現代日本で超能力に目覚めちゃった件について   作:二度見屋

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第19話

 ――ピンポーン。

 

 不意に響いた電子音が、昼下がりの弛緩した空気を切り裂いた。

 

 贅沢をしてステーキでも食べに行こうか。そんな、久しぶりに手にした「普通の人間」らしいささやかな高揚感が、その一音で急速に冷え込んでいく。

 

「……誰だ?」

 

 俺は怪訝に思いながら、重い腰を上げた。

 一人暮らしの独身男性に、会いに来る相手なんて心当たりなんてない。宗教の勧誘か、あるいはネット通販の荷物が誤配送で届いたのか。

 

 特に警戒することもなく、俺は玄関のドアを開けた。

 

「……はい?」

 

 開けた扉の向こうに立っていたのは、くたびれたジャケットを羽織った、どこにでもいそうな初老の男だった。無精髭の混じった頬と、深く刻まれた目尻の皺。どこかで会ったことがあるような気がしたが、すぐには思い出せない。

 

「久しぶりだね……田中真也君」

 

 男の低く、落ち着いた声を聞いた瞬間、俺の記憶の底から「あの日」の光景が引きずり出された。

 

 ハ○ーワークへ行こうとしていた俺を、アパートの廊下で待ち構えていた男。

 美咲ちゃんの事件のあと、聞き込みに来た刑事だ。確か、名前は――。

 

「……倉田、さん?」

「お、覚えていてくれたか。二ヶ月近く前のことなのに、光栄だね」

 

 倉田は、親戚の叔父さんでも訪ねてきたかのような、人当たりの良い笑みを浮かべた。

 だが、俺の全身の毛穴は瞬時に収縮し、心臓が不規則なビートを刻み始める。

 

 (なんで、また。……終わったはずだろ、あの事件は。犯人も捕まったって、あんた自分で言ったじゃないか)

 

 喉の奥がカラカラに乾く。

 今回も、俺は完璧にやったはずだ。家から出ることすらなく、何キロも離れた場所に干渉し、証拠も残さず、当事者の店長さえ俺の事を言い触らしたりはしてないだろう。ニュースにさえなっていない。この刑事が、俺のところへ来る理由なんて、この世のどこにも存在しないはずなんだ。

 

「何の、用ですか。……俺、もう前の誘拐事件の件なら話しましたよ。それとも、また別の事件か何かあったんですか?」

「君はサニーデイズに戻ったんだよな。甘寺さんの下で。……いい店長さんだね、彼は」

 

 俺の言葉を遮るように、さらりと言われた言葉に、俺は息が止まりそうになった。

 甘寺店長。

 

 なんで急に、店長の話題を出す?

 

 「……店長が、何か?」

 「いや、実はね。先日、甘寺さんがちょっとした災難に遭ってね。……立ち話もなんだ。少しだけ、中で話をさせてもらえないかな。今日は非番なんだ。個人的な、頼みとして」

 

 断るべきだ。

 「予定がある」と言って、強引にドアを閉めるべきだ。

 だが、倉田の瞳の奥にある、逃げ場を許さないような鋭い光が、俺の足を床に縫い付けた。ここで拒絶すれば、それこそ「何かを知っている」と認めるようなものだ。

 

「……少しだけですよ。俺、これから用事があるんで」

 

 俺は渋々、彼を部屋に招き入れた。

 

 狭い六畳間。テレビではどこかで聞いたようなニュースが無機質な音を上げている。

 倉田は差し出した座布団にゆっくりと腰を下ろし、部屋の中を一度、ぐるりと見渡した。その視線が俺の背後を通るたび、自分の魂まで検品されているような、耐え難い不快感がこみ上げる。

 

「……それで。店長がどうしたんですか。最近、変わったことなんて無かったですよ。店長も変わらず仕事に来てますし」

 

 俺は努めて「何も知らない」顔を作った。

 ニュースもやっていない。店長も公にしていない。俺が「店長に災難があった」ことを詳しく知っているのは不自然だ。まずはそのスタンスを貫かなければならない。

 

「ああ、実は彼の家族が誘拐されてね。甘寺さん本人も、バットで頭を殴られたんだ」

「……え!? 誘拐? 嘘でしょ。店長が?」

 

 俺は、大袈裟なくらいの驚きを演じてみせた。

 心臓が早鐘を打っているのは演技じゃない。この刑事が、どれだけの情報を握っているのかが分からない恐怖だ。

 

 「……でも、店長、普通に出勤してましたよ? 元気に仕事してましたけど……。あ、でもこの前に一度遅刻してきた事がありましたけど……それ、本当の話なんですか?」

 「ああ、本当だ。……そしてね、ここからが不思議な話なんだよ、田中君」

 

 倉田は身を乗り出し、机の上に組んだ手を置いた。

 

 「犯人は三人。そいつらは現場で、全員が意識を失って倒れていた。外傷も、揉み合った痕跡もない。まるで、神様が指を鳴らした瞬間に全員眠らされたような、そんな不自然な状況だ」

 

 「……へぇ。運が良かったんですね。店長も、その隙に逃げたってことですか?」

 

 「甘寺さんの怪我もだ。金属製のバットが凹むほどの力で頭を殴られ、現場には大量の血痕。救急隊員は絶望的だと思ったらしい。だが翌朝、彼は小さな切り傷だけで病院を飛び出してきた。……君は、どう思う?」

 

 (なんで俺に聞くんだ。やめろ。こっちを見るな)

 

 落ち着け。俺が超能力を使っているなんて、物理法則を無視した結論に辿り着けるはずがない。

 

「……どう、って。それはもう、奇跡としか言いようがないですよ。店長、昔から運が強いって言ってましたし」

「奇跡、か。……犯人が怪我もなく勝手に気絶し、誰もいない場所から正確な通報が入る。私はこの『奇跡』のように解決した事件に、もう1つ心当たりがあるんだ。……そして、その両方の事件のすぐ近くに、君という存在がいるんだ」

 

 倉田の言葉が、逃げようのない事実として突き刺さる。

 

「君がどうやったかは知らない。特殊なスタンガンか、警察の目を欺くような高度な工作か……あるいは、もっと別の『何か』か。だがな、田中君。俺は確信している。君はあの二つの事件に、何らかの形で介入した」

 

「……言いがかりだ。証拠でもあるんですか?」

 

 俺の声が、自分でも驚くほど鋭く響いた。

 余裕がなくなっている。認めるわけにはいかない。認めてしまえば、俺の日常は、俺という人間は、終わる。

 

「証拠はない。……だからこうして、非番の日に、一人の人間として君に会いに来た」

 

 倉田は、真っ直ぐに俺の目を見据えた。

 

「君が悪いことをした。と責めに来たんじゃない。むしろ逆だ。被害者は助かり、君は尊い行いをした。それは間違いない。……だが、俺は刑事だ。君がどうやったかを知らなければならない」

 

「……しつこいですよ」

「いいか、田中君。痕跡も残さずに人を無力化し、重傷であるはずの怪我を無かったことにする。そんな恐ろしい方法が、もし悪人に知られたらどうなる? どんな警備も、どんな法律も意味をなさなくなる。この法治社会は根底から崩壊するんだよ。俺はそれを、刑事として見過ごすわけにはいかない」

 

 倉田の声には、切実なまでの義務感が宿っていた。

 彼は俺を、社会を脅かす「未知の脅威」として定義しようとしている。俺がただ、自分のささやかな居場所を守りたかっただけの、臆病な男だということも知らずに。

 

「本当のことを言ってくれ。君は、一体何を隠している?」

 

 沈黙が部屋を支配する。

 テレビの中では、相変わらずどこかの誰かの悲劇が、無機質な音声で語られている。その声が、まるで俺の内心を暴露しているように感じて、今の俺には酷く不気味に聞こえた。

 

 (言えるわけがないだろ)

 

 超能力。

 そんな荒唐無稽な言葉を、普通の人間が、科学捜査の申し子たる刑事が信じるはずがない。言えば精神科に送られるか、あるいは薬でもやってるのか、と疑われるのがオチだ。

 

「……刑事さん。期待させて悪いんですけど、俺は本当に、何も知りません。特殊な武器も、変な技術も持ってません。……あなたは、考えすぎなんです」

 

 俺は、凍りついたような声色で言い放った。

 全身の神経が、一秒でも早くこの男を部屋から追い出せと叫んでいた。

 

 倉田は、じっと俺の瞳の奥を覗き込んでいた。

 俺がどれほど必死に嘘を吐き、どれほど怯えているか、彼はすべて読み取っているようだった。

 

「……そうか。今日のところは、諦めよう」

 

 倉田はゆっくりと立ち上がった。

 

「だが、田中君。君がどんなに隠そうとしても、俺のような人間にははっきりと見えるんだよ。もし、気が変わったらここに連絡してくれ。……また来る。君が、自分の持っているものの重さに、耐えられなくなる前に」

 

 倉田はそれだけ言い残し、名刺か何かを俺に手渡すと玄関へと向かった。

 パタン、とドアが閉まる音が、この世の終わりの合図のように響いた。

 

 俺はそのまま、畳の上に力なく崩れ落ちた。

 

 手の震えが止まらない。

 バレた。いや、正体まではバレていない。だが、俺が「何か」であることは、もう隠し通せなくなっている。

 

 日常を守るために力を使ったのに。

 その結果、俺は厄介な執念を持った男に、喉元を掴まれてしまった。

 

 俺は、独りになった部屋で自分の掌を見つめた。

 神のような力。

 けれど、今の俺は、ただの初老の刑事に追い詰められた、惨めな逃亡者でしかなかった。

 

「……なんで、こうなるんだよ……」

 

 ステーキを食べに行く気分なんて、もう微塵も残っていなかった。

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