リゼロif 少年と魔女 作:まんはんたん
これは、あの血みどろの契約からしばらく先の未来。
幾多の絶望を捻じ伏せ、盤面の全てを「強欲」に呑み込んだナツキ・スバルが辿り着いた、とある結末の延長線上での一幕。
「──しかし、醜悪だな」
いつもの「夢の城」。
どこまでも続く緑の草原を、現実の血生臭さなど一切感じさせない爽やかな風が吹き抜けていく。真っ白なテーブルの上には、見慣れた白磁のティーカップと、色とりどりのお茶菓子。
もう何度目かも定かではない、強欲の魔女と、その唯一の契約者とのお茶会。
その優雅な静寂を切り裂くように、エキドナは手元の紅茶を見つめたまま、心底からの嫌悪を込めてそう吐き捨てた。
彼女の視線の先──物理的な空間を越えた現実世界で、ナツキ・スバルにしがみついている銀髪のハーフエルフ、エミリアへの率直な感想だった。
聖域の解放。
その絶対条件であった「墓所の試練」を、スバルは彼女の代わりに全て引き受け、強引に突破した。
過去、現在、未来。己のトラウマと向き合うという過酷な儀式から「保護」されたエミリアは、結界が解かれた後も、心に深い空洞を抱えたままだった。
パックという精神的支柱を失い、試練という自立の機会をスバルに奪われた彼女は、今やスバルに対して重度の依存を見せている。
自らの足で歩くことを恐れ、決断を委ね、スバルの言葉だけを世界の真理として盲信する。かつて王選を志した気高さは失われ、そこにあるのは、思考を完全に放棄し、ただスバルという存在に寄生するだけの、精巧で美しいガラス人形の気配だった。
「知識を求め、考え、選択すること。それこそが知的生命体の尊さだというのに。自らその権利を放棄し、他者に己の存在意義を丸投げする……あぁ、ボクの視点では、反吐が出るほど醜悪極まりない生き方だよ」
エキドナは、本当に吐き気を催したかのように、不快げに眉をひそめた。
その言葉に対し、テーブルの向かい側に座るナツキ・スバルは、感情の読めない冷めた瞳で魔女を見据え、鼻で笑った。
「……あんなタチの悪い、人の心をゴリゴリ削るような悪趣味な試練を設置した『出題者』が言うセリフとは思えねえな」
スバルはティーカップを持ち上げ、琥珀色の液体を一口喉に流し込む。
「それに、あの試練をエミリアから取り上げ、俺に突破しろ、とそそのかしたのは、他でもないオマエだろ、エキドナ」
「まぁ、それはその通りなのだけれどね」
エキドナは悪びれる様子もなく、肩をすくめた。
「君という稀代の観測者に盤面を預けるため、彼女を試練から除外するよう誘導したのはボクだ。だが……まさか、王選候補者ともあろう者が、あれほどまで見事に自我を崩壊させ、君という宿主なしでは呼吸もできないような幼児に退行してしまうとは。流石のボクのシミュレーションでも、あそこまでの『極端な劣化』は考えなかったとも」
「劣化じゃねえ。あれはあれで、俺だけを頼ってくれる可愛いエミリアだ。俺が背負って、俺が全部やるんだ。何の問題もない」
スバルは淡々と、しかし狂気を孕んだ論理で言い切る。
「……君が、君の大切なお姫様をどのような形であれ愛おしく思うのは結構だ。だが、ボクには到底理解できないね。あれではただの肉の塊、意思を持たない傀儡にすぎない」
「ふん」
スバルはカップをソーサーに置き、口角を歪めて意地悪く笑った。
「なんだ? そんなにチクチク刺して。ひょっとしてオマエ、ベタ甘なエミリアたんの可愛さに『嫉妬』してんのか?」
からかうようなスバルの言葉。
しかし、それを聞いたエキドナの顔から、スッと表情が抜け落ちた。
周囲を吹き抜けていた爽やかな風が、一瞬にして冷たく重いものへと変貌する。
「……知っているだろうけど」
エキドナの黒い瞳が、深淵のような暗い光を帯びてスバルを射抜いた。
「『嫉妬』は、ボクの担当ではないよ。ボクは強欲の魔女だ。あんな、世界を滅ぼすしか能のない狂女の感情と、ボクの高尚な探求心を一緒にしないでくれたまえ」
スバルは肩をすくめる。「冗談だよ、冗談。オマエがそんな人間くさい感情を持ってるなんて、これっぽっちも思っちゃいねえよ」
「……まぁ、いい」
エキドナは小さく息を吐き、再びいつもの余裕のある微笑みを取り戻した。
「いつの世も、ああいう思考を放棄した『か弱い女の子』に、男という生き物は弱いものなんだね。守ってあげたい、自分がいなければダメなんだと、そう思わされることに優越感を抱く。時代を超えてなお、オスの本能は変わらないということなのかな」
エキドナはテーブルに頬杖をつき、長い睫毛を揺らして、ひどく艶めかしい視線をスバルへと送った。
「ふーむ。それじゃあ、ボクも彼女の真似をして、そうしてみようか?」
「は?」
「ボクも知識を捨て、考えることをやめ、『スバルがいなきゃ生きていけないの』と涙ぐんで君の袖を握りしめれば……君も、ボクに対してあのような甘い『庇護欲』を出してくれるかい? 寝ても覚めてもボクのことだけを考えて、甘やかしてくれるかい?」
わざとらしく上目遣いで、か弱い乙女を演じる魔女。
そのあまりにも似合わない、そして魂の在り方から完全に逸脱した三文芝居に、スバルは呆れたように大きなため息をついた。
「オマエなぁ……夢の中でも寝言が言えるなんて、知らなかったぜ」
「ひどい言い草だね。ボクの渾身のアピールだったのに」
「四百年の叡智を誇る強欲の化身が、今さら思考を放棄してか弱いヒロインぶるとか、ホラー以外の何物でもねえよ。オマエはオマエのままで、俺の隣で底意地悪く最善のルートを計算してりゃいいんだ」
スバルの身も蓋もないツッコミに、エキドナは「ふふっ」と喉の奥で笑い声を立てた。
「うーん、そうだね。やはりやめておくよ」
エキドナは姿勢を正し、先ほどまでのふざけた空気を完全に拭い去った。
その表情には、魔女としての絶対的な矜持と、そして、スバルという狂気じみた存在に対する、異常なまでの『執着』と『敬意』が浮かんでいた。
「だって、君の背中に隠れて『守られるだけ』のボクじゃ……君を助けてあげられないからね」
「……」
「それじゃあ、一体何のための契約なのかわからなくなる。ボクは君をナビゲートし、最善に導く存在だ。君が自らの強欲を満たすために地獄を行くと言うのなら、共にその泥濘を踏破する」
エキドナはスバルに向かって、白く細い手をスッと差し出した。
「君の足が絶望で止まりそうになった時は、ボクがそっと手を握って歩き出し、行く先を照らそう。時に影となり寄り添い支え、時に道を指し示す日向となるのが、ボクの役目だ」
彼女の言葉は、熱を帯びていく。
それは、盲目的に守られることを選んだエミリアとは対極にある、完全なる『共犯者』としての宣言だった。
「君がどんな思いで、自身の魂をすり減らしているか。幾度となく死を繰り返し、血反吐を吐き、屍山血河を築きあげてまで、望む未来を手にするために……どれほどの狂気と地獄を歩んでいるか」
エキドナの瞳に、スバルの背負う無数の死と犠牲の記憶が反射する。
「その凄惨な過程にさえ気づかず、ただ安全な場所でニコニコと笑って、君が血まみれになって完成させた『解答用紙』をもらうだけなんて……そんな退屈で醜悪な生き方、ボクはまっぴらだよ」
エキドナは差し出した手を強く握り込み、誇り高く微笑んだ。
「君が差し出した手をボクは取ったんだ。この強欲の魔女の手を握って歩き出した君に、『ああ、やっぱり別の道を選べばよかった』なんて後悔されたら……それこそ、魔女の名折れだからね」
スバルは、そのエキドナの言葉を黙って聞いていた。
そして、フッと自嘲気味に笑う。
「……違いない。俺が選んだのは……地獄の底まで付き合ってくる、最悪の魔女との道中だ。今さら後悔なんてする暇はねえよ」
スバルはティーカップの最後の一滴を飲み干すと、乱暴にテーブルに置いた。
「そろそろ現実に戻る。やるべきことが山積みなんだ。……次の一手、また計算しておけよ、エキドナ」
「あぁ、任せておきたまえ。君の望む血塗られた最善を、完璧に用意しておこう」
スバルが目を閉じ、その意識が現実世界へと浮上していく。
彼の姿がノイズにまみれて薄れ、やがて完全に夢の城から消失した。
風が吹き抜ける。
再び静寂が戻った草原。
テーブルには、一人残されたエキドナと、主を失って冷めゆくティーカップだけがある。
エキドナは、スバルが座っていた空席の椅子へとゆっくりと視線を向けた。
彼女の顔から、先ほどまで浮かべていた「頼れる共犯者」としての余裕の笑みが、少しずつ、少しずつ、別のものへと変質していく。
「……嫉妬? 嫉妬、だって?」
誰もいない空間に、魔女の呟きが溶けていく。
彼女は自身の薄い唇に指を当て、思い出し笑いをするように、クククッと肩を震わせた。
「ふふふっ……ふはははっ! あぁ、ナツキ・スバル。君はいつもながらに、予想外の言葉でボクを楽しませてくれるな」
エキドナは立ち上がり、スバルの座っていた空席の背もたれを、愛おしげに両手で撫でた。
「あの思考を持たない人形に、ボクが嫉妬する要素がどこにあるというのだろうね? 彼女は君の『結果』しか知らない。君の『過程』を知らない。君がどのような無様な声で泣き叫び、腸を撒き散らし、絶望の涙を流しながら死んでいったか……その最も美しく、最も尊い姿を知っているのは、世界でボクただ一人だ」
エキドナの瞳孔が開き、暗い、底なしの情念が渦を巻く。
「彼女は君の光しか見ないが、ボクは君の闇のすべてを共有している。彼女は君が死ねば泣くだけだが、ボクは君が死ねば共に学び、次の生へと歩を進める」
エキドナは空席の椅子に頬をすり寄せ、陶酔しきった甘い声を絞り出した。
「嫉妬など、あり得ないよ。ナツキ・スバル。だって……ボクたち二人は、すでに魂の最も深い部分で接続されている。君の脳髄にボクの知識が根を張り、ボクの記録庫に君の死が刻まれ続けているのだから」
風が、強欲の魔女の純白の髪を大きく揺らす。
「あぁ、愛しいボクの契約者殿。君は気づいていないかもしれないが……」
エキドナは、夢の城の空を見上げ、狂おしいほどの独占欲に満ちた笑みを深めた。
「ワタシたち二人を──『死』でさえ分かつことは、もう出来ないのにね」
狂気と強欲が織りなす永遠の檻の中で。
魔女は一人、至上の喜悦に浸りながら、愛しい少年の次の「死」を待ちわびていた。
想定外に色がついたので更新。高評価くれた皆様ありがとうございます。