現代日本で超能力に目覚めちゃった件について   作:二度見屋

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第10話

 ハ○ーワークの自動ドアが背後で閉まった瞬間、換気扇の効きすぎた人工的な冷気から解き放たれ、ねっとりとした不快な熱を孕んだ夕風が、慣れないリクルートスーツの隙間に這い寄るように忍び込んできた。

 

 今日も、俺の人生という名のパズルは、一向に完成する気配を見せなかった。

 窓口の職員が、機械的な事務処理の合間に無造作に差し出してきた求人票の数々。そこに並ぶ数字や条件を眺めていると、自分が社会という巨大な歯車から外れ、道端に放置された規格外の不燃ゴミのように思えてくる。

「……はぁ。やっぱり、そう簡単にはいかないよな」

 首元を締め付ける安物のネクタイを少し緩め、重苦しい溜息と共に独り言を吐き出す。

 

 手元の求人票に目を落とせば、そこには『やる気重視』『アットホームな職場』『急募:未経験から月収50万も可能!』といった、耳障りの良い言葉が躍っている。だが、その行間からは「代わりはいくらでもいる」「死ぬまで働け」という、冷徹な経営者の本音が、どす黒い泥のように滲み出しているようにしか見えない。

 

 特に、この『完全実力主義! 歩合制!』という営業職の求人。基本給が驚くほど低く設定され、各種手当の欄には曖昧な記述が並んでいる。どう見ても「ブラック」を煮詰め、凝縮したような条件だ。

 

 俺のような、何のスキルも持たない元フリーター。そんな「選べない立場」の人間を狙い澄ましたような、底なし沼のような求人の山。それらに二の足を踏んでしまう自分を、俺は情けなく思うと同時に、本能的な防衛反応で守りたくも思っていた。

 

 家路を急ぐスーツ姿の群れ。彼らの多くは、どれほど仕事に不満があっても「帰るべき場所」と「明日の糧」を持っている。彼らの波に逆らって歩くのは、今の俺にはひどく体力を、そして精神を削られる作業だった。

 

 気分を変えたかった。

 俺は、いつもの最短ルートである駅前通りを避け、古い住宅街が入り組む路地裏へと足を踏み入れた。

 表通りの喧騒が次第に遠ざかり、代わりにどこかの家から漂う夕飯の匂いや、換気扇が回る低い振動音が聞こえてくる。アスファルトに刻まれたひび割れや、壁を伝う黒ずんだ雨だれの跡。そんな生活の澱のような風景が、今は妙に心地よかった。

 

 腹が鳴る。そういえば、ハ○ーワークでの待ち時間の長さのせいで、昼飯も食っていなかった。一食抜くのが当たり前になりつつある無職の身とはいえ、今日という最悪な一日を締めくくるには、多少の贅沢――コンビニのスナックを一つ買う程度の贅沢は必要かもしれない。

 

 そんなことを考えながら、ポケットに手を突っ込んだ、その時。

 スーツのズボンの奥で、スマートフォンが短く、鋭く振動した。

 反射的に取り出すと、画面には思いもよらない名前が表示されていた。

 

 『スーパー・サニーデイズ 甘寺店長』

 

 一瞬、心臓が跳ねた。

 甘寺店長。一週間前まで俺が働いていたスーパーの店長だ。

 三十二歳という若さで店を任されているだけあって、甘と名前に着くくせに、とにかく勝ち気で仕事に厳しい。突然の電話一本で辞めた俺に対して、あの人がどんな感情を抱いているかは想像に難くない。怒鳴られるのか、それとも呆れられてるのか。

 

 無視しようかとも思ったが、もし給料の未払いや、手続き上の不備だったら後が面倒だ。俺は覚悟を決め、通話ボタンをスライドさせた。

「……もしもし。田中です」

『よぉ、元気そうだな』

 受話器越しに響いたのは、低く、ドスの効いたハスキーな声だった。

 

 甘寺独特の、飾らない口調。普段は丁寧な口調だが、長年の付き合いで分かっている。こういう荒い喋り方をしてる時は「怒ってる時」だ。背後からは聞き慣れたスーパーの店内BGM――安っぽい電子音のインストゥルメンタルが微かに漏れ聞こえてくる。

「……あの、あの時は、急に辞めるなんてことになって、本当にすみませんでした」

『謝るくらいなら最初からあんな辞め方すんな。こっちはシフト調整で死ぬかと思ったぞ。……まあいい、体調不良なんだろ? だったらさっさと治せ』

 

 相変わらずの剣幕だが、不思議と冷たさは感じなかった。むしろ、ハ○ーワークの職員の無機質な声よりも、ずっと人間味があって耳に馴染む。

『それでだ。わざわざ電話したのは、お前のロッカーに私物が残ってたからだ。パーカーと、マグカップ、それから健康診断の通知書。……お前、それくらい回収してから辞めてけよ。家に送るのだって金がかかるんだぞ』

「あ……すみません。そこまで頭が回ってなくて」

『だろうな。お前のことだ。……とにかく、大事な書類も混ざってる。一度店に顔を出せ。今からなら事務所にいる。裏口から入ってこい。いいな?』

 

 甘寺の言葉には、有無を言わせぬ強制力があった。

 俺は一瞬、警戒した。今の俺は「超能力者」だ。あの子供たちに知られている場所へ出向くことに、本能的な忌避感がある。

 

 だが、すぐに思い直した。

 別に子供たちに会う前に退散すればいいだけの話だ。まさか子供たちもスーパーの事務所に突撃なんてしてこないだろう。甘寺もただ、不義理な辞め方をした元部下を、荷物を口実にして呼び出しているだけなのだろう。

 

 それに、ハ○ーワークでの惨敗を経て、俺の心はどこかで「かつての日常」との繋がりを、あるいは自分を知っている誰かとの会話を、無意識に求めていたのかもしれない。

「分かりました。……今、ちょうど近くにいるので。三十分後くらいに伺います」

『フン、最初からそう言え。待ってるぞ』

 電話が切れた後、俺は大きく息を吐いた。

 スマートフォンの画面が消え、暗転したパネルに自分の情けない顔が映る。

 

 大丈夫だ。ただ荷物を受け取って、少し謝って、それで終わりだ

 俺は自分に言い聞かせ、足早に歩き出した。

 夕闇が本格的に街を支配し始め、街灯が一つ、また一つとオレンジ色の光を灯していく。

 

 世界を揺るがす力を手に入れても、俺は未だに、一週間前までの自分――田中真也(フリーター)の影から逃げ出せずにいた。

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