現代日本で超能力に目覚めちゃった件について   作:二度見屋

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第15話

 あの日、バックヤードで起きた「事故」から数週間が過ぎた。

 スーパー・サニーデイズの日常は、驚くほど何事もなかったかのように流れている。

 

 だが、俺の心の内側は、日に日にどす黒い澱のような不安で満たされていた。

 

 店長は、あの日以来、何も聞いてこなかった。

 バックヤードで二人きりになっても、彼は以前と変わらない穏やかな口調で指示を出すだけだ。

 

 その沈黙は救いだったが、同時に俺の中の「異物感」を際立たせた。店長が俺を「普通のバイト」として扱おうとしてくれるほど、俺の中にある「超能力」が、自分という存在を裏切っているような倒錯した罪悪感に襲われる。

 

 深夜、自室のベッドで横になりながら、俺は自分の呼吸の音だけを数えていた。

 最近の俺は、常に自分自身を監視している。

 

 たとえば、今この瞬間。俺がふと「顔の横を飛んだ羽虫が邪魔だ」と思ったとする。その程度の些細な欲求が、脳の神経を通って腕を動かすより先に、未知の経路を通って『現実』を直接書き換えてしまったらどうなる?

 

 それを誰かに見られたら?その「羽虫」が「人間」だったら?

 

 これまで無意識下で勝手に何かが起きた明確な証拠は、あの時の「段ボール」だけだ。俺の「超能力」は、あの時の状況から見て、俺の肉体を勝手に守ろうとしてる事は確かだった。それが俺の体を守る事以外でも無意識で発動するかもしれない。という疑念を拭い去る事は出来なかった。

 

 蛇口を閉め忘れるように、あるいは瞬きをするように、自分の意思の欠片がこぼれ落ち、それが物理的な破壊として結実してしまうのではないか。

 

 俺は自分の右手を、まるで時限爆弾のスイッチでもあるかのように見つめた。

 

 俺がこれまで培ってきた「人間としての輪郭」が薄れ、本当に「魔法使いか何か」になっていってしまっている気がする。本能が、これは生存のための進化ではなく、人間としての死なのだと告げていた。

 

 俺が超能力を隠し、使わないようにしてるのは、日常を守りたいから。というのもある。

 

 だがこの『異物』を認めてしまったら、二度と「普通の人間」という側に戻ってこれなくなる。それが怖くて、俺は自分の意識に幾重にも鍵をかけ、縮こまるようにして過ごしていた。

 

 だが、そんな不安とは裏腹に、俺は努めて「以前と同じ」仕事ぶりを続けていた。

 バックヤード専属という立場は、今の俺にとって救いだった。誰の目にも触れず、ただ黙々と段ボールを捌き、検品し、決められた棚に配置していく。その単調な反復に没頭している間だけは、自分が『人間』であることを再確認できた。

 

 端末を叩く指の角度、カッターを入れる深さ、コンテナを積み上げる順番。

 あえて一文字も変えない台本をなぞるように、以前の自分を模倣するかのように、俺は仕事に没頭した。

 

 (大丈夫だ。俺はまだ昨日の俺と同じ場所にいる)

 

 検品を終え、俺は額の汗を拭った。

 俺は必死に「バックヤードの作業員」という殻に閉じこもった。昨日と同じ時間に段ボールを畳み、昨日と同じ熱量で在庫表にチェックを入れる。そうすることでしか、自分の輪郭を保てない気がした。

 

 

 

 そんな緊張の糸が張り詰めたままの、閉店間際の蒸し暑い夜のことだった。

 

 俺は空き箱を片付けるため、事務所の前を通りかかった。

 その時、薄い扉の向こうから、普段の穏やかな店長からは想像もできないような、しかし「荒っぽい甘寺店長」とも違う。低く、地を這うような怒声が響いてきた。

 

 「……ふざけるな! 家族は関係ないだろ!」

 

 俺の足が、凍りついたように止まった。

 

 「……分かっている……一人で行く……警察? 呼ぶわけがないだろ……だから……頼む、娘にだけは……」

 

 ドア越しに途切れ途切れに聞こえてくるその声。

 その声には、怒りだけではなく、肺を搾り出すような悲痛な祈りが混じっていた。

 

 俺は手に持っていた段ボールを落としそうになるのを必死でこらえた。店長の家族。確か娘さんはまだ小さかったはずだ。それが、何らかの事件に巻き込まれていると言うのか?

 

 心臓が早鐘を打つ。せっかく手にした平穏。それを守るために自分を殺してまで続けてきたこの一ヶ月。それらが、たった一本の電話によって、暴力的な「非日常」へと引きずり戻されていくのを感じる。

 

 突然、事務所の扉が勢いよく開いた。

 飛び出してきた店長と、鉢合わせになる。

「店長……?」

 店長の顔は、幽霊でも見たかのように青白く、それでいてその瞳の奥には、あの日見た「鋭さ」が絶望の色を帯びて燃えていた。

 

 店長は俺の姿を認めると、一瞬だけ言葉を詰まらせた。

「田中……すまない、聞かれたか。……昔、俺がヤンチャしてた頃に恨みを買った奴が、俺の家族を誘拐しやがった」

 

 「ヤンチャ」という、その場にそぐわないほど軽い響きの言葉。だが、店長が口にしたそれは、かつて彼が暴力と隣り合わせの世界で、誰かの深い怨恨を買うような生き方をしていたんであろう事実を、重く俺に突きつけた。「店長」の裏側にあった、俺の知らない暗い過去。

 

 衝撃で頭が真っ白になった。 過去の報復? まるでドラマか何かの出来事のようだ。けれど、目の前で、隠し切れないほどの怒りに震えている店長の姿が、これが逃れようのない現実であることを突きつけていた。

 

 「これは俺一人の問題だ。俺の過去が招いた、俺だけの……罪なんだ。お前は何も気にするな。普通に店を閉めて、普通に帰れ」

 店長は、それだけを言い残すと、俺が声をかける隙も与えず、バックヤードを飛び出していった。駐車場でエンジンが掛かる音が聞こえ、タイヤが悲鳴を上げて遠ざかっていく。

 

 取り残されたバックヤードに、冷ややかな静寂が戻る。

 

 俺は、立ち尽くしたまま、床を所在なさげに眺めるしか無かった。おそらく、数分はそうしていたと思う。

 

 ───それで?そこでずっと立ってるつもりか?

 

 内なる声が問いかけてくる。

 俺の頭の中は、相反する感情が激しくぶつかり合う戦場と化していた。

 

 店長は、俺が何者であるかを知りながら、あの日「見間違いだ」と言って俺を庇ってくれた。俺に「田中君」という日常の名前を与え続けてくれた。俺が不思議な力を持っている事を察しながらも、それを誰にも言うことなく、黙っていてくれた。

 

 その人が、その「恩人」の大事な人たちの日常が、過去の因縁か何かで、そんなもんのために、壊されようとしている。

 

 超能力に目覚める前の俺なら「どうせ何も出来ることは無い」と、ただ家に帰って寝ていただけだろう。精々が、警察に連絡する。くらいの事しか出来なかったろう。

 

 だが今は違う。

 

 あの少女、美咲ちゃんだったかを助けた時と同じだ。こんな力を持ってなければ、こんなに悩む事も無かった。悩める、という「選択肢」が生まれることも無かった。

 

 もし、俺が「普通」のふりをして、そのままアパートに帰ったら?

 

 明日も店は開くだろう。でも、そこに店長はいないかもしれない。店長を救えなかった俺という「薄情者」はこの先、どうやって「人間」のふりをして生きていけばいい?

 

 (怖い。……本当に、怖いんだ)

 

 俺は自分の腕を抱きしめた。

 力を使うことが怖い。世間にバレてしまう事が怖い。この「日常」が壊れてしまうのが、何よりも怖い。

 

 ───カッコつけて言うなよ。結局は自分可愛さでビビってるだけだろ。

 

 …そう。その通りだ。

 次に俺が「超能力」を使って、一線を越えれば、俺の心は全能感に侵食され、他者を、世界を、ただの「動かせるモノ」としてしか見られなくなるのではないか。もしそうなったら、昨日まで必死に守ってきた『田中』という一個人が、ただの『怪物』に塗りつぶされてしまう。

 

 超能力。あんな不気味なものを使って介入すればどうなる?あの日、段ボールを無意識に避けただけで、店長は俺を『魔法使い』と呼んだ。もし今、自分の意思であの深淵を覗き込み、その力を振るえば、もう二度と「ただのバイトの田中君」には戻れない気がする。

 

 せっかく手に入れた、この平穏な場所。自分を繋ぎ止めてくれる唯一の錨を、自分自身の手で叩き壊すことになるかもしれない。

 

 だが。

 

 (……それでも、店長を助けたい)

 

 店長が差し出してくれたあの「嘘」

 店長も俺も、それ以上話すことはなかったが、俺はそれに対して、深い感謝を感じていた。俺はそれに報いたい。

 

 俺や店長から日常を奪おうとする奴らを、俺は見過ごすことはできない。

 

 胸の奥で、鍵をかけていた扉が、音を立てて崩れ落ちた。

 

 これまで必死に抑え込んできた、あの「感覚」を意識的に回す。

 視界が歪む。物理法則が俺の意志に屈服し、周囲の空気が密度を増していく。

 

 俺は、もはや震えてはいなかった。

 決意が、俺の感覚を「人間」から「超能力者」へと切り替えていく。

 

 ───これでお前は「こっち側」だな。

 

 うるさい、黙れ。

 

 俺は店長の過去について何も知らない。家族がどんな人なのかも、ほとんど聞いた事は無い。美咲ちゃんの時のように、頼まれた訳でもない。

 

 わざわざ俺が助けなきゃいけない理由なんか無い。電話では、警察には言うな。とか言われていたようだが、俺が通報すれば、警察が何とかしてくれるのかもしれない。

 

 それでも、ここで見て見ぬフリなんかできない。

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