現代日本で超能力に目覚めちゃった件について   作:二度見屋

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第1話

 深い眠りから覚めた瞬間、頭をよぎったのは「昨日のあれは夢だったのではないか」という淡い期待だった。

 

 カーテンの隙間から差し込む朝日は昨日と変わらず、部屋の埃を無情に照らしている。ひどく重い体を引きずって布団の上に上半身を起こした。喉が渇いている。昨夜、動揺のあまり一気に煽った発泡酒のせいで、わずかに頭が重い。

 

 枕元には、飲み干した後の空き缶が転がっていた。

 俺はそれをぼんやりと見つめた。

 

「……やるか」

 

 声に出すと、それは単なる独り言以上の、冷徹な検証への合図となった。

 右手をゆっくりと空き缶に向ける。昨夜のあの「ピースが嵌まった感覚」を意識の奥から呼び起こす。

 

 すると、まるで呼吸をするのと同じくらい自然に、右手の先から不可視の「何か」が伸びた。

 

 フワリ。

 

 空き缶が音もなく浮き上がった。

 俺の目の前で、重力という物理法則を無視して静止する。

 

「……夢じゃ、なかったわけだ」

 

 乾いた笑いを漏らし、空き缶を空中で弄んだ。

 ただ浮かせているだけではない。その時、ある奇妙な感覚に気づいた。

 

 念力で「触っている」空き缶の感触が、直接脳に流れ込んできたのだ。

 アルミの冷たい質感、飲み口のわずかな歪み、缶の底に残った数滴の液体の重み。それらが、まるで素手で撫で回しているかのように、鮮明な情報として伝わってくる。

 昨日は動揺していて気づいてなかったが、鍵を「持った」時も同じように鍵の感触がダイレクトに伝わってきていた記憶がある。

 

「なるほど……これ、単に動かせるだけじゃないのか」

 

 空き缶を床に戻すと、次は部屋にあるものを手当たり次第に試すことにした。

 幸い今日はシフトが休みだ。時間はたっぷりある。

 

 まずは重量の検証だ。

 文庫本、次に重い辞書。これらは羽毛のように軽い。

 次に、安物の木製デスク。中には書類や雑多なものが入っているが、念力を込めると「フンッ」と気合を入れれば持ち上がった。

 さらに、自分が今座っている布団と、その上の自分自身。これも浮いた。

 

 どうやら、自分が「持てる」と直感的に確信できる重さなら、念力でも持ち上がるらしい。

 窓を開け、ベランダから外を見た。アパートの目の前の路上に、住人のものらしき軽自動車が停まっている。

 

(あれなら、どうだ?)

 

 辺りを見回して誰も見ていないことを確認してから両手を車に向け、意識を集中させた。

 体の芯から「何か」が溢れ出し、車体を包み込む感覚。しかし、持ち上げようとした瞬間、脳内に強烈なブレーキがかかった。

 

『無理だ。車なんて人間が持ち上げられるわけがない』

 

 その確固たる常識が、念力の出力を物理的に遮断した。どれだけ力んでも、車体がわずかに震えることすらない。

 

「ふぅ……。つまり、出力は俺の『認識』に依存してるってことか」

 

 物理的な筋肉量ではなく、精神的な「持てるはずだ」というイメージ。

 もし訓練を積んで、自分の常識をぶっ壊すことができれば、いつかは車どころかビルだって持ち上げられるようになるのかもしれない。

 だが、すぐにその思考を捨てた。そんな訓練をするつもりは毛頭ない。

 

 次に試したのは、距離だ。

 

 部屋の端から端までは問題ない。

 目を閉じ、念力を「力場」のように薄く、周囲に広げてみた。

 すると驚くべきことが起きた。

 

 壁の向こう側、隣の部屋の様子が、念力を通じて伝わってきたのだ。

 直接見ているわけではない。だが、念力を手探りのように広げていくことで、障害物の向こう側にある家具の配置や、住人が動く気配が「形状」として脳内にマッピングされる。

 

 さらに、その「認識範囲」内であれば、視界の外でも能力が届く。

 隣の部屋のテーブルの上にある、恐らくは住人が飲み忘れたであろうペットボトルのキャップを、念力でわずかに回してみた。

 

 カチッ、という微かな感触が脳に届く。

 

「……距離による減衰もなしかよ」

 

 認識さえできれば、距離は関係ない。今の一連のやり取りでそう直感した。

 もしこの「念力の手探り」を街中に広げていけば、俺は一歩も動かずに、この街のあらゆる場所を「視る」ことができる。

 

 女風呂の覗き? 余裕だ。

 厳重な金庫の中身? 手にとるように分かる。

 政府の最高機密が書かれた書類? ページをめくることさえ容易い。

 

 背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

 これは「便利」なんていうレベルを超えている。

 プライバシーも、物理的なセキュリティも、この力の前では紙屑同然だ。

 もし、こんな力が実在すると知られたらどうなる?

 

 平和を愛する市民団体が俺を許すはずがない。

 権力者は俺を自分の駒にしようと血眼になるだろう。

 そして何より、俺自身が「何でもできる」という誘惑に耐えられる保証がどこにある?

 

 右手を握りしめ、念力を遮断した。

 マッピングされていた周囲の情報が消え、いつもの静かで狭い六畳一間に戻る。

 

「……ダメだ。絶対にバレちゃいけない」

 

 独り言の声が、先ほどよりも鋭く、切実なものになった。

 

 この現代日本という社会は、あまりにも精密にできている。

 誰かが突出した力を持てば、システム全体がそれを排除にかかるか、無理やり組み込もうとする。

 品出しのフリーター。時給1050円。

 その、誰からも注目されない「透明な存在」でいることこそが、今の俺にとって最大の防御だ。

 

「昨日と同じだ。何も変わってない。俺はただの田中真也だ」

 

 自分に言い聞かせるように、再び床に転がった空き缶を手に取った。今度は念力ではなく、自分の筋肉を使って。

 

 便利な道具を手に入れた、などと思うのはやめよう。

 これは、いつ暴発するか分からない不発弾を、心臓の隣に埋め込まれたようなものだ。

 

 慎重に、慎重に生きなければならない。

 

 立ち上がり、ゴミ袋に空き缶を捨てた。

 明日からはまたスーパーでの仕事がある。

 重い段ボールを運ぶ時、つい念力を使いたくなるかもしれない。だが、死んでも使わないと心に決めた。

 

 たとえ、自分の認識を広げれば、この壁の向こう側に広がる広大な世界を支配できる可能性があったとしても。

 

 俺は、この安アパートの住人で居続けなければならないのだ。

 

 それが、この「超能力」という災厄から自分を守る、唯一の方法なのだから。

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