ひどく不気味な予感がした。
目の前の、どこまでも暗く奥まで見すかす事のできない森は、今から足を踏み入れようとしている自身の肌身をどうしようもなくざわめかせる。これはきっと、この場に居る全員が共有している感覚なのだろう。それを証明するかの様に馬たちさえもどこか怯えた様に身を潜め、けして森の中へ歩み出そうとはしなかった。
「行きましょうか」
「……ああ」
だが、ここで立ち止まる訳にはいけない。
俺たちは彼らを森の前で待機させておく事にし、ここから先は徒歩で向かうことにした。
そして、騎士が口にしたのは凍った身体を動かすための合図。
それにありがたく応え、鬱蒼と生い茂る草むらに一歩足を踏み入れた俺は
そのまま、呆然と立ち尽くした。
────何かが変わったのだ。今の一歩で。
外と中。一体何が異なるのかは分からないが、その境界でナニカが決定的に違っている。
森の内側。そこは奇怪な異界に踏み入れたかのような寒気を感じさせて、辺りに満ちる薄い空気に含まれた何かを、俺は無意識のうちにようようと吸い込んでいた。
不自然に穏やかなそれは、本能すら麻痺させて甘ったるく身体の中で広がって、舐めるように全身の器官を覆ってくるその気配に吐き気を催した俺は──
「────シロウッ!」
「え……? あ、ええ!?」
不意に耳元で叫ばれた声に意識を戻し、気づいた時には身体を跳ねさせて飛び引いていた。
判然としない頭で目を遣ると、不思議そうにこちらを覗き込んでくるヤツがそこに居る。
「あ、どうしたんだ、ガン?」
「どうしたんだ、じゃねえよ本当! お前がどうしたんだよ、急にぼけっとしてさ?」
「えっと、そうだっけ?」
「……あのなぁ」
うっ。なんか最近慣れ親しんだ呆れの間が。
そいつのじとっとした目線に抗議しようとして、だけど言葉が思い浮かばず口ごもる俺。
そんなコントを繰り出す俺たちに、先へと進んだ白騎士が振り返って言った。
「ガン、シロウ。何をしているのですか。今はそのような事をしている場合ではないでしょう」
「うっ、すみませんガウェイン様」
「……悪い、ガウェイン」
「まったく」
「ふふ。ガウェイン卿、まずはあの者達が言ったように奥へと進んでみましょう」
助け舟を出してくれるベディヴィエールと、その言葉に渋々ながらも表情を切り替え頷く白騎士。
俺とガンは揃って恩人に感謝の目礼をし、それに苦笑して歩み出した騎士の背に続くことにした。
◇
そうして暫く。
深い草花が変に密集している間を、奥へ奥へと進んでいる俺たち。
最初は陽気なガンが話題を回しつつ何気ない話をしていたのだが、先の見えない道程に、いつしか誰も喋らずただ黙々と進むようになっていた。
森は静かだった。
自分たちが草枝を掻き分ける以外は音の一つもない静寂に、木々の隙間から少量の陽光が降りている。
外は良く晴れていたのに、森の中は暗く、墨を流し込んだような闇が辺りを包んでいた。
……やはりこの森は薄気味悪い。
歩きつつ、そんな事を改めて考える。
これだけ深い森だ。あの老人が言う通りきっと色んな動物が生息している筈なのに、俺たちはこれまで自分たち以外の声を一つとして聞いていなかった。
そして相も変わらず、どこかチリチリとした嫌な感覚がこべりつくように背中に付いて離れない。
「────着いたようですね」
そんな時、一番前を進んでいたガウェインが言った。
それに意識を戻して前を見据えると、いつの間にか先ほどまでの闇が晴れ、辺りには他の動物たちの息遣いが戻っていたのだった。
そう。
「……まじか」
呆然自失、といった風にガンが声を漏らした。
その気持ちは理解できる。俺だってこの身で体験するまでは、まさか本当に『気づかない内に振り出しに戻る』なんてコトが起こるとは思わなかったのだ。
「……老人が言っていた事は真実らしいですね」
「ええ。私達は此処に辿り着くまで確かに直進し続けていた。にも関わらず、ということは……ベディヴィエール、貴方は以前の戦でこの森を経験している筈。道中の地形に見覚えはありましたか?」
「……そうですね。進み始めた途中までの道は、私自身調べをつけた記憶のあるものです。しかし、しばらく歩いて以降の道に関しては、全く覚えがありませんでした」
「なるほど。とすれば、この森はある一定の位置から奥へと進めない様になっていると推定するべきでしょうか。そしてこの現象は十中八九、マーリン翁が知覚した魔術行使に関するものでしょう」
円卓の騎士二人の話が聞こえる。
確かに誰がどう見ても、これは魔術による『神秘』によって引き起こされているものだろう。とすれば、俺たちの目的から省みるに、この森の現象を突き止める事が今取るべき行動だとも言えるのかもしれない。
「シロウ殿、魔術師の貴方からして何か分かる事はありませんか?」
白騎士との会話を終えたベディヴィエールが、俺に振り返って尋ねてくる。
……魔術師、としてか。
正直、へっぽこ魔術師である俺にそんな事を求められても荷が重いのだけど、そんな俺にも一つだけ気になる事があった。
「────そういや、森に入ってから何かヘンな違和感を感じないか?」
「……違和感? なんだそりゃ?」
俺の言葉に、歩き疲れて座り込んでいたガンが首を傾げて応えた。
「なんていうかな。この森の空気はなんだか……ひどく歪んでいる気がするんだ。さっきだってなんだか奥に歩いて行くほど──いや、正確にはこの場所に辿り着く間際に、かな。とにかく、その辺りで一段と不気味な感じがしたんだけど……皆はどうだ?」
俺の問いかけに騎士達は各々考え込むように顔を伏せ、やがて、最も早く思案を止めた白騎士が俺に向かって結論を返した。
「いえ、おそらくその感覚を得たのはシロウのみでしょう。我々騎士は良くも悪くもそういう感覚に疎い傾向があります。貴方には魔術師故に感じられた事があるのかもしれない」
「……そうなのかな」
「ええ、きっと。シロウ、次は貴方が先導して奥へ進んでみませんか? できればその感覚に従うように進んでみて頂きたい」
「……わかった」
一つ頷きを返し、ガウェインの申し出を受ける事にした。
横に居るガンとベディヴィエールも賛同してくれてるみたいだし、俺自身、ずっと気になっているこの違和感の根源を確かめたかったのだ。
俺たちは再び、目の前の深い森へと足を踏み入れていった。
◇
再度森に足を踏み入れた俺たち。
今回は白騎士の提案通り俺が感じる違和感を手繰る様に進んできたのだが、その数十分後。
いつの間にか俺たちは、妙に視界の開けた、遮る物のない光の下へと辿り着いていたのだった。
「────これは」
誰かが何度目かになる驚愕の声を漏らした。
……無理もない。その発言は、間違いなく目の前の光景が原因だろう。
先程まで犇めいていた木々がなくなり、広がるのは背の低い草花の地面。
唐突に開けたこの場所は、直径一キロくらいの円形に広がった草原の広場となっている。
そしてその中央に一本だけ、されど充分な存在感を放つ大木が聳え立っていた。
俺たち四人は自然と顔を見合わせて頷き合い、明らかにこの場で最も異様な存在であるその樹木の下へと歩み寄った。
「これは樫……いや、楢の樹か?」
「…………でっけぇなぁ」
俺がその種類なんかを推測している横で、ガンが感嘆しながらその大木を見上げている。
コイツの言う通り、この樹はざっと見ても四十メートルの高さを湛え、横に広く伸びた樹枝は陽光を緩やかに遮って屹立とそこに在った。……確かに立派な樹だ。だが今はそんな外面よりも、もっと注意を払うべきことがある。
「…………なんて、馬鹿魔力」
そう。目の前の巨木から発せられるのは、今までこの森で感じていた違和感なんて目じゃない位の、途方もなく強大な魔力だ。その様相は、いっそ外気に満ちるマナを次々掻き集めてなお追いつかない程の膨大さ。まず間違いなく、この森で起こっている現象はこの樹を根源として為されているのだろう。
「────醜悪な気配ですね」
不意に、横で樹の表面をさすっていたベディヴィエールが、眉根を寄せてポツリと呟いた。俺がその発言に視線を向けると、騎士は変わらず難しい表情のままに自身の言葉を継いだ。
「シロウ殿の言う強大な魔力とは、恐らくこの樹の生命力を代償として生み出されている物ではないでしょうか。……ひどい有様です。もうこの樹は死に体同然の状態にまで枯れ尽くされている。それも、作為的に。……元来、この種の樹は多種多様な生き物達の糧ともなる筈であるのに、その影も既にありません。恐らくもう保たない状態の樹の形を、何らかの方法で無理矢理に永らえさせられているのです」
「……」
珍しく憤りの表情を成した騎士は、ぎり、と、きつく歯を噛み締めて不快を露にしていた。
彼の解説に俺も頭上を見上げて大きく広がる樹木を眺める。……よく見れば、幹に近い葉ほど灰色に枯れている。確かにそう遠からず、この樹の最期が来るのだろう。
「シロウ殿、この樹に掛かった魔術を調べていただけませんか? できるだけ早く、この子の役目を終わらせてあげたい」
「…………ああ、やってみる」
真剣な表情で頼んでくる騎士に、俺は強く頷きを返した。
正直言って自信はない。けれど俺だってベディヴィエールの気持ちはよく分かるのだ。それに、俺は自分のできるだけの事をすると決めてある。迷いはなかった。
「────
樹の表面に手をつき、いつも通りの呪文を唱えた。
ゆっくりと樹の中へと自身の魔力を通し、解析し尽くすためにそれを隅々まで行き渡らせていく。
まずは外殻を覆った後、樹皮、形成層、白太、赤身、そして樹芯へと至り────起点を見つけ出した。
「くっ!」
バチッと奔った衝撃に腕を引く。流し込んでいた魔力もその場で遮断した。
────幹の中心に刻まれた呪刻。
それを読み取ろうとした俺を待っていたのは、しっぺ返しに用意された拒絶反応。一瞬のことだったからか。俺が今の解析魔術を通して読み取れたのはほんの僅か、その呪刻の
「まいった……これ、俺の手には負えないぞ」
それはどこかで見たことのあるような形で、だけど聞いたこともない方法で刻まれた物だった。
技量が全く足りてない俺には、これがいったい何の呪刻なのか判別できない。とにかく解るのは、これが何らかの結界魔術に用いられてることと、桁違いの技術で括られていることだけだった。
「どんな感じなんだ?」
そんな困った様子の俺に、ガンが軽い感じで尋ねてきた。
「ああ。樹の中心にこの森を包む魔術の起点となる刻印があったんだけど、俺にはそれの解き方も、その刻印が何を示してるのかも解らないんだ」
「へぇ……あ、じゃあその刻印、地面に書き写してみればどうだ? それなら俺たちもなんか力になれるかもしれないし」
いい考えだろ?、なんて視線で尋ねてくるそいつに、俺は軽くため息を吐いて承諾を返した。
まぁ、確かにダメ元でも試してみるべきだろう。ガンに言われた通り、木の中心に敷かれた呪印を木の棒で書き写してみる。幸い、魔術自体と比較して印の造形は非常にシンプルなもの。絵心のない俺でも苦もなくトレースする事が出来るだろう。
……うん、案外うまく出来たんじゃないか。特に曲線の渦なんて、等間隔に綺麗に描けていい感じだ。
「────Triskèle」
「え?」
そんな時不意に紡がれた言葉に、俺は刻印から視線を外して顔を上げた。
すると、俺を挟んで真向かいで地面に描かれた刻印を眺めていた白騎士が、ふと身を屈め、その籠手に包まれた指を印へと滑らせて、独りごちるように呟いているところだった。
「────これはトリスケルという、古来より私たちケルトの民に伝わる神聖な刻印です。
この中央より三方向へと広がる形はケルトにおける聖なる数字を暗示しており、実際に主の教えが伝搬されてきた際も、この印は土着の信仰と迎合するように教典へと取り込まれ、三位一体の概念を内包する様にもなりました。故に、この刻印は私達にとって非常に馴染み深いものなのですが……しかし、まさかこの様な形で用いられることがあろうとは」
朗々と語るガウェイン。
俺は白騎士のその深い見識に驚きながらも先程気になった疑問をふと思い出し、ついでとばかりに騎士に問い掛けることにした。
「でも、俺の国でもこんな感じの印は見たことがある気がするぞ?」
詳しい形は異なるが、家紋なんかで使われている三つ巴とかいう印。
そんな物を思い浮かべながら返事を待つ俺に、ガウェインは視線を刻印から俺へと移し、軽く頷いて答えた。
「ええ、それはきっと正しい。古来よりこの印は様々な国で使われてきたと聞き及んでいます。そも、このトリスケルという言葉もローマ帝国におけるこの刻印の呼称。たとえシロウの国で類似の形が用いられているとしても、不思議ではないかと」
「……へぇ」
そいつの幅広い知識に、またもや本当に感心してしまう俺だった。
一方、白騎士は視線を刻印へと再度戻し、何か深く思案するように顎に手をあてて言った。
「……しかし、この呪刻に使われている形は少々古い型。これはおそらく教典が伝わるよりも昔の時代の……このブリテン島土着の、ドルイド僧達が代々伝えてきた古いケルト信仰に見られる形です」
「…………それって、結構まずいのか?」
「────ええ、控えめに言ってもかなり。
古代ケルトにおいてこの印はより強大な力を持つ存在を表していました。そしてこの魔術の持続期間を考えるに、恐らく『満ち行く月』『欠け行く月』『満月』という月の三段変化を利用して魔術行使が為されているのでしょう。結果、魔術の媒介とされたこの大木は現在非常に強大な神秘を有している。
……それに、この場所は不自然に開けている。古来より私達はこの様な場所を『他界』と呼ぶ神聖な場として見做してきました。おそらく、この場所でさえ魔術の効果を高める為に意図的に用意されたものでしょう」
「意図的にってそんな事が可能なのか?」
容易には信じられない話に、俺は思わず質問を重ねていた。
「……このブリテン島にはケルトの血を受け継ぐ人間が多いとは言え、そのような術が可能な者は今に至っては稀です。紛れもなく、この魔術を施した担い手は高位の魔術師に違いないかと」
「────っ」
騎士の返答に、知らずぞっと背筋に冷たい汗が湧き上がった。
当たり前だが、この魔術の先にはこれを行使したであろう人物が居るのだと再認識したのだ。
まるで神話に出てくるように強大な、そしてどこか禍々しいこの魔術を込めた魔術師が──
「────シロウ殿、少し良いですか?」
「え?」
不意に思考を寸断させた声に顔を上げようとして────そうしたと思った瞬間、誰かに腕を掴まれ後ろへと引っ張られる。大きくたたらを踏みながら態勢を立て直して見遣ると、意外にも、そこにはいつも生真面目なベディヴィエールの姿があった。
「あ、え? ちょっ、ベディヴィエール!?」
「すみませんが、少しお時間を」
「わ、わかったから待ってくれ! ガウェインとガンが呆気に取られてるから!!」
ついでに俺も、とは言わなかったが。
……しかし、ベディヴィエールの行動が意味不明なのは本当だ。後ろの二人から少し離れたところで立ち止まり、心の底からの疑問を問いかけることにする。
「……あのさ、一体どうしたんだベディヴィエール?」
「────シロウ殿」
「あ、はい」
やけに真剣なその面持ちに、思わず畏まって身を改めてしまう。
そんな俺に少し首を傾げながら、しかし騎士はそのまま真摯に言葉を続けた。
「シロウ殿、貴方はこれからどうする心積もりですか?」
「? どうって?」
「……件の魔術行使を行った者は、想像以上に高い技量を持った魔術師です。これより先は、恐らく今までより遥かに危険な行程となります。……シロウ殿。貴方はここで足を止め、我々に任せても良いのではないでしょうか?」
「え?」
一瞬、どうしてベディヴィエールがそんな事を言うのか判らなかった。だから、『力不足の自分なんかじゃ、ここから先は足手まといになってしまうからなのか?』なんて考えも頭によぎってしまう。
……だけど、彼の顔に浮かぶ心から俺を案じている表情に、そんな考えはすぐに切って捨てる事にした。
「……シロウ殿、貴方は本来この国とはなんら関わりのないお人です。任務に同行して頂くことになったとは言え、もう十分に魔術師としての役目を果たしてくださいました。これ以上、徒らに御身を危険に曝す必要はないのです」
「……」
「ご心配せずとも、ガウェイン卿等に関してはどうとでも誤魔化しが利きます。ですので、シロウ殿はもう──」
「────ベディヴィエール」
騎士の言葉を遮るように、俺はベディヴィエールの名前を呼んで一端言葉を切った。
静かに言う俺の声に、彼が、驚いたように言葉を途中で飲み込んだ。
彼の言葉を正しいと受け入れる理性。そして、それと相半するように突き立ててくる本能的な感情。不意に脳を揺さぶった目眩に俺は瞳をきつく閉じて、そうして、顔を上げて胸の内で綯い交ぜになった何かを飲み込みながら、精一杯毅然とした、決意を滲ませた声で、説きつけるように騎士に告げた。
「俺はついていくよ」
「……これまででも十分な働きであった事は私から報告させて頂きますが、それでもですか?」
「ああ。それでもだ」
「……確かに魔術師のシロウ殿に着いてきて頂けるのなら、私達としては拒む理由もないのですが……」
口ではそんなことを言いながらも、ベディヴィエールは困惑したように眉根を寄せて、どこか気遣わしげにこっちを伺ってくる。
確かにベディヴィエールの気持ちはありがたい。けれど彼は勘違いしている。純粋に俺の身を案じてくれている騎士の為にも、俺は彼の認識を正さなくてはならない。
「違うぞ、ベディヴィエール。俺は別にそんな気を遣うような理由で決めた訳じゃない。そもそも、魔術師として俺が助けになれることなんて殆どないだろうし……実際、さっきだってガウェインが代わりに気付いてくれた様なもんだしな。
────ただ俺は、俺自身がベディヴィエール達の助けになりたいって思うだけなんだ。それに色んな人が使うこの森でこんな魔術を敷くようなヤツを放っておけないだろう? 俺はだから、何も知らずにただ人任せにしておく自分がいるなんて、そんな事は絶対に許すことが出来ない」
話をしている間ベディヴィエールは俺の顔をまじまじと凝視していたのだが、やおら、何か諦めたようにその表情を崩し、浅い笑みを零して言った。
「それなら良いのですが……本当によろしいのですか?」
「ああ、もちろんだ。俺のことは気にしないでいいぞ」
「……それではお二人の元に戻りましょうか。早く先に進まなくてはなりません」
「ん、了解」
簡潔に返事を行い、二人して動き出す。
後ろを振り返ればガウェインとガンも向こうで何か喋っていて、何故かあの樹と自分達の立つ地面を見比べながら前後に動いているようだった。……ホント、何してるんだあいつら?
二人の謎の動作を胡散臭げに眺めながら、俺は隣行く騎士にとりとめないコトを話しかけた。
「そういや、俺まだベディヴィエールに礼を言ってなかったな」
「? 何に対してでしょうか?」
「何って、さっきのことについてだよ。最終的に俺が我儘言う形になっちまったけど、心配してくれたんだろ?」
「我儘なんてそんな……事実シロウ殿にも共に行って頂ける方が私達にとっても有難いのですから、その様に畏まる必要はありません」
「それでも、お前が心配してくれたのは本当だろ?」
「……まぁ、ええ」
「じゃあそれでいいじゃないか。だから、ありがとうな」
「……わかりました」
何故か納得いってなさそうな騎士に首を傾げながらも、耳近くで騒がしいガンの声が聞こえて意識を戻す。
これでベディヴィエールとの話し合いは仕舞いだ。あと考えるべきは実際に森の奥へと踏み入り、こんな結界を敷いた魔術師を如何にとっちめるかだけという段に至り──
「…………あれ? そういやあの呪刻はどうやって解除するんだ?」
俺はそこで、根本的な問題が依然残ったままなコトに気づいたのだった。
「……先に進むって言っても、この結界をなんとかしなくちゃ話にならないじゃないか」
当たり前の事を口にしつつ頭上をもう一度見上げる。
特に何もしてないのだから当然なのだけど、そこには先ほどと同様、濃厚な魔力を漂わせる巨大な樹木が凛としてそこにあった。
「なぁシロウ、そこ危ないぜ?」
「え?」
ただ、そうやって途方に暮れていた俺の耳にガンの声が届いた。更に気づいたらベディヴィエールにされたみたいに腕を取られていて、樹から退がる様に引っ張られている俺だった。
「は? え、何がだよ?」
「だーかーらー、そこに居たままだと危ないんだって」
「いやいや、だから何が!?」
要領を得ないそいつに困惑していた俺だったのだけれど、
「────シロウ」
不意に、自身の名を呼ぶ声を聞いた。
振り返ればそこには、常通り真直ぐに佇立するガウェインの姿。
彼は俺の名を呼びつつも視線は中心の樹に固定したままに、独白する様に言葉を続けた。
「確かにこの魔術は強力な代物です。ええ、神聖なる刻印を配されている古の法だ。それも当然と言うものでしょう。────しかし私もまた、古代ケルトに連なる聖者の数字を授かりし者」
白騎士の声に、ごう、と風が吹きすぎていった。
微かに湿り気を帯びる、渦巻いた熱風。
その風を切って騎士は佇む。
そして強まった陽光が静かに場に降りてきている中、
今の彼は身を包む白銀の鎧をどこか一層輝かせ、真に高潔な騎士としての装いを纏っていた。
「────」
俺はそこで息を飲んだ。
大気中に溢れていた太源。
樹に刻まれた呪刻に先程まで吸収されていた魔力の塊が、一斉に、根刮ぎ凝結して目の前の白騎士へと吸い寄せられていっているのだ。
───いや、正確に捉えるのなら、白騎士の元にある蒼銀の一振りに。
いつの間にか、白騎士が腰に佩いていたそれを鞘から抜き取っている。
自然、俺の目はその剣身へと惹きつけられていた。
あの呪刻も非常に強力な物だ。それは間違いない。
だけど、白騎士が翳しているあの剣は、強力な筈のそれを遥かに凌駕する。
空気中に含まれる太源という太源が、呪刻にそっぽを向いてあの聖剣を選択しているのだ。
『神秘はより強い神秘に打ち消される』
その言葉の意味を、目の前の光景は何よりも明らかに示していた。
「それにここならば───森を焼き尽くす憂いもない」
怖気を感じさせる現象を余所に、ガウェインの明瞭な声だけが場に響く。
白騎士が中腰に蒼銀の剣を構える。
狙いは目線の先の巨大な樹。
その光景を見ながら、先程彼らが行っていたのはその射程を図っていたのだと、そう悟った。
「
輪転する光。
凝縮される炎。
吹き荒れる烈風。
それら全てを結合させ地上に現れた太陽が
極めて燦々と辺り一帯を照らし出し、白騎士は背後に振り絞ったその聖剣を──
「────
薙ぎ払った。
「────くっ」
────熱い。
白騎士の剣から放たれた炎が正面の樹を飲み込んだのは視界に捉えた。
けれど舐めるように周囲を炙る熱風に、俺は耐えきれずに背を向けて体を庇わざるを得なかった。
そうして暫く、背中に燃え盛る炎を侍らせながら時間が過ぎていった。
◇
「それでは、先に進みましょうか」
やがて、収まりつつもどこか辺りに残る熱とは対称的に、ひどく冷静で落ち着いた声が聞こえてきた。
「え…………?」
それに身を翻した俺は、思わず自身の目を疑った。
自分たちの周りを覆うのは先程までの炎でも草原でもない。
もちろん、あの呪刻を刻んだ大木の姿も何処にも見えず、その代わりに辺りにはありふれた木々の集まりと動物たちの声が戻っていた。
森を包んでいたあの不気味な感覚も晴れている。
いつの間にか俺たちは、なんの変哲もない朝の森の中に居たのだった。
「やっぱりすげぇなぁ、ガウェイン様。太陽の騎士は伊達じゃないぜ!」
「たしかに流石はガウェイン卿です。……あの子も、貴方の炎で安らかに眠れることでしょう」
「ええ、ありがとう二人とも。
────ん? シロウ、どうしましたか。何かまだ魔術の残骸が残っているでしょうか?」
「……あ、いや、大丈夫だと思う……うん」
ガウェインが訝しげに俺に尋ねてくるが、そういう意味では問題ない。
ただ…………これから先、ついていけるか心配になってしまう俺だった。
世界の異状を感じ取るのは得意な士郎です。
Extraではガウェインは剣を頭上に投げていましたが、省略しました。
森での話は数話ほど続きます。
この創作はケルト色の強かった初期の物語とキリスト教的に染まっていった物語、どちらも参考にして描いていきます。