどく冷めきった、絶対零度の静けさだけ。
「──悪いが、ロズワール」
狂笑の空間を切り裂くように、低く、しかし確かな重量を持ったスバルの声が響いた。
「俺が、お前と『同じ』になったかについては……俺自身は、ひどく懐疑的だ」
ピタリ、と。
ロズワールの喉から迸っていた笑い声が、不自然に途切れた。
シーツを掻き毟っていた手が止まり、オッドアイの瞳が、面白そうな、しかしどこか底知れないものを探るような色を帯びてスバルに向けられる。
「ほ──ぅ……?」
ロズワールは、痛む首を傾げた。
「私が、見誤ったとでも言うのかい? 君は先ほど、己の命を狙う腸狩りという危険な殺し屋でさえも、利用価値があれば手駒として使うと言い切った。私怨を殺し、感情や倫理を切り捨て、盤面の駒として他者の命を天秤にかける。それはまごうことなき、たった一つの目的を達成するために全てを捨てる覚悟を持った者の……」
「だから、そこが違うと言っているんだ」
スバルはパイプを灰皿代わりの小皿にカチンと置き、ゆっくりと身を乗り出した。
その瞬間、スバルの纏う空気が、劇的に一変した。
虚無的だった瞳の奥底に、どす黒く、しかし太陽のように熱く燃え盛る、異常なほどの『執着』の炎が宿ったのだ。
それは、エキドナとの契約の場──あの夢の城で、強欲の魔女の因子をその身に取り込んだことで、彼の中で決定的に変質し、異様に肥大化してしまった感情。
「最近おかしな試験を受けさせられたせいでな、ロズワール。俺はひどく……そう、ひどく『強欲』になっちまったんだよ」
「……強欲?」
ロズワールが怪訝そうに片方の眉を跳ね上げた。
「あぁ。たった一つのために、他の全てを切り捨てる? そんな、みみっちい真似じゃ満足できなくなったのさ」
ククッ、と。
スバルの喉の奥から、乾いた笑い声が漏れた。
それは、かつての人間らしいナツキ・スバルの口から出るとは到底思えない、ひどく歪で、悪魔のような響きを持った笑いだった。幾万の死線を越え、魔女の魂に触れた精神が奏でる、狂気の不協和音。
「俺は、もっと『強欲』にいかせてもらうぜ。俺は……俺の大切だと思う全てを、一つ残らずこの手で掴み取ってやる」
スバルは、握りしめた右拳を、ロズワールの目の前に突きつけた。
「エミリアを王選で勝たせる。彼女の笑顔を守る。それは当然だ。だが、それだけじゃ終わらない。眠りこけたままの世界から忘れ去られたレムも、あの禁書庫に引きこもって死を待ち望んでる意地っ張りのベアトリスも、お前のところで無駄働きしてるラムも、まだ幼いペトラも、フレデリカも……俺の視界に入った、俺が救いたいと望んだやつらは、誰一人欠けることなく、全て救って見せる」
「────ッ」
ロズワールは息を呑み、言葉を失った。
信じられないものを見るような目で、ベッドの上からスバルの顔を凝視する。
「誰一人、死なせはしない。誰一人、不幸にはさせない。誰一人、切り捨てて盤面の外に放り出したりはしない。全ての命を拾い上げ、全ての結末を俺の望む最高のハッピーエンドにねじ曲げる。それが、俺の選んだ『強欲』な選択だ」
スバルは、突き出した拳をゆっくりと開き、そして、虚空にある巨大な何かを無理やり鷲掴みにするかのように、指を力強く曲げた。
「しかし、拍子抜けだぜ? ロズワール」
スバルは、見下すような、冷徹な視線を魔導士に浴びせかけた。
「たった一つだけのために、他の全てを無価値だと切り捨てる? たかが、その程度の、妥協にまみれた貧弱な覚悟で、俺と並んだ気になってたのか?」
「……ッ」
「たった一つの目的に縋りつくしかできないお前は、俺から見りゃ、ひどく臆病で、貧相で、空っぽな人間にしか見えねえよ。ロズワール……お前こそ、圧倒的に『強欲』が足りてないんじゃねえか?」
静寂が、部屋を重く支配した。
ただ、ロズワールの傷口から滴る血が、ポタ、ポタとシーツに落ちる微かな音だけが、耳障りに響く。
ロズワールの脳内で、凄まじい嵐が吹き荒れていた。
望むもの全てを叶えたい、だと?
少年が最も大切にしているハーフエルフの少女だけでなく、その記憶すら失われ、世界から存在を消されたメイドの少女レム。さらには屋敷の者たち、己が大切だと感じた者全てを、死と絶望の運命から掴み上げるというのか。
なんという、身の程知らずの強欲か。
なんという、傲慢で、理不尽で、世界の理から完全に逸脱した欲望か。
一人の、力なき、ただの脆弱な少年に過ぎない存在が、世界を形作る運命の糸を全て自分の都合の良いように編み直すと言い放っているのだ。
神の領域への冒涜。悪魔すらも呆れるほどの、底なしの強欲。
「一つを成すために他を捨てる」のは、残酷ではあるが、ある意味で人間として限界を見極めた理にかなった行動だ。個人のリソースには絶対的な限界があるのだから。
しかし、目の前の少年は「限界などない。不可能などない。全て俺が背負い、全てを叶える」と、本気で豪語している。
「あぁ……あははっ……!」
ロズワールは、再び笑い始めた。
だが、先ほどの笑いとは全く質が違う。腹の底からこみ上げてくる、純粋な驚嘆と、底知れぬ恐怖、そして……それらを遥かに凌駕する、魂が震えるような歓喜の笑いだった。
「ふふふ……ふふふふふふふふふっ!!」
この少年は、狂っている。
ただの人間が望むには、あまりにも過ぎた、重すぎる未来を欲しているのだ。
その魂のあり様は、すでに人間の規格を完全に逸脱している。本人がそれに自覚があるかどうかなど、もはやさしたる問題でもない。
自身のみならず大切な者を殺しに襲いかかってくる最凶の殺し屋さえも、憎悪を押し殺し、全てを救うための「手駒」として利用し尽くす。
清濁を併せ呑むどころではない。毒も、呪いも、殺意も、魔女の瘴気すらも飲み込んで、自らの強欲を満たすための血肉に変えようという、その異常なまでの強かさ。
(これだ……これこそが……!!)
ロズワールの背筋を、強烈な電撃のような快感が駆け抜けた。
これからの熾烈な王選を勝ち抜き、自身の悲願である、途方もない目的を達成するためには、普通の狂気を持った人間ではダメなのだ。
必要なのは、常識を破壊し、運命を捻じ曲げ、全てを飲み込んで強引に未来へ進む、真の『怪物』。
「ふふふ……フフぅ……! 構わないとも。ナツキ・スバル」
ロズワールは、血濡れた手で自らの顔を覆いながら、歓喜の涙を流した。
「君が、私の想像を遥かに超える、おぞましくも美しい『怪物』となることを……止めるほど、私は狭量ではないよ」
ベッドに横たわるロズワールの姿は、傷つき、惨めなはずなのに、どこか宗教的なまでの狂信に満ちていた。
彼は、自分が導こうとしていた枠組みすら破壊して成長する、本物の怪物の誕生に立ち会えたことを、心の底から喜んでいるのだ。
「そうとも。この時を……私が、幾星霜待ったことか。あぁ……ナツキ・スバル。やはり君は、素晴らしい。私の見立ては、間違っていなかった……!!」
ロズワールの狂気に満ちた称賛の言葉が、部屋の中に反響する。
血と狂気と、果てしない強欲が交差するこの密室で、二人の異常な関係性は、全く新しい、そして極めて危険な次元へと突入していた。
その熱狂的な魔導士の姿を見下ろしながら。
スバルは、表情を一切崩すことなく、再びパイプを手にした。
そして、無造作に火を点け、紫煙を燻らせながら、感情の乗らない声で静かに言い放った。
「そうかよ。そいつは、結構なことだ」
スバルは再びパイプを手に取り、慣れた手つきで火を点けた。
濃密な紫煙が、歓喜に震えるロズワールの顔を覆い隠すように、ゆらゆらと立ち昇る。
「なら……」
スバルは、紫煙の向こう側から、悪魔のような冷ややかな声で言い放った。
「せいぜい、お前の価値を、俺に見せてくれよ?」
もはや、引き返す道はない。
ナツキ・スバルは、全てを救うという身の程知らずの強欲を満たすため、自ら進んで地獄の釜の蓋を開け、悪魔たちすらも手駒として従える茨の道を、確かな足取りで歩み始めていた。
お気づきかもしれませんが今作はあくまでも短編です。
いつゴールしてもいいよね…?という作者の弱腰が見て取れますね。
高評価をいただき、ありがとうございました。
リゼロ4期も放送中だし、カサネルルートかエキドナルートを他の作者さまが書いてくれんかなぁ。
求む高評価と感想というガソリンのモチベ