現代日本で超能力に目覚めちゃった件について   作:二度見屋

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第16話

 アクセルを踏み込む右足が、自分でも驚くほど小刻みに震えていた。

 バックミラーに映る自分の顔は、十数年前の、あの血生臭い路地裏を彷徨っていた頃の「狂犬」そのものだった。

 

 家族には、ずっと隠し通せると信じていた。

 かつて俺がこの街で何をしていたか。どれほど多くの者の骨を砕き、どれほどの恨みを買ってきたか。スーパーの店長という「平穏」な隠れ蓑の下に、その醜い過去を完全に埋めたつもりだった。

 

 だが、現実は残酷だ。埋めたはずの種は、忘れた頃にどす黒い芽を出し、俺の最も大切なものを絞め殺そうとしている。

 

 「吉澤……っ!」

 ハンドルを叩く。

 

 かつて俺がリーダーとしてまとめていたチームと激しく争っていたチームのリーダー格。狡猾で、執念深く、目的のためなら手段を選ばない男。

 

 十数年前、最後の抗争の夜。俺は吉澤を人気のない工事現場に追い詰め、奴の右足を鉄パイプで粉砕した。俺にとってはそれだけの相手だ。奴が俺に対してどんな思いを抱いて、これまで生きてきたのかは想像するしかない。だが、ろくでもないもんだろうって事だけは確かだった。

 

 指定された場所の廃ビルは、人気の少ない、犯罪にはうってつけだろう場所だった。

 

 車を降りると、全身の毛穴が逆立つような感覚に襲われる。かつての直感が、ここが「罠」であることを告げている。それでも、俺には逃げる選択肢などなかった。

 

 ビルの中は、腐った油と錆の匂いが充満していた。

 二階へ続く階段を一段ずつ上がるたび、過去の記憶が脳内にフラッシュバックする。殴った時の拳の痛み。飛び散る血飛沫。罵声。

 

 俺がスーパーで振りまいていた「店長」という皮は、一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。

 

 広場のようなフロアに出ると、奥にある街灯の光に照らされて、縛り付けられた二つの影が見えた。

「……っ! 恵子! 菜々美!」

 妻の恵子が、目隠しと猿ぐつわをされたまま震えている。その膝に顔を埋めて泣いているのは、まだ幼稚園児の菜々美だ。

「おいおい、勝手に近づくなよ」

 柱の影から、一人の男がゆっくりと姿を現した。

 

 吉澤だ。

 十数年前よりも痩せこけ、右足を引きずりながら、奴は金属バットを地面に引きずって歩いてきた。キィキィという不快な金属音が、俺の神経を逆撫でする。

 

 「久しぶりだな、甘寺。立派な店長さんになったそうじゃねえか」

「吉澤……家族は関係ないはずだ。放せ」

「関係ない? 笑わせるな。俺はこの足のせいで、あの後まともな仕事にもつけず、汚い仕事を転々としてきたんだ。お前が恵まれた家庭を持って、昼間の世界で笑ってる間、俺がどんな地獄を見たか……想像したことがあるか?」

 

 吉澤の瞳には、狂気にも似た暗い悦びが宿っていた。

「お前をただ殺しても面白くない。お前が一番大切にしているものが、目の前で壊れていく絶望……それを味合わせてからだ」

 吉澤がバットをゆっくりと持ち上げる。

「やめろ!」

 俺は思わず駆け出そうとした。恵子たちの元へ、一刻も早く。

 

 その焦りが、最大の失態だった。

 

 かつての俺なら、背後の気配に気づかないはずがなかった。

 だが、父親としての恐怖が、戦士としての本能を上回っていた。

 

 真後ろ。

 音もなく忍び寄っていた、もう一人の影。

 

 後頭部を、重厚な質量が直撃した。

 ――ガツンッ!

 世界が白く弾けた。

 脳を直接揺さぶるような、凄まじい衝撃。

 重力があらぬ方向へと引っ張られ、コンクリートの床が視界に迫ってくる。

 

 「アハッ! 案外、呆気なかったな」

 意識が急速に遠ざかっていく。

 体の末端から感覚が失われ、冷たい闇が這い上がってくる。

 

 (すまない……恵子、菜々美……俺が……俺のせいで……)

 

 最後に見たのは、昏い快楽に浸りながらこちらを見下ろす吉澤の靴先だった。

 

 絶望。

 

 それが、俺が意識を失う直前に感じた、最後の感情だった。

 

 

 

 

 

 

 自室の畳の上。俺は、自分という存在が「拡張」されていく感覚の中にいた。

 

 自分の精神が、現実というキャンバスに直接書き込まれていくような、透明で底知れない全能感。

 

 俺の頭蓋の周囲には、すでに四個の「仮想脳」が電流を迸らせながら、整然と並列稼働している。

 

 ここから二十キロは離れた廃ビル。

あの後、店仕舞いの作業を他の人に丸投げして、すぐに家に戻った俺は、超能力を使ってすぐにそこを見つけ出していた。

 

 だが、見つけ出した時には店長がバットで殴られ、意識を失った後だった。

 

 怒りはある。だが、それを仮想脳が即座に冷静な演算へと変換する。

 今の俺に情緒は不要だ。必要なのは、完璧な『処理』だけだ。

(まずは、邪魔者の排除)

 俺は、数キロ先の空間へ指を伸ばすように、意識を一点に集中させた。

 ターゲットは三人。

 吉澤と呼ばれていた男。店長を背後から殴った男。そして入り口で見張りをしている男。

 

 彼らの首筋、皮膚のすぐ下を走る、頸動脈。

 その中を流れる血流を、血管の壁を傷つけないよう、それでいて一滴も脳へは送られないよう、完璧な力加減でせき止める。

 

 何が起きたのか、奴らの脳が理解する時間は与えない。

 酸素の供給を絶たれた脳は、一瞬で活動を停止する。

 三人ほぼ同時。

 彼らは声すら上げることなく、深い眠りへと突き落とされ、バタバタと倒れていった。

 

 さて。

 最大の問題は、店長だ。

 俺の意識は、店長の後頭部へと潜り込んだ。

 

 頭蓋骨のヒビ。

 それ自体は大きな問題ではない。

 問題は、衝撃によって破れた太い血管と、そこから漏れ出し、脳組織を圧迫し始めている血腫だ。

 このまま放置すれば、あと数分で店長は命を落とす。助かっても、後遺症が残る事になるかもしれない。

 

 (……やる。今の俺なら、できるはずだ)

 

 仮想脳をさらに二つ増設。

 処理速度を極限まで加速させる。

 世界が止まって見える。

 俺は、店長の血管の一細胞、一細胞に語りかけるように、力を注ぎ込んだ。

 

 まずは、溢れ出した血液の保持。

 血小板の動きを物理的に固定し、凝固を強制的に早める。

 同時に、圧迫されていた神経組織を、念力の膜で優しく保護し、元の位置へと押し戻す。

 

 次は、血管壁の修復だ。

 破れた内皮細胞。その分子構造に干渉し、強制的に結合させる。

 縫うのではない。再構成するのだ。

 

 正しく「奇跡」と呼べるような超常。しかし、自分が「人間」という枠組みから、どんどん遠ざかっていくような、空恐ろしい静寂があった。

 

 (……止まった)

 内出血は完全に消失。

 脳浮腫のリスクも排除した。

 

 だが、完璧に治しすぎてはいない。

 

 警察が来た時に、「バットで暴行した誘拐犯たちと、運良く致命傷を免れた男」というストーリーが必要だ。

 俺はわざと、頭皮の浅い切り傷と、打撲痕を残した。

 血痕もそのままにする。

 

 店長の家族は何が起きてるか分からずに震えている。目隠しも縄もそのままだが、警察が来るまでは、申し訳ないが我慢してもらうしかない。「何も見ていない」という言い訳ができた方が、誰にとっても良いはずだ。

 

 最後に。

 俺は、あの懐かしい「公衆電話」を探した。

 仮想脳が瞬時にマッピングを完了する。

 街灯の下にある、寂れた電話ボックス。

 

 誰もいないボックスの中で、受話器が持ち上がる。

 赤い緊急通報ボタンが独りでに押され、念力が直接空気を震わせ、声へと変える。

 

 「……○○町の廃ビルで、男たちが喧嘩をしている。……怪我人が出ている。早く、救急車を……」

 

 通報を終え、受話器が静かに戻される。

 俺は、すべての仮想脳を霧散させ、意識を現実の肉体に戻した。

 

 部屋に静寂が戻る。

 

 この「超能力」に漫画やフィクションのような分かりやすい、鼻血や頭痛みたいな反動は無い。少なくとも数キロ先の人間の怪我を治したくらいじゃ、反動と言えるようなものは感じてない。あるのはただ、長時間集中を続けた事による疲労感だけだ。

 

 ただ、自分の指先を眺めた時、それが自分の体ではないような、奇妙な感覚が残っていた。

 

 さっきまで、俺は生命の根源を弄んでいた。

 人を気絶させ、死の淵から引き戻し、運命を書き換えた。

 

 甘寺店長。

 店長が守りたかった「日常」を、俺は守ったはずだ。

 

 でも、俺自身の「日常」は、どうなる?

 これほどまでの力を振るっておきながら、明日また、スーパーのバックヤードで段ボールを畳むことができるのか?店長だって、ただの偶然だと思うはずはない。俺が何かしたことをすぐに察するだろう。

 

 ……店長は、それでも俺を受け入れてくれるだろうか。

 

「……俺は、ただの田中真也だ」

 

 俺は自分に言い聞かせるように、震える手でスマートフォンの画面を点灯させた。

 そこには、何の変哲もない、明日から始まる仕事のシフト表が表示されていた。

 

 神のような力を持ちながら、今の日常にしがみつく。

 それが、今の俺にできる唯一の「人間らしさ」の証明だった。

 

 俺は、深すぎる静寂に包まれた部屋の中で、眠りにつくことさえ忘れ、ただ夜が明けるのを待った。

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