現代日本で超能力に目覚めちゃった件について   作:二度見屋

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第5話

 あれからの1週間、俺は驚くほど「普通」に生きていた。

 月曜日。バイトのシフトは13時から21時。

 スーパーのバックヤードで、納品されたばかりの段ボールの山と格闘する。カッターでテープを切り裂き、中身のカップ麺を棚に並べていく。単調な作業。時折、腰に走る鈍い痛み。客の子供が走り回るのを横目に、俺は「あぶねえな」と心の中で悪態をつく。

 昨日のような異常事態は、もう起きない。そう自分に言い聞かせながら、俺はただの労働力として時間を消費した。

 

 火曜日。バイトが休みの日。

 俺は昼過ぎまで寝腐り、空腹に耐えかねて起きた後は、コンビニのパスタを啜りながら配信サイトで適当なアニメを流し見した。

 ふと、部屋に転がっている空き缶に目が留まる。少し意識を向ければ、あれを浮かせることも、握りつぶすこともできる。だが、俺はその衝動を力ずくで抑え込んだ。あの日、交差点で少年の身体を引き寄せた時の、あの内臓に響くような悍ましい感触を思い出して吐き気がしたからだ。

 俺はリモコンを手に取り、画面の中のファンタジーな異世界を「作り話だ」と切り捨てて眠りについた。

 

 水曜日、木曜日、金曜日。

 何事もない日々が積み重なっていく。

 バイト先で、あの航太という少年や、その親に会うこともなかった。一週間も経てば、子供の言う「魔法」なんて大人は忘れ去る。警察が聞き込みに来ることもない。ネットのニュースにも、超能力者の出現なんて一文字も載っていない。

 

(……よし。戻ってきたんだ)

 

 俺はようやく、胸の奥に詰まっていた澱のような不安を吐き出した。

 あの日、俺が犯した「致命的なミス」は、幸運にも日常の波間に沈んでくれたようだった。俺は再び、その他大勢の中のひとりに戻れた。時給1050円で生活を回し、たまに発泡酒で晩酌する。そんな、誰にも邪魔されない、完璧に無価値な日常。それこそが俺の求めていたものだった。

 

 土曜日。バイト先の店長に「田中くん、最近真面目だね」と褒められた。

 皮肉なものだ。超能力なんていう万能の力を手に入れた俺が、バレるのを恐れるあまり、これまで以上に「善良な市民」として振る舞っているのだから。

 

 そして日曜日。

 この一週間の平穏が、俺に確信を与えていた。

 大丈夫だ。俺が黙っていれば、世界は何も変わらない。俺は俺のままでいられる。

 

 午後九時。

 バイトの退勤打刻を済ませ、重い足取りでスーパーの裏口から外へ出た。

 一週間を無事に乗り切った解放感。コンビニでちょっと高いプレミアムモ○ツでも買って帰ろうか。そんなことを考えながら、夜の冷え込み始めた空気を吸い込んだ。

「……おっちゃん!」

 暗がりに響いた声に、俺の思考が氷結した。

 心臓が、喉までせり上がるような激しい鼓動を打つ。

 

 街灯の届かない建物の影に、数人の子供たちが立っていた。

 あの日、交差点にいた子供たちだ。

 トラックに轢かれそうになっていた航太と呼ばれていた少年。そして名前も知らない二人の少年と三人の少女。一週間前にスーパーに来て俺に「魔法使った?」なんてほざきやがった子供もいる。

 

「……お前ら。こんな時間に何してるんだ。もう遅いだろ」

 

 俺は動揺を隠し、冷淡な、大人としての声を絞り出した。

 一週間の平穏が、ガラス細工のように音を立てて砕け散っていく。

 

「早く帰れ。親が心配するぞ」

 

 無視して通り過ぎようとした。だが、航太が俺の腕に縋り付いてきた。

 見れば、彼の顔は街灯の微かな光の下で、ひどく青白く、そして泣き腫らしたように赤かった。

 

「おっちゃん……助けてよ。美咲ちゃんが、いないんだ」

 

「……ミサキ?」

 

 心当たりがない。いや、あの日、泣きじゃくる航太の横で震えていた女の子がいた気がするが、顔も名前も一致しない。俺にとっては「あそこにいた小学生の一人」というぼんやりとした認識でしかなかった。

 

「約束の時間になっても、公園に来なかったんだ。美咲ちゃん、そんなこと絶対しないのに。親の人たちも、警察もみんなで探してるけど、どこにもいないんだって……!」

 

 航太の指先が、俺の腕に食い込む。

 

「お願いだよ。おっちゃんなら、探せるだろ? あの時みたいに、おっちゃんの『魔法』で、美咲ちゃんを見つけてくれよ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内は真っ白になった。

 

 こいつらは、俺が魔法使いか何かだと、既に確信してやがる。

 一週間、何も起きなかったのは、バレていなかったからじゃない。こいつらが俺という「カード」を隠し持っていて、今、最悪の場面で場に出してきたんだ。

 

「……何を言ってる。魔法なんてあるわけないだろ」

 

 俺は強引に腕を振り払い、逃げるように歩き出した。

 

「警察に任せろ。俺は関係ない。とにかく帰れ」

 

 それだけ言って足早にその場を逃げるように歩き去った。背後から、子供たちの悲痛な叫びが追いかけてくる。

 だが、俺は振り返らなかった。振り返ったら、俺の積み上げてきた「普通」が、全部崩れてしまう気がしたからだ。

 

 振り返るな。関わるな。ここで首を突っ込んだら、俺の人生は本当に終わる。

 

 逃げるようにアパートに辿り着き、ドアを乱暴に閉めた。

 二重ロックをかけ、チェーンをはめ、背中でドアを塞ぐようにして座り込んだ。

 

 暗い部屋。狭い玄関。

 心臓が早鐘を打っている。ドクドクという自分の鼓動が、部屋中に響いているように感じられた。

 

「……クソ。クソ、クソ、クソ!」

 

 俺は自分の膝に拳を叩きつけた。

 

 なんで俺なんだ。なんで、あんな力を手に入れてしまった。

 ただ静かに、誰にも邪魔されずに生きていきたいだけなのに。

 

 茫然自失となって、俺はそのまま動けなくなった。

 暗闇の中で、嫌な想像ばかりが膨らんでいく。

 

(ほら見ろ。よくあるストーリーの始まりだ……)

 

 脳内の冷めた自分が、あざ笑うように囁く。

 特別な力を持ち、隠して生きたいと願う主人公。そこに舞い込む、非日常の事件。助けてくれと縋り付く弱者。

 そして、葛藤の末に力を貸し、破滅的な物語へと引きずり込まれていく。

 

 そんな王道の展開を、俺は物語として散々消費してきた。

 だが、現実にそれを突きつけられると、反吐が出るほど恐ろしい。

 

 美咲、とか言ったか。

 あの日、確かにそこにいた、顔も覚えてない少女。

 彼女は今、どこにいる?

 単なる道迷いならいい。だが、もし本当に「事件」だとしたら?

 

 現代日本で、小学生の女の子が夜になっても見つからない。その事実が意味する最悪の可能性を考え、俺は身震いした。

 

 もし、今ここで俺が無視を決め込み、数日後に彼女が「冷たくなって」見つかったとしたら。それは俺のせいか?

 

 俺は、明日からも、その次の日も、何食わぬ顔でスーパーに牛乳を並べられるのか?

 この力を使えば見つけられたかもしれない。助けられたかもしれない。

 そんな思いを抱えながら、俺は一生、自分を騙し続けて生きていけるのか?

 

「……ふざけんなよ」

 

 俺のせいじゃない。

 事件を起こした奴がいれば、そいつが悪い。

 探さない警察が悪い。

 目を離した親が悪い。

 

 俺は何も悪くない。

 

 ……そんな言い訳が、今の俺には何の慰めにもならなかった。

 

 力がなければ、これほど苦しむこともなかった。

 「可哀想に」と一言呟いて、ニュースを切り替えるだけで済んだ。

 だが、俺には「できてしまう」可能性がある。その事実が、俺の首を真綿で締めるように追い詰めていく。

 

 一時間。

 暗闇の中で、俺はただじっとしていた。

 

「…………クソが」

 

 俺は重い腰を上げ、部屋の真ん中で胡坐をかいた。

 

「……場所を探すだけだからな。見つけるだけだ。それ以上は、絶対にしない」

 

 自分に、誰にともなく、呪詛のように言い聞かせる。

 

 俺は深く、深く呼吸を整えた。

 肺に溜まった空気を全て吐き出し、意識の焦点を外へと、この壁の向こう側へと切り替える。

 

 脳内の「ピース」に指をかける。

 錆び付いた歯車が、音を立てて回り出す。

 

 俺は静かに、自分の体から溢れ出す目に見えない「念力の手探り」を、夜の街へと広げ始めた。

 

 俺は、俺自身が犯そうとしている「取り返しのつかない間違い」に悪態をつきながら、見えざる手で街の闇をなぞり始めた。

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