現代日本で超能力に目覚めちゃった件について   作:二度見屋

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第13話

 スーパー・サニーデイズのバックヤードは、常に独特の匂いに満ちている。

 

 段ボールの乾いた紙の匂い、冷凍庫から漏れ出る霜の冷気、そして時折混じる青果の微かな土の香り。スーパーの表に立っていた頃はそれほど意識しなかったこれらの匂いが、今では俺にとっての「世界のすべて」となっていた。

 

 復職してから、一ヶ月が経った。

 

 バックヤード専属という仕事は、思っていた以上に過酷だ。大型トラックから次々と降ろされる飲料ケースの重み、乱雑に積み上げられた空パレットの整理、そして分単位で迫る納品スケジュールの管理。

 

 以前の余裕は微塵もなかった。

 だが、それでも俺はこの場所に執着した。

 事務所の窓から店長が俺を見守っている視線。搬入口を吹き抜ける、外の世界と俺を隔てる冷たい風。それらだけが、俺がまだ「まともな社会の一部」であることの証明だったからだ。

 

 午前七時、開店前の静まり返った搬入口に大型トラックが横付けされる。そこから次々と吐き出される、飲料の入った段ボールや加工食品の山。それらを検品し、カテゴリーごとにパレットへ積み替え、売り場が補充しやすいように配置していく。

 

 最初の二週間は、ただただ自分の無能さに打ちのめされた。

 飲料ペットボトルの詰まった段ボールは、想像以上に指先に食い込む。積み上げられた空パレットは、少しでもバランスを崩せば崩落の危機を招く。冷凍食品の検品中には、指先の感覚がなくなるほどの冷気に晒され、それでも手を休めることは許されない。

 

 納品伝票の数字が、疲労でゲシュタルト崩壊を起こしたことも一度や二度じゃない。その度に店長に申し訳ない顔で報告し、修正をお願いした。以前の俺なら「給料相応の働き」と割り切っていただろうが、今の俺にはここ以外に帰る場所はなかった。

 

 だから、俺は必死に食らいついた。

 一ヶ月が経つ頃には、体は機械のように最適化されていった。

 どの棚に何があり、どのトラックが何時にどのゲートに着くか。次に補充が必要なのは炭酸飲料か、それとも即席麺か。ハンディターミナルを叩く指の動きは淀みなく、重い荷物を担ぐための重心移動も体が覚えた。

 

 以前よりずっと熱心に、一秒でも早く、一ケースでも多く。そうやって身体を追い込んでいる間だけは、「超能力」なんていう「非日常」を忘れることができた。

 

 俺はこの一ヶ月、一度も自分の能力を意図的に使わなかった。

 あの日、力を使った時に感じた、街全体を支配するかのような全能感と、その後に訪れた底知れない恐怖。それが俺を縛り付けていた。あれは麻薬と同じだ。一度でも「便利さ」のために頼ってしまえば、俺は二度とただの「田中真也」には戻れない気がしていた。

 だからこそ、俺は誰よりも「真面目な従業員」であり続けようとした。

 

 しかし、よく言われるように「慣れてきた頃が一番危ない」

 その言葉の意味を、俺は最悪の形で知ることになる。

 

 その日の午後は、異様に忙しかった。

 特売用の商品が山積みになり、バックヤードは足の踏み場もないほど段ボールで埋め尽くされていた。俺は検品を終えた伝票を手に、在庫の整理に追われていた。

「あっ……」

 

 不意に、指の間から納品伝票が一枚滑り落ちた。

 ひらひらと舞った紙は、飲料を詰め込んだ段ボールの置かれた高い棚の、一番下の隙間へと入り込んでしまった。

 

 俺は「しまった」と思い、這いつくばるようにして棚の下へ手を伸ばした。

 その時だ。無理な体勢で棚の柱に肩が触れ、わずかに振動を与えてしまったらしい。

 棚の最上段。俺は気にもとめてなかったが、そこには、2リットルのペットボトルが6本詰まった、12キロを超える重量の段ボールが、不安定な角度で置かれていた。

 

 ドサッ。

 不自然な音が響いた時、俺はまだ棚の奥にある伝票に指をかけていた。

 俺は驚いて、ようやく棚の下から這い出た。

 音の鳴った方を見ると、角がひしゃげて中身が半分飛び出しそうになった飲料ケースが横に転がっている。

「うわ、危ねえ……。落ちてきたのか」

 俺は「運が良かった」と思って胸をなでおろした。

 

 あんなものが直撃していたら、痛いどころじゃ済まなかっただろう。

 俺は自分の不注意を呪いながら、破損した段ボールを調べようと手を伸ばし――。

「…………」

 そこで初めて、少し離れた場所に、石像のように硬直して立ち尽くしている甘寺店長の姿に気づいた。

「あ、店長……! すみません、不注意でした! 棚を揺らしちゃったみたいで……中のボトルが……本当に、申し訳ありません……!」

 

 俺は、商品を傷つけたことへの謝罪を口にしながら段ボールを拾い上げた。

 だが、店長は俺の言葉に反応しなかった。

 その顔は、幽霊でも見たかのように青ざめ、見開かれた瞳は、俺の頭と、落ちた段ボールを交互に、何度も往復していた。

 

 「……田中」

 

 「荒っぽい甘寺店長」の口調になってることを悟り、体がビクリと震えた。しかし、その直後に放たれた言葉で、俺の頭は真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 「それ」を見かけたのは本当にたまたまだ。何かの用事でバックヤードへ入ったが、次の瞬間、目の前の光景を見て、その用事が何だったかは消し飛んでしまった。

 

 「あ――」

 

 棚の下に這いつくばる田中の、ちょうど真上。

 飲料ペットボトルの入った段ボールが、今まさにその重力に耐えかねて落下を始めたところだった。

 

 あんなもんがあの高さからまともに頭に落ちれば、首の骨などひとたまりもない。

 俺は反射的に手を伸ばしたが、距離が遠すぎる。

 走っても、叫んでも、もう間に合わない。

 

 俺はただ、目を剥くことしかできなかった。

 だが、その瞬間。

 網膜に焼き付いたのは、理解の範疇を超えた光景だった。

 

 落下した重量級の段ボールが、田中の後頭部に触れる、その直前。

 まるでそこに見えない空気の壁か、あるいはひどく滑りの良い傾斜でもあるかのように、10キロはあるはずの段ボールが、ヌルリと軌道を逸らした。

 

 直撃するはずの質量は、田中の頭の表面を不自然に滑るようにして横へと逃げ、髪の毛一筋すら乱すことなく空を切った。

 

 ドサッ……!

 

 鈍い衝撃音がバックヤードに響き渡り、段ボールが地面で撥ねた。

 

 あいつは無傷だった。

「…………は?」

 俺は伸ばした手のまま、固まった。

 

 今、何を見た?

 

 見間違いか。光の加減で、最初から逸れてたのが当たりそうなように見えただけか。

 

 「あ、店長……! すみません、不注意でした! 棚を揺らしちゃったみたいで……中のボトルが……本当に、申し訳ありません……!」

 

 田中が申し訳なさそうな顔でこちらを覗き込んでいる。

 あいつは気づいていないのか?

 

 今、自分の身に起きた「異常」に。あんな重量物が頭に落下して、何も感じなかったとでも言うのか?

 

 脳が猛烈に混乱を拒絶し、必死に「偶然だ」「最初から逸れていたんだ」という理由を探そうとする。

 

 しかし、その否定を押し退けて、ある言葉が記憶の底から浮かび上がってきた。

 

 『あのおっちゃんはね、魔法使いなんだよ!』

 

 田中を訪ねて店に訪れた子供たちがはしゃぎながら、付き添いで来たと思われる他の子供に向かって言っていた言葉。

 当時の俺は、子供の冗談だろうと一蹴した。

 

 だが、今の光景はどうだ。

 

 物理をねじ曲げ、無自覚に怪我を回避した、あの異様な「滑り」。

 

 ……まさか。

 

 俺の心臓は、さっきの事故の瞬間よりも激しく、嫌な音を立てていた。

 目の前に立つ、このどこにでもいる平凡で冴えない、一ヶ月間ひたむきに働いてきたはずの青年。しかし「何かを隠してる」必死さだけは紛れもなく確かだった。

 

 解決したはずの誘拐事件、なのにそれについて田中を訪ねてきた刑事。そして田中は、子供たちから感謝されている。という事実。「魔法使い」という単語。

 

 それらの情報が全て、俺の頭の中で繋がっていく感覚があった。

 

 「……田中」

 絞り出すような声が漏れた。

 

 田中は破損した段ボールを抱えたまま、ビクリと震えた。俺が「素の口調」に戻ったんで怒ってるとでも思ったんだろう。

 

 そんな「普通の男」の反応が、逆に恐ろしかった。

 

 「……お前、マジで『魔法使い』か何かなのか?」

 

 静まり返ったバックヤードに、俺の声だけが異様に重く響いた。

 

 田中の顔から、一瞬にして表情が消えていく。

 その凍りついたような反応だけで、俺の「見間違い」という最後の淡い期待は、音を立てて崩れ去った。

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