Fate/Knight of King   作:やかんEX

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10 nōmen

 

 ────夢を見る。

 

 

 そいつの始まりは、とにかく真っ白に染められたものだった。

 

 何が真っ白だったかっていうと、

 目を覚ました病室の静謐な白さと

 そいつにとってのはじめての光の白い眩しさ。

 そしてなにより、そいつ自身がまだ生まれたばかりの赤ん坊のような、真っ白な感覚を抱いていた。

 それは比喩ではなく、わりと真実に近い。

 

 そいつ────当時の俺は、その部屋に眠っている他の子供達と同様、大火災の犠牲者だった。

 十年前に起きた冬木の町の大火災。

 とにかくそれはひどい火事で、生き残りなんて殆どいやしなかったそれの、だけど生き残って命を拾った少数の一人が俺だった。

 

 そう、命は助かった。

 

 けれど、他の部分は黒こげになって、持っていた物はみんな燃え尽きてしまっていた。

 みんなってのは両親とか、友達とか、家とか、小さな子供だったそいつにとっての、とにかく全てのモノだ。

 だから体以外はゼロになった。

 要約すれば簡単な話。

 つまり、体を生き延びらせた代償に、

 心の方が、死んだのだ。

 

 だから空っぽになった俺は、なんとなく窓から青い空を見上げていた。

 ただぼんやりと、綺麗だなぁなんて思っていたのだろう。

 そうして数日間の間、ただ病床の上で無為に過ごしていたらしい。

 

 

 ────で、そのあと。

 

 

 子供心にこれからどうなるのかな、なんて不安に思っていた時に、その男はひょっこりやってきた。

 しわくちゃの背広にボサボサの頭。

 脇に抱えられていた荷物は纏まっていなくて、今にも腕から落とっこしそうに見えた。

 

『こんにちは。君が士郎くんだね』

 

 白い日射しに溶け込むような笑顔。

 それはたまらなく胡散臭くて、とんでもなく優しい声だった。

 

『率直に聞くけど、孤児院に預けられるのと、始めて会ったおじさんに引き取られるの、君はどっちがいいかな』

 

 そいつは自分を引き取ってもいい、と言う。

 親戚なのかと聞いてみれば、紛れもなく赤の他人だよ、なんて返答した。

 ……それは、とにかくうだつの上がらない、頼りなさそうなヤツだった。

 けど孤児院とそいつ、どっちも知らないコトに変わりはない。それなら、とそいつのところに行こうと決めて────そうして、俺はそいつ──衛宮切嗣の養子となった。

 

 思い出しても不思議に思うけど、信じられないくらいトントン拍子のコトだった。 

 見ず知らずの子供を引き取った親父も親父だけれど、あんなに胡散臭かった親父に着いていくと即決した俺も俺だ。

 ややこしい手続きは気づいたら終わっていたし、俺はその日の内に新たな家に引っ越していた。

 あまりにもあっという間の出来事だったから、正直言って、病室でのやり取りやその後の事なんてほとんど覚えていない。

 

 

 だけど、新しい家の敷居を初めて跨いだ時、振り返った切嗣に言ってもらった言葉は覚えている。

 

 

 やっとの事で運んだ荷物をドサッと落とし、徐にこちらを振り向いて親父は言った。

 その顔は本当に楽しげで、幼い子供がイタズラを企んでる時のような表情だった。

 

 

 ……ああ、今になっても忘れられない。

 それを聞いた幼い俺が、ものすごく嬉しくて何度も何度も繰り返した事を。

 そしてそれが、たまらなく誇らしかった事も。

 

 

 ────それは、何もかも失った少年にとって、はじめて得た大切なものだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ッ」

 

 パリンッ、と投影した剣の罅割れた音が鳴り、意識を戻す。

 刃に添わせていた手の甲に破片の切っ先が突き立ち、じわりとした痺れを感じさせた。目を這わせた先にはぱっくりと断線上に裂けた自分の皮膚がある。

 それをゆっくり視認した俺は、痛いな、と、どこか他人事の様にして考えた。

 

「今日は終わりにしよう、少年」

 背からそんな呼びかけが聞こえた。

「……えっ、いや、大丈夫。悪い、ちょっと失敗した。もう一度最初からやり直すよ」

 少し間をおいて徐にその言葉が染み込み、首を振りもう一度胡座を組みなおそうとする。

「────終わりにしよう、と言ったのだよ。

 今の君は集中を欠いている。そんな精神状態で得るものなど有りはしない。

 どれ、傷口を見せてみなさい」

 しかし老魔術師は俺の応答を無視し、座っている俺の前にしゃがみ込んだ。

 俺は反射的に何か言い返そうとしてしまったけれど、言われていることに何も反論出来る所がなくて、口を噤んだ。

 皺がられた手で腕を取られるのを見て、空いた手で頭を掻きながらそっぽを向く。

 

 マーリンの言った通り、今日の俺はどうにも集中力が足りていない。

 何時もより深く眠って朝寝坊したと思ったら、その割に体は動かないのだ。

 マーリンとの魔術鍛錬も二日振りだっていうのにこのザマだ。失敗してもその度にやり直させてもらったけど、流石に三回も失敗すれば自分でも呆れがくる。

 

 そうやって思い返して息を吐いた所で、手を取った魔術師の動きが無いことに気づいた。

 

「……マーリン?」

「……」

「む、おーい」

「────ああ、どうしたんだい?」

「…………どうしたって、それはこっちのセリフだろ────って、あれ」

 ぼんやりしていた老人の気付けをしている途中、つい先程できたばかりの傷跡が塞がっているのに気づく。

 血も止まっているし、手を動かしても痛くもなんともない。

「うわ、もう治してくれたのか。ありがたいけど相変わらずデタラメだよな、お前……」

「……」

「マーリン?」

「……ふむ、なんでもないよ。それはさておき、君、昨日一日何をしていたんだい?」

「うっ」

 痛いところを突かれて怯んだ声をあげてしまった。

 言い訳をするなら決してサボっていた訳では無いんだけど、それでも目の前でやれやれなんてわざわざ口にされれば、こっちからは何も言えない。

 肩身を狭くなった俺をじっくり楽しんだ老人は、笑みを浮かべて口を開いた。

 

「まぁ、そういう日もあるさ。────ああ、そういえば、王から伝言を預かっていてね」

「アーサー王から?」

 意外な名前が突然出た。

「今晩君に話したい事があるらしい。時間になるとベディヴィエール卿が迎えに行くから、準備しておくといいよ」

「そっか、ありがとう。……でも、なんの用だろう? マーリンは知ってるのか?」

「まぁ、行けばわかるさ」

「……む」

 相変わらず煙に巻いたようにして誤魔化される。

 反駁しても無駄だとわかっているから、湧いた疑問は飲み込んで────不意に、違う問いが頭に浮かんだ。

「そういえば、マーリンってアーサー王と一緒にいて長いんだよな?」

「ふむ? そうだね。まぁ、王の事は生まれる前から識っていたから、そう言ってもいいんじゃないかな?」

「? えっと、そうだよな……じゃあ聞きたいんだけど、アーサー王ってどんな人なんだ?」

 老魔術師の表現は少し違和感のあるものだったけれど、今は聞きたい事を優先した。

 その俺の質問にマーリンは体をこちらに向き直し、ゆっくりと視線を動かした後、じっとして俺を眺めた。

「どう、とは?」

「ええと、漠然としてたな……う〜ん。たとえば優しいだとか怖いだとか、そんな感じのコトだけど」

 興味本意の問いだったから、少し答えに窮した。

「今日会うのにあんまりアーサー王のコトを知らないないし、マーリンがどう思っているのかなんとなく気になったから」

 理由付けするとそんな所だろう。

 そう言ってから、次は相手の番だと黙って老人を伺う。

 

 

「────さあ」

 しかし、肝心のマーリンはというと、トボけたように仰々しく肩を竦めるだけにとどまった。

 

 

「さあ、って」

「まぁまぁ。それよりもそんな事を訊く君の方が気になるな、私は」

「え?」

「君はそんな事を気にするような人間ではない気がしていたんだよ。

 ……まぁ、おおよそ想像はつくか。どうせ、今日ずっと君の様子が変だった事が関係しているのだろう」

「……」

 良いように有耶無耶にされそうになっているんだけど、老人の指摘はなんとなく自分でも納得できるものだった。

「……マーリンは何でもわかっちまうんだな」

「君が分かりやすいだけだとも思うけどね。ただ、まあ、考える事が重要だよ。

 全ての物事には意味がある。私はそれを識っているし、君より多くの物事を見てきたというだけだろうさ」

「……」

「今晩王と会うのだろう? 会って話して、そうして、自分で考えれば良い」

 

 驚いた。

 いつも人を食った物言いをする奴が珍しくマトモなことを言うものだから、正直面食らったのだ。

 だけど驚いたのも一瞬。

 言っていることは正論だ。すぐに気を取り直して腕を組みマーリンの言葉を咀嚼したあと、頷いて視線をしっかりと返した。

 

「ああ、そうだな、そうするよ。マーリン、ありがとうな」

「なに、いいさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから暫く。

 俺は、自室に戻ろうと帰路に着いている最中だった。

 

 マーリンから去り際に、疲れているなら寝ていれば良い、なんてコトを言われたけれどそれは嫌だったし、頭に紗が掛かったような気分を体を動かして誤魔化したかった。

 だから、昨日話していたようにまた身の回りで出来る事をしたいと思ってあの騎士兼執事長だという男を探しに行ったのだけれど。アイツ、俺の顔を見て話を聞くなり「そんな腑抜面では邪魔だ。話にならん」とか言って追い返しやがった。

 

 で、それはもうトンデモなく鼻もちなく気分はささくれだったのだけど、

 マーリンにもついさっき同じ事を指摘されたばかりだったし、自分でも自覚していたコトだったから、仕様がないと自省して部屋に戻ることにしたのだ。

 

「はぁ」

 

 考える。なんでこんなに意識が定まっていないのか。

 それは単純に、目の前の事じゃなくて他の事を考えてしまっているというコトなんだろう。

 そして、明らかにその起点だったのは昨日あの老婆から話を聞いた時で、そうなってくると自分が無駄に考えてしまっているのは、あの少女の事なんだろう。

 

 ……いけない。また考えようとしてしまっている。

 

 何度も繰り返した事じゃないか。

 別に俺がそんな事を考えたところで、何ができるでもない。自分こそこの城の人々にお世話になっている身だし、同じような立場の彼女を気にしたってそんな俺に何ができるというんだろうか。

 同じ思考に陥っていると気づいた俺は、まずは自分の事を満足にできるようにならないと、なんて再度息を吐いて、ようやくたどり着いた自室に入ったところで──

 

 

「────あ」

 

 ────その部屋には、今まさに考えていた件の白い少女が居た。

 

 

 少女が物音に気づき、ちらりと視線をこちらに向ける。

 

「……」

「えっ、と……」

 突然の事に咄嗟に言葉が出てこなかったけれど、無理矢理に話題を絞りだす。

「掃除、してくれてるのか?」

「……うん。けど、まだ終わっていないから、今から」

 それに答えた少女は、すぐに元の作業に戻っていってしまった。

「……あー」

「……」

 その沈黙になんだか耐えきれなくて暫く視線を彷徨わせていたんだけれど、俺は気づけば──

 

「あ、よかったら、手伝わせてくれないか?」

 

 ────なんてコトを口にしていた。

 

「……?」

「えっと、実は俺、今まで掃除って自分でやってきたんだ。だから、人にやってもうらうのが申し訳なくて」

「? これはわたしの仕事。あなたが気にする必要はないと思う」

「あ、いや、なんというか……」

 口籠る。完璧に少女の言い分は正しくて、返答に困った。

「……」

 黙々と作業をする少女を眺める。

 その手つきは滑らかで、慣れた様子を感じさせた。

「えっと。上手いんだな、掃除」

「……やっているうちに覚えた」

「そうか……」

 って、そうじゃないだろう。

 別に仕事だとかそうだとか、そんなのは関係ない。

「────手伝いたいんだ。だから、一緒にやらせてくれないかな?」

 もうどうとでもなれだ。変な躊躇いは振り切った。

「……わかった」

「よし。まずは掃き掃除をしてるんだよな。じゃあ俺が物を動かすから、掃いてくれるか?」

「うん」

 少女の答えに頷いて寝台を持ち上げ、その間に大雑把に払ってもらった。

 そうしてさっと床の汚れを掃き取った次に、少女は手に雑巾代わりの布を持って壁面の掃除をし始める。持ってきた麻布で、石壁の隙間の埃を拭き取るのだという。

「あ、しまったな。だったら先にそっちをして、後で床を掃除すればよかった」

「? なぜ?」

「だって、そこの掃除をしているうちにどうしても埃が床に落ちちゃうだろう?掃除の基本は上から下に、だ。だから今回はともかく、次からはそうするといいぞ。

 ────あ、そうだ。そこの隙間を掃除するなら」

 ちょっと待っててくれと伝え、外に出て中庭に向かう。

 さっと辺りを見渡して丁度いい塩梅の枝を何本か拾い、部屋に持ち帰った。

 少女の持つ布を貸してもらい、枝の先端に覆い被さる様に余った小枝で巻きつけて固定する。その際、折れない様に強化の魔術をちょこっと使ったのは内緒だ。

 

「これを使ってみてくれ」

 一連の様子を不思議そうに見ていた彼女に、急ごしらえの小道具を渡す。

「……?」

「その隙間、全部掃除するのは大変だろ? 手が小さくて小回りがきくからって角の方を拭き取るのは難しいだろうし、それだったら綺麗にできると思うんだけど」

「……」

 少女は無言のままだったけれど、言った通りに作業に移る。

 

「…………!」

 ふき取った後の棒の先端を見て、心なしかいつもより目を見開き、綺麗な翡翠の瞳がよく見えた気がした。

 

「うまくいくだろ? 部屋に置いておくから、これからも使ってくれ」

「……」

 

 少女が無言で頷き掃除に戻るのを見て、俺も反対側の壁の掃除を始める。

 その間少女は相変わらず静かだし、俺も別に無駄話をする方でもないから二人して黙々と作業に没頭した。

 壁の掃除が終わったら寝台の整頓、それが終わったらまた別の掃除……と、時折掃除のアドバイスなんかを少女にしながら時間が過ぎていった。

 そうして、少女が花瓶の水を入れ替えてきたのを受け取り、サイドテーブルの上に戻した後、

 

「よし、終わったか?」

「……うん、終わった」

 

 最後にそんな遣り取りをして、部屋の清掃を終えた。

 

 うん。ぐるっと部屋を見渡してみても、なかなか文句の付け所がないくらいよく片付いている。世間話なんてものはなかったけど、なんとなく少女との間に連帯感みたいなものが生まれた気がした。

 

 

「──夕食、持ってくる」

 

 不意に少女が言った。

 気づけば扉の外からは夕暮れの日差しが差し込み、ちょうどいい時間帯になっていた。

 そして口数の少ない彼女がわざわざ口にしてくれたって事は、俺に言ってくれたって事なんだろう。だから俺はその言葉に頷きを返そうとして────そういえば、と、ひらめいた。

 

「ちょっと待ってくれ。パン、よかったら一緒に食わないか?」

「……?」

「一昨日廊下で会った時、持ってきてくれた食べ物と交換しただろう。あれと同じのがまだあるんだけど、一緒に食べないか?」

 横に置いてあった袋からパンを一個抜き取り、少女の方へ差し出した。

 

「……」

 

 少女はまた口を閉ざしたまま、まじまじと俺を眺めた。

 ……もしかすると、よく見れば表情が変わってないだけで、変なやつだと警戒されているのかもしれない。

 そんな嫌な予感が胸に過ぎりながらも、パンを持ち下ろさないままどうしようかなんて考えていると、

 一瞬。

 ぴくっ、と少女の視線が小さく動いた気がした。

 

「……」

「……」

 それを見た俺がさし伸ばした腕をさらに突き出していくと、少女の瞳もゆっくりとそれに従い下がっていき、パンがその胸の前に届くくらいで────その小さい顔が、コクリと頷いた。

 

「──よかった。じゃあ、これ」

 よっ、とそのままパンを少女に手渡し、椅子代わりにと寝台を指差した。

「……ありがとう」

 少女はそれを両手で受け取り、言われるがままにベッドの隅に座った。

 その動きを追った俺も自分の分を取り出して、少女から身体一人分開けて横に腰掛ける。

 

 そうして二人して食事を始めて、ふと、「おいしいか?」なんて聞こうと横を向いて────言葉を止めて思わず顔を緩めてしまった。それもしょうがないだろう。だって横にいる少女は俺の視線なんか気にもとめず、二つの瞳をパンに固定し、一心不乱に小さな口でもきゅもきゅと頬張っていたのだ。

 

 俺はその様子をみて、よかったのだと思う。

 安心したのだ。

 それは、リサからもらったパンが美味しそうに食べられていることもそうだけど、それだけじゃない。

 昨日の老婆はこの少女を『無感情で不気味だ』なんて言っていたが、それは違うと確信できたから。

 この少女の心は死んでなんかいない。

 そしてそうであるなら、きっと話は簡単。

 心が死んでいないのなら、空っぽになった所に付け足していけばいいだけなんだから。

 

 なんだか気分が良くなった俺は、彼女に倣ってパンをちぎって口に運んだ。

 うん、おいしい。

 

「……」

「……」

 

 そうして静かだけど、どこか和やかな時間が流れていった。

 食事を終えた頃にどこか物足りなそうな顔をしていて、「……もう一個いるか?」なんておかわりを差し出すと、心なしか顔を綻ばせて少女は頷いた。

 そんな彼女を眺めながら、今日抱えていたもやもやも全く気にしなくなっていた俺は──

 

 

「────あ」

 

 

 ふと、とあるコトを聞いていなかったのに気がついた。

 

 

「そういえば、名前聞いてなかったな。

 俺は衛宮士郎っていうんだ。君の名前、よければ教えてもらってもいいか?」

 

 その質問は、和やかな雰囲気そのままの流れの、本当に軽い気持ちからの物だった。

 もちろん少女の方も、最後のパン一欠片に名残惜しそうにしながらも、別に俺の質問には気負わずして短く答えた。

 

 

「……ない」

「ん? あ、ごめんな。よく聞こえなかった。もう一度いってもらっていいか?」

 

 

 

 だから、この和やかな雰囲気が、何気ない様なその返答で崩れるなんて、俺は考えもしなかったのだ。

 

 

 

「…………名前はない」

「────え」

 

 

 

 だってそれは、本当に気負いのない、まるで挨拶するかのように告げられた言葉だった。

 

 

 

 

「────それは……どう、いう」

「知らない。王さまに拾われる前のことなんて覚えていない」

「────」

 思わず返す言葉を失う俺。

 少女はそんな俺を暫く見ていたけれど、何も反応しない事に興味をなくして視線を逸らし、ついで軽く一言零した。

「……それに別に、名前なんて必要ない」

「なっ、そんなッ────名前がいらないなんて、そんなコトないだろう……?」

「……」

 

 少女は黙ったままだ。

 けれど、それは痛い沈黙ではない。彼女は別に俺の言葉に傷ついているだとか怒っている訳じゃない様に見える。

 むしろそうだったらよかった。だってそうなら彼女は気付いているからだ。

 ……だけど、実際は違う。

 ただただ彼女は心底不思議げに、なんで俺がこんなに取り乱しているのか判らなくて、じっと黙して佇んでいるのだろう。

 

「────っ」

 

 その様子を見た俺は、荒くれた気持ちをその子に間違ってぶつけないよう必死に目を逸らした。

 さっきまでの和やかな気持ちはすっ飛んでいた。どうしても、許容できなかったのだ。

 だってそれは────

 

 

「シロウ殿、お迎えにあがりました」

 

 その時、部屋の外からドア越しに声が掛かった。

 この声はベディヴィエールだろう。

 ささくれたった意識でそう考えて、ふと、マーリンが昼言っていたコトを思い出す。

 この騎士はきっと俺を呼びに来てくれたのだろう。そして向かうのは──

 

「────ごめん」

「……?」

「な、シロウ殿────?」

 

 そこまで順に思い立ったところで、身体は少女の手首を掴んで走り出していた。

 扉の前に待機していたベディヴィエールも、半ば突き飛ばす様にして飛び出していた。

 後ろで戸惑った様に声を上げる騎士に心で詫びながら、頭はさっきの少女の言葉でいっぱいになっていた。

 

 

『名前なんて必要ない』

 

 

 本当にそう思っているのだろう。

 その言葉には、哀愁も執着も、何の意思も介していないで、ただ彼女は、本当にそれが当たり前だと、そうして受け止めているのだろう。

 

 

 

 ────きた

 

 

 俺は、胸の底からぐつぐつと湧き出る感情を、抑えこむ事に精一杯だった。だけど、抑えても抑えても暴れそうになるそれを、踏み出す力に変えて押し出した。

 どこか戸惑ったように俺に手を引かれている少女も、後ろから慌てて呼びかけながら追いかけて来るベディヴィエールも、今だけは相手をせずに、俺は只々足を前に動かした。

 

 

 

 ────頭にきた

 

 

 

 横に居る彼女に対してじゃない。

 だって、それがどういう意味か、たぶん彼女は解っていない。

 友達も家族も、家も記憶も、全てを失くしたであろうこの子には、きっと、凡そ自分に関する全てが瑣細な事なのだろう。

 そして、俺はそんなこの子の事を十分過ぎる程に理解できる。

 

 

 

 ────心底、頭にきた

 

 

 

 だけど、なら、誰かがちゃんと教えてやらなくちゃ駄目じゃないか。

 誰もが当たり前の様に持っていて、誰もが当たり前の様に誇るべきもの。
そいつがそいつで在るために、たぶん一番大切なもの。

 それを何も知らないうちに失くしてしまったこの子に、その大切さを知らないで生きていかせるなんて、絶対にあってはならない。

 だから、この子に何も教えてあげてない周りのヤツに、俺はどうしようもなく腹が立っている

 

 

 だって、俺は知っている────

 

 

 

 

 

 

 

『それじゃあ、今日から君の名前は────』

 

 

 

 

 

 

 ────それが、一体どれだけ掛け替えの無いものなのか。

 

 

 

 

 

 

 そのまま目的の扉まで走って来た俺は、立ちふさがっている門番達に部屋に入らせるように頼んだ。

 どうやら話は伝わっていたようで、俺達に続いてやってくるベディヴィエールをちらりと見た後、彼らは一つ頷いて扉を開けてくれた。

 そして、ゴン、と防木が外れて扉が開いた音に弾かれて、俺は再び少女の腕を引っ張って中へと進んだ。

 

 

 奥には二つの人影があった。

 その影の一つであるサー・ケイが玉座に座るアーサー王に話しかけていたが、こちらの気配に気づいて振り向いた。

 

「ああ、来てくれましたか────」

 

 呼びかけの途中、王が俺に引っ張られている少女を視界に入れて言葉を止める。

 俺はその様子を気にせずまっすぐ歩いた。

 そして玉座前の段差の手前まで来ると立ち止まりひとつ息を吸い──王の方にさっと顔を向け、口を開いた。

 

「────突然すみません。だけど、話したい事があります」

「…………ええ、よろしいでしょう。ベディヴィエール卿よ、控えていなさい」

 後ろから俺を諌めようとした騎士を王が止めた。

 もう一人の騎士はというと特に俺を警戒するでもなく、ただ静かに王の側に控えていた。

 少し疑問に思ったが、別に邪魔にならないならいい。思考の隅から切り捨てた。

 

「ありがとうございます。じゃあ────この子の事を、知っていますか?」

 少女の背に手を添える。軽く力を加えると、少女は無言のまま少しだけ前に進んだ。

「……」

「今、この子は俺の色んな世話をしてくれています。

 そしてこの子はアーサー王、あなたに保護をされていると聞きました」

「……ええ、以前の戦にて保護した者ですね。ここにいるケイ卿から、貴方の身の回りの雑事を任せているとも聞き及んでいます」

「……じゃあ、この子が……自分の名前を持っていないのも、知っていたんですか……?」

 何事もなく答える王を見て、声が震えた。

 否定して欲しくて、継いで出た言葉が掠れた。

「────ええ、知っていました」

「────ッ」

 だけどただ平然と吐き出された王のその言葉に、途端、思考が飛ぶように血が一瞬で沸騰した。

 

「だったら、なんでッ……!!!」

 

 気づけば、叩きつけるような疑問が口から溢れ出していた。

 一旦間を置いてその拙さに気づいて口を噤み──けれど、制御の利かなくなった口はその理性を振り切って、静かに言葉を繋いでいた。

 

 

「……名前がないなんて、あっちゃいけない。名前がなくなったら、そいつはそいつじゃなくなっちまうじゃないか。

 俺は自分の名前を大切に思ってるし、それを失くしちまうなんて事は絶対に考えられない。

 名前は人から貰う、一番最初の大切なものなんだ。そこには込められた想いや繋がりがあって、それは誰もが大切に抱いて生きて、そして受け継いでいくものだろう? だから俺だって、自分のもらった名前に恥じないよう、自分なりに精一杯生きてこれたんだ……。

 ────名前っていうのは、だから、絶対にみんな持っておかなくちゃいけないもので──」

 

 名前とは尊いものだ。

 それがあるから、人は自分として生きていける。

 それがあるから、人は受け継いだ大事な想いを背負って生きていける。

 

「────そんなの、あんたらだって知ってる筈だろうッ……!!!!」

 

 目の前にいる人達は、後世に語り継がれていく存在だ。

 俺でも知ってる程有名な彼らの名は、時代を超えて尚眩しい。

 それは、彼らが騎士として自らの名を誇りを持って名乗り挙げたからで、彼らが為したことを輝かしい英雄譚として語った人達がいるからなのだ。

 だから俺は、そんな凄い人たちが、たった一人の少女のコトを考えて上げられていないという事実が、どうしようもなく腹立たしかった。

 

 

「この子が名前の大切さを知らないって言うなら、なんでそれを教えてあげないんだ!! この子が名前を持ってないって言うなら、なんでそれを与えてあげないんだよっ!!!! どうして────」

「シロウ殿、それ以上はなりません……! 王よ、申し訳ありませんでした……!!」

 

 

 俺の言動を見咎めたベディヴィエールに頭を勢いよく押さえつけられる。

 急なそれに頭は大きく揺れて気持ち悪かったが、自分でも行き過ぎた行為だというコトは判っていたし、彼の立場上仕方ない事だと判っていたから抵抗はしなかった。

 それどころかむしろ、一緒に頭を下げてくれている彼に申し訳なくさえ感じていた。

 

 

 

 けれど、だからって、これは納得できるコトじゃない。

 

 

 

 俺は無機質な地面を視界に入れながら、痛いくらいに強く拳を握りしめた。

 突き立てた爪に、手の平から流々と赤い血が流れる。朝つけてしまった傷が開いてしまったのかもしれない。それは止め処なく流れていって、激情によって巡った余計な血の分も全部流してしまうほどだった。

 ────けど、それでも、いつまでたっても、俺は胸の奥からふつふつ湧いてくる感情を止める事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうする、王よ。

 ソイツは礼儀を弁えてないだけでなく、貴方に暴言すら吐いてしまっている。

 控えめに見ても、なんらかの罰を与えるべきだと考えるが」

 

 ────唐突にその静寂を破るようにして、王の近衞騎士が横から口を挟んだ。

 

 

「……そうだな、ケイ卿。貴方は正しい」

 

 王がそれに言葉を返す。相変わらず、ひたすら冷淡な声の調子だった。

 

 

 

 

 

 俺はそのひどく機械的な物言いに、先ほどの主張が全く目前の人達には響いていないのだと思った。 

 血が上っている頭が、更にかっと燃えるのを感じる。

 自分の顔が真っ赤になってくのが判るほどの怒りに、俺は反射的に顔を上げ、きっとその相手を睨みつけようとして────

 

 

 

 

 

 

「──────」

 

 

 

 

 

 ────その目に映った光景に、思わず言葉を失った。

 

 

 

 

 

 

「────貴方には罰として、一つだけ私の命令に従ってもらおう」

 そんな惚けている俺を無視して、王は厳かに告げた。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ……え?」

「ベディヴィエール」

「ハッ」

「今日話していた件についてだが、やはり彼には貴公と共に行ってもらう。

 明日の明朝の円卓会議には、彼を貴公の従者として伴い参加せよ」

「王、それは……いえ、承知致しました」

 判然としない頭で、その主従の遣り取りを一呼吸遅れて認識する。

「なっ、ちょっと待ってくれ!! こっちは何がなんだか──」

「────エミヤよ」

 戸惑う俺に、王が短い調子で呼びかける。

「貴方には罰として命令に強制で従ってもらうが、これには報酬もしかと与える。

 そしてその報酬の一つとして、その少女を貴方の専属の使用人としよう」

「なっ、いや俺が言いたいのはそんなことじゃ……」

「そうして、無事に命を果たした後で、その幼子に合う名前を付けてやるといい」

「────え」

 呆然と言葉を漏らした俺を尻目に、王は凛然としてその場に佇んでいる。

 言うべき事を終えたのか、じっと黙してこちらに落ち着いたその瞳を向けていた。

 

 

 

 

 

「さて、ベディヴィエール卿。明日の会議の前にその男への説明は頼んだぞ。

 本日決定した事柄も含め、せいぜいぼろ(・・)が出ない程度に差配してやるがいい」

 

 ────静観を決めていた騎士が、不意に横から口を挟んだ。

 それを聞き受けたベディヴィエールが二人に向かって静かに礼をした後、少女の手を掴んだままの俺を後ろに促す。

 何がなんだか判らなかった俺は、無意識に彼に従う様にしてゆっくり歩き出した。

 

 なんでこの時黙って続いたのかは、理性的にはわからない。

 だって、俺からしたらこの三人が何を話しているのか、俺は一体どうしたらいいのか、てんでわからないままだった。本当なら先ほどのの勢いのままここで食い下がって、納得の行くまで詳しく話をしてほしいくらいだ。

 

 

 けれど

 

 

 つい先刻の光景を思い出す。

 

 一瞬の事だったから、それは本当は単なる見間違いかもしれない。

 だって、会って間もない俺からしたって、その人は今までいつだって厳かで冷静に見えて、どんな事にだってどんな状況でだって的確な指示を下しちゃうんだろうな、なんてコトを真剣に考えてしまうほどに完璧に見えた。

 だから、その見間違いをしてしまった俺は、先ほどまで抱いていた激しい憤りも忘れて、為されるがままになってしまったのだ。

 

 

 扉を抜けて部屋より出る直前、ふと、後ろを振り返った。

 視線の先では、近衞騎士とアーサー王が静かに話し合っている。

 先ほどの事なんてなかったかのように、それは部屋に入る前と全く同じ光景だった。

 

 ……ああ。思い返すと、しょうがないと思ってしまう。

 だってあの何時だって悠然としているような王は、あの時────

 

 

 

 ────ひどく優しげに、微笑っているように見えたから

 

 

 

 

 

 

 

 




プロローグは何度も見直しましたが、士郎は名前をとても大事にしているんだなぁと感じました。彼に至る際、名前ではなく名字を残したことにも思い入れがあったのかなとか思ったり。

さて、次話からは本格的にストーリーを動かせていけたらと思います。実は前話にてこれからのストーリー上の矛盾になるように書いてしまったのですが、ひっそりと修正しました。目立たないところなので、気づかれないようでしたらスルーしておいてください笑


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